第29話 先輩像

 帰り道も当然自分から話しかけるようなことはしない。話しかければ、話してしまえば更に気を使わせ、また迷惑になるかもしれない。俺達はただただ淡々と目の前の道を歩き続ける。周りでは話し声もポツポツと聞こえるが、きっとそこに混ざる権利は無い。また早とちりで何か喋りに行ったらきっとなにか起こしてしまう。だから俺はひたすら黙った。

「お疲れ様でした!! 」

帰り際の挨拶くらいはまともにしておかないとだめだろうし、何より怪しまれる。でも、平静を装ってもやっぱり心からはできない。声は出せていても、心ここにあらずという感じだ。1日目にして辛くなってきた。やっぱり俺は本心を殺して演じきるというのは難しいみたいだ。みんなが帰り終えた後の駅で、俺は一人あの日と同じベンチに座り込む。あの日と同じ絶望感。違うのはまぎれもなく自分のせいだと言うことだ。とにかく同じミスを繰り返さぬよう、何事にも落ち着いて行動するしかない。例えできたとしても、また信頼を得ることは難しいだろうが……。一度座り込んでしまうと、なかなか立ち上がる事ができない。体は石膏ででも固められたかのようにイスから離れようとしなかった。ようやく腰を上げて歩き出せたのは7時を過ぎた時のことだった。日が落ちたためか、いつもより格段に冷たい風が俺の全身を叩いた。

 練習期間は残り4日となった月曜日。授業を寝ない程度に聞き、休み時間は台本を読んで過ごす。とても模範的な生徒とは言えないだろうが、テストも遠い今はそんなものはどうだっていい。頭は完全に「部活モード」に切り替わっている。なんと言っても、俺は新歓を最後の舞台にせねばならないのだから。

 「ねえ、国之、国之。起きて! 」

昼休み。俺は栄の声で我に返った。台本の世界、自分の世界から現実に引き戻されていく。教室の喧騒がやけにうるさく聞こえて俺は少し顔をしかめた。見ると、いつもより少し真剣な顔をした栄がこっちをかっちりと見据えていた。手元には現代文のプリント。そうだ。俺は彼女に教えていたのだった。

「頼んでるこっちが言うんで申し訳ないけどさ、教えてる時にボーッとしないでもらえる……?」

どうやら相当呆然としていたようだ。慌ててわびを入れる。

「あぁ、ごめん。えっと、どこからだっけ? 」

「えっとね、いまいちここの場面の主人公の気持ちの表現、待っている人……が分からなくって。」

「今、主人公の大和(やまと)は親友の大河(たいが)に、部活に帰ってきて欲しいと思ってる。大和にも大河にも共通の友だちとして梨田(なしだ)がいるでしょ? ここのお前を待っている人って言うのは、梨田のこと。自分以外にも、待っている人はいる。だから、悩みの世界から抜けて帰っておいでって。本文には書いてないけど、作者はそういうことを言いたくて、この表現使ってるんだよ。きっと。」

教科書の冒頭にあったこの小説は、短いながらの俺の中に強いインパクトを残している小説ただ。だからこそ、読み取りも容易い。

「ありがとう!! やっぱり、さすが演劇部だね。台本とかよく読むんだろうし。」

「うん、まあね。それじゃ。」

「待って! 」

用が終わり、立ち去ろうとする俺を栄が引き留めた。何かあるのだろうか。

「なんか国之、今日元気なくない? 見た目的にはいつも通りなんだけどさ、心の奥の感じとか、喋ってる時の態度がちょっとだけ違うような……。」

今日の栄は鋭い。というか前に落ち込んでた時にもすぐ気取られたし、俺はやはり隠すことが苦手なのかもしれない。でも、今に関しては部内の人はいざ知らず部外の人にまで話して心配をかけるわけには行かない。

「まぁ、何かはあったよ。といってもただの疲れなんだけどさ。残り一週間をとっくに過ぎてるから、最後の追い込みが大変でさ。俺、ほら、主役だからさ。」

「主役」という単語に一気に栄が反応する。こっちが驚いてしまった。

「主役だったの!? 」

「え? あれ? 言わなかったっけ? 」

「聞いてない聞いてない!! すごいじゃん!! 部活無かったら絶対に見に行くから!! 」

なんという凄まじい反応だろうか。でも、こういうお客さんがいないと演劇部の公演は、そして演劇部はたち行かない。ありがたく受け取ることにする。

「ありがとう!! 俺、ほんとに頑張るから! 」

「頑張りすぎてるんじゃないの? 顔に出てるよ。」

胸が詰まった。憎まれ口を珍しく叩かれるが、図星なので反論できない。正確に言えば、「頑張りすぎていて、それがすべて空回りしている」と言ったところか。

「じゃあ、顔に出さないように頑張りますわ! 」

「そういう問題じゃないよ! まぁ、死なない程度にね。」

そう言って手を振り、次の移動教室へ向かう栄を見送ると、俺は椅子に座り込んでため息をついた。ここまで疲れるとは思わなかった。教室の内外からはしゃぐ声、喋り声が聞こえてくる。昼下がりの教室は薄曇りの中にたゆたっている。予鈴が鳴り響く頃になって、俺は移動教室を思い出した。

 部活。今日もひたすら危ういところを返していく。今の意識と演技のクオリティーなら本番でも通用する。奏先輩に言われた言葉を信じ、意識しつつ俺はひたすら練習に励んだ。もうセッティングからは時間的に出来ないし、道具系も本番当日のセッティング不安以外に懸案事項は無い。つまり、今の俺にできるのは今できる全力の演技をしてだめを減らし、少しでも演出や他のキャストの迷惑にならないようにすることだ。

「わぁ……やっぱりすごい!!! 」

正式に入部届を出して部員となった優磨もまた、見学に来ていた。相変わらず子犬のような目で返しを見つめ、一挙一投足に歓声を上げる。本当にこいつは演劇というものを楽しんでいるようだ。そういえば、この春優磨以外部員になったものはいない。しかも、部活勧誘をしていた頃はまだ冷やかしでも見に来ていたものがいた。部活勧誘が終わって見学だけに切り替わった今はそれすらいなくなってしまっている。とても悲しいことではあるが、これも演劇部の常なのだろうか。

「去年も君たち四人以外にほとんど人来なかったから……。」 

そう言って佳穂先輩は笑っていたが、笑っていられる状況ではないような気もした。とにかく、まずはいいものが見せられるように練習することだ。俺はより強く決意を固めた。どうせこの公演が最後になるなら、燃え尽きるまでやってやる。

「行きまーすっせい! 」

また奏先輩の声が響き、返しが始まった。

 その部活の帰り、曇天の中。いつもの様に飽くなき心で部室を見渡す優磨とそれを見ると俺という構図が出来上がっていた。いよいよ帰ろうというとき、優磨が俺に話しかけてきた。いつになくキラキラとした顔だった。

「先輩!! 今日の返しの時の先輩、いつにも増してかっこよかったです!! 気合入ってるなぁって感じでした。」

少しの後ろめたさを感じた。体を動かそうとしてもうまく行かない。確かに気合は入ってはいる。でも、それは別次元の物で、星が消える前の最後の輝きなのだ。それを察したように優磨の顔が急にゆがみ、語調も弱まった。

「でも、先輩なんだかすごく辛そうでした。返しの合間にたまに見たとき、すごい顔してましたよ!! 」

やはりか。何となく自分でも変な視線を感じるとは思っていたが、優磨だったのか。栄にも優磨にもバレている。きっとこれは隠し通せない。

「何かあったのならぼくで良ければ聞きますから、話してくださいよ。」

そこには「優磨」の名の通りの慈愛に満ちた笑顔があった。思わず驚きに目を見開く。この心優しき少年は本当に一つ下なのか。熟達した雰囲気さえ感じられた。こいつとは今後一年間やっていくことになる。部員なのだから話してもいいだろう。俺は覚悟を決めた。

「聞いてくれるか。よし……。優磨、端的に言うと、俺はこの公演が終わったら部活をやめようかと思ってる。」

「そうなんですか!? やめる理由なんて僕には考えられませんが、どうして……。」

「優磨は分からないのかもしれないけど、俺はすごくそそっかしいんだ。早とちりで勇み足が多いんだ。考え方もすごく短絡的で主観的らしいんだ。だから失敗も多くしちゃってさ。」

「先輩にもそんなことがあったんですか。」

眉の根を寄せて必死に聞いてくれる優磨に、俺は言葉を紡ぎ続ける。

「うん。それで、この間ついに決定的なミスをして、こういうミスはもう3回目で。演出の奏先輩や克己先輩に怒られたんだ。それで、もうこんなやつが部活に居てもしょうがないから、失敗して迷惑をかけ続けるわけにも行かないから部活を辞めようって思った。せめて新歓までは終わらせてからって。他のとこに行ったってそこで失敗するかもしれないけどさ、この部活にもう迷惑はかけられないって思って。」

今度は、優磨は言葉を返さなかった。不審に思って見ると、更に真剣な表情で言葉を探して、考えている様子だった。俺はそんな彼に感謝しつつ、ひたすらに待つ。かなり長い沈黙のあと、優磨は口を開いた。

「あんまりうまく言えないですし、僕の言葉が先輩に届くかもわかりません。でも一つだけ言えるのは、先輩がどんなに自分は嫌われてるって思ってようと、ここには先輩が必要な人がいるってことです。僕は先輩に残っていてほしいです。僕にとっての国之先輩は、大好きで大事な先輩です。もっといろんなことを先輩と作って行きたいし、教えてもらいたいです。よろしくお願いします。」

教わるだけなら他の人でもいいじゃないか。そんな思いはあったが、「ここには先輩を必要としてる人がいる」という優磨の言葉は確かに胸に刺さった。言葉の重さと比例してか、頭が更に重く感じる。

「ありがとう。」

そう返すのが精一杯だった。また、部室を沈黙が包む。しかし、それは暖かい温度を持ったものに思えた。

 代わりはいるかもしれないが、総合的に見れば嫌われているかもしれないが、自分はまだ必要とされている。そう思えば、少しだけ前を向くことができたのかも分からない。

「さあ、帰りましょうよ、先輩! 」

いつもどおりに戻った優磨の言葉で、体を引きずり気味ながら俺は少しずつ歩き始めた。これほどまでに後輩の背中が大きく見えたことはきっと無い。遠くで誰かの足音がした気がした。

 程なく。日も暮れ際の世界で、2つの影が学校から吐き出されてくる。一人は少しうつむき気味でゆっくりと、もう一人はきっぱりと前を向いて早足で。それぞれの速度ながらまっすぐ家路を歩んでいった。

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