第24話 期待と責任と

 「すみません、先生って何処に……。」

唐突にやってきた名も知らぬ一年生。手には入部届と思しき紙をひらつかせ、どことなく落ち着かない様子で部室に顔を出している。

「あの、もしよろしければ、誰か先生の所まで案内していただけませんか? 」

全員が現実を飲み込むのにかなり時間がかかった。新入部員。かなり早い時期、それも劇づくや部紹介に心をそそぎ、全くそこに気を配る余裕がなかったこともあるかもしれない。

「返しのこともあるしな……。じゃあ一美、行って来てもらってもいい? 」

「わかりました! 」

奏先輩の頼みに、一美は元気よく一年生のところに駆け寄ると、はつらつとした声で言った。

「待たせちゃってごめんね。じゃあ、行こっか。」

「はい!! 」

一年生もまた目を耀かせて見え、飛ぶように一美の後ろをついていく。あそこまで快活そうな一美を俺は見たことがなかった。思わぬところで忘れていたはずの傷が痛む。俺は無意識にうなだれていた。

「そっか……。国之も、美智も、一美も。そろそろ先輩になるんだよね。」

いつになく静かで、やけに叙情的な由香里先輩のつぶやきが届いた。そう。先輩になる。今まではなんとなく理解していたものの、やっぱり自覚は無く、のうのうと部活を過ごしていた感じがした。でも、今日あの後輩が来て、敬語を使われて、俺は頭と心双方で納得した気がした。中学では入りたい部活が無かったのもあるが、部活に入るのがなんとなく億劫で入って来なかった。そのつけが回ってきたという感じだ。突如、手を叩く音が聞こえた。

「はいはい、一年生と会って動揺したり、色々と気持ちがごちゃごちゃなのわかるけど、そろそろ返しを始めていきますよ!! 由香里もしんみりさせないの! 国之たちはこのために残したんだから、練習しますよ!! 」

「はい!! 」

俺をはじめとする全員が虚をつかれて唱和する。もしかすると、二年生は俺のような思い、三年生は由香里先輩のような感慨に取り憑かれていたのかもしれない。取り急ぎ気持ちを切り替える。

「それじゃ、昨日と同じとこら辺、中盤の握手の下りからやります。いいですか、行きまーすっせい!! 」

一年がいる手前か、いつもより気合いの入った演技になった気がする。出来については微妙だったが。

「えーっと、国之、動きがこころなしかまた硬くなってる。もっと滑らかにお願いします。返しすぎて体に染み付き、無意識にフライング反応しちゃうのも問題だけど、今みたいに硬すぎるのも問題だから。」

主に動きの修正をしながら返していく。残り一週間でこのざまは我ながら不甲斐ない。何度かやっているうち、ドアの方から声が聞こえてきた。

「改めて、これからよろしくね、優磨(ゆうま)。」

「はい!! 」

「あ、そうだ、しばらく練習見ていく? 」

「いいんですか!? 是非みたいです! 」

 どうやら帰ってきた一美、優磨と言うらしい後輩の声だった。一美に勧められるまま、優磨は喜々満面といった様子で廊下側の端にあった椅子に座る。それはちょうど返しをしている舞台と相対す位置。ほとんど正面になる位置に座った優磨。思わずその顔をまじまじと見てしまう。優磨もこちらの視線に気づいたようで、不思議そうながらも見返してきた。短く切りそろえられた頭と、切れ長なハシバミ色の瞳。その目はキラキラと輝き、口元には興奮のせいか少しおかしな笑みが浮かんでいる。

「それじゃ、せっかくだし一年生さんも楽しんで見てってね。それじゃ、行きますよ……」

ふと気づいた。優磨の表情に見覚えがある。目を爛々と輝かせ、手を膝に押し付けて、食い気味で劇を見入る。その表情はちょうど一年前の俺たち、それも幹彦の所作によく似ていた。思いもよらないところで動揺を食らったが、あいつと同じようにこいつもなにかに魅せられて入ってきて、かけがえのない思い出を作って、成長して、もしかしていつかはあいつのように辞めてしまうんだろうか。部活だけでなく、学校も。そんなことにはさせたくない、幹彦の時は無理だったけど、次のやつだけは守りたい。なんとかしたい。

「行きまーすっせい!! 」

乾いた手の音とともに、俺は頭から過去の思い出と言う煩悩と悪い想像とを振り払う。

 

 「やっぱすごいな……。柿田の人すごい……。めちゃくちゃリアル。一美先輩もそう思いますよね!? 」 

「うん……やっぱ主役だからだね!!」

食い気味に、一心に劇を見続けて私に語りかける優磨の表情は、やっぱりあのとき、去年の部室で出会ったときの幹彦に似ていた。また心を鷲掴みにされたような胸のすくみが心に広がる。やっぱり、あいつに会いたい。今日彼が部室に入ってきた時、正直動揺して何も出来なかった。でも、奏先輩に一美が行ってくれって指名されたとき、一気に嬉しくなった。多分あれだけ元気に振る舞えたのもそのせいが大きそうだ。職員室に行くまでも話がはずんだ。いつの間にか、周りの音が消えていき、随想の世界に私は入っていった。

「それじゃ、行こっか!! 」

「はい!! 」

部室を出て、職員室に向かう。名も知らぬ一年生は嬉しそうに後ろをついてくる。母犬を追う子犬のようで少し笑ってしまった。

「これからよろしくね。そういえば、名前聞いてもいいかな? 」

「あ、僕ですか? えっと、僕は志田(しだ)優磨(ゆうま)って言います。よろしくお願いします。」

かしこまって頭を下げる優磨に、私は少し面食らった。ここまで礼儀正しくしなくてもいいのに……。

「そんなに硬くならなくていいよ。私は小野(おの)一美っていうよ。これから一年くらい、よろしくね、優磨! 」

「はい、よろしくお願いしますね!! 一美先輩!! 」

息が思わず詰まった。中学の時の部活は先輩後輩の関係なんてあってないようなもんだった。私自身、先輩のことを随分タメ口で呼んでしまって、高校に入ってから苦労したものだ。でも、今「先輩」って言われて、敬語を使われて改めて気づいた。私は、生まれて初めてちゃんと「先輩」になるんだ。今までの緩い関係ではなく、後輩にきちんとした背中を見せ、技術を教えるいわゆる「先輩」に。

「大丈夫ですか? 先輩……。」

優磨がやけに心配そうな顔でこっちを見てきた。どうやら立ち止まってしまったらしい。

「いや、なんでもない。ちょっと昔を思い出してただけ。待たせちゃったね。行こっか。」

後輩の前で情けない姿は見せられない。しばらく歩き、職員室までもう少しというところで優磨が声をかけてきた。

「そういえば、一美先輩って中学のときは何部だったんですか? 」

「後でプロフィール書くから分かると思うんだけど、中学の時は文芸部だったよ。優磨は? 」

「そうだったんですか……。僕は前は野球部でした。」

「野球部!? じゃあ今回の公演も楽しく見られるかもね。野球の話なんだよ!! 」

「本当ですか!! やった!! 僕、中学では野球部だったんですけど、やっぱり練習がキツくて、それと上下関係とかも何か厳しすぎるのが嫌で、高校では絶対文化部行こうって決めてました。それで、今日の部紹介見て心が決まりました。」

「そうだったのね……。運動部からこっち来る人って実は割と多いんだよ。後で会うと思うんだけど、音響って言って、音楽流してる克己先輩って人も元はサッカー部で、ゴールキーパーだったらしいよ。」

「確かに、割といるんですね……。あ、ここどっちですか? 」

気づけば、私達は職員室のすぐそばの角まで来ていた。

「こっちだよ、おいで。」

職員室前に着くと、優磨は改めて緊張した面持ちになっていた。

「緊張することないよ。優しい先生だから。それに、入部届出しに行くんでしょ? 絶対受け入れてくれるって! 行くよ。」 

「はい……。」

先生の机の前に行くと、先生はいつものように穏やかな顔で迎えてくれた。ここに来て嬉しさがこみ上げてきた私は、少し上ずった声で先生に話しかける。

「清水先生! 入部届を出したいそうです。」

私はそっと優磨を前にやった。

「えっと、清水先生っておっしゃるんですか……。僕、志田優磨って言います。演劇部に入りたいです。よろしくお願いします。」

先生の口元にあったのは、いつもどおりの柔らかな笑みだった。

「優磨か、よろしく。俺は演劇部顧問の清水正孝だ。20日と23日の新歓が終わるまではお客さんになるかな。でも、それ以降は部員として、期待してるよ。」

優磨は先生にいきなり名前で呼ばれたことに少し動揺しているようだったがすぐに笑顔になった。

「はい!! 清水先生、一美先輩、よろしくお願いします!! 」

「そういえば、演劇経験ってある?」

先生が優磨に初めて質問をぶつけた。少し試すような、そんな目つきだ。好奇心のほどが伺える。

「いえ、経験は全くなくて。でも、中学の時から演劇にはちょっと憧れてました。舞台に立ちたいなって思ってます。」

「そっか。じゃあ役者志望って感じだな。頼むぞ。」

そう言って、先生は優磨の肩を叩く。私達は先生に見送られて職員室を出た。職員室を出てしばらく、さっきのことを思い出して私は優磨に話し出す。

「そういえば優磨さ、中学の時から演劇に憧れててくれたんだね。演劇なんて言ったら敬遠する人のほうが多いだろうに。いや、もちろん私は好きだけどさ。」

「ありがとうございます。僕は演劇を、演劇部を名前だけで敬遠する人の気持ちがわかりません。中学の時の友達にも演劇部入るって話したら笑われますし。でも、所詮はそれって食わず嫌いなんですよね。演劇って、見るだけで楽しいものですし、アニメとか映画とかと似た部類に入ると思います。中学の時、クラスに演劇部員がいて、いつも朝練とか忙しそうにしてました。自分でない誰かに完全に自分のまま成り切るわけですから、僕はそれだけですごいと思いますし、尊敬してました。そんな敬遠する人たちには一度で良いから見に来てほしいですよ。まぁ、来ないとは思いますけど……。」

私は胸をつかれた。こんなに心に刺さることを言われたことはない。演劇をやってきて、部員たち以外でここまで肯定してくれるのは初かもしれない。衝撃のあまり、私は思わず黙っていたようで、

「先輩、また元気なくなってますけど……本当に大丈夫ですか? 」

「いやいや、大丈夫だよ。優磨、ほんとにいいこと言うね……。救われた感じがするよ。ありがとう。」

「僕なにか言いましたっけ?」

あっけらかんとした優磨の表情にまた笑ってしまった。私は二の句を継ぐことができず、いつしか部室の前だった。

「それじゃ、改めてよろしくね、優磨。」

「はい!! 」

「あ、そうだ。しばらく練習見ていく? 」

「いいんですか!? 是非見たいです!!」

優磨は子犬のように純粋な瞳で、嬉しさを爆発させながら椅子に向かった。やっぱり、私はまだ先輩にはなりきれないのかもしれない。


 「なんか今日国之調子いいね!! この調子でよろしく!! 」 

奏先輩の心地良い褒め言葉が耳を揺らす。

優磨のもたらす程よい緊張のおかげか、それ以降の返しの調子は良く、ダメの回収も俺にしては早かった。部活の時間は矢のように過ぎていく。途中、優磨が席を外しているさなかに先輩方が何か相談していたのが見えたが、きっと芝居の話なのだろう。

 部活が終わり、ミーティングの時間となったが、今日は大事なことが一つある。優磨の紹介だ。 

「新入部員の志田優磨君だ。新歓終わったら正式に活動に入るから、よろしくな。優磨、一言挨拶してもらってもいいか? 」

「はい……。」

「はじめまして、新入部員になる志田優磨です。よろしくお願いします。」

優磨は、またかしこまった様子で頭を下げた。俺と一美はまだしも、他の部員はまだ受け入れてくれるかどうかわからない。

 部室を静寂が包んだ。少しの違和感にも似た感情が俺の胸をくすぐる。

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