第2話「スカイナイト起動」
小地球内の小高い丘に到着する頃には、すっかり日が落ちて、夜が訪れていた。
星が地表を照らすように、燦然と空を覆っている。
ドームの天井に投影された嘘の星だが、思わず目を奪われそうになる。
「よっこいせ。挨拶できてないのに申し訳ないけど、今日はここで野宿させてもらうか」
荷物を降ろして、一息つく。
結局、この小地球に住んでいる5人に会うことはできなかった。
小高い丘から見渡しても、白く大きな建物があるだけ。あれを民家として考えるには大きすぎるし、静かだ。
ただ、人のいた痕跡はいくつもあった。
踏み固められた地面もそうだし、人の手が介在しているような花壇もある。
なのに、人っ子一人いない。
「ふむ。避けられてるのかねぇ」
外に出れば、外敵が天井に見えるご時世だ。
もう地球がおしまいだと思って、静かに小地球で生きたいと思う人たちも当然ながらいる。
そういう人は他人と接することをせず、ひっそりと生活している。
小地球に入る時にコンソールから得た情報では、住んでいる人たちの苗字はそれぞれ関わりがなさそうだった。
小地球の型番から読み取る限り、初めて作られた小地球のようだから、込み入った事情があるのかもしれない。
「考えてても、仕方ないな」
体を包み込んで来る草の上に寝っ転がって、天井を見上げる。
半日は歩きっぱなしだったから、草の毛布が心地よい。
「いつか、こんな星空も見えるようになるのかねぇ」
天然の星というものを記憶喪失になる前に見たことがあるはずなのに、一切と言っていいほど思い出せなかった。
外敵が地球を覆ってから十年。
星を知らないというと、大人たちは口を揃えて言うものだ。
満天の星を知らないなんて、可哀想だと。
……まあ俺の恩人は「綺麗だがそう感動するもんでもない。慣れればなんてことのないただの日常だよ」とかうんたら言っていたが。
「本当に綺麗なもんかねー」
誰にともなく、呟いた。
綺麗ではあるものの、天井の星はあくまで虚像だ。
そこには、本当のものがない。
本当に触れた時、俺はどう思うのだろう?
思考に耽っていたところ、突如として足音が思考に混じり込んで来る。
「おおーい、そこの男の子!」
反射的に背筋を張ってしまうような、澄んだ声だった。
さっと体を起こして、姿を確認する。
白衣を身に纏った、所謂……学者というのだったか。そんな恰好だ。
少々きつめにつり上がった目。
すらっとした鼻も印象に残るが、特に目を惹くのは、さらっと川が流れるように揺らめく黒髪だ。
年は十七の俺より少し上だろうか、落ち着いた雰囲気のある、凛々しい女性だった。
「すいません。ここ、いちゃ行けない場所だったりしますか?」
「いや、そんなことはないんだが、ここは危険だ。こちらに──」
言いながら、女性は俺の手首を掴んで引っ張ろうとする。
瞬間、地面が地鳴りのような音をたてながら振動した。体勢を崩しそうになるが、なんとか踏みとどまる。
女性のほうは素早く足に体重をかけて、姿勢を保っていた。
「くっ──遅かったか!」
「じ、地震!?」
思わず口をついて出てしまったものの、状況を見極める。どうやら揺れが激しく続いているのは天井だけのようだった。
天井の揺れが地面に伝わってきているのかもしれない。
そんなことを思考するより、目を見張る自体が起きていた。
「星が割れていく……!?」
天井に線状のヒビが入り、それが蜘蛛の巣が作られるように広がっていく。
それはまさに、この世の終わりを彷彿とさせる光景に違いない。
最も圧がかかっているのだろう、蜘蛛の巣の中央が沈み始める。
これは逃げなければ。
女性に惹かれていた手を逆に取ろうとするが。
「もう間に合わん! 伏せろ!」
言うや否や、女性は俺を伏せる形で地面に倒した。
ふわっと草の柔らかさと覆いかぶさってきている女性の柔らかさも束の間。
あいたた、少し乱暴すぎやしないか!?
「ちょ、ちょっと、なに! どうなってんの!?」
「しっ、黙っていろっ」
鋭く、有無を言わさぬ迫力に押し黙る。
緊急を要することが起こっているのは、間違いないらしい。
小地球の空が割れるなんて現象は見たことがない。小地球とはいまの人類が生活するうえで欠かすことのできない人類最後の砦だ。
外敵から身を護るための手段がなくなってしまうことは、なによりも恐ろしい。それは死を意味するも同然のことだと、教わった。
それがいま、潰れようとしているのかもしれない。
思考している間にも、天井は蜘蛛の巣を拡大させて──そして。
「くっ……」
女性が俺を抱きとめるようにしっかりと覆いかぶさった。
天井がついに、崩落する。
瞬いていた無数の星の欠片が、空が消滅して落ちる。
地面が割れてしまうのではないか、と錯覚するほどの揺れが襲いかかってくる。脳を揺さぶる轟音も伴ってやってきた。
このままで大丈夫なのか?!
反射的に目を閉じて、揺れが収まるのを待つ。
しばらくして未だ揺れている感覚の脳を抑え込もうとしながら、目を恐る恐る開けた。
「何がどうなった……」
意識はある。死んでいないはずだ。
視界を遮るように立ち込める煙に、目を凝らす。
次第に煙が晴れていく。俺がいる場所から少し離れたところで、それは不恰好にも尻餅をついたあとのように座っていた。
まず第一に目につくのは、大きさだろうか。人の数十倍はある巨体が異様なまでの存在感を出している。なんと言ったか、簡単に表すのなら巨大な人型の機械だ。
人型機械の姿は、紅の鎧を着こんだ騎士というべきもの。紅の鎧の随所に走る白いラインが鎧によってもたらされるマッシブな印象をスマートなものにしている。
紅蓮を纏った機械の騎士。
そのような力ある印象を受けた。
「なんだ、あれ……」
「だから無茶だと言ったんだ……空、聞こえてるか空!」
女性が立ち上がり叫ぶが、騎士は微動だにせず、死んだように動かない。
空って人が乗ってるのか……?
沈黙から数秒して、騎士の胸部装甲が上下に開き、中からふらっと人が転がり落ちてきた。
腕、頭、脚に包帯を巻いた女の子。
女の子はよろよろと地面に手をつきながら立とうとしているが、身体を支えられないのか、崩れ伏してしまう。
あんな怪我した状態で、あの騎士に乗ってたってのか!?
俺は身を起こし、走り出した。
「おっ、おい!」
後ろで女性が呼んでいる。振り向かずに空と呼ばれた女の子に駆け寄り、横たわる身をそっと抱えた。
「大丈夫か、あんた!」
「……っ」
女の子は身体中を襲っているのだろう痛みに、顔をしかめながらも俺を見た。
「誰か知らないけど、あ……ありが、とう」
「お礼なんていいから、早く手当てしないと」
「ダメ、私、みんなを……守らなきゃいけない」
「守るって、そんな身体じゃ無理だろ! 」
「でも……」
女の子が悲痛に顔を歪ませながら、遠方を見た。
釣られて、視界を動かす。
巨大な黒い怪物が、そこにいた。
遠方からでも本能で恐怖心を煽られるほどに巨大で、甲虫のような見た目をしている。
俺の後ろで尻餅をついている騎士とは同サイズに思えた。
あの甲虫と戦っていていたのか?
「空、君は休んでいるんだ。私がいく」
長髪の女性が気づかないうちに俺の背後へ立って、女の子に告げていた。
「でも、樹里さんは……っ」
どうやら長髪の女性は、樹里と言うらしい。響きからして名前だろうか。
「私なら大丈夫だ。いける」
無理やり強がっているとわかる、震えた声だった。
気になり、背後の女性を見ると握った手が震えている。怒りに震えているのではない、あれは恐怖からくるものだ。無理やり力を込めようとして、手が空回っている印象を受ける。
包帯をしている空と呼ばれた女の子と、恐怖に苛まれている樹里と呼ばれた女性。
前方には、巨大な甲虫の怪物。
後方には、巨大な騎士の機械。
口の中で水たまりを作ろうとしていたツバを飲み込む。目を閉じて、考える。
俺がいま、この場で最大限やれることは──。
「樹里さんって言ったっけ、空って子を頼みます!」
結論を出すまでもなく、口と手足が動いていた。心の中にある結論は、あとでついてくる。
空をそっと地面に横たわらせ、騎士に向かって走り出す。
「なっ、おっ、おい!?」
「まっ、待って!」
驚きと静止の声に振り向かず、騎士まで駆け寄る。
威圧感のある大きさだ。間近で見ると、余計にそれを認識させられた。現実の物とは思えない。
騎士の装甲の隙間やらに捕まりながらなんとか胸部まで昇り切る。
「よっと、これがコックピットってのかな」
開きっぱなしのコックピットの中は、精密機器で溢れているようだったが、ざっと見るとシンプルでもあった。
壁面に精密機器やモニターが埋め込まれてるだけで、中央にパイロットシートがある。1人が入るくらいなら余裕のある作りだ。
中に入り、パイロットシートに腰掛けた。そこで、気づく。
「ふむ、どこを触っていいものか」
有り余る勢いで来てしまったけど、あまり勝手に触って爆発でもされたら困るのだが。
開け放っているコックピットから見える巨大な甲虫は、少しずつこちらに接近している。
早急に動かさなければ。
「なんだ……?」
思案していると、巨大な甲虫が力を溜めるように六つの足で踏ん張り始める。
こちらを赤い複眼が捕らえた瞬間──甲虫は地面を蹴って、飛び上がった。
放物線を描きながら甲虫が迫る。
「狙いはこっちか!」
天地がひっくり返るような衝撃が襲ってくる。
パイロットシートに叩きつけられるが、沈むこむように柔らかかった。
背を強打するかとヒヤヒヤしたが、パイロットシートのおかげで怪我はせずに済んだらしい。
体の状態を確認しつつ、正面に目を向ける。
「うおっ」
驚いてしまったのも、無理はない。
正面には、洞窟が広がっていた。
目を凝らしても内部を判別することはできず、ただ闇に覆われている。
なんなんだ、これは。
それはすぐに判明した。
洞窟がコックピットを飲み込むように接近し、ついでガキン、と弾かれたように後退する。
「まさか口か……!」
迫っていた洞窟の正体は、巨大な甲虫の口だった。
後退した今なら、ノコギリのように連なる歯がよく見える
あんなものに食われたら、一瞬で命は消えるだろう。
「冗談じゃないぞ!」
焦りながらコックピット内に視線を彷徨わせる。
どこだ、どこで動かせばいいんだ!
そこで助け舟を出すように、右上の小さなモニターに光が灯った。
「やっと繋がった! こちら、司令室、司令室です。無事ですか空さん……って」
モニターに映し出されたのは、インカムをつけた文学少女的印象がある、黒が艶やかなセミロングの女性だった。
風貌からして、通信士を担当しているのだろうか。
「だ、誰?! あなた!?」
驚愕と動揺が入り混じっているのが感じ取れた。
空が乗っていたと思っていたら見ず知らずの人間がいる。相手の反応は当然だけれど、まず解決しなきゃならないことがある。
「ごめんなさい。あんた、このロボットの動かし方ってわかるか!?」
「そんなもの教えられるはずが──って調さん!?」
「すみません。私に変わってもらいます」
調と呼ばれた少女が、インカムを装着した女性に代わり映り込んでくる。
立て続けに見た女性たちと比べて、一層幼い顔が俺を興味深く見つめていた。見定めるように顔を動かすと、画面から見切れるほど長い黒髪のツインテールが房のように揺れる。
一見すると子供みたいだけど……。
人が入れ替わったことに構ってる場合じゃない。
尚も開けっぱなしのコックピットからは、巨大な甲虫が食事をしたげに大口を開けている。
「誰でもいいから、早く動かし方を教えてくれ!」
「その前にひとつ。教えてください」
「なんだ!? そんなことより──」
再びガキン、と騎士の表面装甲に弾かれる巨大な甲虫。
執拗に、貪欲なまでに食すための行為が繰り返される。
どうしてこんなに食うつもりなんだ、こいつ!?
「その子は頑丈ですから、大丈夫ですよ。しっかり私の目を見て、あなたの意思で答えてください」
言われて、再びモニターに映る少女に視線を移す。
モニター越しに、大海を思わせる青い瞳が広がっている。
少女から発せられるものにしては、柔らかく母性的で、優しげだ。
触れれば折れるようなものではなく、明確な芯が感じられる意思の強さ瞳にあった。
何を問いかけられるのか、自然と身が引き締まる。
巨大な甲虫が装甲に弾かれ続ける姿が、次第に意識から遠ざかっていく。
意識を集中する俺の姿に満足した少女が頷いて、一言一句に心を込めるように語り出した。
「あなたは、地球を、世界を、人類を、私たちを──私を守る覚悟がありますか?」
少女は、俺に守る覚悟を問うていた。
思考の水とも言うべき中に入り込み、自分が深層へ沈んでいく。
覚悟できてる、と簡単に頷けるほど決意をして乗り込んではいない。
いまは騎士に乗れない2人を見て、俺がやるしかないと思った。たったそれだけのことだ。
思考はさらに深くへ潜る。
俺は記憶のない放浪者だ。
たまたま拾ってくれた恩人がいたから生きながらえて。旅ができて、この場に居合わせただけ。
心の中にあるのは、風もない空洞。自分が何者かもわからないという恐怖にも似た感情。
旅をしていて、何度も思った。
小地球で出会ってきた人たちは家族や自分の居場所を持っている。何度かその輪の中に入らせてもらっても、翌朝出発する時に、自分はやっぱり輪の外にいる存在なのだと気づく。
それは自分に居場所がないことを証明されているようで……。
深すぎて沈みそうになった思考の水から泳ぎ出る。
少女の顔をしっかり見た。
心まで見透かされそうな、海を思わせる透明な瞳がそこにある。決して目を逸らさず、俺の答えを待っていた。
それを見ていると、不安だった奥底から安心感が気泡のように湧き出てくる。泡は俺の中に根付く小さな灯台と静かに接触する。
記憶はなく、でも知りもしない誰かと会うために旅を続けていた。それしかないと思っていたから。
少女の瞳を見ていると、不思議と、会えたような気がする。
少女に見覚えはない。記憶喪失の前に会ったことがあるだとか、そんな予感もない。でも心の中が必死に叫ぶのだ。
理屈ではわからなくても、この少女こそ俺が探していた人かもしれないと。
運命なんてものではないと思う。けれど想い始めたら、そうなんだろうと思ってしまう。
よくないな。雁字搦めになり始めた思考を停止する。
一度、感情を区切るために肺の中を空っぽにするぐらい、息を吐く。次に全身で感じられるほど息を吸った。
答えはシンプルに、だ。
旅の途中で世話になった人たちは大勢いる。彼らは、守りたい人たちだ。
包帯の女の子と樹里と呼ばていた女性も、お世話になった人たちと同じだ。単純に守りたいと思う。
モニター越しの少女は──強く、守りたいと思う。
よし。自分の中で納得できるだけの理由はある。守りたいと思えるのなら、それが覚悟になるはずだ。
みんなを一緒に守れるのなら躊躇いはないことを伝えよう。
「誇れるような覚悟なんてない。でも守るよ。絶対に地球を、世界を、人類を、君たちを──君を守る」
まっすぐ、想いがわかるように少女を見つめる。延々と引き伸ばされたように感じる時間だった。
しばらく俺を吟味していた少女の瞳が安堵に変化した。
「わかりました。よいでしょう、私はあなたの瞳を信頼しましょう。パイロットシートの左右に球状のものがあるのがわかりますか?」
どうやら、受け入れてもらえたらしい。
確認する。
コックピットの下部からパイロットシートの左右に棒が伸びていて、頂点に球状の物体がつけられている。
パイロットシートに腰掛けると、ちょうど手が落ち着く位置だ。
これが操縦桿なのだろうか?
両手を球状の物体にそっと触れさせる。
ゼリーのように柔らかく、手に吸いつく。
しかし、それでいて握っても崩れたりはしなさそうだ。未知の物体に触る不安より心地よさのほうが勝る。
「それが操縦桿です。特別な操作は必要ありません。コックピットを閉めるよう、心で念じてください」
「こんなんで操縦できるのか!?」
「やってみてください」
「わ、わかった!」
こんなもので動かせるのかが不安だが、やってみるしかないか。
心の中でイメージを作る。
コックピットが閉まるように……。
「閉まれッ!」
「言葉にする必要はないんですけどね」
コックピットを丸見えの状態にしていた上下の装甲が閉まろうとして、それに反応した巨大な甲虫に弾かれる。
「キュロロロロッ!」
「くっ、こいつコックピットを閉めさせないつもりか!」
「まずレーヴァテインを動かす必要がありそうですね」
「レーヴァ……なんだって!?」
「スカイナイト二号機-レーヴァテイン-その子の名前です」
「二号機? ここは一号機って場面じゃないのか」
「先にロールアウトした子がいますから。いまのところ、その子は末っ子なんですよ」
少女は仕切り直すように咳払いする。
少女と話していると緊張感が薄れるが、不安は消えていく。
高揚感が、心の奥底から浮上してくる。
「こほん、その子は操縦者の思考読み取って、ダイレクトに操縦ができます。なので、その子を自分の体のように思ってください」
「つまり……考えるだけでいいってことか?」
「簡単に言えば、そういうことです」
コックピットを閉める際に念じるように、と言ったのはこの騎士──スカイナイトが思考を読んで動く機械だったからなのだろう。
なら、実際に動かしてみようじゃないか。
まず巨大な甲虫に乗りかかられている状態を解決しなければならない。
自分の体を動かすように、意識する。
両手を正面にいる巨大な甲虫に向けて。
押し返す!
命令した思考の信号がスカイナイトに伝わったのが確信できた。
こいつは──スカイナイトは動く!
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