第34話「誓いの指切り」
「たぶん、どう言っても駄目だったんだろうな、なあレーヴァテイン」
花畑に隣接する、土が剥き出しの地面に片膝を立てた降着姿勢のレーヴァテインに問いかけた。
性急すぎたとは思うが、ここまでキッパリと一緒に行くことを断られるとはなぁ。
自信過剰だと咲も言っていたが、その通りってことかな……。
なんか恥ずかしいし、悲しいな。後悔はしていないが。
「……」
当然のことながら意思のないレーヴァテインから返事はないが、まあ心の整理みたいなものだ。
にしても曇り空、か。
空を見上げれば、あいにくの曇天模様だ。これから雨が降るであろう、じめっとした空気が全身で感じられる。
「雨、降らなきゃいいんだがな」
呟いて、咲宅に視線を向けた。
俺がなぜ待ちぼうけているかと言えば、別れ際に咲が待っているように、と告げたからだ。
曇天が更に濃密になり始めた頃、咲が小走りで花畑から姿を現す。
「はっはっ……はっー……待った?」
息をあげて、肩を激しく上下に揺らし、咲は立ち止まる。
少量ながら咲の額から汗が伝っていた。
そんなに急がなくても問題ないのだが。俺を待たせていると、咲が急いでくれた事実に感慨深くなる。
誰にも関心を向けていなかった咲が、俺に関心を持ってくれたということなのだから。
「そんなに待ってないさ。それで、俺が待つことになった理由を聞きたいんだが」
「ええ」
こくっと頷いた咲だったが、静止したように体を硬直させる。
目だけが俺を見たり、視線を外したり忙しない。
「えっと、なんだ?」
「……ああ、うん。その……いざ真正面からは恥ずかしいわね」
「何をしようって言うんだ」
「なにもしないわ……うん、よし」
覚悟を決めたように、咲は先ほどから背後に隠していた右手を突き出した。
「花……?」
それは深い海のような青に彩られた花だった。
「今朝、庭先を見ていた時に見つけていたの。アネモネの花よ」
「もらってもいいのか? あの花畑で見つけたなら貴重なものじゃないのか」
花畑についた花は、すべてが灰色に包まれていて、その中で唯一見つけたものだろうに。
咲は焦れて、上目遣いでずいっと花を押し出す。
「もらって。本来ならブラジルで開花しないはずなのだけど、この機会に咲いていたのなら、なにかの縁があるのよ」
「ありがとう。大切にする」
壊れ物を扱うように、青いアネモネの花を受け取る。
間近で見るとよくわかった。生気をなくしが灰色の花と違い、生命力に満ちた花なのだと。
咲はするっと手を引っ込めて、微笑を作り、俺を見上げた。
「大切にして。青いアネモネの花言葉は、信じて待つ、よ。私はあなたがまたここに来てくれると信じる。あの空の彼方にいる空食を──悪夢を終わらせて、また私に会いにきて」
青いアネモネは、咲が託してくれた希望を証明する物なのだろう。
絶望の中にいた咲が俺にくれたものだと思うと、気持ちが引き締まる。
「その約束、この花に誓って絶対に守るよ」
「約束なのだったら、指切りしましょうか」
「指切りってあれか。約束破ったら針千本飲むって」
恩人から、恐ろしい儀式とだけは聞いていた。
針千本だなんて、なんと恐ろしい約束事だろうか。
「それだけの覚悟を持ってってことよ。私も同じ覚悟を持って、あなたを信頼して待ち続ける。だから絶対に守ってね」
穏やかに言いながら咲が小指を上げて、出した俺の小指と絡める。
「指切りげんまん」
小指を小気味よく動かして、咲の口から誓いの言葉が紡がれる。
「嘘ついたら針千本飲ーます。指きった」
絡めた小指が躊躇いがちに離れて、たった数秒の誓いが終わる。
俺と咲の間に、存在する形のない約束事を胸に刻む。
絶対に、また来よう。約束を果たすために。
咲は小指を突き出していた手を緩慢に開いて、振った。
「じゃあね。また」
「また会おう。俺も咲がここにいると信じて、頑張る」
……
…
レーヴァテインが、音もなく緩やかに空高く浮き上がる。
いつまでも咲を捉えているレーヴァテインの頭部に向かって、手を振った。
山を越える高度に達したレーヴァテインは頷くと、身を翻して遠くの暗空に飛んでいく。
レーヴァテインが背面から放出する火花のような紅の粒子が天から降り注ぎ、軌跡を描いていた。
「ばいばい。また会える日まで」
自分にしては珍しく、ついまろび出た言葉に驚く。
「楽しかった……のかしらね」
咲はレーヴァテインの姿が見えなくなるまで見送り、家に向かった。
道中に広がる花畑が、灰色なのはまったく変わらない。
大地に送った青いアネモネだけが、色付いていたのだ。
今朝──青いアネモネを見かけた時は、嬉々とした感情が湧き上がり、ついで大地の笑顔が思い浮かんだ。
咲は理解している。あの花は、大地がもたらしてくれたものだと。
この空間一帯は、まさしく自分の心を映した心象空間のようなものだ。
自身を基点に、アンチスカイギャラクシーエネルギーが空間作用して、周囲のスカイギャラクシーエネルギーを蝕む。灰色の花畑はその証拠だ。
絶望と諦念の底にいる自分に芽生えた、ひとつの希望。それこそが青く色付いたアネモネの花に違いない。
冷えて、温もりのない家に入る。
もう、おかえりと聴こえてくることはない。
大地のいない事実が、いまになって実感させられた。
感情が追いついたように、後悔の念が広がる。
「人がいるというのは、温かいことだったのよね……」
そう呟いた直後──耳をつん裂くような地響きが鳴った。
「あっ!」
揺れに耐えきれず、咲は膝から崩れる。
間髪入れずに、玄関の外で何か大きなものが着地したような轟音が響く。
家が振動し、胸の中で不安が膨らむ。
咲は、この現象を遠い昔に本能から理解させられていた。
瞬間──家の天井をぶち破って、何かが玄関を粉々に破壊する。
粉々のガラスが舞い踊り、靴が飛び跳ねた。
衝撃で周囲の床板までも──家の基礎そのものが跳ね上がり、咲の体が宙に浮く。
眼前には、昆虫生物の足のような黒い物体が広がった。
それは嫌というほど知っている。記憶の奥底にあっても赤黒く脳裏にこびり付いている。
自分から根こそぎすべてを奪い去った怪物の足に違いない。
「……っ」
声にならない悲鳴をあげて、土台が吹き飛んだ床板の残骸に叩きつけられる。
肺から息が強制的に漏れて、咲の意識は思考すら及ばない深い底に沈んでいった。
……
…
順調に空中を進むレーヴァテインのコックピット。
大地は胸のポケットに刺した青いアネモネの花をチラと見る。
先ほど別れたばかりだと言うのに、咲の姿が思い浮かぶ。
「信じて待つ、か。頑張って応えないとな」
言葉にすることで決意を固めて、大地は正面モニターに視線を移す。
ブラジルの大地が、眼下には存在している。
地上の目視範囲に生物はいない。
草木は枯れ果てて、荒野の大地と言うべき風景が広がり続けるだけだ。たまに都市部と思われる瓦礫の山が積み重なって、人類文明の跡地となっていた。
空食によって引き起こされた人類文明崩壊の悲惨を物語るには、十分なものだ。
またしばらく進むと、日本のものより大型の小地球が設置されていた。日本のものも街を内包するほどだが、それよりも大きく都市内蔵型と言っても過言ではない。
日本国外に設置されている小地球は、後期ナンバーにあたるもので、機能が強化されている。おかげで空食の襲撃はかなり抑え込めているとは、調の談だ。
レーヴァテインが空を飛び続けていると、ノイズが走ったあとに通信が舞い込んだ。
「──やっと繋がった。大地聞こえるか!」
樹里は力強く奥歯を噛み締めているような様子で、焦っていることが一目瞭然だった。
心臓が高鳴り、大地の不安が瞬間的に増大する。
空ではなく、こちらに通信するぐらいだ。大地が必要で急を要するのは、間違いない。
「聞こえてます! なにがあっ──」
話している最中にも関わらず、樹里が矢継ぎ早に割って入る。
「いますぐ咲の元に戻れ! 空食が──」
続きを待ち、大地が思考するまでもなかった。
レーヴァテインが大地の無意識を瞬時に受け取り、空中で静止。踵を返す。
「──らわれて──大地──えてるか!」
画面にノイズが走り、通信が切断される。アンチスカイギャラクシーの影響か、それとも機械が再び不調になったのか。
いや、そんなことに構っていられない。
大地の意識は、咲に向かっていた。
胸に差した青いアネモネの花を一瞥して、正面を険しく見据える。
「咲、無事でいてくれ! レーヴァテイン、速く! 速く!」
眼下の景色が、風にでも乗ったように高速で流れる。
戻っていくにつれて空模様が変わって、レーヴァテインの装甲に激しく雨が降り注ぐ。
レーヴァテインは、未来を予見するような灰色の空を、迸る紅の粒子を噴出させて直進した。
……
…
「くっ、また通信が。大地、応答しろ、大地!」
樹里は小地球000の司令室で声を荒げながら、大地に再びの通信を試みていた。
咲が住む区域の地中から突如として空食の反応があったのは、1分前のことだ。
アンチスカイギャラクシーによって長らく休眠状態だった空食が、なんらかの要因で目覚めたのだろう。
隣に立つ調が、問いかけ続ける樹里の肩にそっと手を置く。
「アンチスカイギャラクシーの影響下に入ってしまったら、どうすることもできません。咲さんの無事を信じましょう」
「私は、また……っ!」
樹里は拳を握りしめて、コンソール前で俯く。体全体が震えて、過去の出来事も樹里の精神状態に影響を与えているのが見てとれる。
調は険しく、頭上を見上げた。
司令室正面のモニター状では、微弱なレーヴァテインの反応が、同じく微弱に感知した空食に接近している。
間に合うかは、五分と五分。咲が逃げてくれていればあるいは……というのが調の考えだ。
アンチスカイギャラクシーの影響で空食の発見が遅れたことに加えて、レーヴァテインの通信機器も不調ゆえに影響を強く受けてしまって、影響範囲から出るまで通信すらできなかった。
これが運命の別れ道にならなければいいのだが。
「どうにか間に合って」
調の祈るような声が、静かに溶け込んでいった。
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