番外編①-1 最後の日の葛藤 

 「本日は本当に、ありがとうございました!! 」

俺達の揃った礼を迎えたのは、3日前に倍するほどの拍手だった。終わった。終わってしまった。舞台から立ち去っていく中で、なんとも言えない淋しさが俺の胸に淡くのしかかる。今日は4月23日、新歓公演の最終公演の日、俺達が精魂込めて作りあげた「セーフティスクイズ」は終わりを告げたのだ。あれから幹彦のことで色々有りはしたが、もう何も怖くはない。俺の居場所は間違いなくここにある。今では少し3日前の自分が情けなくなるくらいだ。何よりも幹彦が俺に気づかせ、繋ぎ止めてくれたのだ。あいつには感謝しかない。

 立ち去る間も、拍手は中々終わることが無かった。客出しの曲、そして拍手の音だけが公演終わりの部室を暖かく包む。俺の大好きな台本、「セーフティスクイズ」。それを大好きな部員みんなでできたんだ、それを幹彦、西脇、委員長、栄……俺の大好きな人たちに見てもらえたんだ。芝居をできる環境、それを見てくれる人達がいる。俺は本当に幸せ者だ。不意にそんな思いが去来した。目の前がぼやけて、滲んでいく。いつしか柿田のジャージは涙で濡れ、そのそばから生地に吸い込まれていく。流石に涙なんか見せられる訳はない。なんとかして抑えようと、俺はひとり縮こまっていた。舞台上にはすでに誰もいない。そんな中で、グランドフィナーレとでも言うように舞台が暗転した。客出しのBGMが高まっていく。こうして、去山高校演劇部の新歓公演は、様々な問題を起こし、解決しつつ無事に幕を閉じた。客出しの音量が元に戻る。舞台に、客席に再び明かりが灯る。その中で見たみんなの顔は、充足感と達成感に満ちたものだった。

「ありがとうございました!! 」

俺は真っ先に飛び出し、お客さんたちにお礼を言いに行く。むろん涙をこらえて。電気の点灯とともに、部室を3日前は無かった暖かいものが包んだ。やはり公演後はこうでないと。他の部員たちもそれぞれの友達、家族の元へ走っている。部室では元々そこまで遠い訳ではない部室と客席。それがやけに近づいて思えた気がした。

「国之先輩!! 」

呼ぶ声の方を向くと、優磨を始めとした一年生4人の姿があった。満面の笑みを向けてくれている。鼻の奥が少しじんわりと傷んだ。

「おう、優磨! 今日も見に来てくれたのか。本当にありがとう。」

「当たり前じゃないですか、先輩。先輩方が出ていて、しかも行けるとあれば見にいかない手はありませんよ。それに、せっかく演劇部に入ったんだからお芝居の勉強ですよ。」

「そっか……。」

話の切れ目を狙ってか、一人の男子が口を開いた。おそらく、前に諭(さとし)と言ってたやつだろう。以前に名前だけならば聞いたことがある。静かそうな雰囲気で、どちらかというと西脇よりは委員長に似ているようだった。

「先輩、僕、僕も演劇部入ります。本当に感動させてもらいましたし、こんなすごい舞台を作りたいなって。それに、優磨から結構部活のこと聞いてて、すごく楽しそうだなって。このあと、入部届け出しに行きますね。駒田(こまだ)諭(さとし)っていいます。これからよろしくお願いします。」

やはり、新歓の力はすごい。舞台の力はすごい。今まで全く舞台に関わったことがないであろう人をここまで夢中にさせてしまうのだから。俺はまた広がってきた熱いものを噛み締めながら言葉を紡ぐ。

「こちらこそよろしく。もう新歓公演も終わることだし、明日は反省会だから、早ければ明後日から来ても大丈夫だと思う。」 

「はい。」

俺の冗談じみたことに、諭は少し苦笑する。刹那、話す俺の肩が不意に叩かれた。振り返るとそこにいたのは懐かしい、少し苦ささえ感じる影だった。

「幹彦……。」

幹彦は私服に入校証を携え、いつもどおりの落ち着きをたたえていた。違うところとしては少し泣き晴らしていることくらいだろうか。

「国之、ほんとにすごかった。素晴らしかった。もうなんか言葉が見つからないけど、僕もこの劇づくりをしたかったなって思っちゃった。本当にお疲れ様。僕、改めて演劇部のみんなのこと尊敬してるよ。」

「改めて尊敬してる」思わずその言葉にまた涙がこみ上げてきた。「演劇部のみんな」の中には当然俺も入っているわけで、幹彦に尊敬してもらえるのは何よりも嬉しかった。

「本当にありがとう。やっぱり、大好きだ。」

何も言えずにいる俺に、そう言って急に幹彦は抱きついてくた。その重さを受け止めながら、頭を撫でてやる。きっと、「大好きだ」は、この演劇部であり、「セーフティスクイズ」であり、前言っていた通り俺個人への恋愛感情かもしれない。

「こっちこそありがとう。ちゃんと伝わったよ。」

しかし、無論真相は知るべくもない。俺はまた泣き出した幹彦を撫でてやった。


勇気を出して、国之の肩を叩いた。感想を伝えた。あいつは何も言ってくれなかったけど、その穏やかな顔で気持ちは十分伝わってきた。でも、僕の中のもやもやはどうしてか消えてくれなかった。あのときの気持ちはちゃんと伝わっただろうか。国之のことが好きだと。そう一度思ってしまうともう止められなかった。

「本当にありがとう。やっぱり大好きだ。」

気がつくとあいつにすがりついていた。あいつは驚きながらもちゃんと受け止め、頭を撫でて慰めてくれる。「国之のことが」とは言えなかったのが心に残り、また言おうと息を吸い込む。しかし、その瞬間あいつが言ってくれたのだ。

「こちらこそありがとう。ちゃんと伝わったよ。」

途端、涙が溢れた。あいつと会うことも少なくなる。あいつが僕のことをどう思ってるかは分からない。だけど、そんな事はもうどうでも良かった。「ちゃんと伝わったよ」。そんなあいつの一言だけで僕は十分だった。例え友達としてでもいい。僕のことを居場所と思ってくれる国之のそばにいつまでもいたい。涙を止めようと思ったが中々止まってくれるものでは無さそうだ。僕のことをはあいつへの迷惑を心の中で侘びつつ、いつまでもすがりついて泣き続けた。


なかなか幹彦は泣き止んでくれず、ようやく泣き止んだ時には彼を除くお客さんは帰ってしまっていた。

「迷惑かけちゃったよね……本当ごめん。」

「いや、大丈夫だよ。」

「それじゃ、僕はそろそろ行くね。お疲れ様でした。今日は本当にありがとうございました。」

部室全部に届く声で幹彦は言い、かばんを持って帰ろうとした。きっと彼はもうしばらくこの部室に来ることはない。最低でも後2ヶ月、学祭公演までは。そう思うと、なかなかあいつから目線を切ることが出来なかった。部室を出て行き、段々と段々と影が小さくなっていく。夕日に照らされるあいつは、とてつもなく輝いて見えた。

 その時、俺は一心に幹彦を見つめるもう一つの小さな影に気づいた。そして、さらに思い出したもう一つのことで、俺の胸はきつく締まる。彼女……一美に結局俺は思いを伝えられていないのだ。そう思い出してしまうと、たとえ届かなくても伝えたい気持ちが募っていく。確かに一美が好きなのは幹彦だ。俺の恋なんて実ることはない。でも、例え叶わないと分かっていても伝えたかった。

伏目気味な一美と不意に目が合った。合った途端逸らせなくなってどぎまぎするが、こうなったら行くしかない。

「あのさ、ごめん。俺、一美の事好きだ……。」

声は段々とか細くなったが、かろうじて届いたはずだ。届いていてほしい。強い西日が一美の顔を覆い隠している。

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