第35話「その手のひらのぬくもりは」
雨がレーバテインの装甲を激しく叩き、遠方から雷が地響きのように鳴り響く。
容赦なく視界を遮る天候の中、レーヴァテインは飛び続ける。
「いたっ!」
ようやく、レーヴァテインの頭部メインカメラが対象を捉えた。
甲虫型の空食で、よくいる一般的タイプだ。さして強力な個体ではない。
花畑を散らすように降ってきたのか、ひっくり返したように周囲の地面が土に塗れている。灰色の花畑は見る影もない。
思い出が蹂躙されている姿に、操縦桿を握った大地の手は力む。
咲は、咲はどこだ。
視線を彷徨わせた大地が息を呑む。
「家がっ……!?」
空食は、天井が吹き飛んだ家に顔を突っ込んでいた。
激しく鳴る心音に、思考が揺さぶられる。
意識が一点に集中して、呼吸が荒くなっていく。
家内部を拡大表示。レーヴァテインが大地の無意識化の行動を的確に実施する。
空食の頭部が入っている玄関先──赤く、なにかが流れていた。
レーヴァテインが急加速する。
メインカメラは微動だにせず、咲を捉え続ける。
天井の崩れた家の中。仰向けに倒れて、ぴくりとも動かない咲は激しい雨に打たれていた。
重篤な状態かもしれない。雨に滲む血の色は濃く、鈍い。
生か死か。どちらにせよ、このまま空食の好き勝手にさせてしまったら、咲が空食に食われる未来は間違いなく訪れる。
そんなことさせてたまるか。
大地の心は、激情に囚われていた。
「咲から離れろぉー!」
上空から矢のように接近したレーヴァテインが、家を覗き込んでいる空食の背後をとる。
両腕を関節が軋むほどに広げて、無防備な空食の甲を乱暴に掴む。
「キュロロッ!」
真後ろからの襲撃に、空食は咆哮をあげた。
これ以上家屋を傷つけないように、レーヴァテインが空食を掴みながら急上昇する。
家屋から離れた後に静止。レーヴァテインは掴んだ空食を力の限り振り上げた。
「ここからっは、な、れ、ろぉ!」
大地の空を震わせるような声に合わせて、レーヴァテインは空食を力の限り放り投げる。
空食は抵抗すら出来ずに空中を半回転したのち、地面に激突した。
衝突で地面が抉れて、土が激しく舞い上がる。
間髪入れずに、レーヴァテインは動き出す。
「キュッロロッ……」
体勢を立て直そうとする空食に、突撃軌道をとった。
両腕を突き出し、空食に組みついて──地面を容赦なく削り取りながら前進する。
もはや周囲への遠慮というものはなく、盛大に木々を吹き飛ばしながら、レーヴァテインが空食を押し込む。
「うおぉぉー!」
「キュウッロロロロ!」
空食の前脚が、無防備なレーヴァテインの肩部装甲を叩きつけて反撃を加えた。
物理衝撃を受けようとも、レーヴァテインは大地の意思通りに止まることなく進み続ける。ただ咲から距離をとるためだけに。
何度も打ち付けられて、鈍い音がした。衝撃に耐えきれなくなったレーヴァテインの肩部装甲がひしゃげる。
「そんなもので止まるものかぁ!」
押し続けた先に見えた巨大な崖に、レーヴァテインが速度を高める。
「キュロロロロ!」
気づいた空食が脱出するためにもがくものの、レーヴァテインは力を緩めることなく──空食を盾にして崖へ衝突した。
世界が震撼したかのような大音を響かせて、粉々になった岩が、土煙が舞い上がる。
「キュッ……ロロロッ……」
空食が、か細くうめき声のようなものをあげた。衝撃を殺すことなく、高速で激突したのだ。相当に堪えている。
レーヴァテインも同じだ。空食を盾にしたものの、衝撃を吸収しきれるものではない。脳を揺さぶる抗い難い感覚の中でも、大地は一心不乱に操縦を続けた。ただ目の前の敵を倒すためだけに。
背面の剣を二振、力強く抜刀。勢いそのままに叩きつける。
空食を叩いた剣が、乾いた高音をたてて響き渡った。
もはや剣の扱い方ではない。ただ鈍器のように、相手を叩き潰すため、目標を打ちつけ続ける。
本来、レーヴァテインの剣はスカイギャラクシーエネルギーを刀身に纏わせることによって、真価を発揮する。空食に対してスカイナイトの武器が効果的なのは、それ故の話だ。
アンチスカイギャラクシーエネルギーの有効範囲であること。大地の思考を支配する後ろ向きな破壊衝動が、レーヴァテインの力を阻害していた。
だが、レーヴァテインは──大地は止まらない。
空食の甲を打ち潰し、肉が散っても、攻撃を与え続ける。
「キュッ……ロ……」
血を流して、ピクリともせずに倒れている咲の姿が、脳裏をよぎる。
なぜ、強引にでも一緒に連れていかなかったのか。
こんなことにはならなかった。
やらせなかったはずなのに。
一瞬の間にも、後悔ばかりが降り積り、積み重なっていく。
「うああああああ!」
怒りの咆哮のように、鈍音は深く鳴り響き続けた。
……
…
もはや原型すらわからない有様の空食が、黒い粒子となって空気に溶け込み消えていく。
空食は、スカイギャラクシーエネルギーの塊のような生物だ。スカイギャラクシーエネルギーを流し込まない物理的な攻撃で撃破した時、体を構成する結合が綻び、粒子となる。
後には、何も残らない。
「はぁ……はぁ……」
レーヴァテインのコックピットで、大地は息を整える。
「咲……!」
急行しなければならない。
レーヴァテインが急速浮上。戦闘で荒れてしまった森の上空を進む。
雨が先を見通させないようにメインカメラを叩き、視界が悪い。
目的地までは飛びこと十数秒程度のことだったが、それが一分にも一時間にも感じられた。
ようやく、森を通過する。
空食の襲撃によってまばらに土がひっくり返る、元は花畑だった土地の中央部──咲はそこにいた。
咲はぽつんとひとりで直立不動のまま、レーヴァテインを見上げている。
大地の心音が跳ねる。無事かの判断はつかないが、少なくとも気を失って倒れていた状態から自力で花畑からこれる事実に安堵した。
はやる気持ちを抑えて、レーヴァテインを土台が整った地面に片膝をついて着地させる。
コックピットを開放。飛び出した大地が素早くレーヴァテインの装甲を駆け降りた。
地面に降りて間髪入れず、咲の元に走り出す。
激情に駆られるほど、心配していたのだ。大地が急くのも無理はない。
生きていてくれてよかった。その気持ちが溢れそうになっている。
「よかった──咲」
荒れ果てた灰色の花畑。その中央に咲の姿を認めて、そう言った時だった。
咲が微笑みながら、力なく前のめりに崩れ落ちる。
「くっ!」
地面に激突する前に大地が滑り込んで、咲を正面から抱き止める。
「急に倒れるからおどろ──さ──き?」
ぬちょっと、抱きとめた咲の背中に回した手から、悪寒の走る感触がした。
背中から手の平を離して、確認する。
「……っ」
大地の手の平は、絵の具でも塗りたくったように、真っ赤だった。
咲の背中は、大小さまざまな無数の木片が突き刺さって血で染め上げられている。
遠方からではまったく気がつかなかった。いや、咲が見せないようにしていたのか?
追いつかない大地の思考を無視して、咲がか細く息を吐く。
「来てくれて、よかった……わ。最期に会えて」
「こんな状態で……なんで外で待ってたんだ!」
「だって……あなたが帰ってくるところを、見てみたかったのよ……」
雨音に紛れながら、ささやくように呟かれる。
「そんなことのためにっ……。すぐに樹里さんたちのところに連れて行くからな」
咲の体を素早く肩にかけて、持ち上げる。
「っぅ……」
咲が漏れた声をあげるが、我慢してもらうしかない。
担ぎ上げた咲の体は、雨に濡れている影響もあるだろうが、冷えていた。まるで人としての温かさを失いつつあるような──嫌な冷たさ。
「わたし、ね……」
「あとで聞くから」
担ぎ上げられながらも口を開こうとする咲を、大地は咎める。
下手なことで、咲の体力を使わせたくなかった。絶対に助ける。その意思だけが大地を動かす。
大地は、レーヴァテインを着地させた地点に戻った。
咲を担ぎ上げたままレーヴァテインを上るのは難しい。咲をゆっくりと地面に降ろす。
大地は素早くレーヴァテインの装甲を駆け上がって、腹部のコックピットに滑り込む。
即座に操縦桿を握って、レーヴァテインを起動させた。
レーヴァテインの両手が、土ごと咲を持ちあげる。
手を移動している間にも土が流れ落ちて、この時間の間にも僅かに残った咲の命を取りこぼしている──そんな気がしてしまう。
大地は頭を振って、悪寒を消しとばして慎重に操作を続ける。
手とコックピットを隣接させて、大地は咲をお姫様のように抱え上げてから、レーヴァテインのコックピットに戻った。
レーヴァテインのコックピットを閉鎖。メインモニターが起動する。
「無理させて、ごめんな」
「……だい、じょうぶよ」
口では大丈夫と言っているが、咲の目から生気が失われていくのを大地は感じていた。
「すぐにつくから」
レーヴァテインが音もなく静かに浮遊する。
小山を抜けられる程度まで上昇した後、移動を開始した。
目指すのは小地球000だ。病院があった小地球004の選択肢もあるが、小地球000も同等の設備はあると調に聞いていた。
とにかく、急がなければ。
激しい雨の影響で視界がすこぶる悪い。
本当に進んでいるのか。延々と同じ場所を回ってやしないか。一向に変わらない景色に焦りを覚える。
大丈夫だ。レーヴァテインは無事に進んでる。落ち着け。
絶対に、絶対に助ける。咲を抱いた左腕に力が入る。
「私、ね。あなたと会えてよかったと……思っている、わ」
咲が静かに口を開く。注意深く聞いていなければ、聞き逃してしまいそうだった。
「突然、なんだ」
少し、声が震えてしまった。
心臓が知覚できるほど嫌に高鳴る。
助けると願いながら、思いながら、俺はもう、わかっていた。でも真実から目を逸らすことしか選択肢できなかった。
こんなのあんまりだろ。ずっとひとりでいたのに。やっと、気持ちが前を向き始めていたはずなのに。
視界が潤み出していた。
咲が宙を見据える虚な目で、ぽつぽつと語る。
「世界も、人にも……もう、興味はなかったのよ……誰にも認識されずに……いつか消えるように、いなくなるんだって……そう思っていたわ」
「そんなわけ、ないだろ。樹里さんも咲のこと心配してたぞ」
「ええ……そうね。樹里には悪いこと、したわ。自分だって辛いのに、それでも私を手助けしようとして。静かに見守って、くれていた。もちろん、あなたも、ね」
咲が視界を彷徨わせる。
まるで俺がわからないとそんな風に。
目の前にいるのに、彼女には、もう──。
「ここにいるぞ」
「あなたの手、とっても温かいわね」
「咲の、手だって、温かい」
嘘だ。水濡れた手は、生気のない冷たさを含んでいる。ただ認めたくなかった。
僅かな温もりを逃さないようぎゅっと咲の手を握り込む。
制御できない気持ちが、膨れ上がっていく。
咲は、ゆっくりと息を吐きながら。
「あなたには、本当に感謝しているのよ。私はあなたのおかげで、また誰かと居る楽しさを……思いだせた」
「そんなこと、言うなよ。俺は……俺はまだ恩返しできてない。俺が死ぬまで返し続けるって言ったじゃないか!」
もう感情を制御することなんて、できなかった。
涙が奥から溢れ出て、握りしめた咲の手に落ちていく。
「ふふ……そうね。でも私はいっぱい返してもらっちゃったから……。十分、胸いっぱい」
「そんなことないだろ! 俺はまだまだ恩返しできてない! もっと、もっと楽しいことが、これからあったはずだ! 調、樹里さん、空、軍蔵、大波さん、陽姫、小地球にはみんないて、咲を受け入れてくれる。空食との戦いが終われば……もっと、楽しいことがいくらでもあった!」
想いはいくら紡ごうが形にはならず、時間は止まらない。
「ねぇ、大地」
涙を流して取り乱す俺に、咲は穏やかな微笑みを浮かべた。
「ずるいけれど、恩返しし足りないなら、みんなを……守ってあげて」
「そんなこと、言うなよ……! 死ぬみたいなこと!」
「私みたいな人をもう生み出さないように……大地なら、みんなと一緒のあなたなら大丈夫……よ」
「なにも大丈夫じゃない! 俺は恩を返すまで君を死なせないって! そう言っただろ! 助けるって……言ったじゃないかっ……」
「ふふ……その言葉、嬉しかったわ……私は生きていてもいい人間なんだって……そう思えたもの……」
「いいに決まってるだろっ……」
「……ねぇ、冷えるわね」
「暖かい手を握ってる! 暖かいから! だから……咲っ!」
「そんなに必死に……呼ばなくても、聞こえている、わ。大地、私──あな──たと──会え──よか──た」
空気に溶け込むように声が消えていく。
しんと、空気が静まり返った。
「咲……? 咲っ!」
何度呼びかけても、咲は目を開かない。
揺すっても、そこにはなにもいないようで。
「……っぁっぁぁ、ぁっ、うあぁぁぁああっ!」
最期に残ったその手のひらのぬくもりは、静かに消えていった。
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