第25話 再結晶

 か細い残響が虚しくこだました。新入部員の優磨を伴った清水先生。彼を中心とした円環は不規則に広がっている。部室は不意に静寂に包まれ、俺は少しの胸騒ぎを感じた。しばらく待ってはみたものの、依然として皆は動く気配すら見せず、静寂は少しの不気味さすらおびはじめていた。いつもなら、すぐさま「よろしくお願いします! 」と唱和してくれるはずなのに。去年、俺達入ったときも、新入生絡みだけでなく何かにつけてそんな感じだったはずだ。

「あの……」

頭を下げたままの優磨が口を軽く動かした。どうやらさすがの優磨もこの状況には不安のようで、帰ろうとしているのか手も動き始めている。見かねた俺は何とかしようとまず周りを見渡した。なんとかしなくては。最低でも受容拒絶はっきりしなければ進まない。先輩方は未だミーティングの時の格好のまま屹立している。ふとほぼ正対する清水先生と目が合った。清水先生は顧問なのに新入生が困り果てたこの状況を見過ごすのか。俺は多少の苛立ちもこめて声を発そうとした。

 しかし、先生はあくまで悠然としていた。少しだけ笑みを浮かべ、まっすぐに由香里先輩を見つめている。その笑みは悪戯を企む子供のように怪しく見え、俺は何となく察した気がした。確かに、言われてみればあの先輩方がこんなに不自然な間を作って後輩を困らせることはきっとしないはずだ。先生がなぜだか由香里先輩を見つめているのは、由香里先輩が主犯だからかもしれない。ふと、俺は気がついた。俺はこのような現象を以前見たことがある。これはもしかしたら「あれ」なのかもしれない……。そのもやもやした疑惑と不気味で不安げな沈黙はすぐさま晴れる事になる。

「優磨、演劇部へようこそ!! 入部ありがとう!! 」

由香里先輩の高らかな声とともに演劇部の面々が優磨に群がっていく。俺はさっきまでの沈黙とこの行動とを完全に理解した。やはりかなり手荒な祝福ではある。優磨は頭をもみくちゃにされ、最初は流石に戸惑っていた。しかしながら最後にはみんなと一緒に笑っていた。ありがとうございますと目を輝かせながら、彼はまたたくさんの先輩が織りなす輪に飛び込んでいく。

「由香里も、さすがにやりすぎたんじゃないか? 」

清水先生が遠巻きに苦笑する。苦笑しながらも彼の顔には確かな希望の色が伺えた。みんなの笑顔、笑い声、遠くから聞こえる喧騒、部室。そのすべてが夕日のオレンジに包まれて溶け合っていく。学校からは続々と疲れ切った人々が黒い影を背にしてくる。

「それじゃ、宴もたけなわだけどそろそろお開きにしよっか!! 時間のこともあるし。改めて、志田優磨君、よろしくお願いします! 」

「よろしくお願いします!! 」

由香里先輩を先頭に全員の声が重なり、少し妙ちくりんなハーモニーになって優磨に届く。優磨は満面の笑みで、「こちらこそ、よろしくお願いします!! 先輩のみなさん! 」

と全力で返した。その純粋な瞳が少し羨ましかった。何だかんだあったが、優磨はこの演劇部に何とか馴染んでやっていけそうだ。

「もう6時だよ!! 帰ります!! 明日は8時半からやりますからね!! 」

どれほど経っただろうか。やけに短い時間だと思った。奏先輩の気付きでそそくさと皆が帰り支度を始める。確かに先輩の言うとおり時刻はとうに6時を周り、辺りは薄闇に包まれつつあった。

「明日はセッティングからのフルの通しをします!! よろしくお願いします!」

奏先輩の最後の指示を聞き置き、俺は帰り支度を済ませた。まだ圧巻されているのか、優磨は一心不乱に教室の風景に見入っている。その姿はちょうど一年前の一人の少年とダブるものがあった。不意に目の前が歪む。

 一応、なんとか準備は済ませたものの、先輩たちにはあまりの遅さに置いていかれてしまったようだ。性懲りもなく、忘れ物をした優磨を待っていたからだろうか。

「あれ、国之先輩も駅の方行くんですか?」

「あ、うん。駅から電車に軽く乗って帰る。」

「やった!! 同じ方面なんで途中までご一緒しますね! 」

時の運とは思わぬところでこっちの味方をしてくれるらしい。まさか優磨と同じ方面だとは思いもしなかった。正式な入部後に色々と話を聞いてあげられそうだ。

「そういえば、先輩。今日のミーティングの最後のやつ、あれなんだったんですか? 結果的には安心できましたけど、やっぱり最初はちょっと怖かったです。」

やっぱり「あれ」の話になった。俺はあのときのテレビを思い出しながら答える。

「あぁ、あれはサイレントトリートメントってやつだね。」

「サイレントトリートメント……? 」

「マイナーな話だから知らなくても無理ないよ。野球のメジャーリーグとかで、ホームラン打ったバッターをベンチの人達が最初は無視して、その後派手に祝うことだよ。不安にさせてごめんな。はっきり言って俺も混乱してたとこはあるんだけど、」 

「い、いえ、別にそんな謝ってもらうようなことでは……。確かに、最初は当惑して、何が何やらって感じになってましたけど、今はもうそんなこと関係ないです! 楽しかったです!! 」

優磨はまた嬉しそうに軽く跳ねている。こいつは感情の表現がかなりストレートなのかもしれない。もしかすると俺達以上に。突如彼は思い出したように大手を叩いた。

「あ!! そういえば先輩って柿田って役の人でしたよね? 」

「え? あぁ……そうだけど」 

「今日の先輩の柿田、すごくかっこよかったです!! 雰囲気とかもしっかり野球部員って感じで……やっぱり流石ですね! 」

「おお……ありがとう。」

ここまで人に直球でべた褒めされたのはいつぶりだろうか。最後は確かクリスマス公演のあいつとの共演シーン……。追憶の中でまた、今は普通に話せなくなったやつの顔が浮かぶ。

「先輩、あのー、せんぱーい。どうしちゃったんですか小難しい顔して固まって。」

「あぁ、いや、ごめん。なんでもないよ。」

そうだ。1年生は俺の事情なんて知るべくもないし、せめて後輩の前では先輩らしくいないと。

「あ、そうだ。実は今、演劇部は部員不足になりそうで少し困ってるんだ。もしよかったら、他に興味がありそうなクラスメートや知り合いを見学やら新歓本番やらに誘ってもらえないか? 」 

「わかりました!! 任せてください、先輩!! 」

全幅の信頼を置くかのように嬉しそうに反応する優磨。彼はさらに言葉を続けた。

「そういえば、なんか国之先輩ってすごい先輩感ありますよね!! うまく言葉じゃ言えないですけど……なんていうんでしょうか。何となく雰囲気的に落ち着いてるって言うか頼れるっていうか。前の部活にいた先輩とそっくりです。」

期せずして後輩に先輩らしいと言われた。先輩らしくしないとと思っている俺にとってこれほど嬉しいことは無い。思わず顔が綻ぶ。

「ありがとう。よろしくな、後輩。」

勢いでそう言って、少し頭をなでてやる。中学の時も部活はやっていなかったわけではないが、そういった関わりがあまり多かった訳ではないので、感覚的には人生で初めてできた後輩になる。やっぱり身の可愛さが先行してしまう。

「あ。そういえば優磨、ライン交換しとかないか? 」

「いいですね!! よろしくお願いします。」

そう言って優磨はスマホの画面を俺に向けてきた。程なく「優磨」という文字が現れる。

「お、優磨じゃん! おつかれ!お前何部入ったんだよ? 」

交換を終えた俺たちに出し抜けに声をかける者がいた。見ると、優磨の同級生と思しき男子のようだ。横の坊主頭の男子と一緒に帰っているらしい。

「あぁ、拓斗(たくと)か。お疲れ様。俺は演劇部に入ったよ。今日入部届出してきた。」

「そうなんだ。でも、お前も奇特なやつだよな。なんでわざわざ野球から演劇なんかに変えたんだか。結構上手かったんだし、このまま続けてればいいとこ行けただろうに。もったいないなぁ。しかも運動部じゃなくてよりによって演劇か……。ま、そっちはそっちで頑張ってくれ。」

「ありがとう……。」

少し苦い声で優磨は答える。声からして、優磨はもう「こっちの世界」の住人になっている。多分、あの拓斗という男子は公演に誘っても来ないだろう。どことなく演劇を、文化部を下に見てる気がする。まぁ、人には人の感性があるということか。俺は克己先輩の言葉を思い出した。「俺達は俺達のすればいい」……。その言葉は心の中で誘導灯のように煌々と輝いていた。

「あれ? もしかして東田? 」

今度話しかけてきたのは坊主頭の男子……。西脇だった。

「なんだ西脇か。そうだ。いかにも東田だ。横にいる拓斗って男子は後輩? 」

「そうそう、中学のときからかな。可愛い自慢の後輩だよ。」

そう言って西脇は拓斗の頭をグリグリとやるが、その手は程なく払いのけられた。

「お前の隣のやつも後輩か? 」

「そうそう。色々と話しかけてくれて、こっちも助かるんだ。」

「そっか……。お互い頑張ろうな!! 」

お互いに後輩は可愛いものらしい。西脇と喜びを共有できた事に気分が上がっていると、さっきの言葉を合図と見たのか拓斗は歩を進め始めた。どんどんとその影が小さくなっていく。なぜか西脇だけはそこに佇み、何か考え込んでいる面持ちだった。そして、俺の元へ歩み寄って一言だけこう言った。

「そういえばさ東田、一人減った人って、君津幹彦で合ってるか? 」

全身を悪寒が駆け巡る。こいつの無邪気な笑顔をここまで忌避したのは初めてかもしれない。初めて、こいつを心の底から怖いと思った。なぜ知っている。どのようにして知った。知って何になる。こいつは幹彦に何か恨みでもあるのか。黙り込む俺を見て、西脇は是と見たようだ。

「そっか……。あ、いや、ただの好奇心で調べちゃっただけ。ごめんな……。」

俺の様子にさすがに申し訳なく思ったのか、あいつはバツの悪そうな顔をし、踵を返して去っていった。確かに一緒にいると楽しいことのほうが多い。しかし、つくづく、罪な男だ。

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