第19話「空食の餌」

 俺たちは先ほどまで段上で歌っていたくだんの彼女に話しかけられていた。


朝宮あさみや 陽姫ようひ……朝宮……?」


 彼女の名前を聞いた途端に、おやっさんが静かに呟いて、彼女の顔をその厳つい顔で観察する。睨んでるみたいに見えちゃうよ、おやっさん。

 どうやらおやっさんは、朝宮って苗字が引っかかっているみたいだ。

 彼女のほうは疑問の理由に心当たりがなさそうで、きょとんとしていた。


「えっと、はい。私、朝宮 陽姫って言います。どこかでお会いしました?」

「陽姫ちゃん、か。突然で悪いんだが、朝宮あさみや 剣十郎けんじゅうろうって知ってるか」


 おやっさんの確信が伴った言葉に、彼女──朝宮さんは面食らって目を見開いた。

 いきなり朝宮さんが知っているらしい人間の名前を言われて、戸惑っているのが伝わってくる。

 世が世なら事案と言われているかもしれない。

 なんでも男性が女性に話しかける場合には細心の注意を払わなくてはいけないらしく、さもないと事案になると恩人が言っていた。

 これもどこか間違った知識なんだろうなぁ、たぶん。最近思ったことだが、多少は合っているのだろうけど、ちゃんとした意味合いを恩人は俺に教えてくれていなかったのかもしれない。

 独り立ちできるように色々教えてくれたのには感謝しているけど、そこは正しい知識を教えてほしかったなぁ……。


「それは……私の、父親の名前ですけど……」

「やっぱりそうか! いまにして思えば面影があると思ったんだよなぁっ」


 おやっさんはガハハと豪気に笑いながら、その樽ような肥えた身体を嬉しさに震わせた。

 どうやら……朝宮さんはおやっさんの知り合いの娘さん、なのかな?


「……父を知っているんですか?」


 朝宮さんはおやっさんを眉尻を下げながら見上げて、問いかけた。

 ……おやっさんは大層に喜んでいるようだが、朝宮さんはなにか言いたげに両手の指と指合わせて揺すっている。

 ああも機嫌よく喜ばれていたら、なかなか切り出せないのも無理はない。

 

「親父さんとは昔からの親友でなぁ。陽姫ちゃんの話も聞いていたんだが、なかなか会う機会がなくて時間だけが経っちまった……。どうだ、剣十郎けんじゅうろう郁恵いくえは元気か?」


 言い方からして、郁恵さんは剣十郎さんの妻、朝宮 陽姫さんの母親だろうか。両親を知っているということは、おやっさんは朝宮家と家族ぐるみで深い繋がりがあったのかもしれない。


「……」


 そこでようやく、おやっさんは朝宮さんの表情に気づく。

 悲し気に伏せられた暗い表情に察するものがあったのだろうおやっさんは、血の気が引いたように喉から声を絞り出した。


「まさか……剣十郎も郁恵も……死んだのか」


 問いかけられた朝宮さんはびくっと肩を震わせ、おやっさんを見やる。宝石のように透き通り黒く澄んでいた瞳が潤みだしていた。

 それは言外に起きた出来事を教えているようで……。

 おやっさんは気苦しそうに顔を歪ませ、そっと朝宮さんの肩に手を置く。


「……わかった。言わなくていい。すまなかった」

「いえ……生きていると思ってくれている人に言い出すのは辛くて。私こそ言い出せませんでした。ごめんなさい」

「陽姫ちゃんが謝ることじゃねぇよ。俺が勝手に舞い上がっちまっただけだ。子供がいるのにあの心配性の剣十郎が来てない時点で気づくべきだった……」


 ふたりの間に、言いようのない空白の時間が生まれる。

 どちらも同じ人物を共通点としているだけに、その人物がいなくなっているとしたら話も続かず、頬を撫でる穏やかな風だけが吹き続けていた。


 ……

 …


「おおーい、陽姫」


 老成した雰囲気のある渋い声が、ふたりの間にある沈黙をさらっていく。


「あっ、おじいちゃん」


 朝宮さんは声がした後方に顔を向けると、朗らかに言った。俺たちも声に釣られて同じ方向を見る。

 朝宮さんの、おじいちゃん?

 落ち着いたグレーの長着を華麗に着こなし、両方の袖口に手を差し入れて腕を組んでいた。温和で優し気な印象が緩めた瞳からは感じられる初老の男性がそこにいた。


「まだ帰ってきていないようだったから、探しにきた」

「ごめんなさい。ちょっとお話してたんだ」

「ん、そうか。誰かと話すことはいいことよのう──ん?」


 話ながらも俺たちを見渡していたのだろう。初老の男性は視界に入ったおやっさんに驚いて、見開いた目でまじまじと見つめる。

 その驚きようは朝宮さんにとても似ていて、血の繋がりが感じられた。


「まさか、軍蔵か?」


 信じられない人でも見たとでも言いたげな初老の男性に、おやっさんは頭を下げた。

 朝宮家と家族ぐるみの付き合いをしているのなら、朝宮さんのおじいさんと知り合いでも不思議ではない。


「ご無沙汰しています。十五郎さん」

「懐かしいな。どうしてここに? ワシに会いに来たわけでもあるまい」

「少し、調査を」

「調査……ふむ。なにやら訳ありのようだな。小地球の長に相談したいことでもあるのではないかな」

「変わらず御慧眼ですね。長に取り次いでもらえると助かりますが」

「なに、取り次ぐ必要もない。ワシが長だからの」


 ほっほっほ、と、したり顔で笑いながら初老の男性──十五郎さんは自分を指さす。

 軍蔵さんは微妙そうな困ったなぁという顔。空は十五郎さんの軽快な態度に目をぱちくりと瞬かせていた。

 とても愉快な人らしいことは、短いやり取りからでも伝わってくるなぁ。

 俺たちの反応を見ていた朝宮さんは、あはは……と困惑気味に乾いた声をだしていた。


 ……

 …


 病院の前でずっと立ち話をしているのも邪魔になるということで、俺たちは朝宮邸に招かれた。

 病院を抜けて、まばらに配置されている木々の落ち着いた香りのする丘陵地帯に入り込み、舗装された道を進む。小地球の奥まったところにある川をひとつ超えた先に、その家はあった。

 この辺りは見渡しても朝宮邸以外の家屋がなく、人通りもない。住宅地とは同じ小地球でありながらも、ここは別世界のように澄んでいた。

 恩人に写真で見せられたことのある──日本の和風家屋と言った風情。木で建造されている落ち着き払った外観は素朴な味わいがある。

 庭が走り回れるほどに広く、庭を飾るものとして広葉樹もあった。

 本来なら魚が泳いでいそうな湖が、住人の不在を示すように風に吹かれて寂しげに揺らめいている。

 敷地内に着くなり、玄関ではなく開け放たれていた縁側に通された。

 少し不用心な気もするけど、それだけこの小地球の中で人々は互いを信頼し合ってているのだろうことがわかる。


「ここで待っとれ。茶を入れて来るでな」

「それなら私も」


 いそいそと、十五郎さんと朝宮さんの姿が家の奥に消えて行った。

 初対面の俺と空にも構わず消えていくのは、マイペースと言うべきか。おやっさんが信頼されているのもあるのだろうけど、根本的にいい人たちなんだろうなぁと思える。


「まあ、座るか」


 スーツケースを縁側付近に置いて。促された通りに、おやっさんは縁側にその巨体をどかっと下ろした。

 空と顔を見合わせて、言われた通りにしておくか、とふたりで並んで座る。


「にしても軍蔵さんの知り合いでよかったよね。説明しなきゃいけない時に色々疑われなくて済むし」


 空が朝宮さんたちが消えていった廊下を覗き込みながら言う。

 おやっさんは縁側から望む、黄金色に染まりつつある天井を見上げた。

 

「ま、そうだな。俺たちは小地球に取っちゃあ、お尋ね者だ。余所者を積極的に排除したりはしねぇだろうが……俺たちが何者であるか説明して信頼を得るのはこの時代になっても難しいだろうしな」

「そうですか? 俺はみんな信じて協力してくれると思いますけど」


 俺は1年間もの間、色々な小地球を巡った。数えきれない人たちと出会って、分かれて。それでも誰かに拒否されたことはなかった。

 いまのこの世界の苦しさを知っているからこそ、誰もが誰かに優しくできるのだと思うけれど、これは安易な考えなのだろうか。


「その精神。よきかなよきかな。人は信頼することじゃ。そうすることで自分にも相手にも返ってくる優しさがある」


 俺たちの会話が聞こえていた十五郎さんは、言いながら現れる。

 木製のトレーに5つのお茶を載せた朝宮さんも、十五郎さんの後方から姿を見せた。


 ……

 …


「はい、どうぞ。冷たいよ」


 笑顔の朝宮さんが膝をついて、木製のトレーをそっと俺に向けてくる。


「ありがとう」


 お礼を言いながら冷茶を取る。

 朝宮さんは頷いてから、空、おやっさんの順にお茶を渡してから、おやっさんの隣に腰を下ろした十五郎さんにもお茶を差し出した。

 最後に残ったお茶とトレーを持って、朝宮さんが俺の隣に座る。

 十五郎さんは冷茶でごくっと喉を潤したあと、切り出した。


「さて旧交を深めたいところだが、ひとまず置いておいて。この小地球の長として聞こう。何用かな、軍蔵」

「ええ、実はこの小地球で問題が起こっているのですが──」


 おやっさんは小地球の稼働効率が低下していること。

 それに付随して、今後の小地球の稼働に問題が発生する可能性があること。

 また早急に対処すべき問題として、空食の餌──人が生むスカイギャラクシーエネルギーの過剰な発生によって、この小地球が敵に狙われるだろうことを伝えた。

 おやっさんが喋り終えると、十五郎さんは深く頷いて考えをまとめるように顎へ手を当てた。


「ふむ……なるほど。軍蔵がこの小地球に訪れた理由は理解した。長を探しておったのは、小地球を直す許可を取るためか」

「そうです。許可さえもらえたら、すぐにでも直しますよ」

「こちらとしては断る理由がない。よろしくお願いする。で、だ」


 十五郎さんは仕切り直すように一拍置いてから、再び口を開いた。

 ここからが小地球004に俺たちが訪れる原因ともなった本題だ。


「地球を襲った怪物たちの餌となる、なんとかエネルギーが小地球で過剰に発生しているとは?」

「本来は人が発するそのエネルギーを、小地球が外部に漏れ出ないように抑制、変換することで小地球を運用するためのエネルギー資源としています。しかし、エネルギーの大量発生によって小地球の処理能力が追いつかず、漏れ出たエネルギーから、この場所を怪物たちが捕捉する可能性が極めて高いのです」

「……その原因はわかっておるのか」

「確実な原因であるかはまだわかりませんが──判明してます」


 おやっさんは俺の隣でお茶を飲んで一服していた朝宮さんに、苦虫を噛み潰したような顔を向けた。


「陽姫になにか関係があると見える。正直に言うといい。な、陽姫」


 十五郎さんはその仕草だけでどういう理由であれ、原因が朝宮さんにあることを確信したようだ。

 朝宮さんは突然向けられた言葉に、驚きから目を見開きながらも、次の間には神妙な顔つきになって答えた。


「は、はいっ。私になにか原因があるなら直します!」


 おやっさんは言い辛そうに唸りながら、しばらく口を閉じていた。

 口が動かないのも当然だ。

 朝宮さんの歌を一度でも聞いてしまったら──笑顔を振りまいて輝く姿を見てしまったら、躊躇うのも無理はない。真正面から伝えるのは心が痛む。それほどまでに朝宮さんの歌っている姿は、歌は印象深い。

 だけれど、十五郎さん、なにより朝宮さん本人から背中を押されているのだからおやっさんは言うしかない。

 穏やかに吹いていた風が止まり、それが合図となったおやっさんが意を決したように口を開く。


「……陽姫ちゃんの歌が、おそらく原因だ」

「私の……歌?」


 朝宮さんはよくわからないとでも言うように聞き返す。

 歌が原因とだけ言われても把握できないのは当然だ。だからおやっさんは、次の言葉を確かな言葉を持って言う。


「陽姫ちゃんの歌には、怪物の餌となるエネルギーを増幅してしまう効果がある。俺たちが確認した時には、確かにエネルギーが増幅されていたから歌うことで周囲や自分自身になにかしらの作用が発生するのは確実だ。実際にどんな効果があるかを検証したいところなんだが、少しでも敵を引き寄せるリスクがあるから、それはできない」


 顔を俯かせた朝宮さんが一瞬、きゅっと口を結んだ。陰りを含むその表情に、罪悪感とも言うべきざらついたものが湧いてくる。

 歌っている時の朝宮さんは、本当に光り輝いているように思えて。きっと朝宮さんにとって歌は、心の底から大事なものだろうことは初めて歌を聞いた俺ですらわかってしまう。

 そんな朝宮さんの歌が敵を引き寄せてしまうからと悪いもののように言ってしまうのは、心苦しくなる。

 眉を悲し気に下げた朝宮さんが、ゆっくりと顔をあげた。

 心の動揺を出さないようにしつつ、それでも震えてしまった声が紡がれる。


「えと、じゃあ……私の歌が原因だとしたら……つまり、それはもう歌うなって、ことですよね……」

「……そうなる。陽姫ちゃんの歌とスカイギャラクシーエネルギーの過剰発生が因果関係にあるものとはまだ確かなこととして言えないんだが、みんなを危険に晒す可能性がある以上はしばらくの間は歌わないでもらいたい。……すまん」

「謝らないでください。理由はわかりました。きっとどうしようもないことなんだって、そう思いますからっ! それにしばらく歌えないだけなら、大丈夫です!」


 空気が沈んでいるのを読んで、朝宮さんが想いを振り切るような声をあげる。

 そこに先ほどまでの陰鬱とした表情はなく。笑顔の花を咲かせるようにしていた。

 ごく自然な表情に思えるが……心配だ。

 無理をしてるのではないか、とはこの場でなかなか言い辛い。


「あっ、と。そういえば私、佐野のおじいさん、おばあさんと約束してたんだった。おじいちゃん行ってくるね」


 朝宮さんはさっと述べてから縁側から立ち上がると、駆けだして家の敷地から飛び出していった。

 誰も止める言葉をかけられないほどの速さで、すぐに姿が見えなくなる。

 どれだけ健気な振る舞いをしようとも、伝わってしまう。

 やっぱり、無理してる。

 この場に居続けるのが辛かったのは想像に難くない。


「大地くん」


 これまで口をつぐんで話を聞いていた空が、朝宮さんの去っていった方向に心配そうな表情を向けていた。

 空の言いたいことはおおよそわかるし、同じ気持ちだ。


「わかってる」


 逃げるように去っていったのは、ひとりになりたいからかもしれない。でも俺たちはそれを放っておけるほど大人でもなくて、知らぬ存ぜぬはできない。

 誰かが辛いのなら、それを共有して少しでも負担を減らしたい。考えを知りたいというのはいま俺と空が共通で思っていること。

 ふたりで立ちあがり、おやっさんと十五郎さんに告げた。


「追ってきてもいいですか」


 十五郎さんは俺たちふたりを人の心を見抜く、年老いた分だけ深くなったような黒い瞳で、興味深そうに見つつ答えた。


「ふむ、良い目をしとる。ワシと軍蔵でどうにかなる問題でもあるまいし、年が近いほうがあの子も話やすいだろうて。よろしく頼む」


 おやっさんは朝宮さんが去った方向に視線を向けたあと、俺たちに罪悪感を含ませた真剣な眼差しを向けた。


「陽姫ちゃんのことは頼んだ」


 おやっさんの親友だった人の娘だ。事実を伝えることは身を裂かれるような感覚だったに違いない。

 託された想いはちゃんと繋げないとな。


「任されました。いこう、空」

「うん、善は急げだよ! ほら、早く!」

「と、っとと、空!? 早い!」


 許可をもらった途端に俺の手を取って走り出した空。俺は前に倒れ込みそうになりながらも、なんとか足並みを合わせる。

 やると決めたら即時行動が空の指針だ。

 空の場合、つい先日に塞ぎこんでしまった経験があるので、朝宮さんのことがなおさら気にかかるのかもしれない。

 かく言う俺も、歌いながら笑顔を振りまいていた朝宮さんが沈んでいたら気にかかる。あの光り輝くような笑顔を曇らせず、とは俺の言葉や想いだけではなかなかいかないだろうけど、一刻も早く気持ちを晴らしてあげたかった。

 俺たちは素早く庭を抜けて、夕刻を示すように西から差し込む光で茜色に染まっている舗装された道を突っ走った。

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