第21話「陽姫の約束」

 陽姫と共に病院の中に入った俺たちは、鼻奥をツンと刺激するにおいが漂う廊下を進んでいた。

 初めての感覚に、鼻孔がむず痒い。


「病院の中って、独特の匂いがするんだな」

「消毒液の匂いらしいね。そのうち慣れると思うよ」


 と言って、陽姫は2階のナースセンターとやらに寄り、面会の許可をもらう。何度も来ているのだろう、顔を覚えられていて手続きも早かった。

 再び進み始めた廊下には、病室が等間隔に並んでいた。空室が目立つようで、疎らに名札が掛けられている。

 健康な人が多いのだろう。外観の巨大さに比べて、入院している人は少ないようだ。

 しばらく歩き続けると、外で陽姫が見上げていたであろう病室に辿り着いた。


「ここに言ってた女の子が?」

「うん……」


 引き戸に手をかけた陽姫は、逡巡するように動かなくなった。

 なにやら申し訳なさが混じっているような、陽姫はそんな眉を下げた表情をしている。

 この先に、元気溌剌な陽姫が会うのを躊躇ってしまう女の子がいるのだろう。

 陽姫の話だと、明日手術をするらしいので、不安に気持ちが沈んでいる子なのかもしれない。


「……ふぅ」


 しばらくして意を決した陽姫は、息を深く吐いたあと笑顔で戸を引いた。

 表情は作れていても、ぎこちなさのある動きで病室に入っていく陽姫に、不穏な感覚を覚えながら続いた。

 戸を引く音でわかったのか、ベッドに横たわって窓を見ていた人が、こちらを向く。

 くりくりっとしたどんぐり眼がこちらを捉えて、きゅっと不安げに結ばれていた口元が綻んでいく。

 ベッドに寝ていたのは、短く切りそろえられた髪の女の子だった。

 陽姫の到着を待ちわびていたらしく、みるみるうちに表情が変化する。

 愛らしさを感じさせる笑顔全開で、女の子は陽姫の来訪を喜んでいた。


「陽姫お姉ちゃん!」

「こんにちは、鈴音すずねちゃん。陽姫おねーちゃんだよー」


 陽姫と共にベッドの隣まで進んで、並び立つ。

 すると鈴音ちゃんは、ようやく俺たちの存在に気付いたらしく、目線を俺と空の間で彷徨わせて戸惑った。


「え、えっと……どちら様ですか……?」


 不安げな様子で、鈴音ちゃんは俺と空を観察する。

 どうやら、陽姫しか眼中になかったみたいだ。

 小地球に暮らしている人は全員身内みたいなもので、既知なのが当然だ。いきなり知らない人がきたら驚かれるのも無理はない。

 以前、旅をしていた俺が言うのだから、間違いない。外に出ればリスクがあるのだから、移動しようなんて考えないし、外からの来訪者なんてものは本当に稀なのだ。

 怖がらせないよう、俺は微笑みながら鈴音ちゃんに話しかけた。


「鈴音ちゃん、こんにちは。俺は空海 大地。陽姫の友達……? だ」

「どーして、そこで疑問形なの?」


 俺の中で少し悩んだ末、疑問形になったのだが、陽姫は気に入らなかったようで頬を風船のように膨らませた。

 知り合ったばかりだし、と距離感を計ろうとしたのだけど、素直に言うのが正解だったのかな……。


「出会ったばかりで堂々と友達とは言い辛いだろ……?」

「そうかなぁ。私は友達だと思ってたのに……悲しいよ。ねぇ、空」

「うん、陽姫。名前で呼び合ってるんだから、私たちは友達だよね」


 謎の判定を押し出してくる。気の合うふたりだ。

 いままで、友達と呼べるような関係性を持ったことがない俺だ。各地を転々として、親しくなる前に別れていたのが原因でもある。

 小地球000で空や樹里さんや調たちと出会う前に、一定の関係性を持った人物は、俺を助けてくれた恩人くらいなものだろう。

 恩人は人の世界を斜に構えて歪に観察しつつも、人を愛しているような言動もする大層変わった人だったので、友達って雰囲気ではないかもなぁ。

 恩人との関係性をあえて明確に言うのなら、生きるための知識をくれた先生と称するのが1番近いのかもしれない。

 なので、俺としては名前で呼ぶよりも恩人と言ったほうがしっくりきたりする。

 結局のところ、俺は。

 友達の作り方を知らない。

 友達の定義を知らない。

 俺はつくづく、人と関係性を築いてこなかった人間なのだと、いまさら思い知らされる。

 陽姫と空の理論に従うと、友達は名前で呼び合う程度で出来てしまうものなのか、と疑問が残る。でも陽姫と空が主張しているのなら、そう思うことにしよう。

 そのほうが、俺としても繋がりを意識できて、嬉しいのだから。


「俺が悪かったよ。仕切り直して。陽姫の友達の空海 大地だ。鈴音ちゃん、よろしく」


 俺の名前をもう一度聞いたあと、鈴音ちゃんが目をキラキラと輝かせながら言う。


「はっ、はいっ! よろしくお願いします。空と海と大地なんて、まるで地球そのものみたいな名前ですねっ、かっこいいです!」


 鈴音ちゃんも陽姫に負けず劣らず元気で、素直な子みたいだ。

 俺の名前を地球みたいと言ってくれるのは、誇らしい。

 記憶喪失だからわからないけれど、俺の両親は地球ほどに大きな存在になれるように。なんて考えながら俺を大地と名付けてくれたのかもしれないと、そう思える。


「初めて言われたよ。ありがとう」


 俺が言い終えるなり、空は我慢できないようにうずうずしながら動かしていた上半身をずいっと前に出した。


「次は私の番! 私は青見 空。私も陽姫の友達、よろしくね」

「よろしくお願いしますっ。みなさん陽姫お姉ちゃんの友達なんですね」

「そうだよ~みんな大事な私の友達。もちろん鈴音ちゃんもだよっ」


 陽姫が好きでたまらないんだろう。

 友達、と言葉にされた鈴音ちゃんが、とろんとした幸福そうな表情になる。


「うれしい、ですっ。えっと、私もちゃんと自己紹介します」


 鈴音ちゃんはベッドから上半身を起き上がらせて、俺と空に真っすぐな視線を向ける。


ひいらぎ 鈴音すずねですっ。年は11で、好きなのは陽姫お姉ちゃんです!」

「そこまで堂々と言えるなんて、本当に陽姫が好きなんだな」

「陽姫は愛されてるね」

「いや~照れるなぁ」


 陽姫が自分の頭を撫でながら、まんざらでもなさそうにする。

 なんだ、陽姫が病室にお邪魔するのを躊躇っていたから、問題でもあるのかと思っていたが、いまのところ何もなさげだ。

 杞憂だったのだろうか……?

 

「それで、その……」


 鈴音ちゃんは躊躇うようにしながら両手を合わせて、陽姫を見つめる。

 上目遣いで期待を込められた鈴音ちゃんの視線に、陽姫の目に影が差す。

 空気が変わったと。そう、感じた。

 取り繕った笑顔で隠そうとしているけど、陽姫から滲み出る雰囲気がそうさせない。

 様子が変わったことを感じ取った空が、どう思う? と俺に視線を向けた。

 首を横に振って、見当もつかないと返す。

 わからないことに首を突っ込んで、引っ掻き回すのも問題だ。

 ここは、様子を見るしかないだろうか。

 そうこうしているうちに、鈴音ちゃんが意を決したように、息を吸い込んだ。


「陽姫お姉ちゃん!」

「……なにかな?」

「約束、覚えてる?」

「うん……覚えてるよ。鈴音ちゃんが手術中に……歌ってあげるって約束したよね」


 陽姫は、言葉ひとつひとつに血でも混じっているかのように、苦し気だった。

 鈴音ちゃんは歌う約束、と言ったか。それが鈴音ちゃんの病室に入ることを躊躇っていた理由なのだろう。

 ようやく、納得がいった。

 鈴音ちゃんの楽し気な表情から、伝わってくる。鈴音ちゃんは舞い上がりそうなほど、陽姫の歌を楽しみにしているのだと。


「覚えててくれてよかったー。陽姫お姉ちゃんは人気者だから、歌ってくれるかなーって心配だったの」

「そう……なんだ。ごめんね、しんぱい……させちゃって……」

「陽姫お姉ちゃん……?」


 陽姫の表情から、察したのだろう。鈴音ちゃんが、おそるおそる陽姫の名前を呼ぶ。

 俺たちと顔を合わせた時にもそうだったが、鈴音ちゃんは、人の顔をよく見ている子だ。

 だから、必死に取り繕う陽姫の様子がおかしいことに気づいてしまった。

 陽姫は心の痛みに耐えるかのように胸を押さえながら、ベッドの前で突然、崩れ落ちた。


「陽姫!?」


 空が陽姫に駆け寄って支えるが、陽姫は気づいていないように、下を向いたまま。

 

「うぅっ……ごめん、ごめんねぇ……わたし……鈴音ちゃんのためにっ歌うって言ったのに……」


 歌えなくなった時から、ずっと心の中に溜めこまれていたのだろう感情が、涙となって陽姫の頬に流れていく。

 

「わたしっ……歌えなく、なっちゃって……ずっと前から手術の時には歌うって……約束してたのにっ……ごめんね……」


 陽姫の言葉を、呆然とした様子で聞いていた鈴音ちゃんだったが、口を一度締めて、悲痛な声を発する。


「……泣かないで、泣かないで……陽姫お姉ちゃん。私が歌ってってお願いしただけなんだから……泣いてる陽姫お姉ちゃんを見てると、私も、悲しいよっ……」


 なんて、優しい子なのだろう……。

 告げられた時の様子を見るに、陽姫に歌ってもらえることを楽しみにしていたのだろう。

 でも鈴音ちゃんは自分の痛みより、陽姫の痛みを自分のことのように悲しみ、身体を震わせていた。

 鈴音ちゃんの想いに、陽姫が腕で涙を拭いながら顔を上げる。

 それでも溢れる涙で顔をぐしょぐしょにしながら、陽姫は必死に笑っていた。


「鈴音ちゃんに、そう言われたら、私だけ泣いてるわけにはいかないねっ!」

「はいっ、お姉ちゃんはっ、笑顔でいてください!」

「うんっ、ありがとう……っ、本当に、ありがとうっ」


 陽姫が鈴音ちゃんの手を取って、その優しさに、温かさにそっと触れるように握る。

 ほんの少しの間。2人は面会が終了する合図を告げる音楽が掛かるまでそうしていた。


 ……

 …


 面会終了の音楽が鳴ったのち、陽姫と空が鈴音ちゃんにまた明日と言って病室から出て行ったあと、鈴音ちゃんは立ち去ろうとする俺に言った。


「陽姫お姉ちゃんのこと、よろしくお願いします。いっぱい気にして、泣いてくれたんだと思います……だから──」


 ずっと前から約束していたのだと、陽姫は言っていた。鈴音ちゃん自身も辛いだろうに、陽姫が去ったあとも心配して俺に声をかけてくれている。

 ベッドまで戻って、鈴音ちゃんの頭を撫でた。


「大丈夫だよ。俺も空も助ける。鈴音ちゃんも、陽姫のためにありがとう」


 鈴音ちゃんは安心してくれたのか、にこっと微笑んだ。


「はい……お願いしますっ」

「任せておいてくれ」


 振り返って歩き出した俺は、自分の無力さに両手を握りしめてしまっていた。

 スカイナイトで戦う覚悟ならある。戦うことで救えるのなら、まだ簡単だったかもしれない。

 だが、これは俺や空が持つ力だけでは、どうにもならないことだった。


……


 病院で鈴音ちゃんのお見舞いをしたのち、夜になったこともあって、俺たちは朝宮邸に戻っていた。

 今日はこちらに泊まれるように、と十五郎さんが取り計らってくれたようで、感謝だ。

 おやっさんはすでに小地球の整備に向かったようで、不在だった。

 件の陽姫は、帰り道や家では元気いっぱい、通常運行らしい陽気なお喋りになっていた。

 彼女が無理をして、元気に振る舞っているのだとは思わないものの、空元気に近いものは感じてしまう。

 空も気にしているようで、案ずる表情を時折見せるのだが、陽姫が察知して「大丈夫だよー」と先回りするので、イマイチ踏み込めない。

 俺も同じように返答されるので、どうしたものか……。デリケートな問題なので、ズケズケと土足で踏み込むのは難しい。

 朝宮邸の居間で晩ご飯をいただいて、一通り片付けたあと。

 十五郎さんは「自分の家だと思って寛ぐといい。陽姫のことも見てもらえると助かる」と、俺たちに言い含めて、自室に戻っていった。

 十五郎さんから見ても、陽姫が心配になるほど、普段とは雰囲気が違うのだろう。

 問題は、はっきりしている。陽姫が歌えれば鈴音ちゃんとの約束も果たせるのだが、彼女を取り巻く環境がそうさせてくれない。

 約束のために歌いたい陽姫と、みんなの安全のために歌えない陽姫。

 1を取るか10を取るか。選択肢を突き付けられているようなものだ。

 両方が取れる道がないものか、と考えてしまうが……。

 ひとりで考えていても、名案というものは、なかなか降ってきてくれなかった。

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