第29話「幽世の瞳」

 大地が気を失っている頃、空食と戦っていた空はアイギスと共に、小地球に帰還していた。

 空は、学校の廊下をぐんぐんと歩いていく。

 表情から疲労が滲んでいるものの、いますぐ倒れるようなものではない。大地との実戦経験の差が現れていた。

 職員室と名札のついた司令室の扉を豪快に開け放ち、正面の大型モニターを凝視している調と樹里に近づく。


「大地くんが帰ってないって、どういうことですか!?」

「空か。おかえり」

「ただいま──ってそんな挨拶してる場合じゃないですっ」


 こちらは緊急事態だと思っているのに。樹里も調も緊急の時ほど、取り乱さず冷静。

 まだ空は、自己の感情を排すようにはなれなかった。


「心配なのはわかりますけど、水でも飲んで落ち着いてくださいな」


 調が空にコップを手渡して、正面モニターに顔を向けた。

 内側から伝わるひんやりした水が、焦る体を沈める。

 これから説明するから、まずは喉を潤せということらしい。

 空は渋々とした様子で、水を飲む。戦闘慣れしているとはいえ、終わった後に飲む水は格別だ。

 と同時に空の頭も冷える。大地の知らせを受けて、少し血が頭に上っていた。


「ぷはっ……少し落ち着きました。状況はどうなんですか」

「空食との戦闘中、レーヴァテインの反応がロスト。地名としては、旧ブラジルの山岳地帯になります」


 正面モニターに、レーヴァテインの行動と反応ロストの足跡が線で表示される。

 空食の侵攻によって、世界各地の国は最新の地図上では消滅しているが、旧世界地図と照らし合わせたら、旧日本列島の裏側付近に位置する国──旧ブラジルの山岳地帯で反応が途絶えていた。

 そこで空は、樹里と調がなぜアイギスにレーヴァテインおよび大地の捜索を要請しなかったかのか、納得する。

 この場所はスカイナイトだからこそ、おいそれと侵入できない。


「ここって、あれですよね。アンチスカイギャラクシーエネルギーが渦巻いてるって……」

「この場所に侵入したものは、スカイギャラクシーエネルギーが不活性化状態となる。スカイナイトの通信が途絶えた要因は物理的な損傷も加味しますが、この一帯に侵入したことも一因でしょう」


 スカイナイトの動力源は、スカイギャラクシーエネルギーだ。それが不活性になってしまえば、機体に変調を来していると考えていいだろう。


「撃墜されて反応がロストしたわけじゃないってことですね」

「おそらくな」


 樹里は平静に返しているが、不確実なことを聞いた空は、それどころではない。


「わかってないんですか!?」

「戦闘中に通信が途絶えたせいだ」

「じゃあ探しにいかないと」


 空が踵を返そうとする。


「待て。君まで帰ってこれなくなったらどうするつもりだ? 誰がみんなを守る」

「でも、樹里さん!」


 樹里は不安げな空の手を握り、落ち着かせるように言い聞かせた。

 握られた手に人の温かさに、安心を覚えた。ずっと操縦桿を握っていたからだろうか。


「大丈夫だ。あの場所には、咲がいる。なにかあれば連絡してくれるよ」

「そうだと、いいんですけど……」

「咲はそっけなくて、不安になる気持ちもわかるが、な。空はとにかく休んで、次の出撃に備えてくれ」

「出撃予定があるんですか?」

「休むのもパイロットの仕事ですよ。毎回言ってるでしょう? 戦うことだけがパイロットの役目ではありません」


 首を傾げた空に、調が答えた。

 パイロットだって人間だ。消耗するし、守るためには自分の体調を常に管理しておく必要性がある。

 長年パイロットをやっているのだから、空も理解はしていた。

 ただ気持ちが流行るのは許してほしい。


「……まあ、そうですけど」

「事態が動いたら連絡する。まずお風呂にでも入って、さっぱりしてくるといいさ」

「じゃあ、行ってきます」


 後ろ指を引かれる思いで司令室から出て行こうとして、空は振り返る。

 調が、にこにっこの笑顔で手を振っているのが見えて、空はすごすごとお風呂に向かう。

 こういう時の調は、梃でも動かない。1度決めたことは、貫き通す人なのだ。

 大地のことは胸が締め付けられるほどに心配だが、しょうがない。疲れているのは、事実。汗もかいていたし、綺麗さっぱり疲れを洗い流そう。


 ……

 …


 俺は、鈍い暗闇の中を歩いていた。

 いや、歩いているのか、正確にはわからない。前進している感覚はあるものの、それは錯覚で、突っ立っているだけなのかもしれなかった。

 みんなを──空、樹里さん、陽姫、おやっさん、大波さん、そして調の姿を探しても、誰もいない。

 放り出された手は空間に溶け込みそうなほどに感覚はなく。

 足は棒のようになっていく。

 ここには、温もりがない。

 底冷えする不安感が、覆い尽くしているだけ。

 それほどまでに、この闇は深い。

 気を抜けば足元から崩れて、奈落の底に落ちてしまいそうだ。

 暗くてひたすらに寒い。

 まるで人の温もりを知らず、空っぽの凍え切った心の奥底のようで──。


 ……

 …


「……」


 うっすらと目を開く。

 頭上から押しつけられているような気怠さを感じながら、起き上がった。

 眠る前になにをしていたか、自己に問いかける前に、体の汗腺が湯水のように開いているのを自覚する。

 底冷えするような寒気があるのに、体は熱い。チグハグな状態だった。


「嫌な夢だったな……」

 

 内容はしっかり覚えていない。でも、地獄に落ちているような感覚だけは残っていた。

 恐ろしい、本当に恐ろしい夢だったという印象だけが、ぐるぐると思考を蝕む。

 おっと、思考が後ろ向きになってる。いけない。

 恩人も言っていたものだ。下を向いても構わないが、前進し続けていろ、と。


「それより、ここはどこなんだ……?」


 切り替えて、周りを探る。

 見覚えのない空間だった。

 特色のない正方形の一部屋で、俺が寝ていたベッド以外には家具すらない。

 まるで生活感はなく、所有者などいないと言わんばかりだ。


「寝てた手がかりには、なりそうにないなぁ」


 眠る前、どうしていただろう。

 スカイナイトで……そうだ。戦っていた。

 空食を倒したあとに、スカイナイトを操縦しきれなくなって──。


「俺は最後に、誰かに向かって逃げろ、と言っていた……はずだ」


 意識が朦朧としていたのもあって、朧げな印象しかないが、誰かが立っていたような、そんな気がする。


「……あら、起きたのね」


 木製の扉を音もたてずに開けた人の、第一声だった。


「顔色は……悪そうね」


 事実を述べつつも、俺が起きたことには興味のない様子で、抑揚のない喋り方だ。

 その人は──特徴的な長髪と同化しているかのようにも思える、黒のワンピースを着用していた。

 鼻下まで伸びた髪に覆い尽くされて、目元はわからない。

 でも。この女性だ。俺が逃げろと言ったのは。それだけはわかる。

 女性は歩きに力がなく、とぼとぼと前傾姿勢のまま、俺に近づいた。

 な、なんだ?


「少し、動かない」


 両手で包み込むように俺の頭を抑えた女性は、顔を接近させる。

 ドギマギする。

 なんの状況だこれ。調のドッキリだったりする?

 額が触れ合う。

 そうして、目元を覆うほどに伸びきった髪で隠された目と、ご対面した。


「……」


 思わず、深く息を飲んだ。

 女性の目からは、一欠片の生気も感じなかった。

 地獄のどん底にいるかのような濁った瞳。

 いま立っている場所が地獄であるとしても、それを当たり前として受け入れているような。

 なんだ、この女性は。

 一切の感情を読み取れなくて、ある種の純粋さすらも覚える瞳に吸い込まれながらも、恐怖を感じた。

 額の熱が混じり合うぐらいの時間を置いて、女性は額を離した。目が髪に覆われる。

 俺の顔は、見えてるのか……?


「熱、ないわね。ごはん、食べられる?」

「……」

「……食べない?」

「食わせてもらえるのなら」


 女性の瞳に囚われた感覚になっていたら、反応が遅れてしまった。

 お腹はもちろん、空いている。

 意識した途端に、ぎゅぅーっと腹の虫が盛大に鳴る。


「……」


 恥ずかしい。手心を持って我慢できないものですかね、腹の虫よ。

 窺うように女性の顔を見るが、平然な面持ちで部屋から出て行こうとしていた。


「そっ。ついてきたらいいわ」


 そっけなく言うと、女性はすたすたと俺を気にすることなく出て行ってしまった。

 わからないことだらけだけど、まずはご相伴に預かるためだ。ついていくか。

 毛布を退けて、俺は気圧が重くのしかかったような頭を左右に振ったあと、早足で女性を追いかけた。


 ……

 …


 家の中は、俺が寝ていた部屋と同じく質素なものだった。

 廊下には一切の飾り気がなく、ただ薄暗い電球が照っているだけで、底冷えする不気味さがある。

 リビングに着いても、生活感のない印象は拭えない。調度品はなく、必要な家具以外はすべて捨ててしまったような感じがあった。

 窓際にリクライニングチェアと、木造テーブルの左右に質素な椅子があるだけだ。

 女性はリビング最奥のキッチンに入ると、座り込んでガサゴソとなにかを探し始めた。


「そこにいるなら、テーブルに座っておいて」


 抑揚がないので、感情の機微がまったく測れないのだが、少なくとも怒っているわけではないのだろう。

 声をかけて、ご飯の用意もしてくれるということは。

 これでぶぶ漬けなんてものでも出されたら、なにも言えなくなってしまうけれど……。


「はい。どうぞ」

「ありがとう」


 しばらくして、女性はお湯を沸かしたあと、お茶漬けを出してくれた。

 出汁をかけて、ご飯の上には鮭の──合成食材の魚の身がまばらに乗っている。

 よかった。ぶぶ漬けじゃなくて。


「……」

「……」


 女性は、そのまま棒のように突っ立っていた。

 俺もお茶漬けを見つめて、固まる。

 出汁の香りは食欲を刺激し、胃が動き始めた気がするのだが。

 あるべきものが、ないのである。

 うーん、準備してもらって申し訳ないが、言うしかない。


「すまない……」

「なに、食べないの? 嫌いだった?」


 女性が首を僅かに傾ける。注視していないと、わからなかっただろう。


「いや、お箸がないと食べられない」


 女性はゆるゆるとお茶漬けに首を向けてから、納得したように両手を触れ合わせた。


「ああ、忘れていたわ。すこし、待っていて」


 てててっとキッチンに向い、新品のお箸を出してくれる。

 女性は俺が食べ始めたのを確認したのち、窓際のリクライニングチェアに腰掛けて、雲がかかり、薄らぼんやりとしている外を眺め始めた。

 行動の端々を見たところ、独特の世界観で生活しているのだろうか。老生して隠居しているような雰囲気すらある。

 生気のない瞳も、どこか浮世離れしたような性格も、俺はその中に秘められたものをわからず、悠長に構えていた。


 ……

 …


 お茶漬けを食べ終えたあと、俺はいまだに窓際で外を見つめている女性に質問した。

 気を失って倒れてしまった俺を介抱してくれたのだろうし、いつまでも、女性と呼んでいるわけにはいかない。


「なあ、君の名前は? 俺は空海 大地だ」

「……」

「えーっと?」


 椅子から立ち上がって、女性に近づいて、顔を出す。

 女性の鼻筋まで垂れた前髪がさっと動いて、俺を認識する。


「……なに?」

「いつまでも名前を知らないってわけにはいかないから、名前を聞いたんだ」


 気づかなかったかな。

 うとうとと、眠りかけていたのか? だとしたら悪いことをしたが……。


「さっきの言葉、あれは私に?」

「他に言う人もいないと思うけど」

「そう……すこし、ぼーっとしていたわ。あー、空海 大地くん?」

「なんだ、聞こえてたじゃないか。大地でいいよ」

「……独り言かと思って」


 独り言で急に自己紹介するような人間に見えるのか、俺は。

 ちょっとショック。


「で、私の名前……ね。下宮 咲よ」

「下宮さん、か。よし覚えた」

「咲で構わないわ……。名前を聞いたと言うことは、私に用があるのでしょう?」


 事務的な会話だが、こちらの話は聞いてくれるみたいだ。

 そっけなく思えても、俺の熱を気にしてくれたり、心根は優しい人なのだろう。


「俺が倒れたあとのことが聞きたい」

「気を失ったあなたを家まで引っ張って、ただベッドにあげただけ……よ」

「重かったろうに、ありがとう。咲は俺の恩人だ」

「……そう。聞きたいのは、それだけ?」


 咲の声色からは、穏やかなそよ風のように感情の起伏がまったくなかった。

 咲の心にとって、俺の言葉はすべて風が拐っていく程度のもので。記憶に残らない、空気のようなものなのだろう。

 それを寂しく思いながら、俺はもうひとつ問いかける。


「ここは、どの小地球なんだ?」


 俺が気を失った付近に小地球が存在しないことは、事前に確認している。

 人が小地球外に居を構えて生活しているはずもないから、どこかの小地球なんだろうけど。

 咲はお世辞にも体力があるような身体つきには見えない。言ってはなんだが、骨がただ肉を纏っているような細さなのだ。俺を運ぶのにも、一苦労どころではない労力になりそうだが……。

 咲は、重要な事実を何事もないように平坦な様子で告げる。

 

「……どこもなにもないわ。小地球ではなく、ここは旧ブラジルの山奥。そこに建てられたただの家よ……」

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