第12話「空食襲来」

 ドーム状の天井に映し出された雲が朱色に染まって、夕暮れを通達してくる。

 小地球の内壁部近くにあるなだらかな丘に、俺と天音ちゃんは訪れていた。

 夜に向けての冷気を伴った風が流れ込み、心地よさと一抹の寂しさを覚えるその丘には、3つの暮石があった。

 それぞれ名前が深く刻まれて、手入れも行き届いているのか、磨き上げたように綺麗だ。

 そのうち一つの暮石を前にして、天音ちゃんが屈んだ。

 四条しじょう 高嶺たかね、と墓石には刻まれている。

 そうか。天音ちゃんの父親である公義さんは見たが、母親らしき姿を見ることはなかった。

 四条という名字からも推測できることだが、もしかして──。


「……お母さん、ね」


 しばらく暮石を黙って見つめていた天音ちゃんは、いまにも夕暮れに溶け込みそうな、か細い独り言を口にした。

 この歳の子がするにしては、大人しく、寂しさを孕んだ言葉を。

 

「……お母さん、天国ってところに行っちゃったんだって。私も行きたいって言ったら、まだ行っちゃいけないところなんだって、お父さんが優しい顔して言ってた」


 眼鏡の奥で、苦悩と優しさが混ぜ合わさったような、公義さんの表情が目に浮かぶ。

 空食に空を支配された世に、天国なんてないかもしれないけれど。


「……そうか。天国にいけたんだね、天音ちゃんのお母さんは」


 この暗闇に支配された地球の空で。

 元は空に人間たちが思い描いた、死後の安寧を連想させる天国にたどり着けたと言えるのなら、どれだけいいことか。

 公義さんは、いつか地球を覆う暗闇が晴れることを祈っているのかもしれない。


「お兄ちゃんは天国って、しってるの?」

「とても幸せなところだって、聞いてるよ。天国は」

「いつかいけるのかなぁ、お母さんのところ」

「……ずっと生きて、これから何十年もしたら、いけるかな」

「とってもながいなぁ」

「そうだね、とっても長い──長い年月だ」


 天音ちゃんがそうなる時に、人が天国にいけると思える世界になっているだろうか。

 途方も無い場所に思える。辿り着けるのか、そんな世界に。

 ふと、天音ちゃんを見ると身体が震えていた。


「……おかあ、さんっ……うっうっ……」


 声が震え、涙が大地にこぼれ落ちる。

 平気に見えたけれど、天音ちゃんは幼い。小さな子に母親がいなくて、寂しくないわけがない。

 もっと甘えたかった、もっと一緒にいて学びたいことがあっただろう。それが涙として形を成している。

 俺になにか、できることはあるだろうか?

 心の痛みに悲しんでいる子供に、できることが。

 思案していると、ポケットにいれていたレシーバーからノイズが走り、そのあとに声が聞こえた。


「大地、聞こえるか。どこにいる?」


 レシーバーを取り出して、ご丁寧に通話と書いてあるボタンを押した。これで相手にも聞こえるのかな。


「聞こえてます! 内壁部近くにある丘の──お墓の前にいます!」

「そんな大声で喋らなくてもいい。集音性は高いから」


 恩人に見せられたことのある軍事映画だったか──と呼ばれる映像では、レシーバーを口元に寄せていたのだが、どうにも五月蝿かったみたいだ。

 小型な見た目からは想像もつかないほど高性能らしい。一定距離まで離してから、再び口を開く。


「すいません、なにがあったんですか」

「地球の壁が破られようとしていると、調さんから連絡があった。落下地点は、この小地球付近だ。すぐにレーヴァテインに搭乗してくれ」

「了解! ……天音ちゃんはどうすれば?」


 年齢のわりにしっかりしているように思えるが、まだ幼い少女をこの場に置いていくのは危険だ。


「大丈夫、いまそちらに公義さんと向かっている。安心してスカイナイトに搭乗してくれ」


 耳を澄ませると、次第に樹里さんの息が上がっていく。

 こちらに急行しているんだ。


「天音ちゃん、俺は行かなきゃいけなくなった。ここでおとなしく待てる?」

「うん、天音は大丈夫だよ。お兄ちゃんは、あのロボットに乗りにいくの?」


 俺と樹里さんの会話を聞いていたのだろう天音ちゃんが、小地球の崩れた外壁から見える、片膝を地面に付けて前傾姿勢のレーヴァテインを指差す。


「うん、その通り。あれでみんなのことを守りにいくんだ」

「そうなんだ、お兄ちゃんは空お姉ちゃんと同じなんだね。空お姉ちゃん、寝てたみたいだけど、どうしたのかな、お風邪かな?」


 可愛らしく、天音ちゃんが顔を傾ける。

 さっきまで泣いていたのに、今度は空を心配してくれている。とても優しい子だ。


「空を心配してくれてありがとう。ちゃんと待ってるんだよ」


 安心させるように、天音ちゃんの髪を撫でてから走り出す。

 天音ちゃんは、元気に手を振ってくれている。

 その姿に応えて手を振り返してから、レーヴァテインに急ぐ。

 空がいない間に戦って、みんなを守れるのは俺しかいない。

 空になにが起こっているのかは、わからない。

 辛いこと、悲しいことがあったんだろうと思う。快活な彼女が、自分の殻に閉じこもってしまいそうなほど。

 空は、ただ1人のパイロットとして、これまでレーヴァテインで戦ってきた強い人だ。

 レーヴァテインに乗ったばかりの俺と違って、確かな信念を持って、人を守っていた。

 きっと、すぐに立ち直ってまたみんな守れる。

 守ってくれると、そう信じている。

 だから俺は待ってるぞ、空。


 ……

 …



 走り出してから5分ほどかかり、前傾姿勢で待機するスカイナイト二号機−レーバテイン–に搭乗した。

 右上の小型モニターが点滅してノイズが走ったあと、調の姿が映し出される。

 険しい顔でこちらを認識すると、調が重々しく口を開く。


「早速で申し訳ありませんが、悪いお知らせです。空食がまた一体、地球の壁を突破しようとしています」


 先程、樹里さんは空食が地球の壁を破ろうとしていると言っていた。

 また、ということは──。


「つまり2体目ってことか……?」

「残念ながら、そういうことです。さらに悪いことに、敵の種別はこちらのデータに該当なし、おそらく新種の空食でしょう」

「これまでの空食みたいに、ひっくり返して弱点を付くって訳にはいかないってことか?」

「そうなるかもしれませんが、そうじゃないかもしれません」

「出会ってみなきゃ、わからないってことだな」


 新種というくらいなのだ。戦ってみないとわからないんだろう。

 これまでよりも一層、覚悟して挑もう。

 俺の後ろには、守るべき小地球があるんだ。

 調は画面の奥で、カタカタとキーボードをリズム良く刻んでいる。


「すいませんが、そういうことです。こちらもサポートの準備を進めているので、待っていただけましたら」

「わかった、期待してる」


 それから、しばらく沈黙があった。

 空食が訪れるまでの、ほんの少しだが。


「調は……」

「なんでしょう」

「空のことなんだけどさ、空は立ち上がってくれるって思うか?」


 問いかけても調は一時も手を止めることなく。考える素ぶりすらないのは、空への信頼の証か。


「彼女は強い人間です。自分以外は誰も戦えない中で、ずっと戦い続けてきたんですよ。誰よりも強固な意志を持っている、だから、きっと──」

「戻ってくる……か?」

「その通り。信じて待ちましょう……大地さんは空さんを信じられませんか?」

「いや──信じるよ」



 出会ってからまだ1日だけど、空の守りたいと思う気持ちは、本物だ。

 そう認識するに足るものは、少なからず見てきた。

 初めて見た彼女は、怪我で包帯をしながらもレーヴァテインで戦っていた。

 自分の身を粉にしながらも守るために戦っていた彼女なら、空なら、どんな悩みや壁に阻まれていても絶対に戻ってくる。


「空食現着まで、残り2分」


 大波さんが逐一、状況を教えてくれる。

 小型モニターの映像が、調から大波さんに切り替わった。

 大波さんは真剣な表情でこちらを見ていたが、ふと温和に微笑んだ。


「実戦はほとんど初めてだと思うけど、どう、緊張してる?」

「それなりには……ってところです。緊張より空みたいに俺は守れるのかって不安のほうが、大きいですよ」

「その気持ちがあれば大丈夫よ。私はこうやって喋ることしかできないけれど……頑張って。勝利を信じてるわ」

「はいっ! 」


 上空を仰ぎ見る。


「……見えた」


 絵の具を丹念に塗りたくったような漆黒の空から近づいてくる、見え辛い斑点のような物体がひとつ。

 大きくなってきているから微かに視認できるが、動いていなかったら真っ黒な空と同化して視認できたもんじゃない。


「空食現着まで、残り30秒!」


 この落下コースなら、小地球から少し離れた位置に落ちるか。

 小地球の真上や、間近に落ちなくてよかった。


「俺の、本当の初陣だ。頼むぞ、スカイナイト二号機-レーヴァテイン」


 これから共に戦う相棒に声を掛けて、空食の落下箇所に急行した。


 ……

 …


 空食の落下地点にレーヴァテインが駆けつけると。

 空食が地面に激突した衝撃で、砂が舞い上がっていた。

 それが晴れていき、段々と落ちてきた空食の姿が明らかになっていく。


「羽根の虫……か?」


 大地が、初めて戦った空食が甲羅を背負った甲虫だとしたら、目の前にいるのは複数の翅を背中から生やし、尾のあたりが膨らんでいる、横長な虫だった。

 前回遭遇した空食よりは、一回り小さい。

 見るからに素早そうな外見に、大地は警戒を強める。


「データ照合、該当する昆虫は……ハチとでました!」

「ハチ型……新種ですね。大地さん気をつけてください。膨らんだ尾には、攻撃手段があるかもしれません」


 調の言葉が終わると同時に、ハチ型の空食がふわっと、翅を始動させて浮いた。


「来るかっ!」


 レーヴァテインは背面から紅の粒子を撒きながら飛び上がり、それが戦闘の合図となった。

 ハチ型の空食は左右に高速で移動しながら、先端に針の付いた尾を勢いよくレーヴァテイン目掛けてに突き出すと。

 針が矢を射るかの如く、射出された。


「武器かっ!」


 動け!

 大地は思考でレーヴァテインを回避運動させて、針を回避する。

 そこにひと息つく暇もなく、まるで雨のように次弾が続く。


「くっ、次から次へとっ!」


 反撃されない距離で的確にレーヴァテインの進路へ針を放つ空食が、戦闘の主導権を握り始めていた。

 正確な射撃ではあるが、遠距離から──しかも尾を振るという予備動作がある。

 避けることならできるけど、それだと空食は倒せない。

 針の弾幕をかいくぐって、接近するしかないのだが……。


「接近できないっ……」


 こちらが接近しようとすれば、あちらは同じ分だけ下がりながら針を飛ばす。

 攻撃は止むことがなく、大胆に近づけない。単純な行動だが攻撃されないためには効果的だ。

 大地は焦っていた。

 このまま釘付けにされてしまったら、もう1体の空食に対処できない。

 実戦を1回しか経験していない身に、2体1は荷が勝ちすぎる。

 迅速に正面の空食を倒さなければ──。


「空食が再び壁を突破! 降下してきます!」


 大波の張った声が大地に届く。

 空食が壁を突破してしまったら、ものの数分で地面まで到達する。

 そうなれば複数と戦うことなってしまう。

 依然として針を飛ばしているハチ型の空食だけでも厄介なのに、増えたら堪らない。

 調もそう思ったのか、声が聞こえる。


「大地さん、すぐに倒せますか」

「やれるかわからないけど、やってみるしかないってことだろっ!」


 言葉を発して、気持ちを押し上げる。

 一刻も早く、一体目の空食を倒す!

 大地はレーヴァテインの背面にマウントされている、二振りの淡い紅の剣を抜き放ち、突撃。


「突っ込む!」

「キュロロロ!」


 突撃してきたレーヴァテインに、空食は慌てて対処しようとする。

 勢いを増して飛ばされる針を、停止することなく剣で弾くように捌きながら接近。

 衝撃が突如、機体を揺さぶる。避けきれなかった針が、脚部に当たった。なおも前進を続ける。

 正面モニターに小さなウィンドウで損傷箇所が表示された。

 ちょうど人間で言うと太腿あたりの損傷を確認。

 装甲に被弾したようで内部フレームには貫通しておらず、戦闘続行に問題なし。


「掠っただけだ! まだまだいけるっ!」


 スカイナイトは損傷を受けても止まることなく、ハチ型の空食を攻撃圏内に捉えた。

 至近距離から針を飛ばそうとしているのか、空食は再び尾を振ろうとしている。

 その速度ならこちらのほうが、僅かな差で勝つ。


「遅いっ! これで終われ!」


 レーヴァテインが二振りの剣を振り上げた。

 確実に空食を両断できる距離で、空食は避けようもなかった。

 1体目を仕留められると、確信を持つことのできる行動だが──。


「受け止められた!?」


 空食は針を飛ばすのではなく、振りを小さくしながら尾から針の大部分を露出、それを剣に見立てて、レーヴァテインが振り下ろした剣を受け止めていた。

 金属がぶつかり合うような、甲高い音を鳴らして鍔迫り合う。


「遠距離戦だけじゃなく、近接戦までいけるのかっ!? 押し切れないっ」


 ハチ型の空食は速さだけではない、レーヴァテインと競えるほどの力がある。

 接近されたものの、一切退こうともしない。

 もしかしたら、この空食の真価は近接戦闘にあるのかもしれない。

 だとしたら針を飛ばしていたのは、もう1体の空食が落ちるまでの時間稼ぎで。

 空食の作戦に嵌められてしまったのか。空食にそこまでの知能があるのかは、わからないが。


「キュロロロッ!」


 空食が歓喜したように、甲高く鳴いた。

 なにを喜んでいるのか、と考えるまでもなくそれが到達した。

 レーヴァテインとハチ型の空食が戦闘している、さらに後方に轟音を響かせて地面へ激突する黒い影。

 それは巨躯を揺らすことなく、ジッと砂煙が収まるのを待ってるようだった。

 その間も鍔迫り合っていたが、落ちてきた空食に意識が向いた瞬間、力を込められて剣がスカイナイトごと弾き返される。


「返されたっ!」


 吹き飛ばされたレーヴァテインが、慌てて体制を立て直して面をあげる。

 なんとか接近できたというのに、ハチ型の空食はレーヴァテインが体勢を崩した隙に後方へ移動して、いまだ砂煙の中にいる空食と合流していた。

 降り出しに戻ってしまった、いや相手は1体増えているのだから状況は悪化している。

 このまま見ているわけにもいかないが、2体に襲われたら対処できるかどうか。

 大地の額に、自然と出た汗が伝う。


「いけるか? いや、やるしかないんだが」

「やるしかない、その通りです大地さん。どうやらハチ型の空食は、もう1体の到来を待っていたようですね……相手はまだ動いていません、なんとか1体だけでも倒せれば──」

「到来した空食から高エネルギー反応!」

「なんだっ!?」


 調の音声が出力されていたところに、大波が割って入る。

 緊迫感を持って、素早く告げられた直後──砂煙の中から途轍もないエネルギー持った砲弾が発射された。

 一瞬で纏っていた砂煙を吹き飛ばしながら爆発的に発射された砲弾に、レーヴァテインは反応できない。


「大丈夫ですか!? 大地さん!」


 調が大地を心配する声がコックピットに響く。

 レーヴァテインに直撃していないから大地は無事なのだが……。


「こっちは問題ない! だけど、あいつの、あの空食の目的は小地球だ!」


 砲弾は浮遊しているレーヴァテインの遥か下、地上に向けて発射されたもので。

 小地球から僅かに右へ逸れた砲弾は、さらに後方にあった廃墟を跡形もなく吹き飛ばした。


「あんな熱量を持った砲弾が小地球に命中したら、外壁は一発で破壊される……!」


 事実を述べる調の声は、恐怖に震えているようだった。

 比較的住人の少ない小地球とはいえ、暮らしている人はそれこそ何十人といる。

 小地球の外壁が壊されれば、人間から放出されているスカイギャラクシーエネルギーを封じるものがなくなり、空食に察知されてしまう。

 小地球には自動修復機能が存在するものの、外壁が完璧に破壊されてしまったら修復までに時間を有する。

 これからも持続的に空食に狙われ続けたら、大地たちも守り続けることは困難だ。

 小地球があるからこそ、空食は地上にあるスカイギャラクシーエネルギーを察知し辛く、地球の壁を積極的に破ることがないのだから。

 砲弾を撃った亀型の空食が、僅かに身動きする。

 外れた砲弾から弾道を予測。小地球へ狙いを定めているのか──いや、猶予の時間はない。

 相手が一度外して、再び狙いを定めているということは、砲撃の準備ができているということだろう。

 小地球に砲弾が直撃すれば、身を呈してでも空が守ったものが終わりだ。

 大地は、苦しんでいた空のことを思い出す。

 詳細は知らない。でも空は守れなかったことを悔やんでいるように思えた。

 これ以上守れないものがあったら、空は刺すような胸の苦しみを抱えて。

 きっと自分のせいだと背負いこんで、守れなかったものに後悔を積み重ねてしまう。

 気分を暗く沈ましている彼女に、そう思わせるわけにはいかない。

 決意を新たにする。

 大地の心意気に呼応して、レーヴァテインが粒子を放出した。


「絶対に守ってみせる! 空の守ったものを!」

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