第30話 記憶の掘り返し

 その日の帰り、家に着くとやはり疲れが一気に流れてきた。帰ってからも優磨から連絡が来ていた。

「国之先輩、少しは楽になりました……? 早く元気になって、柿田を今まで以上に楽しんでくださいね!! もう落ち込んだ先輩は先輩じゃないです。みんなだって心配してるかもしれないですし。」

失敗ばかりの俺を誰が気遣ってくれるというのだろう。少し浮かんだ卑屈な考えは、ラインのチャット欄を埋め尽くす白い吹き出しによって容易に破れた。たしかにほとんど連絡は来ていなかったものの、好美先輩との個人チャットだけが吹き出しで埋め尽くされていた。

「国之! またなんか一昨日くらいから元気なくなってきてるよ。ひょっとしてあんたグローブのこと引きずってるの? ちゃんと返せたんだし、結果的にはうちにも野球部さんにもプラスになったんだからいいの。ミスさえ繰り返さなければいいの。既におんなじミスしてるって思ってるかも知んないけど、そんなことされた側はだいぶ忘れてるもんだし。最低でも、私達は一度や二度の失敗で人を見限ったりしない。国之にはこんなことごときで体壊されたりブルーになられちゃ困るよ。しかも、辞めるなんてもっての外だからね。」

俺達の会話を聞いていたかのような最後の一文に少し腰が引ける。そういえば、昨日の帰り際に誰かの足音を聞いた気がする。まさか聞いていたのではあるまい。言葉をくれたのは嬉しかったが、やはり好美先輩が気を使ってくれてるように感じてしまった。これからは、このような態度すら外に出してはきっとだめだ。俺は固く心に誓ってスマホを握り直した。

「ありがとうございます」

とだけ打つ。逆に、今の自分にはそれ以外に返す言葉はなかった。

「たしかに、優磨の言うとおり俺のことを気にかけてくれてる人が結構いたよ。元気をもらえた。ありがとう。」

俺は優磨にそれだけ返してスマホを置き、大きめなため息をついた。とにかく、明日からはできるだけその素振りさえ見せない様に過ごさなければ。そして、明日以降は本番に向けてさらに気持ちを高め、演技も充実させて行かなければならない。寝転がると押し寄せたまどろみに身を任せて、俺は眠りについた。

 翌日、練習期間はあと3日。俺は公演前の癖で頭の中は部活一色になってしまっていた。授業中は当たり前のように上の空だ。俺は人間とは不思議なもんだとつくづく思った。例え部活が楽しいものであっても、つらいものになろうとも癖は変わらないのだ。俺は頭の中を部活一つにしつつも少し切ない思いに駆られていた。これを最後の公演にしなければならない、最後なんだと思うと、嫌でも気持ちははやっていった。

「……東田君!! 東田君!! ここの公式は!! 」

ふと気がつくと強面の女性教師が黒板を叩いている。そうだ、今は授業中なのだった。咄嗟に思い出せず、頭をひねる。

「はぁ、これもすぐ出ない。減点しときますね。」

彼女は大仰なため息をつくと、すぐに他の人を当てに行った。少しむっとしたが、自分が悪いのだから仕方ない。こういうことがあるから公演直前は困る。でも、いつもはこんな時でも幸せなのだ。何はともあれいろいろな事象を孕みつつ日々は進んでいく。

 「おはようございます!! 」

俺はいつもの様に挨拶して部活に入っていく。入ってすぐにあったのは好美先輩の笑顔だった。しかし、少しぎこちない。

「国之、昨日言ったとおり、部活やめるのだけはだめだよ。」

笑顔だからこそ余計に怖くなってくる。俺はこの機に、昨日生じた一つの疑問について聞くことにした。

「そういえば、先輩は昨日の僕と優磨の会話を聞いてたんですか? 」

先輩は顔をさらにこわばらせる。どうやら図星のようだ。観念したようにつぶやく。

「いやね、昨日辺りからお前の様子がどっかおかしいと思ってたからさ。大丈夫かなと思って、昨日も先に帰るふりしてトイレに隠れて待ってたのよ。そしたら会話が聞こえてきたってわけ。」

「そうだったんですか……。」

「とにかく、みんなお前を必要としてるんだから、絶対にやめちゃだめだ。いいね? 」

「はい……。」

口ではそう言ったものの、心の中はモヤモヤとしていた。残ってほしいという気持ちはすごく伝わる。でも、何かが足りない感じだ。あと一つが足りない。多分それは自分の中でとてもピッタリとハマるもので……。多分、自分の中ではやめるという気持ちは薄くなっている。所詮一過性のものだったのだろう。それでも足りなかった。何か足りないのかも明確にはわからない。混沌とした厄介な頭を抱えながら時は流れ、ミーティングへ移っていった。 

 そして、あろうことかモヤモヤは芝居にも伝染していく。

「国之!? 悪い意味で別人になってる……。動きのキレも無くなってなんかのうのうとやっちゃってる感じ。昨日までの君はどこへ行ったの…? 」

奏先輩の言葉が、俺の変容を如実に表現していた。自分でも日数が少ないことはわかってる。焦らなければならないことも、個人のことだけで全体を振り回していいわけないことも分かっているはずだった。でも、体が言うことを聞いてくれなかった。どこまでも、どこまでも落ちていく感覚がする。

「すみません……。何か疲れてるかもしれません。直すように善処します。」

「うん、よろしく頼むよ、国之。私は演出で、色々と口出しすることはできるけど、最終的に決めるのは君なんだから。」

「はい……。」

メインキャストや演出陣の気分の低下はまたたく間に全体に伝播し、今日の練習もあまり気持ちが上がり切ることなく終わってしまった。俺のグローブの件やその他問題に関しては何故かみんなあまり触れてこなかった。気遣われてるのかと思うと同時に、少し申し訳なくもなった。

「お疲れ様でした!! 」

部活が終わると同時に、いつもどおり皆は掛け声とともに部室を去っていく。今日はみんなやけに早めだ。特に、今まで割と最後までいた克己先輩や由香里先輩、奏先輩らまですぐさま帰っていく。俺は少し暗い気持ちになった。なんのためだろうかといぶかしんだがどうしようもない。ひとまず早く帰ろうと俺は部室を出た。誰もいなくなった部室は夕暮れの中で不思議と明るい雰囲気を醸し出していた。

 先輩たちはなぜ早く帰ったのだろうか。気になったものの、判明に時間がかかるだろうからしばらく忘れようと思っていた。しかし、その理由は意外なほど判明することになる。それはその日、夕闇の中でみんなが集まり、帰るのを待っていた時のことだった。いつもより早く来たおかげで人の数は割と少ない。

「奏、今回の芝居、うまく行きそう……?」

由香里先輩が声を低めもせずに直球で攻めた。奏先輩が特に異状を示さないということはもしかするとみんなこの話のために早く出たのかもしれない。

「わかんないけど、衣装やら道具やらのめどはついてるから、あとはやっぱり役者次第だな。」

役者次第だな。そう言われてやはり俺は震えずにはいられなかった。言うなれば、この劇の趨勢は役者勢が担ってると言ってもいい状態らしい。

「はい……。肝に銘じてがんばります、今日みたいなことはしません。」

俺が思わず答えた時、周りの空気が一瞬ざわついた気がした。まるで、この場にどうしているのかとでも責めるように。俺はまた胸の悪さを感じた。

「そっか……なら良かった。最低でも、前回よりは何とかなりそうな舞台だね。」

由香里先輩が安心したように言葉を返し、次いで笑顔になる。

「そうだね。」

奏先輩も嬉しそうに唱和し、場は少し和やかになったが、俺は最後の言葉を聞き逃さなかった。前回の公演。それはつまりクリスマス公演、俺と、一美と、奏先輩が精魂詰めて作った舞台「去る山」のことだった。少し胸がざわつく。

「今だから言うけどさ、はっきり言って、あれの2日目は人に見せれるようなものじゃなかった。」

その時から音響だった克己先輩も続く。そう。あれは後半の大事なシーンばかり返したせいで前半がおろそかになり、セリフミス、噛み、抜けなどのイージーミスを連発したのだ。ここに来て完全に心がつらくなってきた。由香里先輩そして克己先輩の連続射撃に一人で苦しんでいるとき、俺は決定的なことを思い出した。否、思い出してしまった。かなりの悔しさ、そして悲しさを感じた。俺はそれだけあの芝居に入れ込んでいたというのだろうか。

 奏先輩がインフルエンザ離脱したのは1日目の直前で、2日目の約1週間前。そして、いま槍玉に上げられているのは2日目。当然アドバイス等は受けていたものの、ほとんど奏先輩がおらず、俺と一美だけで作った芝居……。もしそうであるならば、2日目の失敗の責は主導すべき演出部に帰される。しかも、一美はメインキャストでほぼ出ずっぱりで、演出の仕事はほぼ俺一人でやっていた。つまり、つまり……。あの日の失敗の原因はほぼすべて俺なのだ。俺があの最高の台本を壊したのだ。俺がいなければ、もっといい本番になったかもしれないのだ。

 努力で掴んだ栄光がだんだんと苦々しいものに変わり、そして今日、完全に黒く塗られた。いや、そもそも栄光なんて自分で思っていただけだ。自己満足だったんだ。やはり、俺はこの部活にいらない存在だったのかもしれない。精魂込めた物が否定された悲しみに暮れ、ふと顔を拭うと涙の跡があった。一人疎外感を感じ、どうしようもなくなって叫ぶ。

「わーーーーーーーー!!!! 」

やはり、みんなの驚きを買ってしまう。しばし反省にくれた。しかし、俺の中で退部すべきだという気持ちはまた膨れ上がっていた。落日と落胆が重なる。

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