第26話 自分の役割
「君津幹彦で合ってるか? 君津幹彦で合ってるか? 」
西脇が去ったあとも、あいつの最後の言葉がぐわんぐわんと頭の中を回り続ける。俺はあいつの去っていった方をただ呆然と見つめることしか出来なかった。西脇は調べたと言っていたが、どうしてそれを知っているのだろう。どこから聞いたのだろう。あいつは人脈は広い方だが、あるとすれば幹彦とクラスが同じだったやつか。でも、幹彦はクラスでは割と静かな方で、友人は狭く深くというやつだった。そんなに仲のいいやつが、簡単にプライバシーを漏らすとは考えにくい。まさか演劇部員や先生に聞いたとも思えないし……。なぜなのか。頭の中の支配権は疑問に取って代わられた。
「先輩、先輩!! 」
柄でもなく詮索に走る俺は、後輩の言葉に引き留められた。
「国之先輩、ひどい顔してましたよ。なんか、生霊かなにかでも見たような。」
そこまでひどい顔だったのか。確かに西脇の突然の言葉には激しく動揺していたのは事実だが、まさか後輩に気遣われるほどだったとは。いささかの気恥ずかしさを感じた。ふと顔に手をやると、べっとりと脂汗がついてきた。思わず自分でもぞっとする。俺を心配そうに見て、優磨がおずおずと口を開いた。
「あの、ごめんなさい、どうしても気になってしまったので一つだけいいですか? 」
「いいけど、何だい? 」
「あ、いや、その……君津幹彦先輩? って、本当に転学されたんですか? 」
俺は少しの間言うべきか決断を迫られる。しかし、優磨にいいと言ってしまった上、きっとこれから隠し通して行くのは不可能だ。例え今わからなくてもいずれ知ることになるだろう。それならば今のうちに。俺はできるだけ平静でいるよう努めた。
「ああ、そんなことか。君津幹彦、幹彦は確かに転学してったよ。どうやら手続きがどうとかで、この時期に行っちゃった。先生が言うには、将来のことを考えてってことらしい。将来の夢は地質学者って言ってたし、色々とあったみたいだから、もしかするとこの学校の方針が合わなかったのかもな。」
「そうだったんですか……。」
優磨は、信じられないとでも言うように少し硬直していた。声にも心なしか驚きが混じっている。確かにほとんどおくびにも出さなかったから当然かもしれない。驚きから覚めたらしい優磨は、また心配そうに俺の顔を覗き込んできた。
「あの……。」
全く何もないといえば嘘になるが、耐えられないようなレベルではない。少し、そう少し辛いだけだ。
「あ、ああ、そんなに心配するようなことじゃないよ。転学するって聞いたのも結構前の話だし。それに、心配してくれるのはありがたいけど、こっちの問題はこっちでなんとかするから大丈夫だ。心配ありがとう。行こっか。」
「はい。先輩、無理だけはしないでくださいね。」
「おうよ! 」
心配してくれるのはありがたい。でも、やっぱりそんな負の感情を出さないように強くなりたい。俺はふとそう思った。段々と暗闇はその度合いを濃くしてきている。隣を歩く優磨の輪郭でさえも薄暗さでおぼろげに溶けていく。
俺たちは今まで歩いていた大通りを抜け、少し狭い路地に入った。入ってすぐ、3方向への道が見えてくる。いよいよ別れようという時、優磨が感慨深そうに声をかけてきた。
「先輩、僕やっぱりこの部活選んで正解だったのかなって思います。これからの練習での雰囲気がどうかはわかりませんけど、こうしてすごく話しやすい、優しい先輩がいるのは本当に嬉しいです。健太先輩なんて、ここがお前の居場所だ。なにか嫌なことがあったら、いつでもここに帰ってこいって言ってくれて!! すごく暖かい気持ちになりました。結局、僕は居場所や大事な仲間がもっと欲しかっただけなのかもしれません。ひとまず、新歓終わったら、よろしくお願いします! 」
「おう! こちらこそ頼むぞ。期待してる。」
「はい!! それでは、僕はここなんで。お疲れ様でした! 」
そう言って、優磨は3方向へ伸びる道の真ん中、バス停へ続く道を揚々と歩いていった。俺は何となく寂しくなっていつまでも見送り続けた。いつしか、優磨の体はネオンサインをつんざく夜の闇と一体化していた。踵を返し、俺は右へと折れて駅へ向かう。やっと一人が入ってくれたからいいが、このままでは3年生引退後の来年の大会は合計四人だ。できないことは無いが、やる台本の幅を広めるためにももう少し人が欲しい。そして、大人数を可能にするためにはやはり新歓本番での成功が不可欠なのだ。そう考えても失敗は許されない。遠くで笑い合う声が聞こえた気がした。大丈夫だとあれほど思っていたはずなのに、まだ頭はガンガンと喚いている。とにかく、寝て頭を清算しよう。今日の空気はやけに湿っぽい。遠くからの水の匂いが鼻腔を少しツンとくすぐった。
翌日、新歓前最後の週末の初日。疲れているはずなのにいつもに増して早く目が覚めた。まどろみの中で目を開けると朝の5時。部活が8時半から始まることを考えると早すぎる。寝ようと思っても全く眠ることが出来ない。もういっそのこと起き、俺は台本を読み、演技やら今日の動きやらを確認しながら時を過ごしていった。やはり朝は頭が冴える。昼に比べて格段に考えがまとまりやすいのを感じた。ひとまず、セッティングをするなら道具の配置くらいは確認しておかないと。俺は寝られないことを早く家を出、7時半に学校に着いた。朝の身を切るような寒風ときりりとした雰囲気がさらに意識を目覚めさせる。
「おはようございます!! 」
「おはよう、国之! 早いねぇ。」
部室に行くと、パネルを持った好美先輩が真っ先に声をかけてくれた。
「好美先輩! 今日はまずはセッティング、よろしくお願いしますね。あ、早いのは道具のことを確認しようと思ったんです。」
「なるほどねぇ。そっちも頼むよ! 」
「はい!! 」
好美先輩は基本的には歯に絹着せぬ物言いだが、裏を返せばそのまま素直な言葉を返すということでもだとある。先輩に信頼してもらえて嬉しい。しかも、申し訳ないが普段は憎まれ口しか叩かないイメージがあったため、正直言って驚いた。元気をもらった俺はいつもどおり、道具の入ったボックスへと向かう。ロッカー、ポスター、細かな道具をチェックリストに従って確認していく。問題はない。問題はない。問題はない。あとは設置を待つばかり。チェックしていく俺の手が止まったのは野球部に借りたものを確認している時だった。金属バット。練習で使い込んでいるためかかなり凹んではいるが、まだまだ使えるものだ。むしろ使い込んであったほうがそれっぽく見える。野球部の皆さんに感謝しながら俺は金属バットを置いた。
グローブを見たとき、俺は何者かに心臓を掴まれるような痛みを感じ、一気に脈が早くなった。
「国之……どうしたの? 」
次瞬、俺だけでなく好美先輩も硬直の渦に巻き込まれる。グローブの中央から少し横だ。グローブを覆う厚い革紐が完全に解け、使えなくなってしまっていた。野球部の人たちが使っているにしても、普段は使っていないもので用具入れにしまってあったとしても、確認不足だった俺の責任だ。件の盛んに返している握手のシーン、そこはキャッチボールから始まるのだ。このままでは、シーンをかなり変える必要が出てきてしまう。完全なる俺の、道具係のミスだ。何ということだ。残る期間が一週間を割り、今日は通しもおそらく出来ない。
「おはようございます!! 」
部屋に入ってきた奏先輩に、俺はまごう事なく突撃した。大きく壊れたグローブを見せつつ、俺は言い募る。
「おはようございます、先輩! あの、その、今日の通しは中止できませんか!? 今、こんな状況で……。僕の責任なんですけど、本当にごめんなさい……。」
奏先輩はグローブを見て驚いたように一瞬固まったが、次いで俺を見、またグローブを見、これまで見たこともないような神妙な顔でこう言った。
「ごめん、多分無理だ。」
俺の胸を絶望とともに一陣の風が吹き抜ける。今更大胆な演出替えができない事くらい俺だってわかってる。何ならはじめから断られることだってわかっていた。度重なる失敗で、先輩達からの信頼も薄くなっているだろう。佳穂先輩には怪我までさせてしまった。いくら今回の主役と言ったって、舞台の外でここまで失敗を繰り返す人間に人はついてくるだろうか? 答えは否だ。信頼が無いからだ。その上今回の失敗。しかも、劇が崩壊するかもしれないレベルでの失敗。演劇部にはきっとこんな失敗ばかりのやつはいらない。
だったら、やってやるしかないじゃないか。打開するしかないじゃないか。俺の中で何かが壊れた。俺はまた大きく奏先輩に歩み寄る。周りはもう無でしかない。
「今更、大きく演出を変えるのも無理ですよね。時間ないですもんね。」
「ええ……、うん。」
奏先輩も勢いに少し引いているようだ。
「だとしたら、今回のことは完全に道具の担当である僕の責任。僕が何とかしたいです。いや、します!! 」
「なんとかするって、どうやって? 」
素朴な疑問を奏先輩は口にする。それをこれから考えようとしているところではある。演出替えができないとなれば、キャッチボールのシーンは結果的に入ることになり、グローブも使うことになる。予算的にもこれしか無い。俺は一つの案を腹に抱えて俺は奏先輩に直訴する。
「あの、ごめんなさい!! 8時半からの部活には行けないかもしれません! グローブをなんとかしてきます! 」
完全に唖然とし、ぽかんと口を開けた先輩二人を尻目に、俺は部活用のかばんとグローブを手に部室を飛び出した。
「え!? セッティングとかどうするの!? 国之主役だよね!? しかも道具チーフでしょ!? 」
ようやく我に返ったらしい奏先輩の声が背中に響く。
「ほんとにごめんなさい!! セッティングの前に基礎とかありますよね!? 基礎中には戻れるようにしますから!! 最悪の場合は、申し訳ないですが誰か代わりにおねがいします!! 」
「え!? 待ってそれなら……」
届いたかな……。頭の隅で一瞬そんなことを考え、俺はまた足を早めた。
朝の7時45分。休日出勤のスーツ姿や買い物客が行き交う中を俺はひた走る。同じ側を歩く人達が次々と避けてくれていた。申し訳ないが返すゆとりはない。鍵になるのは、どれくらいかかるかだ。これは一世一代の賭け。自己責任である以上、皆の予定には合わせなくてはならず、必ずセッティングまでに帰り着かなければならない。しかも、一つだけ確かなことがある。きっとこれに失敗すれば、部活にはいられない。ふと何か冷たいものが俺の胸を撫で、足がもつれた。周りののどかな雰囲気をよそに、俺の周りだけはやけに殺伐として見えた。
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