第3話「スカイナイト飛翔」

 巨大な甲虫はスカイナイト二号機-レーヴァテイン-が乗っかられている様子を、身体に包帯を巻いた女の子──そらと、白衣を着た女性──樹里じゅりは小高い丘から少し離れて、見守っていた。


「あれは大丈夫なのか」

「わかりませんけど素人ですよ!? 助けにいかないと──いっつつ」

「ほら、無理をするな。そんな痛みに耐えて戦うことはない」


 樹里は険しい表情をしながら、無理やり前進しようとした空の身体を優しく支える。

 空は、自分の痛みと無力さを噛みしめるように下唇を噛んだ。


「だって、あれは私がしなきゃいけないことだから、私がみんなを守らなきゃ……」

「分かっている。私だって素人を乗せているのは気が気じゃないが──」


 樹里は自分の耳につけている小型のインカムを、とんとんと指で叩く。

 空も耳に同じものを装着している。彼女たち専用の通信端末で、曰く装着していることを忘れてしまうほど耳に馴染むのだとか。


「調さんの会話は聞いていただろう。あの人が操縦させようとしているんだ。大丈夫」

「それはそうですけど、調さんって、ノリと勢いみたいなところないですか」

「いや……うん、あの人はかなりいい年齢のはずなんだが、見た目通り子供っぽいところがあるからな」

「聞こえてますよ。まったく、人がいないからと好き勝手言って」


 話題の渦中の人物である少女──調しらべは、ふんす、と鼻を鳴らして通信に割り込む。


「し、調さん!?」

「通信はいつもオープン回線なのですから、話してたらわかりますよ?」


 それから調は数秒の間を開けて、純然たる事実を告げる。


「あなたたちが不安なのは理解します。でも、いまスカイナイトで戦えるのは、あの男性だけでしょう?」


 そう、この場で戦えるのは大地しかいない。

 空は負傷に鞭打って出撃したが撃墜。樹里は、スカイナイトに乗ろうものなら手足が震えて、操縦など以ての外になる。

 調は、スカイナイトに乗ることができなかった。

 現実的な問題として、大地に任せるほかないのだ。例え、彼が初めてスカイナイトに搭乗しているとしても。

 自分が戦えない。守ることができない。

 その事実に、空は無力感を覚えていた。耐えがたいほどの。


「私に、もっと力があれば……」

「自分の力を嘆くものじゃない。君はよくやってくれている」

「そうですよ。しっかりとあなたは役目を果たしてくれています」


 空は励まされていても、浮かない顔したままだ。

 彼女が撃墜された原因は、いまも尾を引いている彼女の精神状態に起因する。

 他人の言葉だけでは、易々と解決しないことなのかもしれない。

 俯き、下を向いていた彼女の耳に声が放たれる。

 真っ直ぐに伸びる、ひたすらに前を向いたもの。

 いまの自分にはない、力強い言葉が全身を駆け抜けていく。


「うおぉぉー!」


 ……

 …


 スカイナイトが大地の命令通りに動き、眼前にいた巨大な甲虫を押し返して──それだけに止まらず、あり余る力で地面に裏返した。

 巨大な甲虫は、ムカデのように広がる足をこれでもかと言うくらいに動かして、必死に起き上がろうとしている。

 大地はコックピット内で気分が高まるのを感じていた。

 これなら間違いなく戦える。

 不思議なことだが彼は最初の操縦で、確かな手応えを感じていた。

 守ると言った覚悟を行動で示せると、そう確信できた。


「操縦できたみたいですね。まずコックピットを閉鎖してください」


 柔らかな調の声が、再びコックピット内に響く。

 気分が高揚していた大地はコックピットが開きっぱなしなのを忘れていた。


「おっとっと、忘れてた。閉じろ」


 言葉と共に、開けっぴろげになっていたコックピットが上下の装甲に閉ざされる。

 刹那の暗転後、コックピット内の機器が火を灯されたように、光を放つ。

 少し遅れて正面が巨大なモニターのようになり、外の様子をコックピットから透明の鏡でも見ているかのようになった。


「ハイテクなんだなぁ……」


 大地が、感嘆の言葉を漏らす。

 現人類の科学力を遥かに凌駕した技術には違いない。

 大地は多くの小地球、土地を巡ってきたが、スカイナイトのような巨大な機械は見たことがなかった。

 敵を押し返して、少し余裕ができれば当然行き着くのは巨大な甲虫とスカイナイト──そして出会った少女たちへの疑問。


「今更だけど、君たちは何者なんだ? こんな機械があったり、あの巨大な甲虫と戦ってるんなんて」

「質問にはお答えして差し上げたいのですが、まずは目の前の対処を優先しましょう。動き出しますよ」


 破格の技術力に感心していたのがいけなかったか、巨大な甲虫はムカデのような足を器用に使って起き上がっていた。


「くっ、来るのか!?」


 大地の防衛本能に従って、スカイナイトが構える。

 大地にとって、巨大な甲虫は何者かもわからない不明生物だ。

 行動基準もわからないし、迂闊に飛び込むこともできない。

 巨大な甲虫がスカイナイトを巨体に似合った大きさの複眼で見つめて、じっとしている。

 一体なにをしてくる? 何が目的だ?

 思考を走らせる大地の汗が額から伝う頃、巨大な甲虫はふわっと、重力が働いていないかのように浮いた。

 まるでそれが自然だ言わんばかりに。


「キュトロロロロ」


 腹の底を重たく、不規則に振動させる不快な鳴き声を響かせながら、巨大な甲虫が空に遠ざかっていく。


「逃げた、のか?」


 緊迫した空気から解き放たれた大地が、安堵から構えを解除するが──。


「いえ、いけません! 追ってください。絶対に逃してはなりません! 今はまだ知られる訳にはいかないっ!」


 調は、声を張り上げた。

 普通なら、何故? と問うていたところだろう。だが、大地は調の様子に尋常ならざるものを感じた。鬼気迫ると言ってもいい。

 本当に逃してはいけないのだと、本能から理解できた。異論を挟む余地はないのだが。


「と言っても、どうやって追いかけたらいいんだ?」


 この騎士の機械は、飛行機のように羽根がない。果たして飛べるのだろうか?

 大地が疑問を浮かべている時間で、巨大な甲虫はさらに空の奥へ飛んでいく。

 爪楊枝のような大きさになるまで、数分もかからないだろう。


「その子の正式名称を忘れましたか?」

「スカイナイトだったか」

「そうです。スカイナイトは、空の騎士。飛ぶと願えば、飛ぶことができるんです。人間の心が、前に進む力が、空を飛ぶ力を与えてくれます」


 調の断言は、不思議だった。

 やる気と出来るという気持ちが、沸々と心から湧いてくる。

 相手の内面はよく知らない。知る時間もなかった。

 それでも不可能を言っているわけではないと、確信が持てるのだ。


「なら、やってみるか」


 大地は空を飛ぶイメージを、心に描く。

 飛べ、と。

 空をこの手に掴めたら、と。

 それを思い描く。

 段々と小さくなっていく、あの甲虫に追いつく!

 否──もっと遠くの空にまで、いけるように!


 ……

 …


 少女は小高い丘にやってきた。

 体躯は少女そのもので。

 髪は腰よりも下に伸びるツインテールで、髪の結び目を青のリボンで止めている。

 丸っとした大海のような瞳は、爛々と空を見つめる。

 表情も姿形もなにもかも、少女と形容するしかない。

 少女の名前は、海鳴うみなる 調しらべ

 先程まで大地と通信で会話していた、スカイナイトの開発者である。


「行ってください。人間の前を向く力は、空を、宇宙を飛び出せるエネルギー」


 紅色の粒子を雪のように振りまき、空で綺麗な軌跡を描くスカイナイトを見上げながら、少女は続ける。

 踊り出しそうなくらい、嬉しそうに。


「その力で人はどこにでもいける。例え、世界が閉ざされたものでも、いつか前へ進んで壁を登りきることができる。人には、それができる命がある」


 スカイナイトが空に刻む紅の軌跡は、次第に目標へ近づきつつあった。

 人類の──地球の敵に。


「私に見せてください。人の可能性を! 人に限界などないのだから!」


 小地球に穿たれた大穴を見上げて、手をかざし、少女は願う。

 外敵に覆われて、閉ざされた世界が救われることを。

 いつか人類が幸せに暮らせるように。


 ……

 …


 スカイナイトは、羽根のように軽いものに感じられた。

 命じれば速く、鋭く飛べる。


「これなら追いつける!」


 細かい仕様や、機械がどのように動作して空を飛べているかなど、大地には分からない。

 あの少女──調は、大地が追っている巨大な甲虫を絶対に逃してはいけないと言っていた。

 守ると覚悟を言った手前、退くことはできないし、調が放った言葉を無視することもできない。

 巨大な甲虫が空から出てしまってらどうなるのか?

 なぜ追わなければならないのか?

 わからないことが、大地の思考を巡る。

 疑問は尽きないが、これはきっと世界を守ることに必要なことなのだろう。

 いや、そんな理由は建前だ。

 記憶喪失で、はみ出してしまった自分が世界のためにできること。

 ここ1年程度の記憶の連続性しかない自分が必要とされているだけで、心から力が湧いてくる。


「そうだ。やるしかない! 俺は戦う!」


 自分に発破をかける言葉。

 大地の言葉に答えて、スカイナイトがさらに速度を上げた。

 風を切り裂いて、一層に粒子を撒き散らしながらスカイナイトが空を駆ける。

 前方に見える巨大な甲虫に、ぐんぐん接近していく。


「うおぉぉぉっ!」


 感覚を研ぎ澄まし、声を張り上げ、前へ、前へ。

 人類の可能性の限界まで!


《スカイギャラクシーエネルギーの臨界点突破を確認。フェイズ2へ移行します》


 よほど集中しているのか、大地はシステム音声に反応しない。

 しかしコックピットからは視認できない変化が、スカイナイトに起こっていた。


 ……

 …


 空を駆けるスカイナイトが乾いた唸りを上げる。

 内側から溢れ出る力に、スカイナイトが我慢しているかのようだった。

 スカイナイトから振りまかれる紅の粒子の濃度が濃くなり、それは始まった。

 スカイナイトに張り巡らされていた装甲の一部分が展開されて隣接した装甲に重なり、展開された装甲の下にあった内部フレームが露出していく。

 随所で露出した黒い内部フレームが赤く染まる。それは鉄が高温で熱を帯びるようでもあった。

 ついで赤に染まった部分から、揺らめく火が放出された。

 内部フレームから発した勢いのある火は、スカイナイトから溢れ出る力が形になったもの。

 騎士が炎の魔人を宿したように各部で火を揺らめかせ、スカイナイトは凄まじい速度で空を駆ける。

 スカイナイトから推力として放出されている粒子は、もはや空に川を形成するかの如くだ。

 目標は目前。

 大地が呼称していた巨大な甲虫は、凄まじく追いすがるスカイナイトの気配を感じ、振り返る。


「キィロロロロー!」


 咆哮を上げて威嚇する巨大な甲虫に、スカイナイトは怯むことなく猛然と突撃した。

 いまの大地に思考の二文字はない。

 ただひたすらに本能の赴くまま、極限まで高まった集中力によってスカイナイトを操る。まるで彼自身がスカイナイトになったように、自然とスカイナイトが動く。

 両手で巨大な甲虫を下から押し上げて、スカイナイトがさらに空を高く昇っていく。

 空から宇宙を目指すように。限界などないように。


「いっけぇー!」

「キュロロロー!」


 そして唐突に壁は訪れる。

 成層圏に差し掛かった頃、スカイナイトが押し上げている巨大な甲虫が、壁に激突した。

 現在の地球全域を覆う皮膜のような壁に。


「な、なんだ! ?」


 壁に衝突した衝撃に大地が我に帰ると、音声通信が繋がっていた。調だ。


「大丈夫、問題ありません! そのまま壁をぶち破る勢いで倒してください! それだけの力があなたの乗るスカイナイトには宿っています! 右手に力を込めて、撃ち放って!」

「空に壁があるってのはよくわからないが、わかった! 右手に力を込めて……」

「キュロロロォー!」


 依然としてスカイナイトに壁に押し付けられている巨大な甲虫がもがき、叫びを上げていた。

 大地は意識を集中する。モニターに表示されている巨大な甲虫の無防備な腹に向けて。

 全ての力を右手に込めるイメージで。

 絶対に倒す力を持って。

 途端、スカイナイトの右腕から紅の粒子が溢れ出る。

 空を駆けていた時のように振りまくのではなく、拳に纏われていく粒子は力の奔流そのものだ。

 イメージを持ってなされた力が臨界を迎える。拳が纏った力は、思わず暴発していまうのではないかというほどの熱量を持って震えだす。

左腕で巨大な甲虫を支えて、右腕を思いっきり引く。振り上げるイメージを形作り、それをスカイナイトが受信した。


「撃ち……放つ!」


 拳は渾身の勢いを持って、巨大な甲虫の腹に直撃。

 一瞬の静寂の後、拳の中にある蓄えられた力が解放された。

 拳から竜巻のように発生した力が巨大な甲虫の腹に大穴を穿ち、体内をズタズタに貫く。

 竜巻は時間が経つごとに大きくなり、巨大な甲虫を内側から消滅させる。


「貫けぇー!」


 竜巻はすべてを抉り取りながら敵を跡形もなく呑み込んだあとも勢いが衰えることなく、壁に激突した。

 敵を消滅させても、有り余るほどの力。

 地球を覆う皮膜のような壁はその力に耐えきれず、次第に着弾した範囲からヒビ割れていく。

 視覚的にも薄い膜なので分かりづらいが、確かにヒビが加速する。

 そして遂に壁は破られた。

 パリン、などと認識しやすい音はない。ただ壁の破片だけが空に落ちて、粒子となり、空気中に消えていった。

 竜巻は次第に力を弱めて、拡散するように消失していく。

 そうして、大地は見た。

 暗闇に覆われた空の向こう。宇宙に煌めき輝く、白の天体を。


 ……

 …


「はぁっ……はぁっ」


 意識は、いまにも消えそうなほど朦朧としていた。

 スカイナイトにありったけの力を使われたのか、竜巻のようなものを拳から放った後に訪れた体を蝕むような強い疲労感のせいだろうか。


「でも、倒せたな。少し不安だったけど、よかった。少し……疲れた」


 息を切らしながらも伏せていた顔をなんとかあげてみる。


「あっ……」


 息がはっと抜けた。

 破れた壁から、初めて認識する宇宙が覗けた。

 壁は時間を逆再生しているように、割れた部分を急速に直し始めていたが。

 地球を覆う黒よりも、もっと深淵に近い黒の──宇宙。そこに輝くようにある白い、本物の月。

 美しいと、こんなものが世界には存在していたのかと思ってしまうほどの光景に目を奪われる。

 なぜだろう。

 行ってみたい。

 いや、行ってみたいなどと言う、曖昧な気持ちだけではない。

 月に行かなければならないとすら、思えた。


「ああ、でも……いまは……疲れたな……」


 意識が深いところに落ちていく、手放されていく。

 壁が完全に修復され、破れていた箇所以外から現れた、黒い何かが再び壁を覆い尽くす。あの何かが空を黒くしている正体だろうか?

 月が再び黒いものに隠されていく様子を目に焼き付けながら、意識は完全に深い場所へ落ちていった。

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