第33話「穏やかな日々に」
明けて次の日の朝。
温もった布団に包まりながら、思い起こす。
昨日は、帰宅してから二人してリビングに居たものの特に会話もなく、黙々と食事やお風呂を済ませて、今日に至る。
強引に生の結論を出したのは、俺だ。多少の気まずさに身を委ねていたら、次の日になってしまった。
どうしたものか、と過剰に意識することでもないのだろうけど……。
なにも意識しなければ、もっと話はスムーズにいく。人と人との交わりというものは、正解がないがために難しい。
などと、いつまでも思考しつつベッドで微睡むように寝転んでいるわけにもいかない。
行くか!
ばっと布団を跳ね除けて、寝室から通路を通って、リビングの扉を開ける。
家全体を支配している、喧騒とは無縁の凍ったような空気感は相変わらずだ。
扉の音に気づいた咲が、珍しくこちらを一瞥した。
「……おはよう」
「おはよう。今日は少し、お寝坊さんね」
「なに、その不可解な沈黙とぱちくりした目は」
驚くのも当然だろう……と言いたいところだが、咲は不満げに片眉を釣り上げた。
「咲から挨拶してくるとは、思わなかったからさ」
「いつも言ってるでしょう……。私が挨拶しない人みたいじゃない」
「俺より先に言ったことはなかったと記憶してるが」
俺の挨拶を聞いて、ようやく存在を認識しているってぐらい、咲は俺に関心がなかった。
これまでの彼女にとって、他人はすべからく空気のようなもので。
意識を向ける存在ではなく、むしろ排除すべきものだったのかもしれない。
だけど、物音だけで反応するぐらいには意識してくれている。
俺の嬉しさをよそに、この数日を反芻するように、咲は黙り込む。
関心がなかったのは確かだろうし、記憶に残っているだろうか。覚えていないまである。
しばらくして、咲が俺の嬉々とした視線に気づき、そっぽを向いた。
「そういうことも、あったかもしれないわね」
その姿が微笑ましく、緩んでいるであろう口をできるだけ整える。
もうひとつ、察するべき変化があった。
「目、見えるようにしたんだな」
「……そうよ」
咲は鼻にかかるほど伸びていた前髪を、純白のヘアピンで止めている。
髪に覆われて、表情も伺えず陰鬱としていた印象が払拭されて、咲の優しげな目尻がくっきりと認識できた。
「とってもいいと思う。咲の目をちゃんと観れるのが嬉しいよ」
「……そ、そう。ありがとう」
咲は、決して視線を合わせようとはしなかった。
いつも、髪越しに外を見ていた影響だろうか。真っ直ぐ合わせるのは照れくさいのかもしれない。
まあ、本来の提案をしよう。
「ところで、今日は俺が昼ご飯を作ろうと思けど、どうだ?」
「……どういう風の吹き回しか知らないけれど、いいわ。お手並み拝見といきましょう」
照れ顔を放り投げて、咲は目をスッと細め、挑戦的な眼差しを向けてくる。
ここ数日、ご飯の用意をするのは咲だった。恩返しとして、台所に立たせてもらえるだろうか──その程度の気持ちだった。
あまり凝ったものを作るつもりはないんだがなぁ。そもそも、咲を納得させられそうなものは、作れそうにない。
「お手柔らかに頼むよ……」
「ええ、お手柔らかにしてあげるわ」
そう告げて、咲は台所に向かう。
なんだか、俺よりやる気に満ちている……。
腕まくりして、控えめに手招きしている姿に苦笑して、台所に足を進めた。
……
…
結果として、咲がじっとしていたのは最初だけで、途中からは料理の主導権を握られた。
俺の料理の手際は悪くないはずなのだが、咲は手を出さずにいられなかったらしい。
咲の指示を聞き、動く人形としての使命を全うした。
「うん。まあまあね」
ほとんど自分が手を加えた咲は、したりと頷く。
君が味も盛り付けも決めたんですけどね?
俺が作るより美味しいのだから、まったく反論できないが。
食後、二人分の皿洗いをしていると。
「……ごめんなさいね。手を出してしまって」
咲は、罰が悪そうにこちらをチラチラとしていた。
手を出してしまったことに、後悔している感じだ。
あまり気にする必要もないんだけどな。
「驚きはしたけどさ。二人で作れて楽しかったよ。料理はもともと上手かったのか?」
「いえ……こんなところに居るとね、料理しかやることなくて自然に、ね」
確かに、そうだ。
リビングから一望できる景色には、決して絶景とは言えない、生気のない灰色の花がただ死を坐するように並んでいるだけ。
アンチスカイギャラクシーエネルギーの発生源として、人と繋がりを断つ必要のあった咲にとって、唯一の楽しみと言えたものが料理なのかもしれない。
「……」
「じっと見てるけど、どうしたんだ」
「……また、二人で作りましょうか」
「ああ」
……
…
それからの日々は、波乱など露も起こらず、瞬く間に過ぎ去っていった。
俺は起床してから、スカイナイトまで出向き、修理促進の日課をこなす。
一方。咲は以前と変わらずに、リビングでぼーっとしている。
しかしながら、花畑を見つめる瞳からは──昨日まで咲から発せられていた、死人の雰囲気は消え失せていた。
これも重要なことではあるが、最も変わったのは、俺が家に帰ると、気づいた咲がおかえりと言ってくれるようになったことだろうか。
おかえり。
人と人との繋がりを感じる、短いながらも温かさが満ちている言葉。
ここにいてもいい──そんな安堵を、俺に与えてくれていた。
……
…
スカイナイトのコックピット内部。
パイロットシートに座った俺は、画面を食い入るように見つめていた。
正面のモニターには、レーヴァテインの機能チェック項目が所狭しと羅列されている。
レーヴァテインの修理がようやく完了して、最終チェックだ。
「さー、直っててくれよ」
文字列ひとつひとつが、正常を示す緑の文字に変わっていく。
見ているうちに、何気なく思う。
この文字すべてが緑に変わった時、俺と咲の生活は終わる。
俺は小地球に戻り、咲は静まり返った家でひとり過ごす。
意識すると、喪失感が心に広がる。
たった一週間の共同生活だったが、彼女との生活は新鮮で楽しかった。
特別な思い出があったわけではない。川での一件以外は、ただの日常を送っただけ。
起きて、挨拶から始まり、個人の用事を済ませて、喋りながらご飯を食べて──寝る。
きっと家族と暮らすってのは、俺たちが過ごしたような、ありふれている日常のことを言うのだろう。
そこにいるだけで安らぎがあって。家族と過ごした記憶はないが、そう思った。
それが、もうすぐ終わる。
咲は、どう思っているのだろう。
レーヴァテインの最終チェックが終わるまで、思考は回っていた。
……
…
レーヴァテインの最終チェックが完了して、俺は下宮家に帰宅した。
玄関の空気は底冷えするようにしんと静まって、当然ながら騒々しさは皆無だ。
廊下を進んでも、その様子はまったく消えない。
俺が出ていったあとも、咲は独りで暮らしていくのだろう。外を感慨もなく見つめながら。
胸の中が、ざわざわする。
俺が口を出せることでも、ないかもしれないけれど──。
「あら、おかえり。遅かったのね」
思考のうちに、自然とリビングの扉を開けていた。
台所で料理をしている咲が面をあげて、出会った当初の無感情から随分と変化した、微笑みを浮かべる。
「……ただいま」
ざざっと、心に生まれるノイズが大きくなる。
彼女がここにいる理由。
彼女がここにいなければならない理由。
俺は理解している。
だが、それを思うたびに心が締め付けられた。
「どうだったのかしら。あのロボット、レーヴァテイン?」
「合ってる。まだ完璧ってわけじゃないが、小地球には無事に帰れそうだ」
「……よかったわね」
「ああ、ありがとう」
言いながら、俺は台所に入る。
火にかけられた鍋の中には、肉じゃがが完成していた。
近づくと、食欲を刺激する匂いが一層強くなる。食品や調味料は合成食だが、旨味を引き出すのは料理人の腕だ。
「……じっと鍋なんて見つめて、どうしたの。よそって構わないわ」
「咲の料理を食べるのも、これで最後かと思って」
深皿を取り出して、ほくほくとしたジャガイモの身が潰れないように注意深く盛っていく。
料理は盛り付けも重要な工程である。とは、俺の恩人が言っていた。実際に綺麗に盛り付けてあれば、食欲は倍増するものだ。
咲は戸棚から取り出した茶碗を2つ並べて、パッケージされている湯煎したお米を丁寧に入れていく。
「そういえば、そうね。食べ終わったら帰るのよね」
「そうなるな」
「……」
「……」
そこからは、2人とも黙々と昼ご飯の準備を進めた。
話すことは数あれど、不思議と言葉にはない。話てしまってもいいものか。俺と咲の間には、そんな間があった。
曖昧で、鬱屈としたようなわだかまりを胸の中に渦巻かせ、席についた。
テーブルには昼食にしては、多い量が並んでいる。
肉じゃが、インゲンの胡麻和え、魚の塩焼きと、まるで夜ご飯だ。
どれも食欲をそそる匂いと盛り付けをされていて、ぎゅるると胃が鳴き始める。
咲が席についたのを確認して、両手合わせた。
「いただきます」
「いただきます」
2人で黙々食を進めながら、舌鼓を打つ。
肉じゃがは、合成食とは思えないほど風味豊かに仕上がっていた。
咲はふとお箸を置いて、俺を真正面から見つめる。
「あなた……いつも美味しそうに食べるわよね」
「そりゃ、美味しいから。どれも絶妙な味付けで食欲もりもりだ」
言うと、咲は照れたように、視線をずらす。
やっぱり、表情がわかりやすくなったなぁ。
「……そう。ありがとう。こうやって誰かに振る舞うことになるなんて、思わなかったわ」
しみじみと噛み締めるように、咲は言った。
誰かと一緒に食卓を囲むことすら、咲の意識にはなかったのだろう。それほどまでに、1人で居ることが当たり前になっている。
その在り方が、心を締め付けた。
これが最後の言葉というわけでもないだろうけど、言わずに後悔するぐらいならば、口にするべきだ。
「咲は、さ」
「なに?」
「……ずっとここに居るのか」
咲は、お箸を静かに置いた。
そして言葉の真意を探るかのように、俺を見つめる。
「まあ、いるでしょうね……私はここにいなければならないから。樹里から聞いたでしょう?」
「アンチスカイギャラクシーエネルギーか?」
「そう。人を負に導くものの発生源である限り、私は誰とも過ごすことはできないのよ。ひとりのほうが気楽なのだからいいのだけどね」
言いながら、咲はリクライニングチェアを一瞥する。
俺が来るより以前から、咲と共に庭を眺めていたそれは、咲がひとりであったことを証明しているものだ。
咲がひとりで居る必要性は理解している。一般人と暮らすのは難しいということも。
それでも───俺は。
「そんなこと言われたら、悲しいだろ」
「……私は、ひとりでいいと言ってるのよ?」
なぜ俺が悲しいのか、まったく理解できない。そんな風に、咲の目は戸惑いを浮かべていた。
その姿こそが、俺の心を蝕む。
「俺には、よくない」
「またあなたの都合……? 善良そうな顔して、人を労わるような雰囲気なのに、強情ね」
「かもしれない。でも俺は、咲がひとりで居ることは寂しいことだと……いや、違うな」
咲を言い訳にしているのは、俺もだ。
言いくるめや本心の見えない言葉は、咲に届かない。
死に向かう咲を止めた時に、わかっていたはずなのに。
本当は、俺はもっと咲と。
「わかった。正直に言う」
「私はわからないけれど……ええ、どうぞ」
怪訝に眉を曲げた咲は、続きを促した。
俺は深呼吸して、咲の目に視線を合わせる。
「俺はもっと咲と一緒に居たいんだと思う」
「……え」
咲が呆けたように口をあんぐりとした。
そう来るとは思っていなかったと、表情は物語っている。
感情に任せて、言葉を回す。
「咲に恩を返すって理由もあるが、それとは別にして、ひとりでいることを放っておけない。自信過剰かもしれないが、一緒に数日過ごして、仲良くなれた……と思ってる。少なくとも、俺は2人で過ごした日々は楽しかった。咲はどうだったんだ?」
「本当に、自信過剰ね……まあそうね。楽しかったわ」
咲は噛み締めるように、ゆっくりと言葉を紡いだ。
目が静かに丸みを帯びて、口も綻ぶ。咲は優しげな笑顔を浮かべていた。
まだ数回しか見れていない咲の笑顔に、心に熱が溜まっていく。すべてを悟ったように、彼女が濁った目をしていないだけで嬉しくなる。
「そんな君とまだ一緒に居たいと俺は思う」
「なら……まだ帰らなくてもいいんじゃないの。あなたがここに居ても、その目的は達成されるわ」
咲はすっと笑顔を潜めて、真剣な眼差しで言った。
そう返されるのは自然なことだ。
咲はこの場から動く必要はなくて、でも俺は帰らなければならない。それでも咲と共に居たいと思うのは、俺の我儘である。
「俺がこうしている間にも、俺の仲間が戦ってる。だから帰らないという選択肢はない」
断言する。
スカイナイトで戦うことは、これまで旅の中で助けてくれた人々への勝手な恩返しで。それは俺が戦う理由として心が激るのに十分な理由だ。どちらも私情に基づくが故に、心の天秤では計れないことだった。
「そう。でも私は、まだ人と居るのは怖いわ。ひとりでいるほうが気楽だと思ってる」
咲は申し訳なさそうにくしゃっと顔を歪ませながら、言った。
「だから、ごめんなさい。私はいけないわ」
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