第18話「小地球004のアイドル」

 道路に面して等間隔に並んでいる住宅地を抜けた。

 しん、と澄んだ空気が鼻を抜けていく。住宅の代わりに木々が連なるようになって、歩むものを出迎え始める。

 人波に従った先で、前を歩いていた人がようやく立ち止まる。俺たちもそこで足を止めた。

 小地球004の中央で、シンボルの如く存在する病院の入口付近。広間のような空間に半球状の人だかりができている。

 隣とお喋りしている者、肩でリズムをとっている者、ただ前方を見ている者、病院を見上げている者など、様々な人たちが集合していた。

 誰もこの場から動こうとしないので、ここでなにかあるのは確実なのだろう。

 アナウンスが流れたりもしていない。この小地球に住んでいる人なら、この時間に集まる決まりなのか。

 考えを巡らせても視界から得られる情報は増えないので、謎のままだ。


「な、なんだろ。和やかな雰囲気だから緊急事態とかじゃあないんだろうけど……」


 空も疑問に首を傾げていた。


「おっ、なにか始まるみたいだぞ」


 興味深そうに前方を見据えていたおやっさんは、気づくと教えてくれた。喧噪が休暇をとってしまったのか、突如として静まり返った周囲に驚きつつも前方に目を向ける。

 人だかりの先頭、その境目に設置された段上を緩やかな足取りであがる人が居た。

 肩までかかる髪が身体が動くのに合わせて、柔らかく揺れている。端正で可愛さが前面に溢れた顔つきは、女性も男性も虜にしそうだ。

 上りきった彼女は、3人で並んでも余裕のありそうな台の上にひとり立つ。

 胸と背筋をピンと伸ばした彼女の表情は、喜色満面。そう現すのがしっくりくる。無条件に人を楽しくさせてくれるような雰囲気も伴っていた。

 空がジーっと彼女を見つめながら、ふと呟く。


「ふわふわした服……アイドル?」


 彼女の身に着けている服は、全体的にブレザーなどのいわゆる制服と呼ばれるものに近いだろうか。恩人に見せられたことがある。

 抜けるような青さを基本とした色のブレザーのボタンは開け放たれ、純白のブラウスが正面から覗ける。可愛らしさを引き立てるように、首元に大きなリボンがついていた。

 膝下まであるボックスプリーツのミディスカートは風にふわり、ふわりと穏やかに揺れる。

 まとまりとしては、きらびやかさよりも可愛らしい大人しさの先行するデザインに思える。

 あれがアイドルってやつの衣装なんだろうか。確かアイドルの意味は──。

 

「なんだったか、偶像って意味だったか……」


 前に本を読んでいた時のことだ。恩人にアイドルって単語を見かけた時にどんな意味かと問いかけたら、そう返された。いまの世界にアイドルなんていないから、まあ関係ないだろうとも面倒そうに流されたけど。

 俺の言葉を聞いたおやっさんは、苦笑いを浮かべていた。表情だけでなにが言いたいかわかる。間違っていたか。


「まあ間違っちゃいないだろうが、含みのある意味になっちまうなぁ……」


 台の上で集まった人たちに笑顔を振りまきながら視線を半一周させた彼女は、マイクを胸のあたりに近づけて、肺を満たすように息を吸った。


「みっなさーん、おっはよーございまーすっ!」


 人だかりで視界が塞がれているからわからないけれど、スピーカーが台の隣にでも置いてあるのだろう。その元気ハツラツとした声は最後尾にいる俺たちにもよく届いた。

 彼女の声に反応して、静かにしていた人たちが騒々しく思い思いの声を張り上げる。


「おはよー!おはよー!」

「待ってましたー!」

「今日もよろしくなー」

「楽しみー」

「あーいしてるんだー」

「なに言ってんだいっあんたっ!」

「いってぇ!」


 などなど肯定的な意見が続々と溢れたように飛び出してくる。一部変な人がいたけれど。集まった人々が本心で言っているだろうことは明白だ。

 アイドル? の彼女は愛されているだろうことが、僅かなやりとりだけでも把握できた。

 彼女がうんうんと頷きながら、再度、集まった人たちひとりひとりに目線を合わせるように動かしていく。

 その途中で彼女は、最後尾にいる俺たちに気づいた。見慣れない人相をした人に目を見開いてから瞬かせた。

 その様子がわかったのだろう空が、申し訳なさそうに口をもごもごさせる。


「気づかれたのかな」

「別に悪いことしてるわけでもねぇんだ。堂々としてな」


 この小地球でも人口密度は2桁を超えているぐらいだろう。ほとんどの人とは知り合いだろうし、少なくとも顔見知りではあるはずだ。見たこともない人がいたらそりゃ驚く。

 けれど、彼女は次の瞬間にはにっこりと微笑んで、また視線を巡らせる。

 あまりに気にされてないようなら安心だ。

 半一周してそれが終わると、マイクをしっかりと両手で持つ。察したように人々が次々と消音態勢に移行していく。

 集まった人はまったく動くそぶりがなく、全身の神経をこれでもかと集中しているようでこちらまでそれが伝播する。身体の鼓動が静かに聞こえるほどの緊張感が漂う。

 空とおやっさんも、彼女を固唾をのんで見守っていた。

 前方にいる人々は期待、片や俺たちは不思議な不安と緊張感を覚えている。

 なにが始まるっていうんだ……。


「それじゃあ、聞いてください。スカイブルー」


 静謐な空間に溶け込むようでありながら芯のある残響を残す声とともに、落ち着いた前奏がスピーカーから流れ始める。

 地上から空を見上げて、次には身体が段々と空に昇っていくように。

 次第にスローテンポだった曲がアップテンポに変化し、場を盛り上げていく。彼女は体を小刻みに揺らしてリズムをとりながら、歌い始める。


「こーのー黒い空をわたしは──青い空に塗り替えてゆーくー!」


 雄大な空を幻想する透き通った曲調。

 その歌は地球の状態が、人類の状態が好転するように願ったのだろう歌詞が入っていた。

 耳に自然と入り、体中を巡って心の中に溶け込むような歌声。それでいて儚さはない。

 歌というものに教養をもっているわけではないけれど、目的を持って歌っていることが歌声の熱から伝わってくる。

 ただひたすらに楽しく、前を向いて突き進んでいく──。

 声は体の奥底にわだかまる負の感情とも言うべきものに、そっと熱を持ちながら触れて、じんわりと心を温めていく。

 いまも人々の根底にある空食への恐怖、いつまでこの停滞した小地球で過ごさなければならないのか──そんな恐怖心が歌声によって解かれていくようだった。

 人々をもっとも引き付けているだろう彼女は、光り輝いているようにすら思えた。俺は見たことがないけれど、太陽とは彼女のことを表しているだろうとすら感じられる。

 それはほとんどの人が感じていることなのだろう。彼女を見上げる人々の瞳には、爛々とした光が射しているように見える。

 いつか黒い空が晴れて、晴天が訪れる。その先の未来でさえも輝かしいものだと、彼女の歌声はそう思わせてくれた。


 ……

 …


「──ありがとうございました」


 歌い終えた彼女が折り目正しく一礼すると、人々が想いを言葉にして感想を述べていく。耳に声が濁流の如く入り込む。静聴している間の雰囲気は投げ捨てられてしまったらしい。


「こちらこそありがとー」

「もうすっごい不安なのに元気になったよ!」

「俺も俺も」

「結婚してくれー!」

「わたしがいるだろっ!」

「あいったぁ」


 毎回懲りずに叩かれてるのはいったい誰だ。


「すっごい綺麗で透き通る歌声だったね!?」


 騒々しさに紛れながらも、空が負けないぐらいに声を張る。歌声を思い出して興奮しているのか、我慢できなさそうに空の手がリズミカルに動く。

 いままで見てきた空の中で1番テンションが高いかもしれない。有頂天だ。


「ああ……心に染み入るっつーか。あの子は天才だ。俺が太鼓判を押してやる」


 おやっさんは孫娘でも見るような蕩けた表情で顎を撫でて、しきりに頷く。普段は厳つく優しいおやっさんだが、いまはほころんだ優しいおやっさん。甘々な様子だ。


「心の中に手を差し伸べられて、その温かさがじんわりと広がっていくみたいだったなぁ……」


 かく言う俺も、2人のことをあまり言っていられる立場ではなかった。

 歌い終わったあとも心の中で歌声に秘められた温かさというものが渦を巻いて残っているように感じているからだ。

 彼女の歌声には、不思議な力でも込められているのだろうか。


「また明日も同じ時間にやりますので、気が向いたらよろしくお願いします!」


 締めの挨拶をして、彼女は段上から地面に降りた。

 彼女の一言で疑問が氷解する。なるほど。だからみんなアナウンスもなしに集まっていたのだ。

 人々が駆けだすようにして、あれやあれやと彼女を中心にして人だかりができていく。止める人もいないので、近づくのは厳禁だとかはないみたいだ。

 勢いのある光景に驚いた空が思わず口にする。


「わっ……みんな殺到してる」

「みんなー私はどこにもいかないから押さないで! ひとりひとりちゃんと聞くから!」


 捌きなれているのだろう、彼女は実際にそれぞれの声に答えを返し始める。律儀すぎると言ってもいいほどの対応だ。

 満面の笑みを浮かべる彼女も、応対された人たちも感謝するように握手を交わしていく。


「……あそこに混じる気もないですし、どうします?」


 思わず彼女の声に聞き入ってしまったが、残りの目的は大量のスカイギャラクシーエネルギー発生源を突き止めることだ。

 スカイギャラクシーエネルギーは生命の力。誰もが持つもので、この小地球にいる人の誰かが原因であることは確かなのだが、簡単には見つけられないだろうし、どう動いたものか。


「いや……ちょっと待ってろ」


 しばらく時間を置いて素面に戻った厳つい表情のおやっさんは、スーツケースを開く。機械や工具の類が入った中から目的の物を見つけて、人だかりに向けた。


「それは?」

「スカイギャラクシーエネルギーの測定器だ。ハンディカメラを元に調さんが改造したもので、画面中央に人を映せば自動的に測定してくれる」

「便利なもんだなぁ……」

「結果はどうですか」


 空が、おやっさんの手元のハンディカメラに映った映像を軽く覗き込む。

 喋りながらだった口が塞がらずにさらに開いていく。神妙な目つきになって、食い入るようだ。


「……」

「ど、どうしたんだ空?」


 明らかに様子がおかしいので問いかけると、空がこっちこっちと指をハンディカメラに向けていた。

 映像を見ろってことか。

 あまり専門的なこと見せられても俺はなにもわからないのだが。


「ちょっと失礼して」

「お、お前ら肝心の俺が見えなくなるっ」


 おやっさんの言葉はひとまず置いて、促されたので見たハンディカメラの画面には測定された人の上に数字が踊っていた。ふつう、すごい、などの文字も直観的に凄さが理解できるように付属している。

 微妙にコミカルな表現は調の趣味か。


「……おやっさん」

「なんだ、どうした」

「すーぱーちょうすごいって文字が踊ってるんですけど」

「なっ、なにぃ!?」

「わっ」

「うおっ」


 おやっさんが俺と空の間にあったハンディカメラを顔面まで引き寄せて、凝視する。ビックリしたぁ。

 画面内には、ひとりだけすーぱーちょうすごいって文字が踊っているのだろう。俺たちを測定した場合がどうなるかは知らないけれど、それが驚くような文字であることはおやっさんの反応からもわかる。


「エネルギー量……推定2万……!?」

「それってすごい数字なんですか?」


 おやっさんは食い入るようにしているので耳に入っていないのか、代わりに空が答えてくれた。


「数字の目安としては私たちスカイナイトに乗れる人間がおよそ1万。普通の人は3千前後だから……まあ──」


 現在進行形でいまだ人だかりの中にいる、先ほどまで歌っていた彼女に空の視線が向く。いまも笑顔で人に対応している。


「控え目にいって化け物って数字かも……」

「普通の人と比較して6.7倍。俺たちからでも2倍か。数字の上だから実感はないけど、凄まじいんだな、彼女」

「うん。スカイナイト乗れたら、現状でも出力なら1番のパイロットになるかも」

「いや、あの女の子だけじゃねぇ」


 ハンディカメラから面を上げて、おやっさんは彼女を取り囲む人たちにも視線を向けた。そういえば、彼女以外にもすごいって文字が浮かんでいる人が複数人いたはずだ。


「周りの人間もスカイギャラクシーエネルギーの量が半端ない。6千なんてなかなか見れねぇぞ……ん?」


 言いながらも、おやっさんが気づいたようにまたハンディカメラの画面を正面に持ってくる。

 確認したのち、片眉を吊り上げて口をへの字にした。変化でもあったのだろうか。


「どうしました?」

「いや……スカイギャラクシーエネルギーの数値が下がってる。異様な速度だ。ほれ」


 おやっさんが再びハンディカメラで映っているものを見せてくれる。

 画面内では、すごいと印されていた人の数値が6千から3千台まで急降下。3千台でふつうと印されていた人は2千5百台にまで下がっていた。

 歌っていた彼女は、いまだ2万をキープしているけれど他の人は差はあれど軒並み低下している。


「なにが起こったんだ……?」

「んー、突拍子もないこと言っていいですか?」

「なんだ、空の嬢ちゃん」


 空はおやっさんに促されると、自分の言葉を整理するように立てた人差し指を小刻みに動かしながら。


「あの女の子の歌というか声? に秘密があるんじゃないかと思って。歌を聞いてる間、私は自分の生きる力……前を向くための力。そういう概念的なものが心の中で燃え上がる実感がありました。大地くんと軍蔵さんもありませんでした?」

「言われてみりゃあ……あの時は胸の内がポカポカとしているように感じたが」


 おやっさんが少し困惑するように頭を掻きながら言う。


「俺も空が言うように感じた。胸の中で心の中で温かさが広がっていくような、そんな気が」

「だよね。じゃあ、やっぱり女の子の歌──か声か断定はできませんけど、それが原因で聞いていた人たちのスカイギャラクシーエネルギーの数値も上がったのじゃないかと」


 おやっさんは顎に手をあてて、ふむ、と考え込む。

 確かに空の説明は突拍子もなく、それを裏付ける理由もないが俺には心にすとんと落ちるようにしっくりきた。ただの勘ではあるけど間違っていないように思える。


「……歌の効果が切れたから数値が平常値に戻ったというわけか。スカイギャラクシーエネルギーについて、俺は調さんほど精通してない。正直言えば門外漢だ。歌か声で他人のスカイギャラクシーエネルギーを引き上げるなんて、聞いたことがない。ただ、調さんは口癖のように人の可能性は無限って言ってるからなぁ。人によっては、そんなことも出来るのかもしれん」

「あのー……?」


 おやっさんが言い終わったあとに差し込まれる心配げな声。

 3人で悩み、伏せていた顔を声がした前方に向けると。


「あっ、気づいてくれてよかった~旅行者さんですよね! 歌を聞いてくださってありがとうございます! このご時世に珍しいですけど、悩みごとですか? 私の名前は、朝宮あさみや 陽姫ようひって言います! なにかあったらご相談くださいっ!」


 小山の頂上からでも、ふもとから聞こえそうな元気溌剌とした声量。

 俺たちに謎を与えた彼女は、花が咲いたような笑みを浮かべて。両腕を肩まで振り上げてぐっと手を握り、ふんすっと鼻を可愛らしく鳴らす。

 いままさに問題になっている人物が、自ら接触してきたのだった。

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