第9話 過去と未来

 暗闇の中を塊になって歩く俺達演劇部員。奏先輩は疲れと安堵からか集団を離れて後ろを歩いている。いつもよりさらにゆっくりな奏先輩に追いつくのは容易だった。ポニーテールを目印に俺は走り寄る。

「奏先輩ー!!」

「おぅ、国之。元気だねぇ。」

「今日もお疲れ様です、先輩。やっとキャスト決まりましたね! 」

「そうだね、ありがとう。国之、柿田演じてる時すごく楽しそうだったから、やっぱりやりたかったのかなって思ってた。色々と考えて決めたことではあるけど、国之をやりたい役につけてあげられてよかったよ。柿田、よろしく頼むよ。」

「はい、ありがとうございます!! 頑張ります!! 」

奏先輩は俺のそれを聞いて嬉しそうにうなずいた。思いもかけず、先輩に励まされて嬉しい限りだ。俺を見て慈しむように笑う先輩の表情には少し陰りの色が見える。疲れもあるとは思うが、何か悩み事でもあるんだろうか。単純に気になるし、聞いてみたい、力になりたい気持ちはあった。いざ聞こうと口を開いた瞬間。

「それは、本当にお前が何とかできることなのか? 踏み込んではいけない領域なんじゃないのか? 」

胸の中に清水先生の声が聞こえた。確かに奏先輩のことは先生の言うとおり踏み込んではいけない領域なのかもしれない。でも、やっぱりなんとかしたい。少しでも可能性があるなら、それに賭けてみたい。結論として少なからず清水先生の言葉を否定してしまったが、覚悟は固まった。俺は口を開く。

「先輩、大丈夫ですか?何かあったんですか?今日の部活始まる前、すごく辛そうでしたけど。」

「何かって? 」

「いや、先輩、克己先輩と色々やりあってて、それで疲れちゃってるのかもなって。僕がどうにかできる事じゃないのかもしれないですけど、あんなに元気ない先輩を見るのは初めてで…。力になりたいんです。何があったのか、良かったら教えてもらえませんか? 」

俺は奏先輩とのLINEの「色々」を思い出していた。きっと「色々」あって悩み、少しでも乗り越えた先に、今日の奏先輩がいるんだ。先輩は少しの間悩み、少し恥ずかしそうに言った。

「そっか…。私そんなに元気なかったのか。あれ以降は頑張ったんだけど、部活前はひどかったからな…。国之に心配させてごめん。大したことじゃないし、うん。個人の問題。」

ひと呼吸置いた後、奏先輩は意を決したように呟く。

「ちょっと、昔のこと思い出したの。長い話になるけど、大丈夫? 」

「はい。全然大丈夫です。ありがとうございます。」

人の過去の話を聞くのは最近で2度目になる。聞いて、少しでも何かを掴もうとする俺を少し寂しげな笑いでまっすぐ見つめ、奏先輩は淡々と語り始めた。コツコツというアスファルトを踏みしめる足音が夜の街に小さく響いている。

「中学の時、部活の後輩にちょっと不思議な子がいてさ。」

奏先輩の部活……入部の時にもらったプロフィールに書いてたはずなのに、全く出てこない。聞こうかとも思ったが、そこまで重要でもない上に話を遮りたくなかったのでやめた。

「はい。」

「その子、あ、男子なんだけど、すごく上手いのに、何か自己肯定感が低いっていうのかな。私が褒めても、ちょっと苦しそうにありがとうございますって返すだけだった。とてつもなく技量はあるんだけどほんとに繊細で静かな子で、部室でもいつも一人で黙ってるような人だった。でも、好きなことになるとほんとに止まらなくて、よく絵の話とかしたんだよ。それで、当時部長だった私が引退直前だったあるとき、その子に泣きながら相談されたんだ。先輩、どうすればわかってもらえますかって。その子、自分は同性愛者なんだって言ってて。クラスで気になる人が出来たんだけど、その人との距離のとり方がわかんなくて、でいつの間にかクラスでホモ呼ばわりされるようになって、いじめられるようになって。」

ここまで言って、先輩はあの時の感情を思い出したのか目を伏せた。同性愛者。自分はそうではないことを分かっているが、世の中にそうした人がいわゆるマイノリティーとして一定数いることは流石に知っている。そして、自分の割と身近にそのような人がいたことに俺は素直に衝撃を受けた。一息ついて、先輩はまた話し始める。

「私はその子のために色々と考えた。理解してもらうための伝え方、話し方、相手との接し方とか。色々と考えて、その子も実践してくれたみたいだけど、あまり効果なくて。私は無力感でいっぱいだったし、さらに馬鹿にされるリスクを背負ってみんなを説得しようとしたその子はきっともっと辛かったと思う。結局、それで私がわかったのは、言いたいやつには言わせとけ。馬鹿にする人に真っ向から立ち向かって根本的に変えようとしても無理なんだって。まあ、人を変えようとしてるってのも私達のエゴだったのかもしれないけどね。」

先輩は頭を押さえ、深呼吸してまた話す。

「そして、それが全部効果無いって分かって半月くらいだったかな。ある日の部活の最後に、先輩、僕もう生きてても無意味だから死にますねって笑顔で言われて。そういえば、効果無いってわかった日くらいから、その子の体には切り傷ができていってた。多分、リスカしてたのかな。それで、私は何とか止めようと思って、凄く説得したの。生きててほしい、君のことは何とかして守るから。もういじめなんてさせないから、死なないで欲しいって。でも、その時に言われた言葉で私は罪悪感に苛まれた。その子に言われたの。先輩、ありがとうございました。先輩が僕のためにしてくれてたことは全部、ありがたかったんですけど、どことなく辛かったです。自分がみんなと違うんだって一層見せつけられてるみたいだったって。私は、返す言葉を持たなかったし、まさか自分が勢いのあまりしてしたことがここまで相手を傷つけてるなんて思わなくて……。」

奏先輩は、すでに涙をこらえる表情になっている。

「先輩、こらえなくて良いんですよ。泣きたい時は泣いていいんですよ。」

俺のその言葉と同時に先輩はすすり泣き始めた。咄嗟にポケットのティッシュを渡す。ボロボロになりながらもなお、先輩は言葉を紡ぎ続ける。

「その子はそれから学校に来なくなった。最低でも私が卒業するまでは。しばらくラインの既読もつかなくなった。先生達と親とで必死に自殺は止められたらしいけど。同じ高校だったから一時期話せたし、ラインも通じた。でも、最近はまた通じなくなって……。その子をいじめてた子たちは一応なんとかなったけど、多分その子みたいな人を見る目は一生変わんないんじゃないかな……。」

脳に遠いあいつの面影を感じた気がして、俺は思わず目をこすったが、幻影だ。先輩は涙を拭いて、ふと気づいたように目を見開いた。

「あ、ごめん、国之。こんなに長くなっちゃって。」

「なんにも問題ないです。これもきっと先輩の今日の言動につながることでしょうし。聞いてて、正直びっくりしましたけど、聞けて良かったです。」

「ありがとう。それで、昨日先生に言われた、自分の周りを見ない言動で人を傷つけるかも知れないっていうのが凄く心に刺さって、自分は何も変わってないんだなぁって思って。悔しくて、もどかしくてあんなになってたの。でも、今はなんとかなってる感じはある。これから新歓もあるんだから、いつまでも泣いていられないし、まだまだなところはこれから直していければ大丈夫ね。心配してくれてありがとう。国之に話せたおかげで、また少し気持ちが軽くなった気がする。あ、もちろん、逃避とかしてるつもりじゃないんだけど。」

「こちらこそ、凄く驚きましたけど、やっと疑問が解決したんでよかったです。ありがとうございます。先輩。」

「ん? 」

俺は先輩に向けて今の心をトレースした台詞を送る。

「人間には長所も短所もあるもんだ。長所は誇っていいし、短所は潰していくべきかもしれん。でも、人間長所を伸ばしていけば、短所なんて案外隠れるかもしれんぞ。焦らず、自分らしく頑張れ! 」

狙って言った、でも正直な台詞に奏先輩は思わず吹き出した。

「いや、それ江東(えとう)監督じゃん! でも、言いたいことはわかるよ。ありがとう! 国之らしいね。」

確かに俺はよく日常会話にも劇のセリフを使っている。半ば無意識だった癖に気付かされ、俺も思わず笑ってしまった。

 いつの間にか、最寄り駅から漏れる明るい光が俺達の目の前にあった。時間が経つのはゆっくりなようで実はとても早いみたいだ。

「あ、奏先輩!! どうしたんですか…待ちましたよ〜!! 」

駅に着くと、助演出の1年生コンビが奏先輩を待っていた。きっと明日以降の練習に向けてまだ話足りないんだろう。二人のうち、美智(みち)の方が盛んに手を上げて先輩を呼んでいる。

「お、国之じゃん! 奏先輩と何話してたの??」

「ただの昔ばなしだよ!!大したことじゃない。」

美智は俺を見つけるとここぞとばかりに口撃してきた。もちろん変な誤解を持たれる訳にいかないので応戦する。美智はなんのことかわからないという顔をしたが、それはそうだろう。

演出部の邪魔をする訳にはいかないので早く帰ることにしよう。出ようとすると、改札口直前で、1年生のもう一人、一美(かずみ)に話しかけられた。

「国之、すっかり元気そうだね。」

何のことかと思ったがすぐにわかった。最近は確かに暗い日が続いていた。暖かさに自然に笑みがこぼれる。

「うん、まあ、何とか。柿田に選ばれて幸せだし。」

「よかった。私も美智もここ数日の国之ヤバそうだったから心配だったんだよね。話しかけてる感じじゃあんまり無かったし。でも、美智とやりあえるぐらいに復活してくれて私も嬉しいよ。多分美智も。」

「二人にも心配かけてごめん。ここから新歓まで全力でかっとばすから。」

「うん、かっとばせー柿田!! 」

ここでも使ってくるのか。思わずまた笑ってしまった。一美もまた笑顔だ。心がじんわりと暖まる。

「ありがとう! じゃあ、そろそろ俺はお暇するよ。明日もよろしくお願いします。お疲れ様でした!! 」

「お疲れ様でした!! 」

三人の唱和を聞き届け、俺はホームへと駆け上がった。三寒四温の温、温かい風が俺の心と体を包む。奏先輩の疑問を解決できた安堵感か、柿田をできるという実感が改めて湧いてきたのか、俺の胸はまた高鳴っていた。

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