第14話「守る空」

 泣き疲れて、もう何も出なくなったところで空は樹里の胸元から顔を離す。


「……樹里さん、ありがとうございました」


 お礼を言われた樹里は、困ったような曖昧な笑顔を浮かべていた。


「……私はなにもしていないだろう」

「いえ、胸を借りてすっきりしました」

「そうか。なら私の胸を貸したかいがあったというものだ」


 差し出された樹里の手をとって、空は立ち上がる。

 公義を見て、空はまた顔をくしゃっと歪ませながら、それでも見据える。


「公義さん、ごめんなさい。それとありがとうございます。私──」


 紡ぎかけたところで、小地球全体が横に激しく振動する。体を揺さぶられて、それでも大地をしっかりと踏みしめた空は、小地球の天井を見上げた。

 まず青が見えた。スカイナイトの背面装甲だ。背が見えるということは、小地球を守るように送られてきたのだろう。


「はい。はいっ……わかりました。空」


 手早くレシーバーでどこかと連絡を取っていた樹里が空を見つめて、問う。


「調さんからの連絡だ。戦況は芳しくなく、大地は苦戦している。スカイナイト三号機-アイギス-は見てのとおり、送り込まれている。あとは空に任せる、だそうだ」

 

 調らしい言伝だった。

 こういう時、調は強制しない。その人が選択するのを待ってくれている。

 決してどうでもいいから任せているわけではない。調は可能性に賭けているのだ。人がどう選択するか。どう動くのか。賭けてくれている。

 空は公義を一瞥する。

 こちらを注視しているが、目は空を見守るようで。

 自分が唾を飲み込む音が聞こえた。

 外がどうなっているかはわからないけど、確かに大地は苦戦しているのだろう。いまだ戦闘の音は聞こえているのだから。アイギスが送られてきたことからも、厳しい状況なのだろう。

 守ることがまだ怖くないと言えば嘘になる。

 また守れなかったらどうしようと、心が未知に震える。

 それでも。

 守らなかったら後悔する。守れなくても後悔して、守らなくても後悔に苛まれるなんて、そうなった自分を呪いたくもなるような性格だ。

 ここで手をこまねいて、誰かが死ぬなんて見たくない。

 だから足は動き出す。


「行きます!」


 思いのほか、すんなりと声が出た。


「いってらっしゃーい!」


 天音の調子はずれの見送りに、空は手を振り返す。

 いけ、と心が命じる。

 守れないから無駄なんじゃない。守らなければ無駄なのだ。

 これまでスカイナイトで守ってきた全部、意味がない気がしていたけれど、決してそんなことはない。

 守れなかったことを胸に刻み込んで、次はもっと多くを守る。

 自分が止まっている間に失われるものを、少しでも減らす。

 それがいまの自分にできる守り方だ。


 ……

 …


 樹里は眩しく光り輝く者を見る瞳で、走り出した空を見つめる。

 まだ到達し得ないところにいる空を、羨ましく思う。

 遠い過去にいなくなってしまった友達を思い出しかけて、首を振る。いまは他にするべきことがある。

 公義に向き直って、樹里は頭を下げた。


「公義さん、ありがとうございました。空を救ってくれて」

「いえ……僕がずっと悩んでいるせいで空さんには苦しい思いをさせてしまいました」


 公義は自分のことのように空を気遣い、降ろした天音の頭を愛おしそうに撫でる。気持ちよさげに目を細めているのが可愛らしい。


「もっと早くに伝えられれば、よかったのですがね」


 公義が空のあとを追うように顔を向ける。穏やかに見えるがひそめた眉からは色々な感情を攪拌機に混ぜた、複雑怪奇なものが垣間見えた。

 公義が空に向けた言葉は、紛うことなき本心だったのだろう。それは声色と表情からもわかることだ。

 しかし感情というのは複雑で、推し量り切れない。心の気持ちは幾重にも重なって、ただ単純にひとつのことだけが真実になるわけでなかった。


「心の片隅に、どうして守り切れなかったんだろうって思いも確かにあります。でも空さんが本気で、必死に守ってくれていたことはわかる……こう思ってしまう時点で僕は弱いんでしょう。妻に顔向けできるか……」

「私が言えることではないかもしれませんが……公義さんは強いでしょう」


 公義は逃げてもよかった人間だ。ただ巻き込まれて、妻を失っただけの。

 怒りに任せて罵詈雑言を浴びせる選択もあっただろうけど、公義はそれを選ばずに光をもたらし、立ち止まった空を押し上げてくれた。


「間違えれば激情になる感情を押し殺して、空の背中を押してくれた。私からはお礼しか言えませんが、ありがとうございます」

「背中を押すというほどのことでもないかもしれませんがね……でもそう言ってもらえて、心がすっとしました。これでよかったのだと」


 そう呟く公義の顔には、僅かながらの笑顔が浮かんでいた。


 ……

 …


「はあっ……はあっ……んくっ」


 肺から息が漏れる。喉が喘ぐように水分を欲していた。

 頭はひりついたようになって、自分が走っているのか、歩いているのかもわからなくなっていく。

 空はひたすらに走り続ける。

 アスファルトで舗装された道路を超えて、小地球の内壁部に辿り着いた。

 戦闘前からこんなに疲れていて大丈夫かと、冷静な自分が呟く。

 外へ続く道を遮る扉のロックを解除して、再び走り始める。

 足を回しすぎて気持ちが悪いような気がするのに、自分に前へ進め、進めと晴れた心が語り掛けた。

 公義と天音の言葉が、守りたい思いが心の中にひとつの形となってある。それが空を突き動かす。

 小地球の外壁部に出ると、真上から暗闇が降ってきた。

 思い切って見上げると、スカイナイト三号機-アイギス-の背面がある。

 調が届てくれたのだろう、みんなを守るための力。恥ずかしいくらい下を向ていた自分だったけど。


「みんな、まだ信頼してくれてたんだよね」


 自分はなんと暖かなものに包まれていたのかと、実感する。せめて自分の全力を持ってそれに答えよう。

 アイギスの右足首に設置されているコンソールを操作し、一旦離れて片膝をつかせる。

 胸部のコックピットへ滑り込むように座る。コックピットの両脇から出る球状の物体をいつものように掴んで、深呼吸。

 この子はしっかり動く。迷いをなくした空にしっかりと答えてくれる。


「すー……はー……よしっ! 頼んだよ、アイギスっ!」


 アイギスの機関部に熱が放り込まれる。命令を待つ青い騎士は関節部の唸り声をあげて、立ち上がった。


 ……

 …

 

 アイギスが前方を捉える。識別。味方1、敵2。

 レーヴァテインはハチ型の空食と戦闘中。意識を他のことに割いているのか、動きが見るからにぎこちない。

 意識が向かっているのは、甲羅の上に大砲を装備している亀型の空食か。

 空も初めて見る姿をした空食だ。大砲に意識を合わせると、モニターに表示されるエネルギー指数が急上昇していく。


「空さん、亀型の空食は長距離砲撃仕様です。おそらく次弾まであと20秒。いけますか」


 空が乗り込んだことはモニターしていたのだろう調が、いつもの調子で音声を繋いでくる。

 変に気遣われるわけでもないのが、心に平静をもたらす。


「いけます。絶対に守りますから」

「……頼みました」

「はいっ!」


 スカイナイト三号機-アイギス-。

 いまは地球が失った青い空を思い起こさせる、青を基調としたカラーリングに、機体各所の白いラインが映える騎士型の人型機動兵器。

 スカイナイト二号機-レーヴァテイン-と同型機だが、背面に剣をマウントしていない。

 アイギス最大の特徴は、両腕の装備にあった。

 カイトシールド──逆三角の盾をちょうど中央で分けたものを両腕に装着している。

 装備した盾は大型のもので、肩から腕にかけて伸びる盾はとある内部機構を搭載した結果、厚みがあって頑丈な印象を与えていた。

 亀型の空食の砲身に蓄えられたエネルギー指数が限界を迎えている。発射間近と言ったところか。砲身位置からして、小地球を狙っているのが丸わかり。

 無敵の盾として準えられることの多い、アイギスの名を冠したスカイナイトの面目躍如だ。


「とにかく全力でっ! アイギス──シールドっ!」


 両腕を前に突きだすと、装着された盾が両腕の肘付近に設置された補助アームを介して機体前方にせり出す。

 盾の内側が突き出した拳に固定されて、盾の下部が地面を抉りながら機体前面に展開完了した。

 厚みのあった盾から追加の装甲が広がり、機体の前面を完璧に覆う形となる。

 両腕に分かたれていた盾は、機体の前面でひとつの盾として成り、そこに大盾が誕生した。

 これがアイギスに搭載された、空が人類を守るための盾。彼女だけに与えられ、彼女だけが持ち得る力だ。

 アイギスの足首にあたる部分から杭が飛び出て、機体と地面を固定する。

 その直後、亀型の空食が砲弾を発射。

 天と地に響き渡る轟音をまき散らし、寸分の狂いなく砲弾は盾に直進していく。

 空は全身に力を込めて、確実に受け止める姿を想像する。

 無敵の盾。

 それがアイギスに込められた想いだ。

 砲弾が空を切りながら盾に吸い込まれていく。

 着弾。

 衝撃で砂埃が吹きすさび、大地をひっぺがすように抉れる。

 アイギスを容赦のない振動が襲う。少しでも力を抜けば飲み込まれそうな、途轍もないエネルギーだ。

 嵐の中に放り込まれてしまった感覚だが、空は迷わない。守ることそのものに恐怖を抱かない。


「大丈夫、このアイギスならっ!」


 スカイギャラクシーエネルギーの力が、アイギスに満ちていく。

 前を向いた空の思考が、生みだされる力を際限のないものにする。それを具現化するように、アイギスの背面から青い粒子が川を作るほどに撒き散らされた。


《スカイギャラクシーエネルギーの臨界点突破を確認。フェイズ2へ移行します》

 

 無機質な機械音声が流れ、アイギスの姿が変化する。

 内部フレームを覆っていた装甲が隣接する装甲の真上に展開。

 頭部や両腕、両脚の細部に至るまで、各所に露出した黒色の内部フレームが青空を流し込んだように青く染まり、アイギス内部で燻っていたスカイギャラクシーエネルギーが清流の如く放出される。

 スカイナイト三号機-アイギス-フェイズ2。

 それはまるで騎士に水の精霊を宿したかのように美しく、清らかな姿だった。

 着弾の衝撃が過ぎ去り、舞い上がった砂をアイギスから放出される青い粒子が浄化するかのように掻き消していく。


「空、来てくれたんだな。すまない、助かった」


 レーヴァテインでハチ型の空食と交戦している大地の姿が右上の小型モニターに表示される。

 砲弾が発射されたことで肝が冷えたのか、額から汗が伝っていた。


「うん、お待たせしてごめん。それとありがとう、あの亀は私に任せて」

「亀……ってあの空食か。こっちはハチ、だっけか、は任せろ!」

「ふふっ、名前覚えてないの?」

「初めて見る昆虫なんだ、しょうがないだろう」

「それもそっか。そっちはお願いね」

「ああっ!」


 通信を切断し、空は敵を真正面に捉える。

 亀型の空食は砲弾が止められて驚いたか。大砲を微調整している。

 次は小地球ではなく、アイギスを標的にしたようだ。

 空食に感情と呼べるほどのものがあるとは思えないが、危険な存在であると認識させることができた。

 これでひとまず小地球が狙われることはない。

 大砲のエネルギーが上昇。先ほどよりはエネルギー指数が低下した砲撃が来る。エネルギーを貯める時間がなければ、早々、破壊力のある攻撃はできないようだ。


「そんなちっぽけな弾!」


 アイギスが前面に盾を展開したまま、足首から伸びる杭を内部に回収。青い粒子がアイギス後方に流れ始める。

 盾は以前として地面に突きさしているので土を抉りながらも、爆発的に発生する青い粒子が推力となってアイギスの背中を押す。

 砲弾が盾に直撃。

 しかしアイギスは一歩も退くことなく健在だ。むしろ止まるどころかますます加速して、亀型の空食と距離を詰める。

 アイギスは幾度となく発射される砲弾を盾で捌き、接近戦ができる範囲まで到達した。

 亀型の空食がアイギスの接近に怯むことなく、砲撃。

 至近距離の砲弾を、両腕で盾を振り上げながら弾く。ついにアイギスは弾を強引に突破して、攻撃を開始する!

 

「はああぁぁぁっ!」

「ギュロロロッ!」

 

 振り上げた勢いを殺さず、右足を軸にしてアイギスが1回転。盾を、力の限り加速をつけて振り回した。

 亀型の空食が間合いに入った首を伸ばして、まるで本当の亀のようにアイギスに噛み付こうとする。鋭利な歯が口の隙間から出て、いかにも凶暴な切れ味を発揮しそうだ。

 それを先制して潰す形で、振り回した盾のシールドバッシュが亀型の空食の頭部を強打した。


「いま、だっ!」


 衝撃に体と頭を揺らめかせる亀型の空食に目掛けて、盾を前面に構え直す。


「シザーブレードっ!」


 空の声に反応して、拡張されていた盾の装甲が再び内部に収容され、拳と盾の固定ロックが解除された。

 肘付近に装備された補助アームを介して、地面に接地していた鋭利な盾の先が亀型の空食に向けられる。盾の先端から末端を、腕と水平に構える形になった。その姿は盾と呼称するより、大剣の刃にも見える。

 腕の上部で再び盾が固定されたのちに、盾の両真横からクワガタの顎に似た武器──シザーブレードが盾の先端を超える形で展開完了。

 亀型の空食の体半分を覆うほどのシザーブレードが敵を捕らえる。


「ギィロロロッ!」


 苦し気な声をあげてもがく亀型の空食を、シザーブレードがさらに締め付けていく。


「アイギスシールド武装展開っ!」


 盾の中心を割るように展開されて、細長い空間が発生。

 青い粒子が盾の隙間から溢れ出て、それが空間の中で鋭利な杭を生成していく。

 スカイギャラクシーエネルギーで構成された杭は、純度の高いエネルギーの塊だ。それ自体が高威力の武器となる。

 守れた者、守りきれない者。

 このふたつは空をこれからも惑わすだろう。再び今回のようなことが起きるかもしれない。スカイナイトから逃げたくなってしまうかもしれない。それでも空が為すべきことはひとつだ。

 みんなを守る。やはり自分の中にはこれしかない。もう守ることを迷わない。

 空は息を吸い込み、自身の中に渦巻くように存在する万感の思いを込めて、叫ぶ。


「これで終わらせるっ! アイギス……バンカッー!」


 青い粒子がもたらすスカイギャラクシーエネルギーの力で、盾から杭が超高速で発射される。

 杭が亀型の空食の頭部から首を容易く貫いていく。

 スカイギャラクシーエネルギーで作られた杭が体内にまで到達すると、杭が激しく青に発光し、杭の中に蓄えられたエネルギーが加速度的に膨張する。

 それが臨界に達し──爆発。

 杭が体内で爆発を引き起こし、亀型の空食を内部から容赦なく焼き尽くす。

 爆発の直前、アイギスは盾を前面に展開し直して爆風を完全に防ぐ。

 爆発が完全に静まったあと、盾を分解。両腕に装備し直して、アイギスが静かに戦闘を終了する。


「はぁっ……はぁっ……大地くんは……?」


 空はすべてを出し切った激しい疲労感に襲われながらも、アイギスの頭部をレーヴァテインが戦闘している方向に向ける。

 あちらの戦闘も終わりを迎えているらしく、フェイズ2を発動したレーヴァテインが、ハチ型の空食を二振りの剣で一刀両断していた。

 撃破の際、スカイギャラクシーエネルギーを破壊のエネルギーとして注がれていないハチ型の空食は、自然にふたつの半身が分解。黒い粒子となって、空に昇っていく。


「よかった。大地くんも倒せたみたい」

「空、こっちは終わったよ」


 レーヴァテインもアイギスを視認したのか、大地から通信がくる。

 遠方からレーヴァテインを見ている限りでは目立った損傷もなく、戦闘は終了したようだ。

 空は無事にすべてが終わったことに安堵して、大地に声をかける。


「こっちも倒せたよ。大地くんお疲れさま」

「お疲れ……もう大丈夫みたいだな?」

「うん……心配かけてごめんね。私がいまこうやっていられるのは、みんなのおかげだよ。本当に守れて、よかったってそう思うよ」


 空が感慨深く呟く。そして憑き物が落ちたような、澄み渡る笑顔を湛えた。


「じゃ、戻ろっか」

「了解っ」


 アイギスを小地球に方向転換させると、空は移動を開始させた。

 空の心の中に根差していた泥沼のように抜け出せない暗闇は払われて、心の中に生まれたのは、人の心から生まれた暖かなもの。それは人が生み出した熱で。空を救ってくれたものだ。

 これから先に困難があってもこの暖かさを忘れることなく、空は前に進み続けられる。

 空中を進むアイギスから発せられる青い粒子は、ふわふわと空に舞い上がる。その粒子は暗闇で閉ざされた地球の空に遠い昔の面影を添えて、先に続く未来をひっそりと照らしているかのようだった。

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