第6話「覚悟を問う」

 自己紹介をしていたところに突如鳴り響いた警報が、緊急事態であることを知らせていた。

 大波さんが壁際に設置されているコンソール前の椅子に滑り込むように座り、手際よくインカムをつけて状況を確認し始める。

 まったく淀みのない動作を見るに、日ごろ警報が発せられることのほうが多いのかも。

 大波さんの背中越しに見えた小型モニターには、細かな字で情報が表示されている。


「成層圏に展開している地球の壁が突破されました。数は1」

「落下位置は?」


 問いかけながら、樹里さんは巨大モニターの全体が見渡せる位置に移動する。

 モニターには、3Dモデルで作られた物体の落下位置が表示されていた。


「小地球ナンバー002が目標か。近いな」

「002……」


 俺の隣で同じくモニターを見上げている空が、喉から無理やり絞りだした声をだしていた。

 接したのが短い時間でも、快活な印象のある空が苦しげにしているとすぐにわかる。あの小地球になにかがあるのか……?

 空は頭の中にある何かを引っぺがすように顔を左右に振った。


「樹里さん、スカイナイトで出ます」


 樹里さんは空を一瞥すると、気掛かりそうな表情をしながら言った。


「空……いけるのか?」

「やらないといけませんよね。私はパイロットですから。この前は怪我をしていただけです。今度は大丈夫ですよ」


 樹里さんは手をぐっと握り、煮え切らない表情で観念したように頷いた。


「戦えるのは空だけか……わかった。でもダメだと思ったらすぐに引き返せ。……あいつらは満腹になれば帰るんだ。いいな?」

「襲われるのを、黙って見過ごすことはできませんよっ! 行ってくるね、大地くん。この前は頼りないところ見せちゃったけど、先輩らしいところ見せてあげるから!」


 空は走り出しながら俺に言葉を捲し立て、司令室から出て行った。

 先輩らしいところ、とは言うものの。あの気負った様子で大丈夫なんだろうか。心配になる。

 樹里さんは沈痛な面持ちで空が出て行った方向を見つめていた。

 当然のことだけど、樹里さんは空が苦悩している原因を知っているようだ。俺が来るより前。空が包帯をしていたことに関係しているのかもしれない。

 振り切るように目を閉じると気持ちを切り替えたのか。静かに目を開けて、正面モニターに向き直る。


「……空が搭乗次第、スカイナイト二号機、発進シークエンス開始!」

「搭乗次第、発進シークエンス開始します!」


 大波さんが命令を復唱し、当然のことながら俺が手を出すまでもなく、順調に進んでいく。

 しばらくしてから巨大モニターには、3Dモデルのスカイナイトが移動していく姿が描かれ始める。

 スカイナイトの現在位置を示しているのだろうか。各所の隔壁が開き、スカイナイトが通るべき道筋ができていく。

 他の人は動いているのに、俺はただぼーっと木の棒のように突っ立っているだけだ。空が苦しんでいたことを思い出して、じれったさを覚える。いまの俺にできることはないのか。

 先日のように戦えれば──。


「大地さんは待機していてください」


 視線を忙しなく動かしていた俺の隣に、調がすっと現れる。


「待機って言われてもな。調はなにもしなくていいのか?」


 おやっさんもいつの間にか姿を消しているし、自分の出来ることをやっているのだろうけど、調は手持ち無沙汰な俺の隣に居続けていた。


「私のお仕事はスカイナイトの開発、整備ですから。したくとも、これ以上のお仕事はできません。出撃中のスカイナイトの状態確認などは軍坊がしているので問題ありませんし」


 そこで、気づいた。

 調が震えるように手を握りしめているのを。

 そうだよな……。好き好んでなにもしていないわけじゃない。きっと、調はただ待つしかないんだ。送り出した者が無事に帰ってくることを、手の届かない場所から見守ることしかできない。


「待つってのは、歯痒いな」

「ほんとうに……」


 調と静かな会話をしている間に、事態は進行していく。

 3Dモデルのスカイナイトが発進位置についたのか、停止した。


「スカイナイト二号機-レーヴァテイン-発進準備完了!」

「空さんから発進シグナルを受け取りました。樹里さんっ!」

「頼んだぞ、空……! 発進!」

「発進!」



 声と同時に3Dモデルのスカイナイトが消失し、画面がリアルな映像に切り替わる。

 スカイナイトが視認している映像だろうか。風を切るほどの速度なのが。画面越しにでも感じられた。


「時間もあります。ちょうどよいので、人類が直面している状況についてでも、お話ししましょうか」


 調が目を逸らさず、正面を真っ直ぐに見つめながら言った。その瞳からは些細なことでも見逃さない覚悟が垣間見える。

 人類が直面している状況。確か、人類は種族として終わる瀬戸際まで追い詰めらているって話だったはずだ。

 俺が旅をしていた限り、小地球の中での人類は少ないながらも集合体として稼働していたし、人類の滅亡が目前に迫っている状況とは到底思えなかった。

 ただ、それらは外から見ただけの話であって。空食と戦っている調たちから見た世界は違うのかもしれない。


「不思議そうな顔をしていますね。ひとつ、お聞きしましょうか。人類が空食に支配されたのがいつか、知っていますか?」


 それは知っている。

 空食という名称を知らなくても、その時期を境に人は築き上げた文明を捨てざるを得なくなり、小地球で暮らすことを余儀なくされた、と。


「10年前だろう?」

「そう、10年前です。10年という歳月が過ぎても、人類は地球の空を空食に支配されたままなのですよ」


 言われてみれば10年という歳月は途方もないものだ。1年先ですら見通せないのに、それが何度も積み重なった事実を言葉されると、意識に重石を乗せられたようだった。


「人類は自由に外出できないし、枯れ果てた大地に繰り出す物好きもそうはいない。でも小地球の中では、安全に暮らしていけるんじゃないのか?」

「小地球の中にいれば、当面は安全なのは保障できます。でも問題は時間です。小地球の耐久年数はおよそ10年。遠くないうちに、小地球は間違いなく機能しなくなるでしょう。特に問題なのは空食の餌のようなものとでも言いましょうか。そのエネルギーが抑制できなくなることです」

「空食の餌なんてものが小地球から出ているのか?」


 会話している間に、巨大モニターでは先日見たのと同じ外見──巨大な甲虫の姿をした空食が地面を抉りながら降りて、辺りをきょろきょろと見回していた。

 スカイナイトに搭乗した時は夢中で気づかなかったけれど、映像でじっくり見せられると生々しい生物のように見える。あんなものと戦っていたのかと、若干ながら鳥肌が立つ。


「レーヴァテイン、目標と接触しました」


大波さんがモニターの監視を続けつつ、現在の状況を伝えてくれる。


「……いきます!」


 空が自分に発破をかけて、スカイナイトを操るけれど。スカイナイトは緩慢な動作で、一歩を踏み出すことを恐れていた。そんな臆病さがスカイナイトの動作から垣間見える。

 空はどうしたんだ……?


「……まだダメですか」


 その口調は落胆ではなく、口にした調すらも苦しそうそうなものを含んでいた。

 出撃前の時点で空自身に影を落とすようなものを抱えていることは、樹里さんとの会話からわかっている。

 それが緩慢にも見えるスカナイトの動作を生み出しているのだろうか。

 あまり口にしたくないことなんだろうけど、聞いてみよう。


「まだダメって、なんだ?」

「いえ、空さんのことなんですが……いまはどうにもできません。ごめんなさい、話を戻しましょう。空食を引き寄せてしまう、餌のようなエネルギーの総称は、スカイギャラクシーエネルギーと言います」


 調の横顔を見ても、苦悶の思いをしていることが手に取るようにわかる。まだ話せないってことか……なら続けよう。

 興味を惹かれる言葉もあった。


「スカイギャラクシーエネルギーって名前長くないか?」

「まあ、最初に名付けた人がそういう名前にしてしまったので。SGEと省略する方もいますがね」


 Sky Galaxy Energieの頭文字を略して、SGEなんだろう。名称を聞いていると、膨大なエネルギーを蓄えたもののように思える。


「端的に言うとこのエネルギーは、生きとし生けるものすべてが持っている生命のエネルギーなんです。なので当然──」

「人間もそのエネルギーを持っている?」

「その通り。だから人は空食に狙われるというわけです。で、スカイギャラクシーエネルギーを抑制できるのは現状だと小地球の力が必要不可欠なので……」

「人が発するスカイギャラクシーエネルギーってのを求めて、空食が来るってことは……」


 人間の十数倍ほどの大きさもあるものに襲われたら、人は呼吸をするかの如く捕食されておしまいだ。

 得た情報を繋ぎ合わせる。

 人が小地球で暮らすようになって10年が経過。そして人類を守護する要塞である小地球の耐久年数は尽きかけている。つまり人類が滅亡するというのは、決して人の種族としての限界などではなく。


「文字通り、時間がないのか」

「はい。このままいけば有限の時間を使い切って、人類は空食に蹂躙されておしまいです」


 小地球が失われることは、確かに人類滅亡のカウントダウンを刻むものかもしれない。でも、空には壁があったはずだ。


「空には薄い膜のような壁があったよな。あれじゃ空食を食い止められないのか?」


 スカイナイトで空食と戦った時に衝突した、空にある壁。割れてもすぐに修復されていたはずだ。

 あれは空食が地球に降りてくるのを食い止める壁ではないのだろうか。


「あの壁は地球が自身のスカイギャラクシーエネルギーを使って生成した壁で、空食を食い止めるものです」


 やっぱり。合ってはいたものの、調は壁と小地球の二段構えがあるにも関わらず、人類が滅亡するかもしれないと言っているのだから、つまりそれは──。

 額から汗がつーっと流れる。心臓の鼓動も手で直接叩かれているかのように速くなる。


「地球の壁も時間がない……?」

「良い答えです。地球はこの地表で生まれた生命とは桁違いのスカイギャラクシーエネルギーを保持していますが、ここ10年で貯蔵量が極端に減少しているんです。地球の壁が弱まりつつあるのも、スカイギャラクシーエネルギーが尽きかけているから。その兆候として世界各地で現れているのが、世界に広がりつつある荒野の大地です。旅をしてきたと仰っていた大地さんなら、知っていると思いますが」


 1年間も旅をしてきたんだ。当然、理解していた。

 ここ最近、緑を小地球以外でまったく見なかったのは、そういうことだったのかと、納得する。

 外の世界では、どこを見渡してもかつて大勢が暮らしていた都市の骸と枯れ果てた大地が気が滅入るほどに続いているのだ。


「外でほとんど植物を見なかったのには、理由があったんだな……」


 人という種族は俺が思っているより、断崖に存在しているようだ。後ろから背を柔らかな力でそっと押されただけでも落ちてしまいそうなほど、ギリギリなところに。

 小地球さえあれば空食に襲われることはないと思っていた。

 小地球に入れば安全だと、勝手に思っていた。

 人が生きるための要素である衣食住は確保されているのだから。でも、それは大きな間違い。こうしている間にも、人類は残された時間を刻一刻と消費しているのだろう。

 心が冷え切ると同時に背筋が震えた。

 旅の途中で出会ってきた人たちが端から浮かんでは消えていく。いずれ地球の壁が消失して、小地球の機能が停止したら彼らも空食に襲われてしまうのか。


「お聞きしたいことがあります」


 調は、俺の正面に移動していた。

 清廉で強固な意思のある瞳が、俺を射抜く。

 覚悟を決めた人だけに宿る、神々しさが調からは感じられた。


「人類が滅亡の危機にあることは理解されたと思います。それを踏まえて、あなたはスカイナイトで戦ってくれますか?」


 客観的に見て、俺がパイロットにならない理由はない。

 適正なんてものが必要なのかもわからないが、動かせることは証明されているし、みんなを守りたいのも事実だ。

 なにより、俺はすでに自分の中にある覚悟を伝えた。答えを言い淀むことすらない。


「言っただろ。俺は君を守るって」

「……」


 告げると、調は呆けたようにまん丸と口を開けていた。

 な、なんだ。なにか失言でもしたか……!? 

 反応がないことに心配していたら、調が突然口元を手で押さえて肩を震わせた。


「ふっ……ふふふっ。そーですか。私を守る。うん、みんなを守ろうと言うのです。私1人くらい守ってくれなければ困りますよね」


 彼女の中では納得したのだろう。しきりに頷いて口元を押さえた手から照れたような笑みが覗ける。

 なんだ笑われただけか。


「ってなんで笑う」

「いえ、そんなすぱっと断言されるとは思っていなかったので。人はやはり面白いですね」


 そう言っている調はとても魅力的に映る。険しい顔や苦しい顔をしているより、笑顔のほうがずっと似合っていた。


 ……

 …


 ふと、気になる。調は俺に戦う覚悟を問いかけるが、調はどうなのだろう。スカイナイトの開発をして、戦う様子を見守っている調に人類を救おうとする理由はあるのだろうか。


「俺からも聞きたいことがある」

「ん、なんでも答えますよ?」

「調はなぜ、人類を救おうとしているんだ?」

「私のことですか」

「ああ、それが聞きたい」


 調がこうも人類を救おうとする理由は。その清廉な意思の先に何があるのか。


「まあ構いませんが、単純なことですよ」


 そう言って調は振り返った。

 正面モニターには、空が空食に苦戦している様子が映されている。


「こんのぉぉぉ! 私が絶対守るんだからぁぁ!」


 空の感情が爆発したように見えた。

 尻餅をついたスカイナイトに覆い被さろうとする空食を、力を込めた拳で弾き返してスカイナイトが立ち上がる。

 スカイナイトが怯む空食に一足飛びに近づくと、背面に二振り装備された剣が上方にせりだした。

 瞬時にスカイナイトが柄を掴んで引き抜き、速度を保ったまま。怯む空食に振り下ろす。

 鋭く剣が交差して、空食の胴体にばつ印に刻まれる。


「キュルルォー……」


 断末魔の叫びをあげる空食。剣から放出されているスカイギャラクシーエネルギーを破壊のエネルギーとして注がれた結果、空食が爆発。

 風が一瞬にして突風に変わり、爆発の威力を物語っている。

 揺らめく爆炎の中で佇むスカイナイトは、人類を守護する者に相応しい不動さで立っていた。

 勝利の光景を柔和に見届けながら、調は一言一句確かめるように言う。


「人は諦めずに足掻ける生き物です。壁があっても立ち止まったりしない。いつかは、前へ進む。私はそんな人間が愛おしくて、守りたくなってしまうのです」


 調は照れてしまいそうなことを恥じらいもなく言い切る。

 わかってしまう。それが嘘や方便の言葉ではなく、心からのものに違いないと。

 本当に人類のことしか考えていないんだ。だから、こんなにも清んだ存在に見える。惹きつけられる。

 この小地球にいるみんなが、年齢や見た目関係なく調のことを信頼している理由がよく分かる気がした。


「調は人が好きだから守るんだな」

「守る理由なんて、それで十分です。大地さんの納得のいく答えでしたか?」

「ああ。調がみんなを守ろうとしている理由がわかった。俺からも言うよ」


 調の深い青の瞳を見て、言い切る。


「俺もみんなを守りたい。それを手伝いたい」


 問いに対する返答は今日見た中でも一番の、人類に蔓延る暗雲をたちどころに払いのけてしまうような笑顔だった。


「当然ですとも! ぜひ力を貸してください!」


 こうして俺は、No.000の小地球に身を置くこととなった。

 ここからが、記憶を失ってから当てもなく旅を続けてきた俺の本当の始まり。そんな確かな予感が体を駆け巡った。

 

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