第21話 プラスとマイナスの間で

 ストレスやら疲れやらで倒れた日の夜、奏先輩からの返信を待つ俺は不安だった。「セーフティースクイズ」のこと以前に、部紹介のことだ。いつだったか企画書を書いたと由香里先輩が言っていた。でも、練習したのを見た覚えはないし、特にそれについての連絡も無かった。「奏先輩、部紹介ってどうなってますか? 全然聞かされてないんで教えて下さい! 」

液晶上の緑のふきだし。打ち出して、俺はため息をついた。照明用語では「クールホワイト」というらしい白く澄んだ光が俺を照らす。体は相変わらず重いが、気分は良いしやる気もある。色々と忙しい奏先輩のことだから、中々既読も返信も無いだろうし、今まで実際そうだった。

 しかし、今回は違った。先輩にしては珍しく、送った直後、俺が再び画面を確認した瞬間にはふきだしに「既読」の文字が灯っていた。結果がわかると気持ちが明るくなる一方で、胸には少ししこりを感じた。普段既読の遅い先輩が、今日に限ってえらく早い。何かあるのかとも思ったが、俺はひとまず返信を待った。やけに長い。向こうも考えているのだろうが、答えを待ちわびる俺には時間がとてつもなく引き伸ばされて感じた。

「部紹介は決まってないよ」

待っていた時間の割に返答は簡素なもので、少し俺に疑問を抱かせる。ならば、どうしてここまで返信に悩む必要があったのだろう……。しかし、一拍置くと言葉の意味がはっきりと入ってきた。思わずめまいと激しい頭の痛みを感じ、視界が薄黒く歪んだが無理もないだろう。それも現実のそれはあまりに絶望的な状況を指していた。前日になって部紹介のことが決まっていない……? 今の俺達、特に3人しかいない二年生については新入部員の件は死活問題だ。今回の部紹介、そして新入生歓迎公演が失敗し、部員がほとんど入らないようなことになれば部活の存続も危うくなる。そんな重要なことは先輩方だってわかってるはずなのに、ならばなぜ決まらないのか。言いたいことはたくさんあるが、とにかく一つ一つをぶつけて解消していくことにした。まずは現状を把握していかないと何も始まらないだろう。

「決まってないって、どんなふうに決まってないんですか? 何が、どう決まってないんですか。そもそも、由香里先輩が企画書書いてたはずですよね? 企画書ってすべての流れとかを描くもんじゃないんですか?」

既読は一瞬だったが、先程通り返信の白ふきだしが来るのはかなり遅かった。きっと、奏先輩もかなり考えているんだろう。スマホの向こうで、複雑な心境を抱えた奏先輩が文字を打っていくのが見えたような気がした。

「それがね、今まで通りの部紹介で行こうって言う人たちと、これまで通りじゃつまらないって人たちの論争になっててね……。みんな、部を良くしたいって思ってくれてるのかもしれないけど。それと、企画書って言ってもうちは意外とルーズで、音響やら照明やらを使うかどうかくらいらしいの。だから、内容が固まりきってなくても企画書は書ける。」

どうやら、部活を良くしたいと思ってやってくれているようなのでそれは素直に嬉しかったし、建設的な理由で安心もした。しかし、論争がここまで続くのも問題だ。先輩は悲痛な面持ちで言葉を続けた。

「私も芝居の方にかかりっきりでそっちに手を回す時間がなくて……。由香里の言うとおりに少しでも時間を取っておけば、こんなに時間がかからなかったかもしれないけど。最近になって、と言っても昨日なんだけど、何も決まってないことを思いだして、返しの時間を少し話し合いのに当てたのね。でも、そこで結構盛り上がっちゃって。全体の構成すらほぼまとまってない。」

「そうですか……。ちなみに、今のところ誰がどっちになってるんですか? 」

やはり、ここでも少し考えるような間があった。判断しかねるところもあるのかもしれない。

「今のところ……私、由香里、克己、一美が今まで通りに行こうって言ってて、健太、美智、好美、佳穂が変えたいって言ってる。多分だいたいこんな感じ。」

混沌とした中でもしっかり主張を分析して分けていた奏先輩を今更ながら尊敬し、ややあって俺は現実を見た。人数的には4対4で全くのイーブン。でも、俺は時間のこともあって変えないほうがいいと思っている。だからこれで5対4。僅差のため、多数決という裁定はおそらく不可能。これはかなり長引くかもしれない。

「ひとまず、明日は芝居の練習よりも先にそっちを決めて、それが完全に固まってから芝居に行こうと思ってる。国之にさらにストレスかけるのも悪いと思って言えなかったの。ごめんね。一応聞きたいんだけど、国之はどっちがいいと思う? 」

迷わず俺は答える。

「いえ、大丈夫です。時間のこともありますし、変えない方向で行きたいと思ってます。」

「そっか。とりあえず、一応私は台本考えてるからね。明日は激しくなりそうだけど、またよろしくね。」

なんとか明日の方針は固まった、というか状況的にはこれが自明の理だったのかもしれない。

「はい! 頑張りましょう!」

「あ、無理しないでよ。国之が頑張ってるのはみんな知ってるけど、良くしたいって思ってやってくれてるのもわかるけど、周りに迷惑かけたら逆効果になるからね。」

「はい……。」

最後の一言でふと自分が今日倒れたことを思い出した。少し身震いしたが、無理しなければ問題はない。明日はきっと激しい論争になる。緊張でこわばる俺を窓の外から柔らかく朧月が照らしている。

 翌日の部活、やはりミーティングから少しピリピリとした雰囲気になっていた。みんな当然焦ってもいるのだろう。

「ひとまず、これを決めてからセーフティースクイズの方に行こうと思ってます。意見のある人から手を上げていってください。」

奏先輩が昨日言っていたとおりに始めていく。まず声を上げたのは美智だった。

「やっぱり、今のままの部紹介じゃ人が入らないかもしれませんし、今年については特に重要なので、部紹介からインパクトを残していくためにも変えたほうがいいと思います。」

「でも、前々から言われてるように、これから変えていくにはそれなりの時間がかかるよ? 明日なんだし、流れの固まってる既存のものの方が……」

真っ向から由香里先輩が対立していくが、そこも美智はノータイムで切り返した。

「そのことなら心配なく。既に台本なら作ってあります。」

そう言って出したのは一枚の紙だった。小さな文字でびっしりと概要やら各人物のセリフやらが書かれたそれは、少し寸劇のようになっていた。その内容を認めた瞬間、俺も含め何人かから衝撃のため息が漏れる。これで既存版と改変版の差は無くなった。

「今までも少し寸劇をやっていたと思うんですが、それを変えて、もっとこうコミカルに、引き込めるようにするのはどうかなと思ったんです。」

確かに大筋は今まで通りのものの、手が入ってアレンジされ、多少変化している。しかも、効果的に構成が変わったりしていて面白そうだ。俺はそもそも美智にこのような才能があったことにとにかく驚いていた。

「単純に質問です。それは制限時間内で終わりますか? 」

克己先輩がいいところを突いていった。そういえば、部紹介には各2分という持ち時間があり、それを過ぎるとどんな段階であれ強制終了になってしまう。

「それは大丈夫です。例年2分をかなり下回って終わってますし、それをベースにしてるのであまり大差ない時間で終わるはずです。」

なんだか美智の意見で行くような流れになっているが、少し早すぎはしないか。残り期間が無いとはいえ、しっかり疑問点を潰していかないと。俺はふとある疑問を覚え、手を上げた。

「確かに美智の台本はいいかもしれないけど、本当にそれで人が集まってくれるのでしょうか? もしこれをやるにしても、ちゃんとみんなで練っていった方がいいと思います。」

自分でも変える側寄りの発言をしていることに驚く。昨日は膠着していたらしい会議は、台本によって思ったよりもかなりすんなりと進んでいってしまった。静観していた奏先輩がひとまず区切りをつけるようにつぶやく。

「なんか、変えた版の美智の台本をやるような流れになっているみたいですが、ひとまず部紹介は今までとは変えるということでいいですか? 」

「はい!! 」

みんなが唱和する。昨日まで全く動かなかった物がここまで速攻でまとまるものなのかと俺は少し気持ち悪さすら感じた。そこからは台本の直しの時間に入った。

「やっぱり、面白いところと真面目なところの区別をもっと付けたほうがいいんじゃないですか? 」

佳穂先輩の発言を皮切りに、改変作業が始まった。台本の細かいところ、セリフ回しの直しが行われたが、結果的にあまり大筋は変わらなかった。おそらく美智のアイデアが尊重された結果だろう。そして、懸案後には美智からの簡易的なキャスト発表があった。キャラが濃いと言われるからか俺は主人公に部活を勧める元気な教師の役になった。そこから先はひたすら練習を重ね、部紹介絡みのことが全て終わったのは部活も残り30分となる頃だった。いくら前日と言えども、部紹介の練習に時間を使いすぎてしまった。

「セーフティースクイズの中盤からラストシーンへの流しと、照明の合わせをやります。中々言うタイミングなくてこっちに時間割けずにごめんなさい。」

奏先輩の一言から再び俺は気持ちが入る。そうだ、俺にとってはかなり久しぶりの「セーフティースクイズ」、柿田光輝になれる瞬間だ。俺は勇んで練習に向かった。力んでいつもより噛みが多かったりしたものの、練習はすこぶる順調に進み、あっという間にミーティングとなった。

「えー、皆さん、明日からいよいよ一週間まえですよ!! 明日から喉守るために炭酸は禁止です。よろしくお願いします。」

部活後のミーティング、奏先輩が大きく声を上げる。 

「発声係からです。明日の7時45分から朝練をやります。発声をしようと思ってますので、その時間までに校舎裏の中庭、いつもの校庭のそばにお願いします。」

発声係・美智が朝練の連絡をする。毎度毎度朝練は効果的なので助かっている。

「はい!! 」

俺を始め幾人かが唱和する。また楽しくなりそうだ。

「明日は一週間前ですが、部紹介の日でもあります。そっちの方もよろしくお願いします。」

奏先輩の一言とともにミーティングは終わった。

「美智!! お疲れ様!! 台本あんだけ考えてこれるってすごいな……。」

帰り道、俺は功労者の美智に声をかけた。  

「だって、良くしようと思ったらそれぐらいするしょ? 当たり前じゃない? 」

こいつにはいつも驚かされてばかりだ。俺にできそうもないことを飄々として当然な顔でやっていく。

「それがすげえんだよ。多分俺にはできないかな。」

「そうかな……、なんか国之ならできそうな気はするけど。ありがとう! 」

俺の答えに対して、美智はふんわりと嬉しそうに笑った。常々思うことがある。部員一人ひとりには、それぞれ部活に欠かせない個性があり、それが合わさって一つの作品、ひとつの部活になる。美智を始めとする今のメンバーでならなんだってできるがした。帰る俺たちの明るさとは裏腹に、天気は段々と沈んでいった。

 天気のごとく、現実と気分は落ちていった。雨に降られた12日の朝、朝練の場所に着いた俺は目を疑った。「S」の印字が入った帽子と揃いのユニフォーム。校舎裏全体を揺らすように、金属音と小気味いい革の響きが轟いていた。俺がぼんやりと立ち尽くしていると突如部員の一人が俺に気づき少し怪訝な顔をした。

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