第33話 約束と継承

 本番前々日。その日の部活頭のミーティングはいつになく重苦しい雰囲気が漂っていた。ここまで悪い雰囲気は正直言って経験したことがない。昨日のことから尾を引いた流れがどこまでも続いているかのようだった。 

「ここまで人の集まりが悪いのは初めてです。このままでは朝練をする意味がなくなりますが? 」

無音の部室に、美智の怒気すら含んだ声が響き渡る。俺自身、月曜、火曜と朝練に出てはいたが、確かにあまり人が集まってはいなかった。10人中4人もいればいいレベルだったろうか。いろいろな都合があるからと俺はあまり気にしてはいなかったが、言われてみれば結構大きな問題のように思えてきた。

「前回のクリスマス公演の時でさえ、朝練がきちんと機能していたんです。今回は全くそれが見られない。何度も言いますがやる意味が無くなります。やるからにはきちんときてください! 」

美智の語調が強くなっていく。前回の公演がなんだか全ての悪い例のように使われていることに俺は少々腹を立てた。だが、今日休んでしまった人間に何も言えることはない。改めて申し訳なさと罪悪感が頭の仲を駆け巡っていく。

「あの……。」

険悪すぎる雰囲気の中、消え入るように奏先輩が呟いた。

「なんでしょうか? 」

「今日は練習してましたか? 」

たしかにそれも気になるところだ。今日は朝から土砂降りだったし、遠くから来る人たちだって多い。この荒天では朝練は普通なら無いはずだが……。

「今日は天気がひどかったので朝練はしてません。でも、それがどうかしたんですか? 」

なんの気なく、というように答える美智。俺の中の黒いものが少しだけ緩和される。やはり今日は朝練をしていなかったのか。道理で教室から声が聞こえなかったわけだ。

「そのことをみんなに連絡しましたか? 」

「あ……。」

美智が虚をつかれたように黙り込む。一気にうつむき、語勢が弱くなる。このような荒天なら朝のうち、最低でも朝練の始まる30分前、7時15分には連絡が来ていて然るべきだ。演劇部グループのラインの通知はいつもオンにしている俺でさえ何も受け取らなかったということは何も連絡していなかったのだろう。

「確かに、みんなのことを考えてやってくれるのはありがたいのですが、それにばっかり意識が行って、自分のすべきことがおざなりになっては本末転倒です。今日はまだ本来やらないという連絡を忘れただけだからまだいいものの、もうこんなことをしないでください。人の事を言ってる場合じゃないかもしれませんが、私もできる限り気をつけます。」

奏先輩がやはりというように一瞬間を置き、しっかりとした口調で美智に対して言葉を掛けた。そのようなことは美智が一番よくわかっているようだ。自分のおこがましさと情けなさとでひどく赤面し、うつむいている。今までで一番声を上げていた二人が黙り込むと、部室の中はまた不自然で気まずい沈黙に包まれた。

「ここまで人が集まらないのならば、もはや毎日やる意味は無いのではないでしょうか。遠くから来る人もいますし。」

二人を取りなすように改善案を示したのは由香里先輩だった。確かに、毎日やる必要は無いのかもしれない。場所の都合もあるのだ。演劇部が朝練で使う部屋は普段は合唱部の部室であり、彼らもまた、そこで朝練をすることもある。どことなく同調するような雰囲気が、一陣の風と共に部室に流れていく。

「やるとすれば、いつになるでしょうか……。」

少しは立ち直れただろうか、弱々しく美智が呟いた。

「うーん、やるとしたら7時間授業で発声してるゆとりが無い火曜、木曜だけにするとかですかね。全てはちゃんと奏や先生たちと相談した上のことですけど。」

「そうですか……。今日のことは連絡してなくて、しかも偉そうな事ばっかり言ってごめんなさい。考えますね。」

何となく収まりつつある流れの中に、一つの大きな石が埋め込まれた。

「1点発言してもいいかい? 」

今までやはり静観していた清水先生が、ここぞとばかりに口を開いたのだ。

「うちの学校では、初期の頃は長らく朝練はやっていなかったんだ。場所の都合もあったんだけどね。でも、前に全道行った年の支部大会の前。当時の部長が発声を朝にやらないかって提案してきて、試験的にやってみたんだ。そしたら、通しと返しの声から劇的に良くなって、全道に進むことができた。そこから今の発声は始まってるんだ。」

ここで先生は一旦言葉を切って俺達の方を見回した。理解できてるか確認するかのように。少し美智が驚いたような顔をしている。先生の熱意に満ちた瞳が頼もしく思えた。

「でも、由香里の言ってる通り、ここまで人が集まらないならみんなで朝部屋を借りてやるメリットがない。交通機関の問題もそうだし、朝に弱い人だっている。何も全て今までにこだわる必要はないよ。それと、美智。」

「はい。」

なぜか先生は美智を名指しで指名した。少し困惑気味に応えを返す美智。怒られるのではないか。そんな不安が部室に満ちる。既に責任感で落ち込んでいるらしい美智をこれ以上落ち込ませたくはない。いつしか俺は少し祈るような気持ちになっていた。しかし、先生から出たのは思わぬ言葉だった。

「美智。美智はこれはどうしてやってるんだろうって考えながら色々やってるか? 今回の朝練だって、ただやるだけじゃなくて目的も考えてたか? 」 

「一応考えてたつもりだったんですが……。」

美智には美智なりの考えがあるらしい。弱々しい声で返す。

「そうか。これはみんなにも聞いてほしいことなんだけど、何かを伝えてもらうとき、必ずどうしてこれをやるのかっていうことまで考えて欲しいんだ。さもないと、有名無実のことにもなりかねない。よろしく頼むよ。」

「はい!! 」

みんなが厳しい顔ながら唱和する。先生の言うことには相変わらず説得力があるみたいだ。

「ひとまず、今回の公演前は全部やります。あとは本番の朝と週末だけですし。そして、学祭以降の発声に関しては最初普通通りにやって、その時の人数次第で決めます。少なかったらさっき由香里先輩が言ってた通り火曜日と木曜日にします。」

美智の発声方針決定に場の雰囲気が納得したところで、今度は奏先輩が口を開く。

「今日の練習は、ひたすら穴の部分の返しをしていきます。明日は完全な通しをするのでそのための準備です。今日もよろしくお願いします!! 」

 何はともあれ、いつもの奏先輩の号令で部活は始まった。始まって見ればさっきまでの喧々諤々とした雰囲気はどこへやら、みんな真剣な表情で部活に打ち込み始めた。少なくとも表面上は。俺は、なぜかまた疎外感を感じつつも返しに集中する。この最後の公演はなんとしても良いものにしなければならないのだ。しかし、今日の部活もまたただでは終わらなかった。

 「おはようございます!! 」

返しと返しの合間を縫い、明るく大きな声とともに優磨が入ってきた。掃除だったのか今日はやけに遅めだ。いつもと違うのは彼の後ろに3人の同級生と思われる人たちが続いてきたことだ。女子生徒が二人に男子生徒が一人。いずれも楽しそうに入ってきたところを見ると、見学者だろうか。

「あ、そうだ、今演劇部部員不足になりそうだからさ……」

俺の胸に一つの会話が去来し、次の瞬間すべてを思いだした。優磨はちゃんと覚えていてくれたのだ。

「誰か、椅子用意してもらえる? 」

咄嗟の健太先輩の言葉で我に返った。佳穂先輩が反応する。あまりに急激な出来事に部室は混乱の渦の中にある。にも関わらず、みんなの顔はどこか晴れやかだ。久しぶりの見学者とあって士気も上がる。 

 普段なら嬉しいはずだし、実際嬉しいのだ。しかし、嬉しさの反面、俺の胸の中に何かモヤモヤとした重い感情が広がった。それは煙のごとくどこまでも広がり続ける。一人の人間の感傷など歯牙にもかけず、日々は、時間は進んでいく。

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