第31話「アンチスカイギャラクシーエネルギー」

 樹里さん曰く。

 咲の家がある空間は、スカイギャラクシーエネルギーの活動を阻害する、アンチスカイギャラクシーが充満している。

 周辺の植物が灰色の花と葉をつけているのは、アンチスカイギャラクシーエネルギーが原因であること。

 頭上から押さえつけられるような、重く纏わり付く感覚の正体も同じらしい。

 この空間が空食に襲われた痕跡がないのは、スカイギャラクシーエネルギーを欲する空食にとって、襲う意味がないから。

 スカイギャラクシーエネルギーは万物の力、生命に宿る力。

 反対に、アンチスカイギャラクシーエネルギーは、生あるものを曖昧にする力がある。

 原因がこの場所にあるというのなら、レーヴァテインの自己修復の進捗が悪いのも関係があるのだろう。

 樹里さんに聞いてみると。

 

「レーヴァテインの自己修復機能の根幹は、スカイギャラクシーエネルギーが成している。不活性化している限り、修復機能の低下は免れないだろう」

「やっぱり、ですか」

「通信機能が低下しているのも、物理的な損傷も一因にあるだろうが、アンチスカイギャラクシーにも原因がある」


 レーヴァテインの修復状況が芳しくなかったのは、この場所そのものに原因があったのだ。

 現状ではアンチスカイギャラクシーエネルギーが活性化している範囲外に、レーヴァテインは動かせないし……。

 何気なく椅子に体重を預けて、天井を見上げてしまう。


「手詰まりかぁ」

「レーヴァテインが修復されるまでは、待つしかないだろう」

「ですよね」


 こうなると、俺にできることはないが──ふと疑問が湧いた。

 アンチスカイギャラクシーがここだけにあるのなら、それには明確な理由があるはずだ。レーヴァテインを動かせないのなら、修復を妨害する元を断てれば。

 提案するだけなら、自由だ。

 天を見上げるのを中止して、逡巡するように口を閉じている樹里さんに目線を合わせる。


「ここをアンチスカイギャラクシーが支配してるって言いましたよね。原因は特定できてるんですか?」


 樹里さんは頭を下げて、口ごもる。

 口にしにくい理由があるのか。

 僅か数秒のことだったが、心の中で決意を込めたように口をきゅっと結んで、眉尻の下がった目で俺を捉えた。


「原因なら、特定できているよ。本人も薄々、気付いているだろうが」

「本人……ってことは──」


 この場所に住んでいる人間は、ただ1人。俺を助けて、住まわせてくれている彼女しかいない。

 俺が紡ぎかけた言葉を、樹里さんは引き継ぐ。


「そう、大地の想像通りだ。咲が、アンチスカイギャラクシーエネルギーを放出している」

「どうしてそんなことに……?」

「理由は言えない。咲のプライバシーに関わることだからな。だが間違いなく発生源は咲なんだ。これは提示した疑問にも当てはまる」

「この家と植物の異常現象の原因への回答ってことですか」

「ああ。場所が問題なのではなく、人が問題なんだ。だから、咲は人っ子1人いない場所で暮らしている。アンチスカイギャラクシーエネルギーは周りに伝播し、植物や人の心を蝕んでしまうんだよ」


 いま聞き捨てならないことを言ったような。人の心って。

 

「蝕むって、俺は大丈夫なんですか」


 もう3日はここで寝泊まりしている。平常時より体が怠いぐらいの変化しかないが。

 俺の心配を察している樹里さんは、安心させるように微笑む。


「君の心配もわかるが、スカイナイトに搭乗できるほどのスカイギャラクシーエネルギーを持っているなら、大丈夫だよ。だが一般人と共に暮らすことは厳しく、咲が1人で暮らしたいと言うのでそうしてもらっている」

「なるほど……」


 こんな、世界でたった1人取り残されたような場所に住むだなんて。数週間程度ならまだいいが、数ヶ月も何年にも及んでいるとしたら、想像するだけで地獄に感じられる。

 自分以外が誰もいない世界があるとしたら……俺は、その空白に耐えられない。

 人は人と繋がることで己を認識して、己を確立する。他者の観測がなければ、それはひとりぼっちの世界となんら変わりない。

 定期的に樹里さんと連絡を取っているようだが、それでも触れ合える距離にいるかどうかは、違うものだと感じる。

 咲の、生者のようにも死者のようにも見える瞳が脳裏を掠めた。

 どうにかできないだろうか。咲がみんなと暮らせるように、せめてあの目でなくなるように。

 咲の問題はプライバシーに関わることで、それはアンチスカイギャラクシーエネルギーの発生源となっている理由のはずだ。

 言葉から読み取るのなら、外傷的なものではなく、先天的あるいは後天的な内側の──精神的な理由で。

 スカイギャラクシーエネルギーは、生命の力でありながら心の力だ。前を向く力と呼称してもいい。

 なら反転してしまったものが、アンチスカイギャラクシーエネルギーと呼ばれるものなのだろう。

 ようは、精神的な問題を解決すればいいのか?

 俺の沈黙をどう受け取ったか、樹里さんは念を押すように言った。


「……君は世話焼きで察しのいいお節介だから忠告しておくが、咲の問題にあまり首を突っ込まないほうがいい」


 言い当てられて思わず目を見開き、樹里さんの表情を確認する。口を引き締めて、哀愁の漂う瞳で樹里さんは言った。


「アンチスカイギャラクシーエネルギーは周囲に影響を及ぼして、白を黒に染めてしまう負のエネルギーだ。いまは大丈夫だが、深入りすれば命に影響を及ぼすこともあるかもしれない」


 樹里さんが述べたことは、理解できる。君子危うきに近寄らずということだろう。

 しかしそんなことで納得するのなら、命の危険があるスカイナイトに乗っていたりはしない。

 誰かが苦しんでいるのなら、俺は手を差し伸べたい。それが勝手なものであっても、苦しんでいる人を放っておけない。

 咲の生者のようでも死者のようでもある、悲しい瞳が脳裏に深く焼きついていた。

 俺が決意を持った眼差しで樹里さんを見ると、眉をひそめてため息をついた。

 呆れられたかな。


「まあ、君ならそうだろうと思って釘を刺したんだがな……私個人としては、咲を暗闇から引き摺り出してくれるのなら、反対する理由はない」


 それは樹里さん自身の偽らざる本音だったのだろう。柔和な表情で続ける。


「彼女には死んだようにではなく、しっかりと生きてほしい。だから大地の行動にも少しは目を瞑る。しかし、引き込まれると思ったら、絶対に踏み込むのはやめること。いいな?」


 念押しされて、頷く。

 心配してくれている人を裏切るのは、俺の本望ではない。

 

「君はスカイナイトのパイロットで、私たちの仲間だ。絶対、無事に帰ってこい」


 その言葉は胸の中に、形となって落ちていく。

 俺の心に巣食う、記憶喪失によってぽっかりと空いた穴が、僅かに塞がった気がした。

 過去の記憶がなくとも、俺は彼女たちの仲間なのだ。そう言い聞かせるように、心の中を満たそうとした。


 ……

 …


 樹里さんとの通信が終わり、夜に差し掛かろうという時間。咲が用意した晩ご飯をいただいている時のことだ。

 食卓には、小地球から届けられた合成食を使った豚汁やご飯、サラダが並んでいる。

 ちなみに、晩ご飯の用意は手伝おうとしたら断られた。

 曰く、お客様なんだから、らしい。

 見ず知らずの人間に、台所を触られたくないのかもしれないが。


「……さっきからチラチラと見ているけれど……言いたいことでもあるの」


 黙々と食べ進めていた箸の動きを止めて、箸置きに箸を戻しながら咲が言った。

 淡々とした言い方で、不快感によるものかのか、疑問に思ったが故なのか、まったく読めない。

 不躾に見ていたつもりはなかったけど、そう振る舞ってしまっていたらしい。

 気にし過ぎだ、俺よ。


「ごめん、いや……」


 言葉を濁す。

 口早に踏み込める問題ではない。いまの咲に聞くような度胸もなければ、信頼関係もない。

 仮に問いかけたとしても、返答は関わるな、ぐらいなものだろう。


「……樹里になにを聞いたか知らないけれど、私は……大丈夫よ」


 呟かれる言葉に抑揚はなく、意図を読み取るのは難しい。

 ただ、大丈夫って言い方は引っかかる。俺が悩まず済むように、気遣ってくれているような語気を、僅かに感じた。気のせいかもしれないけど。


「ん、まぁ、わかった」


 俺の当たり障りのない返事に満足した咲はお箸を手に取り、食べ進める。

 いま咲に踏み込むのは、土足の我が物顔で心を踏み荒らすものということだ。

 俺も食べ進めるか。ご飯はあったかいほうがうまい。

 ……光のない瞳がご飯を見つめ続けていた。

 俺はまたしても、咲の表情を無意識に探っていた。

 咲の表情から感情を垣間見るのは至難の技だ。付き合いの短い俺からすると、米粒ほどの感情すら見えてこない。

 なにかキッカケでもあれば。俺はそう思いながら箸を動かし続けた。


 ……

 …


 明けて翌日。

 目覚めた時からすでに、しだれのような雨が朝から降っていた。

 一定間隔で耳に刻まれる雨音は心地よく、凝り固まっていた思考を解きほぐすようなものだった。

 のそっとベッドから起きて、雨に打たれる花畑を目的もなく俯瞰する。

 雨に打たれても決して花びらを散らさない姿からは、生への渇望があるように感じられた。見た目は灰色で、一目すると死の間際のような姿が、咲と被る。

 彼女の瞳は生者とも死者ともつかないが、彼女自身は生きた人間だ。たとえアンチスカイギャラクシーエネルギーを生み出す精神的な原因があったとしても、いまを生きる人間であることに変わりない。

 もう少し柔軟に考えてもいいのかな。意識を変えるのが難しいのなら、違う感情で上書きする。辛い記憶よりも、楽しい記憶で埋めていくのだ。

 咲が楽しいと思うことってなんだ……。わからん。

 結局は、咲がどう思うか次第なんだよなぁ。

 咲は、生と死の境界線でゆらゆらと揺れているようなものだ。もし背中の押方を間違えれば、急転落下。なにもかも終わる危うさがある。

 依然と心地良いリズムを提供する雨音は安らぐが、答えをくれない。

 ひとつ、確かなことはある。

 正解のないものを考えていても、状況は変わらずということだ。眠気覚ましと思考をリセットするために両頬をぱしんっと叩く。


「ふう、すっきりすっきり」


 と気持ちを切り替えて、リビングに向かった。

 珍しいことに咲は庭を眺めておらず、リクライニングチェアに深く沈んでいた。穏やかに目を閉じ、雨音に身を任せて寝ている。

 不思議なことに、庭を光のない瞳で見つめ続けているよりも、生きていると思える姿だ。

 彼女の中にある暗闇は、地の底よりも深く蠢いているものなのだろう。

 いい夢が展開されていることを祈って、俺は日課をこなしにいきますかね。


「いってきます」


 起こさないように忍足で家を出て、傘はないので小走りでレーヴァテインのもとに向かった。

 

 ……

 …

 

 閉鎖されていたレーヴァテインのコックピットを、装甲に備え付けられた外部コンソールで操作して開放。

 雨が侵入してこないように手早くパイロットシートに座り、コックピットを閉鎖した。

 防水加工はしてあるのだろうけど、あまり雨に濡らしたくはないよなぁ。

 空調を効かせて、手が乾いてから球状の操縦桿に這わす。ひんやりとして、自然に馴染む感触。

 目を閉じて、意識を集中する。

 自分からレーヴァテインへ。効率的にスカイギャラクシーエネルギーが供給されるように。

 スカイナイト──レーヴァテインは、スカイギャラクシーエネルギーを動力にすることによって起動している。

 命を持たないスカイナイトには、スカイギャラクシーエネルギーを生み出す力はない。搭乗者が不在の場合は、事前に内部で貯蓄したスカイギャラクシーエネルギーを切り崩すことで自動修復をするらしい。

 その場合の修復速度は、小石を積み上げて装甲を作り上げるようなもので、時間がかかる。スカイギャラクシーエネルギーが不活性化していれば尚更だ。

 なので、搭乗し意識的にスカイギャラクシーエネルギーを供給、自動修復機能を活性化させる。 というのが、樹里さんと相談した結果もたらされたものだった。

 昨日から始めたものだが、修復機能が示す修復時間は短縮されて、結果が出ている。

 しばらくは色々なことを忘れて、意識をレーヴァテインに預けた。


 ……

 …


「ま、こんなところだろ」


 誰に言うでもなく呟いて、目を開ける。

 正面モニター左上に出現させたデジタル時計は、10を現していた。

 ちょうど1時間近く瞑想していたらしい。ここのところ咲のことで頭を悩ませていたからか、頭をからっぽにするのは存外気持ちが晴れるものだった。これで妙案でも浮かぶようになればいいのだが。

 レーヴァテインの自己修復時間を表示。時間が短縮されていて今日も一定の効果があったようだ。

 この調子で毎日続けるか。

 コックピットを開放して、顔を出す。


「雨は止んだみたいだなぁ。空は変わらないが」


 雨雲はどうやら遠くに過ぎ去ったようだが、漆黒に包まれた空はそのままで、心情的にはさほど変化がないようにも思えてしまう。

 調は、もう地球には時間がないと言っていた。いつまでがタイムリミットなんだろうなっと。

 真横になっているコックピットブロックから飛ぶように勢いをつけて外に出る。

 外部コンソールを操作して、コックピットを閉鎖。また明日だ。


「んー、あー」


 気持ちよく背伸びをして、体をほぐしながら灰が落ちたような花畑をさっと見回していると、なにかが動いていた。

 視線を戻す。


「咲……?」


 花を器用に避けながら花畑の中央を横断しようとしているのは。歩くたびに黒いワンピースの裾を揺らしている咲だった。

 なんだなんだ?

 何気なく様子を窺っていると、花畑を抜けた咲は、続く低木が乱立する森に進んでいく。まるで目的地は決まっているかのような足運びだ。

 森の先には、なにかあるのだろうか?

 他と付くものすべてに興味のなさげな咲が目指しているものが気になったことも手伝って、跡をつけてみることにする。

 咲をひとりにするのは、危険なような気もしたから、という理由もあった。

 こういうところが樹里さんに釘を刺される原因かもしれないな、と心の中で苦笑しつつ、咲を追いかけた。


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