第41話 未完

 遮光カーテンで仕切られた窓。そんな状況では。当然ながら部室から外をうかがい知ることはできない。突然の「君津幹彦」の文字に一気に動揺する演劇部の9人。一美も、奏先輩も、そして俺も衝撃のあまり固まりきってしまった。でも、思えばどうしてここまで驚いたのだろう。知り合いがいる手前、変な反応をされても困るので俺はなんとか冷静になろうとする。そういえば、普通なら抜けた人間がもう一度来たところでみんなあれほど驚かないはずだ。でも、幹彦はただやめたわけではない。卒業などの理由ではなく、進学上の事情で途中でやめることになったのだ。まだまだ続くと思われていた演劇部での縁はそこで切れてしまった。だから幹彦には特別な感じがするんだ。どんな理由であれ、一度抜けてしまった部活に、切れてしまった人の和の中に入るのは抵抗があることだろう。その抵抗を乗り越えてきたからこそ、きっとみんな驚いてしまったのだ。自分で結論づけようと考えているうちに、なんとか驚きの気持ちを抑えることができた。

「あの、国之大丈夫? 」

奏先輩の声で長時間固まっていた自分を思い出す。奏先輩は心配そうな表情を浮かべて俺を見やっていた。やはり部外の人がいる手前中々不審に思われる行動は取れないのだろう。あれだけ固まっていたはずの奏先輩は、いつもと同じ様な雰囲気に見えた。先輩だって辛いのは同じはずなのに。

「全然、大丈夫ですよ。ありがとうございます。」

先輩こそ大丈夫じゃなさそうですよね。人の前にまずは自分の心配してくださいよ。そんなことも言いたくなったが、俺も人のことは言えない。ふと見れば、自分以外の動揺していた人々もいつの間にか平静を取り戻していて知り合いと喋っている。。ならいつまでも俺も子供ではいられない。最低でも部員だけになるまではいつもどおりに過ごさないと。

「なぁ、東田。」

「ん!? どうした? 」

出し抜けに後から声をかけられる。何とか対応しつつ振り返ると、そこには元委員長の顔があった。

「あのさ、言いづらいことだとは思うんだけど、君津幹彦って誰だ? 全く話についていけないんだけど。」

「あぁ、それなら転学したっていう元演劇部員らしいぞ。てか、他人のことだよな。そんなに気になるか? 」 

俺が答えられずにたじろいでいると、代わりというように西脇が答えてくれた。あまり突っ込んだことを言わないのは西脇なりの配慮だろうか。しかも西脇の言うとおり、急に委員長が気になりだした理由も気がかりだ。どうにももやもやした気持ちを抱えながら、俺と西脇はその時を待った。

「いや、なんかすごく深刻そうな感じだから、君津幹彦は相当影響力のある人なんだなって。それで、彼が来たことに驚いてるなら、本来来ないような事情があるのかなとも思ってさ。」

森田は切れ長の目の眼光をさらに鋭くした。

「だとしたら、助けてあげたい。」

「おお……やっぱし委員長はすごいな。なんかこう、思いやりがあるというか。」

西脇が感嘆の声をあげる。確かに、それでこそ委員長だし、気持ちはすごくありがたい。でも、これはきっと俺達の問題だ。言ってしまえば、委員長は彼とはほとんど何も接点がない。委員長が言っても、幹彦は困るだけなのかもしれない。ふと気づいた。自分とは関係のないところに手を出し、そして傷つける。こいつは昔の俺そっくりではないか。まっすぐに俺を見つめる委員長に昔の自分を重ねながら、言葉を紡ぐ。

「あの、すごく気持ちは嬉しいんだけど、別に大丈夫だよ。幹彦は委員長のこと全く知らないから、何か話そうと思っても向こうが困るかもしれない。それに、もし何かあるとしてもこれは俺達演劇部の問題だから。これぐらいは俺達で解決してみせるよ。ありがとう。」

ほとんど心そのままの言葉だ。弱々しくなったがなんとか笑顔を見せる。

「そっか……。ごめんな。」

何とか向こうも分かってくれたようで安心する。公演後の教室はまた先程と同じような喧騒を取り戻しつつあった。しかし、その中にどことない哀愁を感じてしまったのはきっと俺だけだ。

「ありがとうございました!! 」

栄と木下さん、それに西脇と委員長を見送って俺達の接客は終わりとなる。みんな満足げな顔をして帰ってくれたのはやはり俺の胸を暖めた。時刻はすでに6時を回っていた。4時15分の開演で、1時間の芝居だとしても軽く1時間近くになる。よくそこまで長居できたなぁと思う。話す種はあったにしてもよほどのことがないとあそこまで残ることはない。

「それでは、着替えてから片付けするのでとにかく着替えちゃってください!! とりあえず初めと同じように、男子は表、女子はパネル裏でお願いします。」

奏先輩の号令で俺達はすぐさま着替えの入ったイメ袋を手に走る。先ほどぶりのにぎやかな雰囲気が、また部室を暖かく包んだ。着替えを済ませた俺は、パネルの表の特権を活かして道具を片付けていく。片付けが完全に終わるまでが演劇部の公演なのだ。

 「集合!! 」

片付けも終わり、少し疲れが見える奏先輩の号令で、俺達は最後のミィーティングに向けて集まった。

「ひとまず今日はお疲れ様でした。今日のタイムやらダメについての反省会は明日やります。それで、そこで出たダメ回収の返しを明日はやっていきます。とにかく、今日はじっくり休んで疲れをとってきてください。」

「はい!! 」

特に目立った連絡も無いようで、すぐさま奏先輩からの予定説明に入った。俺は頭に重い石でも載せられているような感覚になった。ドロドロとした感情が全身を駆け巡る。どうしてみんなこのことを忘れるのか。いや、まさかと思うが忘れたふりをしているのか。

「あの、すみません、確か幹彦って明日来るんでしたよね……? いつですか? それによってある程度反省会とかも変わってくると思うんですけど……。」

「そのことなら、最後のミーティングのときになるだろうと思うぞ。最後に話した時、幹彦も行くときはその時間に行くと言っていた。」

俺がおずおずとした質問に、清水先生が冷静に答える。その声に少しの冷厳さすら感じてしまう。疲れからか、少し頭がおかしくなってしまっているようだ。

「わかりました。国之もありがとうね。じゃあ、明日は予定通り、最初の時間帯に反省会、返しっていうふうに行きましょう。よろしくお願いします!! 」

奏先輩の一言で解散となる。色々ありすぎた感はあるが、公演初日は何とか無事に終わった。       

 完全に濃紺な空をバックに、俺達9人は共に帰っていく。列になる俺達を街灯の光がぼんやりとし照らしていく。

「ねぇ、国之。本当に幹彦は明日来るんだよね……何喋ったらいいんだろう。」

列の最後を歩く一美が不意にそんなことを聞いてきた。大きな嬉しさと不安が入り混じったようなそんな声だ。目の前がパッと明るくなる。喋りかけてくるのはすごく嬉しかったが、幹彦の事となると少し複雑だった。

「うーん、ひとまず、近況報告とかかな。」

幹彦に明日会う。そんな少しフワフワした現実を俺も少し受け止めきれずにいた。新天地でも頑張れと言えばいいのか、離れてもまた話したいと言えばいいのか。せっかく話しかけてくれているのに、ありきたりなことしか浮かばない自分が情けない。

「あのさ、告ってもいいと思う? 」

「……え? 」

彼女の唐突な質問に、心の底から驚く。流石にまずいのではないか。そんな考えが頭をもたげるが、もしかすると俺が単に一美を諦めきれていないだけかもしれなかった。ならば、そんな身勝手な感情は捨ててしまえ。

「いや、全然いいと思うよ。だって、もう最後の挨拶なんだから、次いつ会えるかわかんないわけだし。あとは一美次第だ。」

「そっか……。ありがと。明日私頑張ってみるね。言うなら、一番最後がいいかな。」

そう覚悟を決めたように言う一美は、今まで見た中で一番可愛いように思えた。心の底から思った。どうせ無理なのはわかってる。栄に独占欲ではないかと言われてからも、結局最後まで我慢しきれなかった。心のどこかで探してしまった。確かに愛ではないだろう。でも、大事な人だ。これで本当に諦めがつくならば。俺は足を止めた。心の中で、栄に詫びる。

「ん? どうしたの国之、急に止まったりして。」

「あのさ、一美。一美が好きなのは幹彦だってわかってる。でも、やっぱり俺にとっての一美もすごく大事な人だ。それだけは覚えておいてほしい。」

俺の告白ともつかぬものを受け取った一美は柔らかく笑ってうなずき、駅までそばにいてくれた。凄く切なかったが、胸に迫るものを感じた。もうこいつと喋ることもなくなっていく。そう思うと過ぎていく時間すら愛おしかった。

 しかし、そんな暖かさすら一気に弾き飛ばすことが、去山駅で起こった。それは例によってラインだった。西脇との個人チャットに、メッセージを示すランプが点灯している。俺はまた少し緊張しながら指を動かしていく。

「東田、今日はありがとう。あのさ、どうやら何だけど、君津幹彦の転学した理由は将来のためじゃないらしい。」

今日の昼間よりも、今までの何よりも大きな衝撃が俺の脳裏にこびりついた。え。本当にそんなことがあり得るのか。今までずっと、先生からさえも進学のためだと聞いていた。幹彦がそんなに巧妙な嘘を俺達についていたというのか。いや、そもそもあいつは俺たちに嘘など付き続けられるようなやつだったか。決してそうではない、と俺は思った。将来のため以外となれば何だ。そんなことも頭に浮かんでは消え、割とすぐに冷静にはなれた。まずは真偽を正さないと。第一、どこからの情報かもわからない。

「その話、どこから聞いた?ちょっと今受け止めきれないんだが……。頼む。教えてくれ、西脇。」

俺は画面の向こうから西脇に噛み付いた。タバコだろうか。少しムッと鼻をつく匂いが去山駅には漂っている。街の喧騒さえもどこか遠いもののように思えてくる。夜はまだまだ長そうだ。

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