第22話「変化する状況」

 朝宮邸で迎えた夜。

 陽姫のお言葉に甘えて、順番にお風呂をいただいた俺と空は、2階に用意された質素な客室に集まっていた。

 陽姫は、空と交代する形でお風呂に入っている。

 今日起きたことを本人の前で話すのは躊躇われるし、時間が取れてよかった。

 俺の隣にいるお風呂上がりの空は、畳にぺたんと女の子座り。頬をほんのりと赤く染めた姿は、あまり見ることがないので新鮮な感じ。


「朝宮 陽姫さん、と言いましたか」


 木造テーブルの上に置かれたノートパソコンから、調の声が発せられる。おやっさんが置いていった連絡用ノートパソコンだ。

 モニターには画面を分割する形で、調とおやっさんの姿が表示されている。

 俺たちは小地球004での1日を終えて、情報共有をするために通信をしていた。

 モニターの中で、調はなにかを見ているように目を動かす。


「軍坊が送ってくれた陽姫さんのデータを見ていますが、凄まじいですね。歌い終わったに、2万もの数値を記録しているのなら、歌っている間はさらに数値が伸びているはずですよ。まさに規格外です」

「陽姫の歌で、スカイギャラクシーエネルギーが増幅されているのは、確かだと思ってもいいのか?」


 まだ確証の得られていない疑問を、調に投げかけた。

 もし増幅されていないのなら、陽姫は歌えるかもしれない。そうならいいと、一抹の期待を込めたのだが。


「増幅されているでしょう。スカイギャラクシーエネルギーの数値が上昇したあと、下降しているのが証拠ですよ」


 やはり、そう簡単に解決するものではないらしい。

 調は得意げな顔で人差し指を立てて、説明し始めた。


「通常、個人の持つスカイギャラクシーエネルギーは滅多なことでは変動しません。それこそ歌を聞いたぐらいでは、ね」

「だけど、実際に数値は上がってますよね」

「空ちゃんの言う通りです。結果として数値の変動が起きたのなら、そこには原因があって、陽姫さんの歌には力が備わっていることがわかりますから。迷わなかった軍坊の決断は正しかったと思いますよ」

「調さんにそう言ってもらえて、少し肩の荷が降りた気分だよ……」


 正解だと言われても。正しい選択をしようとも、選択によって生じた心に残る後悔や無念が解消されることはない。

 おやっさんは、陽姫のことを心配している。

 俺にだって、解決してやりたいって思いが燻っているのだ。

 陽姫の父親と親友のおやっさんにとっては、尚のこと陽姫が気になるのだろう。


「調。どうにかして陽姫を歌わせてあげることはできないか」

「無理に歌う必要なことがあるんですか?」

「実は──」


 俺は調に、陽姫は鈴音ちゃんの手術中に歌う約束があることを話した。陽姫にとって、その約束を反故にすることは、涙を流してしまうほどのことだと伝わるように。

 調は真摯に耳を傾けていた。すべて聞き終えると、納得したように、顎へ小さな手を添わせた。


「理由は把握しました。しかし……難しいでしょうね」


 調は、難色を示した。

 空やおやっさんも意外そうにしているので、調にしては珍しいことなのだろう。

 俺たちでは考えつかないことでも、調なら少しは道が見えるかもと思っていたけど……。

 みんなの反応を気にしたのか、調は伏し目がちにしつつ言った。


「みなさん、頼りないなって顔しないでください」

「いや、そういうわけではないんだが。調が否定するなんて珍しくないか?」


 空とおやっさんが、そうそうと同意する。


「なんですか、揃って。まあ難しいとは言いましたが、あらゆる手段を使うなら、歌うことができると思いますよ。推奨しませんけどね」


 そういうのが欲しかったんだ。

 進んで提案しないのだから、実現が難しいプランだってことは想像に難くない。けど賭けられるものなら、賭けたい気持ちがあった。


「どんな方法なんだ?」

「例えば、陽姫さんには小地球ではないところ──外で歌ってもらって、それを通信機で小地球に中継したらいいんです」


 小地球で歌うことが敵を引きつけることで、それが危険なら別の場所で歌えばいいってことは至極単純な答えではある。

 しかしそれは……。

 おやっさんが眉間に皺を寄せて唸る。

 こわいよ、おやっさん。


「待ってくれ調さん。そいつぁ、陽姫嬢ちゃんを餌にするような行為だ」

「言ったでしょう。推奨しないと。陽姫さんが小地球外で歌ったりしたら、空食に察知されるでしょう」

「……他に方法はないんですか?」


 空が言った。最終的に調を頼りにするしかないことに申し訳なさを覚えているのかもしれない。そう思わせる口調だ。


「明日という条件付きでなければ、陽姫さんが安全に歌う手段はあるでしょう。彼女のスカイギャラクシーエネルギーを遮断する施設を作るとか、ね。でも実現には時間がかかる。時間が進み続けるのは、世界の絶対法則。残念ながら時間のない現状で安全に打てる手はありません」


 調は明確に口にはしていなかったが、もう手はないと語っているように思えた。


「……わかった。ありがとう。でも俺は諦めない。最後まで、陽姫が鈴音ちゃんに歌える方法がないか考える」


 俺の言葉に調は朗らかに笑って、頷く。


「わかってます。私のほうでも考えましょう。ただし、期待はしないでください。今回は本当にできないかもしれないので」

「それでもいい。すまないけど、よろしく」

「がってんてんですよ。さて話を続けましょう」


 それから俺たちは軽く話してから、通信を終えた。

 得た情報としては、数日内での空食襲来の可能性は低く。

 小地球の整備は順調らしい。このまま何事もなくいけば、2日後には諸々の作業が終わるみたいだ。

 気がかりなのは、陽姫と鈴音ちゃんの約束だけだった。


 ……

 …


 大地たちが、小地球004に出発してから一夜明けた早朝。

 小地球000の司令室で、地球周辺の様子を夜を通して監視していた大波が、モニターに表示された変化に気づく。


「これは……まさかっ……!」


 身を乗り出して、食い入るようにモニターを見つめる。ひとつひとつ表示され続ける情報を確かめていく。

 成層圏に存在する地球の壁の外側に、強大なスカイギャラクシーエネルギーの反応あり。

 どこから訪れたのかは定かではないが、遠い宇宙からやってきたそれは少しずつ成長しているようで、反応が増大している。

 地球の壁に黒く張り付いた──個体として姿が形成されるまでは粘土質な泥のようになっている──空食からエネルギーを蓄えているのだろう。

 これは10年前に、よく見られた現象だ。

 当時の地球はいにしえより蓄えてきた潤沢なスカイギャラクシーエネルギーによって、地球の壁が現在よりも堅牢だった。

 いまでは壁を頻繁に突破する力のない空食は、壁を突破することが困難で、力のある空食が地球圏外から訪れては地球の壁を破り、侵攻していた。

 しかし年月を経て地球のスカイギャラクシーエネルギーが減少し、壁が脆くなると同時に強力な敵の反応は次第に現れなくなった。

 空食の行動原理はいまも不明のままだが、地球が都合のいい空食の安定した餌場として認識されたのではないか。不必要に滅ぼさないようにしたのではないかと調は推測していた。

 もしかしたら単純に弱い空食でも対処できる場所だ、と思われた可能性もあるが──どこから来たのか、どこで発生したのか。人にとって、空食はいまだ謎多き生物だった。

 再び、強大な力を持つ個体が訪れるのならば、相応の理由があると考えていいはずだが……大波には想像の及ばないことではあった。


「まずは休んでる樹里ちゃんと、格納庫にいる調さんに連絡しなきゃね」


 手早く情報を確認したのちに、端末を操作して、調と樹里に伝える。

 強大な力を持った空食はエネルギーを蓄えているだけで、動き出す気配はない。

 しばらくの時間はあるということだろう。

 大波は彼女たちが来るまでの短い間にも、情報をできる限り収集する。

 これまで戦った空食のスカイギャラクシーエネルギー波形と照合してみるが、該当データはない。

 この段階で、新種の空食であることが確実となった。

 実際に姿を確認するまでは、どのような敵であるのかすらもわからない。

 どんな能力を持ち、どの昆虫や動物を真似ているのか。

 それとも、未知の生物に姿を変えているのか。

 情報が足りない。情報とは戦いにおける主導権を握ることのできる最大の武器だ。

 だから──。


「皿の上に広がった粒の中から、少しでも得られる情報を探さなきゃね」


 情報を得ることこそが、大波に課せられた使命だ。


 ……

 …


「はぁ……はぁ、状況はどうなっていますか」


 調は息を切らしながら司令室にやってきて、息つく暇もなく開口一番に言った。

 空食襲撃の可能性があるとなれば、みんな素早く動く。


「連絡した通りです。いまのところは静かなもので……いま映します」


 大波がまとめた各種情報を、正面の巨大モニターに転送する。

 スカイギャラクシーエネルギーの数値、波形、類似データが表示された。

 調は乱れた息を整えながら、それらを吟味するように目を走らせる。


「スカイギャラクシーエネルギーの数値変動には注意してください。成層圏からここまで届いて、我々が察知できたということは久々の強敵です」


 スカイギャラクシーエネルギーは、外側への指向性を持ち、常に外界へ拡散されていく力だ。強力であるほど拡散される力は強くなる。

 だから今回は、相手が力を貯めていても把握することができた。と言っても、地上から遥か上空の空食にできることはないのだが。スカイナイトで壁の外側にいる空食に先制攻撃しにいこうものなら、周囲の空食が反応して一斉に襲われてしまうだろう。

 敵の襲来がわかっていても、眺めていることしかできない。


「現在もスカイギャラクシーエネルギーの数値は緩やかに上昇中。このペースで成長を予測すると、蜘蛛型の空食に近しいものになるかもしれませんね」


 人類が初めて遭遇したのは、蜘蛛型の空食で。

 調も、大波も、軍蔵も……そして樹里も忘れることのできない、空食との初戦闘。その相手だった。

 スカイナイト0号機とそのパイロット。貴い犠牲を払って、ようやく撃退した蜘蛛型の空食に迫る力を持つ相手が訪れている。空食の中で、地球に対する価値観の変化が起きているのかもしれない。

 最悪の可能性を述べるなら。

 

「いよいよ、私たちを滅ぼしにきたのかもしれませんね」

「もう地球に、人類に用はないってことですか」

「地球のスカイギャラクシーエネルギーは、僅かにあるだけ。人類の総数も減少している。空食にとって、これ以上は餌場としての価値すらないのかもしれません」

「例えそうだとしても、私は最後の最後まで足掻きますよ。いなくなった人たちの分まで」


 どんよりとした雲のような、重たい雰囲気に包まれかけていた空気を、大波が晴らす。

 いままでの犠牲を無駄にせず、戦うと言ってくれているのだ。

 なんと強い子か。

 大波の覚悟が嬉しく誇らしい調は、明るく言い放つ。

 

「そうですね。最後の最後まで、希望を持ち続けましょう。情報の分析を続けますよ」


 調は諦めない。

 沼に沈み、絶望が四肢をからめとろうとしていても。

 人を信じて、人の辿る道に光が差していることを疑っていないから。

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