第30話「襲われない場所」
ここが小地球の中にある家屋ではない──衝撃の告白に驚いて固まった俺に、咲は言った。
「付いてくると……いいわ。あなたが倒れたところまで、案内してあげる」
咲はのそっと立ち上がって、よろよろとリビングを抜けていく。思わず支えたくなってしまいそうだ。
いまの人間は、外で暮らしていたらいずれ空食に察知されて襲われるはず。なのに、咲はここが小地球ではないと言う。
この場所には俺の想像すら及ばないものが、渦巻いているのかもしれなかった。
……
…
家の外に出ると、飛び込んできた異常な光景に目を奪われた。
眼前に広がるのは、一面を埋め尽くす、灰色の花畑。調が育てていた花より色素が薄く、グレーに近い。
花に抱く感情なら、美しいとかが最適なんだろうけど、この花畑には華やかさが欠片もなかった。
元気がない、と言えばいいのか。どの花も萎れて、それでも花弁だけは付けている。
生きているけれど、死んでいるような姿は、咲の瞳を連想させる。あの澄んだ死の瞳を。
花畑の奥には、痩せ細っている低木が生い茂っていた。生い茂ると述べるにはおかしな光景だが、痩せ細った枝にはしっかりと葉がついている。どれも灰色がかったもので、頼りなく地面を向いているが……。
その光景は、咲にとって日常なのだろう。足を止めることなく、俺を置いてのそのそと進んでいく。
まずは着いていくか。目的地がどこかは、見えているのだ。
「ここ、よ」
外に出てから200メートルほどの距離で、咲が振り返ることもなく、言った。
「あなたがあのロボットから出てきて、気を失ったのは」
そこには、仰向けのレーヴァテインがコックピットを開けた状態で存在していた。
地面を抉り取りながら不時着せざるを得なかったばっかりに、レーヴァテイン周辺の土はひっくり返るように荒れていて、衝撃がいかに強いものであったかを物語っている。
「案内してくれてありがとう」
「ん……私は家に戻っているから……」
咲はこちらの返事を聞く前に、立ち去ってしまう。
巨大人型ロボットが、目の前にあるのだ。なにかしらの反応があると思っていたけど、咲は特に興味を示さなかった。
「さ、レーヴァテインの状態がどんなものか」
通信機能が使えるようになっていればいいけど……。
レーヴァテインの上体に上る。脇腹には、空食に貫かれた傷がぱっくりと開いて、荒れた地面が顔を覗かせている。
スカイナイトには、小地球の外壁部と同じく自己修復機能がある。と、調が言っていたが。
「直ってるって、感じじゃあないな」
大穴を穿つようになっているのだ。土で穴を埋めるように、容易く直るものでもないだろう。
レーヴァテインに搭乗する。操縦桿を握って、コックピットを閉鎖。暗闇で火を灯したように、レーヴァテインがモニターを起動させた。
「起動はクリア。次は損傷箇所──の前に通信が……ダメか」
どの回線を開いても、レーヴァテインには誰の声も出力されないし、届けられないようだった。
調たちが心配してるだろうし、すぐにでも連絡したかったのだが……。
できないものは、しょうがない。
続いて、損傷箇所のチェックに移った。左側の脇腹、それに隣接していた炉心の一部が損傷している。
炉心の損傷は致命的のようで、レーヴァテインのスカイギャラクシーエネルギー供給量が低下していた。
自動修復機能の稼働率は、50%程度らしい。
操縦桿を通じて、レーヴァテインに命令を飛ばす。正面モニターに、修復完了までの時間が表示された。
「残り239時間ってことは、あと10日ほどか。長いな」
自動修復は、元から1日やそこらで直るものではないのだろう。判断材料がない以上、憶測でしか判断できないけれど。
時間よ進め! と念じながら時間を見ても、急激に数字が進むことはなかった。
「時間が解決してくれるなら、それでよしとするしかないな」
調の話では、空食の攻勢を凌ぎ切れば一時的に空食の力が弱まり、しばらくは空食の襲撃も断続的なものになるだろう。とのことだった。
空は歴戦のパイロットだ。ひとりで対処できることを祈りながら、俺はコックピットを開放した。
コックピットから顔を出して、咲宅を見る。
一戸建てのなんの変哲もない家屋だが、小地球の外に建てられているのは、明らかにいまの世界からは逸脱している。
咲はこの場所を旧ブラジルの山奥と言っていたが、空食が襲ってこない理由でもあるのだろうか。
漫然とした不安を覚えながら、とりえあず俺は足を咲宅に向けた。
……
…
「あら……帰らなかったの」
咲の家に戻り、リビングの扉を開けた俺に向けられた一言だった。
残念そうな言葉だったが、感情が込められていないので、ただの感想にも聞こえる。
「帰れなかったんだ。しばらくここにご厄介になりたいんだが……」
咲は、窓際のリクライニングチェアに座ったまま、緩慢な動きで俺の姿を確認した。
「そう。部屋なら空いているから好きにしてもらえば、いいわ」
咲の紡ぐ言の葉には、遠慮や謙遜と言ったものはない……ように思える。どれを紡いでも真っ直ぐな言葉だ。
咲がいいと言えば、それは本当に良いということなのだろう。そこに感情がないということを除けば。
興味すら持ってもらえないのは、旅をしていた頃にも味わったことのないことだった。大なり小なり、小地球の外から来た人間には、誰もが一定の興味があるのを、俺は肌で感じていた。
なのに咲は興味がない。なんというのだろう。生きることにも興味がないから、なにが起きても気にしない。そんな気がするのだ。
俺は心の片隅で、それを寂しいことだと思っていた。
……
…
俺が咲の邸宅に寝泊まりを始めて2日後、機会は唐突に訪れた。
日課となりつつある、レーヴァテイン修復の様子を確認して、結果が芳しくないことに焦りを覚えつつ、リビングに入った時のことだ。
ここ2日間、窓の外をぼーっと眺めて1日を終えていた咲が、珍しくテーブルに座っていた。
「今日はなにかあるのか?」
「……少しね」
「少し?」
「静かにしてもらえれば、座っていても、いいわ」
「あ、ああ」
俺も、その場に居合わせてもいいということらしい。
いつものことながら咲は喋らないけれど、今日は見ている対象が、窓の外に広がる景色ではなかった。
咲はリビングのアナログ時計を食い入るように見つめて、短針が1を過ぎたと同時にテーブルの裏面に手を伸ばした。
するとテーブル正面の天井から、薄型のモニターが縦方向にスライドしながら現れる。
「……!?」
こういうの、普通に家にあるものなの?
と、驚きのギミックに口を呆けたようにしていたら、モニターに軽いノイズが走って、繋がった。
「こちら、土宮 樹里だ。咲、聞こえているか? 急ですまないが、確認したいことがある」
それは俺のよく知っている顔だった。
……
…
モニターに映された樹里さんも俺に気づき、驚いたように目を見開いた。
「その可能性はあると思っていたが……なるほど。大地、無事でよかったよ」
樹里さんは言葉の途中から、安堵の表情で頷いた。
俺には、なにもわからないんだけどね?
「どうして樹里さんが咲と連絡を……?」
「なんだ、咲、言ってなかったのか。道理で連絡も何もないはずだ」
「どこにそんな必要があるというの?」
咲は心底不思議そうに首を傾げていた。
「興味がないのはわかるけれどな、巨大なロボットだって落ちてきたんだろう? 私たちの関係者だってわかっていたはずだ」
樹里さんは、しょうがないと言わんばかりに眉尻を下げて言った。
「そうね……樹里の言った通り、私にとって興味がなかったのでしょうね」
「咲は、いつもそうだ」
「あなたが、ガミガミ説教臭いからよ」
「性分なんだ……まあいい」
樹里さんは、そのあとも続けようとしたものを無理やり飲み込んだようにする。
このままいくと、平行線のまま話が進まなさそうだ。
樹里さん、苦労してそうだな……。
「お決まりの用事から済ませてしまおう。衣食住で足りていないものは?」
「いまは……特にないわ。もともと食材は余り気味だったのだし」
「咲がそう言うなら、わかった。いつものものだけ送る」
「……助かる、わ。ありがとう」
元から用意している、いつもの言葉なのだろう。抑揚もなにもない声色からは、感情が覗けない。
話の流れとして、お礼を言った。そんな感じですらあった。
「どういたしまして。さて、大地とふたりで話したいのだが、いいか?」
「……私は席を外しているわね。しばらく自分の部屋にいるから、ごゆっくり。終わったら、このボタン押してね」
咲が先ほど押した、テーブルの裏面に付いているボタンを教えてもらう。
なんでこんな押しにくいところに……誰の趣味だ。
なんとなく、脳裏では調がスマイルをキメていた。謎めいた配置とか好きそうだもんなぁ。
咲がするりとリビングからいなくなると、樹里さんが話し始める。
「改めてになるが、無事でよかったよ。大地」
「ご心配おかけして、すみません。全然連絡が取れなくて」
頭を下げると、樹里さんはわかっていると言わんばかりに頷いた。
「概ねの原因は、私たちのほうで予想していた。問題ない」
「空は大丈夫ですか?」
「心身共に健康だよ。君を心配していた」
空なら、そうだろうとは思っていたが。
いらない心配をさせてしまった。帰ったら、空にも謝らないと。
「よかった……ってことは、空食の襲撃は俺と空が倒したので止まったんですね」
「いまのところはな。襲撃が止んだと言っても、一時的なものだ。ここからしばらくは、おそらく安定期ではあるものの、いつ襲来してくるかわからない」
「そうですよね……」
6時間にも及ぶ戦闘でも、空食には余力が残っているのだろう。空を覆い尽くしてしまうほどに居るのだから当然ではあるのだが、敵の強大さを再認識する。
だったら、のんびりはしていられないよなぁ。と言っても、現状を打破する方法など思いつかないのだが。
「そっちはどうなんだ。帰ってこられそうなのか?」
樹里さんは、俺が不測の事態に巻き込まれていることを承知しているようで、心配してくれていた。
俺は、空食を倒してから気を失ったこと。咲に助けてもらった経緯を話した。レーヴァテインの状況も含めて。
「そうか。咲が助けてくれたか」
言葉を紡ぐ樹里さんの声色は嬉しいことを語るような、静かな弾みがあった。
「経緯は把握した。レーヴァテインが損傷で動けないんだな」
「直るまでは、この家に厄介になろうかと思ってます」
「そうするしかないだろうな。そこからこちらの小地球までは、地球を半周できるほどの距離がある。帰ってくるなんて、物理的に不可能だ。やめておいたほうがいい」
なにせ海もあるしな、と樹里さんは付け足した。
人類圏が消滅しているいま、船なんてものは稼働していないので、渡る手段もない。もし稼働可能な状態で見つかっても、俺は操縦できないだが。
一先ず、状況は報告できた。次は、これからのことだ。
「空が俺とレーヴァテインを迎えにくることは、できないんですか?」
「それは難しいだろうな」
「小地球が留守になるから、ですか」
現在、稼働しているスカイナイトは、レーヴァテインとアイギスのみだ。片方を欠いた状態で救出にきて、万が一にも空食が襲来すれば対処が難しくなる。
「それもあるが……その家の立地、おかしいと思わなかったか?」
「小地球の外にあるってこと、ですか?」
気にならないほうが、無理というものだろう。空食に探知されてしまう可能性から、人は小地球の外で暮らせない。
これは情報の隔絶された人類における唯一、共通認識に近いものだろう。
咲の住む家は、空食と無縁のようだった。空食が降ってきた痕跡がなく、植物が生きていることこそ証拠だ。
空食や下宮邸だけの問題ではない。葉や花弁は灰色に変色していたが、花畑や低木も変わらず生きている。小地球を除いた地球上で自生している植物なんて、滅多にお目にかかれない。
心の奥底でずっと引っかかっていた疑問が、確信へと変わる。
現在の地球が──人類が置かれた状況から、あり得ざることのように逸脱しているのだ。この場所は。
他と違うのなら、ここは理由があってそうなっている場所なのだろう。
体が慢性的に重いのも、この場所が関係あるのか。
周囲を取り巻く環境が、なにかしらの原因が、起点になっているのだろうか。
俺が訝しんだような表情をしたことで、樹里さんは思考が目的地に辿り着いたとわかったのだろう。静かに言葉を続けた。
「その場所は、万物に宿るエネルギー──スカイギャラクシーエネルギーを不活性化させてしまう、アンチスカイギャラクシーエネルギーが支配しているんだ」
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