第39話「神話の機械騎士」

 ぱっと自然に目が開く。気分が優れた目覚めで、咲を死なせてしまってからは感じたことがなかったものだった。

 体全体を支配していた鉛のような気だるさも消え去っている。

 実感はない。しかし心に巣食っていた悩みが解決したってことなんだろうな、きっと。

 さて。

 仰向けに寝ていたようで、石造りの天井が見える。体の下にはもこもことした毛布があるけど、地面の硬さも若干感じた。

 体感では肌寒いこともなく、汗をかくこともない気持ちの良い適切な外気温だ。

 状況を正確に把握しようと、思考と五感が回り出す。

 俺は樹里さんと先史文明の遺跡に足を踏み入れて、球状の広場のような場所で夜間を過ごした。

 樹里さんに膝枕をされながら過去を聞いて……そのまま寝てしまったのか。樹里さんより早く寝てしまったのなら、恥ずかしいな。

 それで樹里さんは、と周囲を見回そうとした時。


「目が覚めたか。おはよう。ゆっくり眠れたみたいだな」


 落ち着いた声音に、起き上がりながら頭を向ける。

 樹里さんは、とっくに起きていたようだ。簡易椅子に座って、湯気の立つカップを両手で持っていた。

 じっと見つめていると、樹里さんがカップを持ち上げる。


「コーヒーだ。飲むか?」

「いただきます……」


 樹里さんは返答を予想していたかのように、簡易椅子の足元から新たにカップを取って小型コンロで沸いていたお湯をカップに注いだ。

 手際のよさを思うに、返答を予想されていたみたいで気恥ずかしくなる。


「淹れたてだ。インスタントだがな」

「ありがとうございます」


 湯気が抜けていくカップを受け取り、ふーふーっと冷ましてから口に含む。

 寝起きの口に、酸味と苦味が口内に広がったあと喉に甘みが浸透していく。

 ふー……なんだか、しっかりと味を感じられたのは久しいことのように思う。

 咲が死んだあと平静を装っているつもりだったけれど、自覚できないほどに精神が傷ついていたんだろうな……。


「美味しいか?」

「はい。美味しいです。いまは味がよくわかって……」

「それはよかった。飲んだら出発しようか」


 それから俺と樹里さんは、コーヒーをゆっくりと飲み干した。

 バックパックに簡易椅子などを仕舞って、再び遺跡を進みだす。

 今回、俺と樹里さんが遺跡に来させられたのは、神話兵装を探すためだ。気合いを入れ直していくとしよう。


 ……

 …


 昨日とは打って変わって、足取り軽く遺跡を進む。

 体は心の影響を受けるものだが、まさしくその通り。心が軽くなっただけで体の隅々まで力が行き届きやすくなったように感じられる。

 周囲を見る余裕もようやく出てきているのだが、いまは変化に乏しい。石造りの通路が延々と続いていく。

 壁面は磨かれたように綺麗で、空気も清浄されているように澄んでいることもあってか、遺跡という感じはあまりしない。まるで時間が完成当初のままで止まっているかのような遺跡だった。


「終わりが見えませんね……」

「対象には近づいているんだけどな。神話兵装探知装置の反応は強くなっている」


 樹里さんがひょいっとトランシーバーを見せてくる。

 外部に取り付けられた小型画面が、神話兵装までの距離をデジタルマップで示していた。


「あと2km……確かに」

「同じ光景が続いているから長く思えるが──大地、見てみるといい」


 正面を向いていた樹里さんが、気づいたように手を向ける。

 釣られて前を向く。

 進行方向の先には、行く手を阻むように壁が見え始めていた。

 一見すると行き止まりのようだが、手前の床から下に階段が続いている。

 ここからまた地下に進んでいくのか。終わりが近づいているのなら、嬉しいが。


 ……

 …


 階段を下り始めると、周囲を照らす光が一層強くなる。

 先ほどまで澄んだ空気を感じていた肌に、違和感が混じり出す。

 下に向かうほどに、明らかに何かが纏わりついていると感覚が告げていた。

 なんだ……? 

 不快感ではない。不安や焦燥、そういったものではない。

 最初は未知のもので理解できなかったけれど、時間が経つと纏わりつくものが心を芯から温めるものであることに気づく。

 まるで、陽姫の歌を聞いた時と同じ感覚に包まれているのだと思えた。


「樹里さん、わかりますか」

「ああ。この先には何かが待っている。そんな気がする」

「俺もです」


 なぜだか、わからない。ただ強く惹かれるものが階段の先には待っている気がした。

 もしかして、この感覚の原因は神話兵装なのだろうか……? なんとなく、そう思う。

 階段を下りる。

 正面には通路が続いていた。終わりが見えないほどに長い通路だ。

 しばらく歩みを進めていると。


「これって……壁画ですかね?」

「そのようだな。これまでの壁にはなかったものだ」


 2人で壁を見つめながら移動を始める。

 どうやら通路の出口まで壁画は続いているようだ。

 壁画はデフォルメされた3頭身の大人や子供が横一列に並び、一軒家と思しき建物が複数描かれている。


「昔の人の生活とか、そんな感じの絵みたいですね」

「遺跡を作った先史文明の人たちが残した記録なのだろうな」


 進んでいくと、人の世代が移り変わるように一軒家だった建物に高層ビルのようなものが混じっていく。

 人が爆発するように増えて、文明が発展、繁栄していく様子が表現される。

 

「まるで空食に襲われる以前のような街並みだ」


 樹里さんは、どこか懐かしむように口元を緩める。

 俺が知っている世界は、荒れ果てた大地と崩れた街並みだけだ。壁画からでも、元は温かな世界だったことが伝わってくる。


「こんなに平和な世界だったんだ……でも──」


 視線を前に向けると、人類の行方が一寸先は闇であることを示していた。

 続く壁画では一軒家が豆腐のように崩れて、高層ビルが真っ二つ。棒切れのように積み上げられた人々に炎が踊る。

 まるで地獄が訪れたかのような光景に悪寒が走った。


「酷い……なにが起こったんだ、これは」

「10年前、空食が訪れた時のような光景だ……」


 樹里さんが壁画と10年前を重ねるように目を細めて、苦渋に満ちた表情をする。

 こんな光景を樹里さんは見てきたのか……俺の失った記憶の中にも存在するのだろうか。


「こいつが地獄の元凶か……」


 壁画をさらに進むと、地獄を作りだしたと思われる何者かが描かれていた。

 壁画に描かれている人の数十倍の大きさはある体躯。姿形からだけでも異様な圧迫感のある鋭い角、牙、翼は悪魔のようでもある。

 樹里さんはおとがいに手をあてて、悪魔の細部を観察していた。


「明らかに空食ではないようだが、先史文明人類の敵なのだろうな」

「人類は空食だけじゃなく、これまでも外敵に狙われてきたってことですかね……」

「嵐に巻き込まれる運命にある種族なのかもしれないな私たちは。不本意なことだが」

「でも……いまも人類が存続しているんだから、この人たちは危機を乗り越えたんですよね。俺たちも頑張らないといけませんね」

「繋いできてくれたものを、私たちが絶やすわけにはいかないのかもな……」


 記憶喪失だから、よくわかっている。断絶と言うものは、恐ろしいものだ。いままで培ったものがなくなり、すべてがなくなってしまう。

 支えたる土台がか細いものになって、足元がぐらつく。いつ崩壊するかもわからない不安を抱えることになる。

 過去から続く未来を託されたなんて、大それた考え方だけど、誰かが紡いできた証拠を形として見ることは、過去を補強する土台を作るようなものに思えた。


「悪魔の次は──ふむ。機械騎士か」


 樹里さんが次の壁画を見て、驚きを含ませて呟く。

 悪魔と機械騎士のようなものが戦闘している様子が、次の壁画には描かれていた。

 騎士は悪魔と同様の大きさで描かれていて、人の数十倍はあることが伝わってくる。


「細部は違いますけど、スカイナイトに似てますね……」


 スカイナイトは肩部や足など各部の頂点が角張っていたが、壁画の機械騎士は面の頂点が湾曲していた。

 形状から、スカイナイトよりも優しい印象を受ける。

 昔にも、スカイナイトに似た巨大ロボットが作られていたのか。それ以外に考えられない壁画だ。


「もしかしたら、私たちの知る機械騎士──スカイナイトの原型になったもの……なのかもしれないな」

「調はこの存在を知ってたと?」

「わからない。だがここまでスカイナイトに酷似しているんだ。何かしらの影響は受けてると考えるべきだろうさ」

「調の謎が深まりますね……」

「はは、あの人は昔も今も謎だらけさ……むっ、次を見てみろ、大地」

「次……」


 言われて、歩を進める。

 戦闘から一変。壁画からは悪魔と機械騎士が消えて、生き残った人間たちが各地に散らばり、村を築いていく様子が描かれていた。


「なんだか……歴史が飛んでいるような?」

「ああ。悪魔と決着をつけたのか、機械騎士はどこへ行ってしまったのか。過程が飛ばされて、勝った結果だけを見せられている感じだな」

「ここまで丁寧に過去の歴史を紡いできたにしては、おかしな感じですね」


 繁栄した人類から、災厄と戦う壁画と来ていたのに、間が飛んでいるような作りになっているのには理由があるんだろうけど……。

 まったく想像がつかない。

 樹里さんは一時、考えるようにしていたが、諦めたように一息ついた。


「わからないな……私たちに見せられない何かがあるのか。それとも、悪魔を倒した出来事を明確に把握していなかったのか。ともかく、歴史の授業も終わりのようだ。私たちの目的はこの先だ。いくか」


 人々が散らばったあとの壁画はない。

 歴史を刻んだ通路の先にあるのは、大きく開いた光差し込む通路の終わりだけ。

 昔の人々はこれで何を記録していたのか。はたまた何を、後世に伝えようとしたのか。


「気にはなりますけど……考えたってわからないですしね。行きましょうか」


 俺と樹里さんは静かに歩調を合わせて、通路の出口へ向かった。


 ……

 …


 壁画の描かれた通路を抜けた先には、大部屋が広がっていた。

 石造りの壁面に、静謐な空気が漂う空間。何一つ変化が訪れていなさそうな感じだ。時間が止まっているかのような気さえする。

 室内にある一点を除けば、なのだが。

 俺は吸い寄せられるように、その存在を認識した。


「これは……スカイナイト?」


 大部屋の中央に、片膝をつけた石像のように鎮座する圧倒的な存在がいた。

 大部分が苔に覆われているが、スカイナイトのような巨大な人型であることは明らかだった。

 しかし存在感があるのは見た目だけで、どこか親しみやすさを覚える。スカイナイトを知っているせいだろうか。

 それとも覆う苔の雰囲気で、柔らかく感じているのか。


「おそらく──あの壁画にも描かれていた巨大騎士のような存在だろう。もしかしたら、そのものなのかもしれないが。こんな形で目にすることになるとは、思いもしなかったな」


 樹里さんが、感嘆としたように言った。

 細部を見つめてみる。

 スカイナイトは装甲の端々に角があるデザインをしているが、これは装甲の端々が丸みを帯びている。

 スカイナイトがスマートで鋭利だとすれば、このスカイナイトようなものからは、壁画で描かれた通りの優し気な印象を受けた。


「見てくれ大地」


 樹里さんは、神話兵装を探知しているレシーバーを見せてくる。

 デジタルマップが画面に表示されて、縦横軸のどちらも、この先を示していた。


「あの石像みたいなのがアイギスってことなんですかね」

「正確には、中にあるということだと思われるが──どうやって取り出すのか、想像もつかないな」


 あの石像のコックピットがパカっと開いて、中にあるとかなのだろうか。

 そんな考えを巡らせている時だった。


”あんまり壊されても困るね”


 脳に直接、クリアな声が響いたのは。

 声は優しげで、包容力を感じさせるものだった。

 樹里さんと顔を見合わせる。あちらも驚いているようなので、確実に樹里さんではない。

 そもそも男性的な声だったので、この場で可能性があるとしたら俺ぐらいなものだが。

 どこから──。


”正面だよ。君たちが石像と呼んでいるものだ”


 苔を纏い、動くことはない石像のような何かは自分こそが喋っているのだと、そう言った。

 いやいや……あれか、噂に聞くドッキリとかそんなのか?


「喋る石像……にわかには信じがたいな」

「オカルトにも程がありますよ」


 石像が喋るなぞ、古今東西、どこを探しても見つからないだろう。

 人為的なものを除いて。


”僕は、この機体に宿った残留思念みたいなものだけどね。元は人間だけど、肉体はとうに滅びてるよ”


 声は、ぽんぽんと驚愕の事実を並べる。残留思念やら肉体が滅びてるだとか、理解の範囲外にあるものばかり。

 樹里さんはしばらく石像を探るような視線で見つめていたが、諦めたように言った。


「目の前の現象を否定することはできないだろうな……。諸々のことは脇に置くとして、君はなぜ話しかけてきた?」


 俺たちに接触してきた目的を探るのは重要だ。

 全くと言っていいほど敵意を感じないし、むしろ親しみを覚えるぐらいだから、問題にはならないだろうけれど。


”懐かしい匂いがしたのと、アイギスと言っていたからかな”


「懐かしい匂いとやらはわからないが、あなたはアイギスを知っているのか」


”アースナイト-アイギス-、君たちがいま見ている機体の名前だ”


 アースナイト──地球の騎士と言ったところだろうか。形状がスカイナイトに似ていることも合わせて、名前まで似ているとは。

 調はアースナイトを知っていたのだろうか。偶然と言うには、出来過ぎているような気がするなぁ。


「とりあえずは、わかった。そのアースナイトの中に神話兵装アイギスがあるという認識でいいか?」


 樹里さんは、思考しても情報不足でまとめ上げられないこと察したのか、話を続けた。

 俺たちがこの遺跡に入った目的は、アイギスの確保だ。まずは優先すべきことを片付けるらしい。


”ご明察の通りだ。アースナイト-アイギス-の動力源となって存在している。んー、君たちはアイギスを完全保護するための装置も持っているようだね。すぐに譲渡しよう。そこの君、準備してくれるかい?」

「あ、ああ。わかった」


 声の察しのよさに、心を読まれているのではないかと思ってしまう。

 この不可解な存在なら、読心できても不思議ではないのか……?

 思えば最初からして、心を読まれていたような気がする。

 バックパックを開くと、大きな空のシリンダーが目一杯に詰め込まれていた。

 これ、しまうのも大変では?


”僕は残留思念だからね、少しは誰かの心の考えを読み取れたりもする。失礼ながら記憶もね。勝手に入ってきてしまうんだが──調が無事なようで何よりだよ”


 バックパックの中で、気持ち良さげに落ち着くシリンダーくんと格闘する。

 いま、聞き馴染みのある名前があったような。アースナイトに視線を向けた。


「調を知ってるのか?」


”知ってるとも。彼女は僕たちの仲間だ”


 「仲間? この遺跡は先史文明期のものじゃないのか」


 声の残留思念と同じ時を生きた人間なら、少なくとも調は数千年前から存在していたことになる。

 そうなると、いよいよ人とは思えなくなってくるな……。


”そこら辺の話は、おいおい調が語ってくれるさ。君たちのことを思って話していないだけだと思うから、時が来れば。シリンダーの用意ができたみたいだね”


 会話しながら取り出した大きなシリンダーを、床にゆっくりと下ろした。割れたら代替できるものもないから肝が冷える。

 するとアースナイトが発光を始めた。次第に光がスカイナイトと同じコックピットブロック──機体の腹部に収束していく。まるで全身の力を集めるかのように。

 温かで、綺麗な光だ。

 俺たちは神秘的にも思える光景に、固唾をのむ。


”アイギスを手放せば、僕の意識も消える”


 ふいに聞こえた声は、安堵を纏った声だった。

 俺は一瞬、言葉の意味を捉えられなかったが、樹里さんは言った。


「そんなものを、自分の命のようなものを手放していいのか?」


 彼は自身を残留思念と語っていた。

 自己の意識があるなら消滅に戸惑いが生まれるだろうに、彼は冷静とした様子だった。

 ここまで平然に命の終わりを受け入れられる彼は、どんな世界に生きていたのだろう。想像もつかない。


”僕は少しの後悔を残したからここに居たにすぎないからね。僕の意思を継いでくれる人がきたのなら、いいのさ。僕のようにみんなを守りたいと思ってくれている人もいるようだしね。君たちが人類を、地球を救えることを祈ってる”


 アースナイトの腹部に収束して出現した球状の光が、シリンダーの中に収まる。

 シリンダーが光に満たされて、またひとたび輝く。それは彼の命が残した灯火のようにも見えた。

 会って数分ほどの出来事ではあったけれど、思いを託されることに時間は関係ない。


「託されたもの、成し遂げないといけませんね」


 樹里さんは物憂げにシリンダーを凝視して、苦々しく口を開いた。

 まるで吐きそうなものを無理やり飲み込んだように。


「……そう、だな。私たちは託されたんだものな」


 樹里さんは、託されたことに何を感じたのか。表情を見ていたら、問いかけることも憚られた。


「……感傷に浸るのもいいが、戻るとしようか」

「急がないとまた日が暮れますね」

「そうならないために急ぐぞ」


 2人でシリンダーをバックパックに四苦八苦しながら詰め直してから、先導する樹里さんの背中を見る。

 託されたと感じた時の樹里さんの表情が浮かぶ。百合さんのことは聞いたことだけじゃない。もっと様々な感情が混ぜられているのだろう。

 いつか樹里さんの心を晴らせる日は、来るのだろうか。

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