第34話 似非策士
本番を間近に控えた演劇部。夕暮れが迫るその部室に、このタイミングで運命の神は新たなピースを運んできた。
「おはようございます!! 」
返しの開始直前、恒例の挨拶とともに入ってきたのは優磨だけではなかった。後から一人の男子と二人の女子が続けざまに入ってきたのだ。皆優磨と親しげに話していることを考えるとクラスメートだろうか。見学者だとしたら、かなり有力な相手になりそうだ。
「よく来てくれたね! とりあえずそこらへんに自由に座って。あ、佳穂、悪いけど椅子用意してもらえる? 」
健太先輩が応対し、手持ち無沙汰な佳穂先輩に声をかけた。彼女が急いで準備した椅子に腰掛けた四人はいずれも微笑を顔に浮かべている。「それでは、まずは握手のシーン。そこから終盤の監督の独白に向けてやっていきます。この間言ったとおり、国之はキャッチボールのスローイングを安定させて。由香里は表情の作りが単純な感じだからそこらへんを頼むよ。途中で切りながら小返ししていきます。それでは行きますよ……」
順々にキャストたちが配置についていく。
新たに3人の見学者。優磨同様入部してくれればその数は合計4人となり、今の2年生3人と合わせて来年の大会は盤石になる。突如、俺は胸が裂けるような痛みと辛さに見舞われた。この状況を、演劇部員でいた今までの俺はこの上ないくらい喜んでいただろう。何しろ俺達と志を同じくして、演劇を楽しんでいこうとしている後輩がさらに入ってくるのだから。そもそも優磨のおかげで去山の後輩達は素直でいい奴らだというイメージが俺の中で固まりつつある。そんな後輩達と一緒に一年も大好きな演劇をできるのだから喜びはこの上ない。しかし、それはあくまで一昔前までの話だ。今の俺は部活に不要な人間、後輩の代わりすら務められないような人間だ。何より、演劇部をやめようとしている。俺が抜けることで2年生は美智と一美2人になり、1年生が増えれば増えるほど彼女らの負担は増していくだろう。つまり、1年生が増えれば増えるほど辛くなるかもしれない。演劇部の将来的には部員がいるに越したことはないが、その分二人の負担が増えることを考えると複雑だった。まぁ、俺がいたところで逆に彼らのストレスになるだけだろうが。まぁ、今は素直に芝居に集中しよう。例えあの2人のストレスが溜まってしまうとしても、それを緩和するために部員を入れないというのはもっての外だ。俺は思考の沼から浮き上がって配置についた。少しずつ頭の中が整理されてくる。ふと見ると、健太先輩が4人の椅子のそばに座って何やら話している。そっちは彼に任せて、こっちは芝居だ。俺は静かに奏先輩の号令を待った。
国之は今日もまた頑張ってるな。無理だけはするなよ。そんなことを思いながら、俺は1年生の応対を終えた足で彼らのすぐ隣に座った。1年生達はいずれも少し緊張気味だが、嬉しそうないい顔をして舞台を見つめている。舞台ではちょうど国之、由香里が件のシーンの返しをしようと準備している。国之と少し目が合った。そういえば、こいつも主役として気張っていてすごく頑張っているとは思う。でも、この間の日曜からどこか様子がおかしい。たまに見るとすごく辛そうな顔をしている。俺は声をかけられることもできていないが。あいつにはあいつの事情があるから、無理に触れるのも愚かだろう。だいぶストレスと疲れが溜まってるようだ。退部やら休部やらにならないといいが……。あいつはこの部活に確実に必要だ。
「あの、優磨から聞いてます。えっと……3年生の大林健太先輩ですよね? 」
急に名前を呼ばれて少し驚く。見返すと、4人のうちの一人、ポニーテールの小さめの女子がいた。少し泳ぎめの目で俺を見ている。
「あぁ、そうだよ。俺が3年生唯一の男子部員、大林だ。よろしくな。あ、これ部報だから良かったら見といてくれ。」
そう言って俺は手近にあった紙を手渡す。部員の名簿、自己紹介、活動実績などが書いたこの部報は、新入生と話すときの必携品だ。他の三人にも配る。新入生達は書かれた文言を見てそれぞれに思うところはあるようだ。笑う者もいれば無言で見通す者もいる。
「そういえば君、名前なんて言うんだ? 一応聞いとこうと思って。」
ふと思い出して俺は聞く。大事なことを忘れるところだった。
「私ですか? 私は、長田(おさだ)育美(いくみ)って言います、まだ入るかは決めてませんけど、ひとまず今の時間はよろしくお願いしますね。」
「おうよ、できれば月曜に新歓の本番あるから良かったら見に来てくれな。どうして来ようなんて思ってくれたんだ? 」
「ああ、それは優磨が演劇部ってすごいよみたいな話を私達にしてくれて、もともと中学のときから優磨とは仲がいいので話すんですけど、あまりにもいろいろ言うからとりあえず行ってみようと思って。でもすごくいいとこですね。思ってたよりも全然和やかでした。」
完全なる熱意だけで同級生を説き伏せるとは、優磨もやるじゃないか。俺は育美に気づかれないくらいに小さく笑った。
「そっか……ありがとう。ひとまず今の間、よろしくな。」
「はい!! あ、そういえば、今回やるお話で先輩のおすすめのところみたいなのはありますか? 」
オススメのところ。ここを見ろってことなんだろうか……。思案に困る俺を見かねたのか、育美が言葉を添えてくれた。
「あぁ、単純に好きなシーンでもいいんですけど。」
なるほどな。個人的に思い入れのある所は多く、工夫したから見てほしいって所もたくさんある。でも、素人に工夫は伝わらないかもしれない。ならば、好きなところから選んだ方がいいだろう。好きなシーンなら山ほどあるが……。これにしよう。少しネタバレになるかもしれないが、一番好きできれいなシーンだ。
「先輩……? よっぽどたくさんあるんですね。」
沈黙を不審に思ったのか育美が声を発する。こいつも1年生とは思えないような落ち着きようだ。優磨も子供っぽく見えて考えるとこすごく考えてるし、今年の1年生は頼もしい限りだ。そこに国之と美智と一美が加わるんだ。相当なものが出来そうだ。
「ごめんな、じゃあ話すとするか。俺の一番好きでオススメのシーンは、一番最後に江東監督が……」
「ごめん、ちょっと健太いいかな? 」
いざ話そうとした俺は、直前のところで引き留められた。声の先には舞台監督の好美の姿が。俺の役割は助舞台監督であることを思い出す。きっと舞台関連の確認なのだろう。
「ごめんね、仕事入っちゃった。今じゃなくてもいいかな? 」
「あ、全然大丈夫ですよ。頑張ってくださいね!! 」
やはりこいつはいいやつなのかもしれない。素直に送り出してくれた育美に感謝しつつ、俺は舞台監督のほうへ向かった。
「後輩と話すのもいいけど、仕事はちゃんとしなよ。」
「おう、そうだな。すまん。」
舞台系の話し合いは、好美のいつもどおりの諌言から始まった。
好美先輩と健太先輩は舞台系の話し合いに行ったようだ。健太先輩と話す後輩を見るに、やっぱり悪い子ではなさそうだ。俺がいなくなってもきっと大丈夫だ。この可愛い後輩達と芝居づくりができないのは悲しいが、その原因を作ったのが外でもない俺なのだから仕方ない。そうだ。退部届を取りに行かなければ。
「行きまーすっせい!! 」
また、返しが始まった。
今日も部活は何事もなく終わった。
「お疲れ様でした!! 」
1年生4人はミーティングの直前に帰っていった。いつもなら優磨も一緒に行くところだが、今日は他の1年生の付添なのだろう。
「あ、誰か、優磨に1年生に宣伝しといてって頼んでもらえると助かります。明日通しやるので忙しいですし、来ないかもしれませんし。」
その日のミーティング、初めて広報系統のまともな話が出てきた。連絡だけだし、せめてこれくらいならやってもいいだろう。
「あ、それなら僕やっときますよ。」
「おお、やってくれる? じゃあ国之、お願いね! 」
「はい!! 」
これが演劇部での最後の実質的な仕事になるかもしれない。全力でやりきらねば。他に特に何も動きはなく、ミーティングは終わった。今日も、なぜかみんな早く帰っていく。きっとそれぞれすべきことがあるのだろう。ならば、今があれを取りに行くチャンスだ。栄は職員室か事務室にあるだろうと言っていたが、職員室に行くのは自殺行為だ。俺は、部室に誰もいなくなったのを見計らって事務室へ急いだ。夕凪の空、燃える空の中俺は足音を懸命に消して事務室へ向かった。
事務室のおばさんが特に何も言わずに退部届を渡してくれたのは幸運だった。もしかするとこういう事例が他にもあったのかもしれない。事務室で時間を潰したおかげか、校門を出ると誰もいなかった。制服のポケットの中には、ぐちゃぐちゃのかばんに入れるのももどかしくなった退部届が折り畳まれて揺れている。先輩達には申し訳なく思ったが、打ち明けてしまって困らせるよりもマシだろう。このまま帰れそうだ。そう思ったとき、いつもの分かれ道に先程の4人がいた。夕闇の足音が近づくこの街で、何やら談笑しているようだ。ちょうどいい。その中の優磨に連絡をしようと俺は近づく。しかし、俺は重要なことを忘れていた。
「あ、1年生のみんなおつかれ!! あのさ優磨……」
俺の声は、不思議そうな優磨になぜか遮られた。彼の目は、俺の腰の辺りを見ている。
「先輩、その出てる白いやつはなんですか? 」
完全に退部届のことを失念していた。見られてしまった。1年生に。不自然な間を作って硬直してしまう俺に、優磨の視線が迫る。答えることもできず、さらに沈黙は続く。優磨を除く3人が俺の方を見すらしなかったことには、ほんの少しだけ安心できた。
策士策に溺れるとはこのことだ。いや、策士ですらなかったのかもしれない。俺に秘密裏の行動は似合わない。はっきり痛感した。やけに冷たい夕方の風が俺達5人の間を吹き抜けていく。優磨の純粋な瞳が、このときばかりは刃のように鋭く思えた。
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