第11話「悔恨は根深く」

 荒涼の大地を、俺と樹里さんは白のワンボックスカーで進んでいた。

 空食に悟られないよう、小地球で使われているのと同じコーティングがなされているので、これで走り回っても襲われることはないと調に説明された。

 車自体が珍しいので、乗っていると好奇心は刺激されるものの、周辺を見て現実に戻される。

 見渡そうとも草木は一切なく、以前は川が流れていたと思しき窪みが地球の惨状を表していた。

 スカイギャラクシーエネルギーは命の力。地球から力が失われているから、植物や川といった自然が崩壊していく。

 旅をしていた頃には考えもしなかったことだ。事情を知ると、それだけ見方も変わる。本当に地球には時間がないのを実感してしまう。

 またしばらく進むと、もともとは栄えていたであろう巨大な都市が遠方に確認できた。戦闘があった後遺症か、一面に瓦礫がゴミ山の如く積み重なり、無残な廃墟に変わっている。

 いずれは瓦礫の山が朽ちていくのか、それとも復興していくのか。

 考えていると、車体がボンっと短く跳ねた。

 歩く必要がないとはいえ、決して快適とは言えないなぁ……。

 たびたび車体が跳ね上がって、打ち付ける尻が痛い。


「お尻でも痛いか?」

「……ですね」

「この近辺は以前からの激しい戦闘によって道がないにも等しいんだ。石で車体が跳ねるのもよくあることだ」

「戦闘の爪痕ってことですか」


 樹里さんは遠い過去を思い出すように、目をすっと細める。


「そうなる。ここの周辺は昔、とても豊かなところだった。都市周辺には木々が生い茂り、都市にも喧騒が満ちて、日本でも栄えた土地だった」

「それが今や廃墟に荒廃した大地、か」

「いつか……取り戻せるといいんだがな」


 樹里さんは、それが訪れない未来のような口振りで言った。

 空の話を聞くに、樹里さんは長い間空食と、戦ってきた人だ。

 その年月は、地球が解放される希望を風化させてしまったのかもしれない。


「みんなで取り戻しましょう。豊かな地球って画像資料でしか見たことがないから、楽しみです」

「ああ、そうだな。本当に、そうだ」


 声色はそうしたいと思いつつも、叶えられないものを夢想しているように聞こえた。

 樹里さんにも、人には言えない抱えごとがあるのだろうか。

 空食から地球が解放されることを、虚に感じてしまうほどのことが。

 打ち明けてもらえないことに、一抹の寂しさを感じる。

 力になりたいと思うけれど、俺から言い出しても樹里さんの抱えごとを聞くことはできないだろう。

 無言になった樹里さんは、また車体を跳ねさせて目的地に進んで行った。


 ……

 …


 大小様々な瓦礫が重なって、嫌にゆっくりと落下する。

 手を伸ばしても瓦礫は止まることなく、時間の無慈悲さだけを空に刻む。


「ダメ、落ちないで!」


 声はただ通っていくだけで。

 物を動かすような力はなく。

 伸ばした手は届かなくて。

 瓦礫は、うずくまる人の上に落ちていった。


 ……

 …


「はぁっ……はぁっ……夢……?」


 体が自動的に跳ね起きて、空は目覚めから心臓の鼓動が嫌にはっきりと聞こえるのを覚えた。


「嫌な、夢……」


 空にとって思い出したくはないが、憶えていなければならない出来事。

 自分が犯した罪の象徴で、抱えておかなければならない。少なくとも、空はそう思っている。


「うっ……」


 空は反射的に、口元を手で抑える。

 思考を重ねすぎたのか、胃から物が逆流しそうなほど、気持ちが悪かった。

 自分の罪の意識が為すものか。

 吐き出すわけにはいかない。これまで吐き出してしまっては、いよいよ自分を許せそうにない。


「お目覚めか、空」


 木製の扉がギィっと古めかしい音を発しながら開く。

 凛とした背筋の伸ばし方に、川のように流れるサラッとした白衣に映える黒髪が、空の目に入ってくる。訪れたのは樹里だ。


「えっと、起きましたけど……」


 自然を装って、口元から手を離す。

 状況がよくわからず、空は曖昧に返事をした。

 ここは、どこだろうか?

 スカイナイトで戦って──心が限界を超えて、そう、気を失った。

 いや、そんなことよりもっと大事な……確か、子供がいたはずだ。

 ざわつく心と共に、空は身を前のめりに乗りだす。


「子供は!? 破壊された瓦礫の近くに子供がいたはずです!」

「起きたばかりなんだ。落ち着け」

「落ちついていられません! 無事だったんですか、怪我は!」

「それなら大丈夫、子供は無事だ。ピンシャンしてるよ」

「そ、そうですか。よかった……ほんっとうに……」


 荒れかけていた空の心が落ち着く。

 もし瓦礫に押しつぶされたりしていたらと思うと、背筋が凍る。

 もうあんなことは、絶対に……。


「樹里さん、レーヴァテイン動かしてきました」


 また扉が、古めかしい音をたてて開いた。

 小波はオペレーター、軍蔵と調はスカイナイトの整備で忙しいはずだ。

 樹里のほかに、小地球から動けるのは──。


「大地くん」

「目が覚めたんだな。大丈夫なのか?」


 2人目の訪問者は、大地だった。

 気絶して、レーヴァテイン動かせなかった自分の尻拭いをしてくれたらしい。


「私は平気。ごめんね」

「謝られることなんてないぞ?」

「それでも私、途中で気絶しちゃったみたいだから。レーヴァテインも動かしてくれたんでしょ?」

「連戦で疲れてたんだ。しっかり休んでくれ」

「……うん」


 大地の言葉に、空は胸の奥がキュッと締め付けられて、思わず布団を握ってしまう。

 間を空けない連続の出撃で疲れていたとしても、また誰かの命を守れないところだった。

 輝かしい未来ある命を、消してしまうところだった。

 守ることができないところだった。

 そのことが空の心をきつく苛んだ。


 ……

 …


 執拗に起き上がろうとする空を押しとどめて、樹里さんと部屋から出る。


「疲れてるみたいですね、空は」


 歩けば床が沈み込む木製の廊下を移動しながら、樹里さんに話しかける。

 気にかかるのは、もちろん空のことだ。

 俺たちが発見した時、空はレーヴァテインのコックピットで意識を失って、悪夢に囚われでもしているかのように苦悶の表情をしていた。

 現状、表面上は平静にしているものの、辛そうにしていると感じた。

 そう思っているのは樹里さんも同じのようで、目尻を下げて心配そうな表情をしている。


「仕方のないこと、なんだろうな。空は真面目なんだ」

「気負ってるように見えましたけど」

「それも含めて、真面目なのさ。彼女は1人で戦ってきたんだ。自分が折れてはいけないと、奮起し続けてきた」

「ずっと1人で……すごいですね、空は」

「ああ、私も見習わないとな……」

「空さんの目は覚めましたか?」


 廊下の奥から人が現れて、話しかけてきた。

 優しげな表情だが、疲れて痩せ細っているようにも見える、細い木のような印象を受ける男性だ。

 かけられた丸眼鏡が、その優しげな雰囲気を一層に際立たせていた。

 四条しじょう 公義きみよしさん。この木造住宅の家主だ。


「はい、無事に目が覚めました。もうしばらく安静にさせていたいんですが、よろしいですか?」

「あの部屋ならいくらでも使っていただいて構いませんよ。あなたたちは、ええっと──あのロボットで、この小地球を救ってくださったんですから」

「ありがとうございます」


 樹里さんが頭を下げるのに合わせて、俺も同じ所作をする。


「お兄ちゃんたち、まだ帰らない?」


 公義さんの足に隠れていたのか、ぴょこっと小さな女の子が顔を出した。

 年は5歳程度と言ったところだろうか。柄のついたリボンで髪の両端を括っている、おとなしそうな子だ。

 樹里さんは女の子の目線に合わせて、しゃがむ。


「すまないな。まだ少しだけ居させてもらうんだ」

「じゃあ、遊んでくれる?」

「こらこら、お姉さんたちは忙しから一人で──」


 公義さんは女の子の頭に手を置きながら、言い聞かせるようにした。

 この歳の子なら、遊びたい盛りなのは当然か。

 レーヴァテインは移動したし、俺の仕事はすでに終わっている……はずだ。


「公義さん、俺が一緒に遊びますよ。樹里さんもそれでいいですよね?」

「あぁ、大丈夫だ。大地は彼女と遊んであげてくれ」

「お嬢さん、名前は?」


 樹里さんと入れ替わるように、しゃがみながら尋ねる。

 女の子は、気恥ずかしそうに目を逸らしながら言った。


「……四条しじょう 天音あまね、だよ」

「天音ちゃんか。どこか遊ぶ場所は知ってる?」

「うんっ、こっち!」


 遊んでくれるとわかって気分が高揚したのか、天音ちゃんはパァッと弾けるような笑顔になると駆け出してしまった。

 子供の行動は、迅速だ。

 公義さんは申し訳なさそうに頭をぺこぺこしながら。


「すみません。あまり同世代の子がいない小地球でして……それに引っ込み思案なもので。大地さん、よろしくお願いします」

「任せてください。行ってきます」

「あぁ、行ってらっしゃい。何かあったらこの端末から連絡してくるといい。有事の際は連絡する」


 樹里さんは白衣のポケットから手のひらサイズほどの機械を取り出して、俺に手渡した。

 昔の資料で見たことがある。

 小物のような端末で、人類が栄えていた頃は最も便利な通信の手段だったという──。


「これ、携帯電話ってものですか」

「まあ……間違ってはいないが、どちらかと言えばレシーバーだな。携帯電話の機能は多岐に渡るが、これはただ通話するためのものになる」

「大事に持っときます。よし、天音ちゃんと遊んできます!」


 会釈をしてからズボンのポケットに端末を入れ、その場を早足で立ち去る。

 子供は目を離すと、どこへでも行ってしまう。

 急いで天音ちゃんを追いかけよう。


 ……

 …


 走り出した大地を見送ると、公義は朗らかな表情で樹里を見た。


「以前、土宮さんが訪れた時にはいませんでしたが、いい男の子ですね。この時代に子供と遊んでくれる元気がある」


 この先行きのわからない時代には珍しいと言ってもいいぐらい、大地の心根は真っ直ぐだ。

 まともに会話をして一日も経っていないが、樹里は感覚的にそう思い始めていた。

 レーヴァテインで突然戦い出したりと、無茶なこともしている──自分の身を軽視しているかのような行動は心配になるが、信頼できる真っ直ぐさには違いなかった。

 樹里はできるだけ、口元を柔らかに緩めて答えた。


「大地は、今の時代では少し珍しいタイプかもしれませんね。前を向いて、未来を見ている。私もそうありたいと思います」

「そう思える土宮さんも十分でしょう。僕も、そうあれたらいいんですけどね」


 呟く公義は、どこかへ心を置いてきたように寂しげなものだった。

 そうなってしまう理由を知っているだけに、樹里は続く言葉を紡げなかった。

 彼女自身も、人の死を乗り越えられていないのだから。


 ……

 …


「やっと、捕まえた!」


 小さい子に振り回されて、小地球の中を走り回ること10分ほど。

 天音ちゃんの腕を優しく掴んで、ようやく止まらせた。

 どうやら元気が配り歩くほどあるらしい。


「捕まっちゃったっ」


 天音ちゃんはイタズラが見つかったように、舌をちろっと出して笑っている。

 それからころっと心配そうな表情に変わった。

 おとなしそうな子に見えるけど、どうやら天真爛漫と言ったほうがいいような子なのかもしれない。


「お兄ちゃん、疲れちゃった?」

「これぐらいじゃ疲れないよ。次は何して遊ぶかな?」


 しゃがみこんで、天音ちゃんの視線で語りかける。

 顔をぐるぐると彷徨わせたあと、天使のような笑顔を浮かべて天音ちゃんは後方を指差した。


「公園であそぼっ」

「じゃあ、そうしようか」


 公園には鉄棒や遊具が一通り揃っていて、遊ぶには困らないみたいだ。

 小地球に住む人が子供のために用意したものかな。

 ただ子供自体があまりいないのか。誰も遊んでいないのが寂しく思える。


「全部遊ぶ!」

「ぜ、全部かぁ」


 公園に入るなり目を輝かせた天音ちゃんは、やる気満々のようで、鼻からふんふんと息を出していた。

 ……なかなかハードな遊びになるかもしれない。


 ……

 …


「こんなに遊んだの初めてっ」


 遊具での遊びがひと段落して、公園のベンチに天音ちゃんと座る。


「ふぅ……」


 体力面はそうでもないけど、精神面の疲労のほうが大きかった。

 子供用の遊具とはいえ、必ず安全なものでもなく、しっかりと見ていなければならないのは、思うより疲れるものだった。

 ジャングルジムの頂上で仁王立ちしようとした時なんかは、肝が冷えた。

 危険なことだけど、それだけの元気があることは素晴らしいことだ。

 子供は、混迷を極める時代でも逞しい。

 無尽蔵な体力があるのかと思ってしまうほど活発に動いていた天音ちゃんは、まだ遊び足りないように笑顔で遊具を眺めていたが、ふと表情を曇らせた。


「空お姉ちゃんともまた遊びたいなぁ」

「空のこと、知ってるのか?」

「うんっ前に一緒に遊んだんだっ、すっごい楽しかった!」


 天音ちゃんは、空と遊んだことを笑顔で話し始めた。

 砂でお城を作っただとか、ブランコでどっちが速く漕げるか競争したという話だ。

 空のことが大好きなんだろうということが、よく伝わってくる。

 しばらく話していると天音ちゃんは、空が夕暮れ時に変化するのを見て言った。


「もう夕方だからねっ、いくとこがあるのっ」

「いくところ?」


 天音ちゃんは、ベンチから飛び跳ねて大地へ着地すると、見事な茜色に染まった天井を、元気に見上げた。

 まるで、そこに誰かがいるように。


「お母さんのとこっ!」


 ……

 …


 布団を全身に被って真っ黒な中で、空はひたすらに呻いていた。


「うっ……うぅっ……ぐすっ」


 枕を濡らす涙は、身から漏れ出た悔恨だ。

 あの時、ああしていれば、こうしていれば。

 もっと力があれば救えた。もっと上手く動けたら救えた。

 歴史にたらればはない。過ぎた時間は戻らない。けれど縋ってしまう。

 もし、自分が上手くやっていたら?

 あの女性を救えたかもしれない。救えなかったのは、私のせいだ。

 瓦礫に埋もれ行く女性が、脳裏に蘇る。子供を大切な宝物のように腕の中で抱きしめて、その上に瓦礫が落ちていく。

 空の心は悲鳴をあげる。

 私にその光景を見せないで。

 忘れたい。

 忘れることなんてできない。

 覚えておかなければ。

 矛盾に満ちた思いが、錯綜する。

 どうすれば、身を引き裂くようなこの痛みに耐えられるというのか。

 まったく、これっぽっちもわからない。

 なんのために、ここにいるのだろう?

 わからない。救うため。

 なんのために、スカイナイトに乗っている?

 守るため。わからない。

 自問自答の繰り返しに、空の意識は泥沼の底へ沈み込んでいくようだった。

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