第4章「天と地に響く歌声」

第15話「小地球異常事態」

 空食が訪れない、束の間の休日のような昼下がり。

 空と共に小地球002を守ってから、2日が経過していた。

 俺は明確に空の身に起きた事情を聞いたわけではないものの、その様子から完全に解決していることは推測できた。

 出会った時からたびたび影っていた表情はなく、体調万全とばかりに今日も小地球を走り回っている。もしかしたら空は、訓練とは別に走るのが趣味なのかもしれないと思い始めたところだ。

 調が校舎の色とりどりの花が咲く花壇に、ジョウロで水をあげていた。


「ふんふふーん、ふーん」


 穏やかに口ずさむ歌もセットで、大変に上機嫌っぽい。

 この様子を動画にでも残せたら楽しいかもしれないな、と思う。なんせ、調は見た目だけなら子供そのもので、可愛らしい。

 ちょこちょこと動くたび揺らめく、青のリボンで結ばれたツインテールが、一層可愛らしさを強調している。

 俺は大木に背中を預けながらそれを見つめていた。


「どうしたんですかー、ずっと穏やかな顔で見てー」

「楽しそうだと思って」

「んんー?」


 調は花に水をあげながらも「やりますか?」とジョウロをちょろっと持ち上げる。

 俺が水をあげても絵にはならないだろう。水をあげたくて見ていたわけでもない。俺は苦笑を浮かべながら。


「見てるだけでいいよ。そっちのほうが楽しい」

「見てるだけが楽しいなんて、よくわからないですねっと」


 調がジョウロの角度を頻繁に変えたり、目まぐるしく動きながら、「よっ」やら「ほっ」と言い始めた。

 見ているからとアクロバティックなことしなくていいのだけど。

 ついには背を弓のように逸らしながら水をあげ始めた。どうですか! すごいでしょう! と言いたげな表情を浮かべている。表情の変化が天真爛漫な子供そのものだ。

 確かにすごいけど、そこまでしなくていいからね?

 一応、拍手はしておくが。


「ふーんふふんふーん」


 しばらくして、また歌を口ずさむ水やりに戻る。肩が激しく上下していて、疲れたことが窺えた。

 小地球の天井から降り注ぐ柔らかな日差しのような光が、まどろむほどに心地よかった。本物の日光ってやつは、もっと気持ちよくなるらしい。

 ぼんやりと思考が巡る。

 調を見ていると守る思いが強くなっていく。

 調が容姿的に愛らしいからとか、庇護欲を掻き立てられる性格だからとか、そんなものではないと断言できる。

 いままで旅の途中で色々な人に出会ってきたけれど、こんな不思議で理解の追いつかない感情を抱いたことはなかった。

 心の奥底から泡のように浮上してくるこれは、なんだろうか。

 試しに触ってみても単純な理解はできなくて。でも確かに心で強く根を張っていた。

 記憶がない俺の奥底で眠っているものだろうことは、想像に難くないのだけど……。

 さっぱりわからない。


 ……

 …


 まどろんでいたところ、大波さんからレシーバーを通じて呼び出しがかかった。

 調が手際よくジョウロを脇に片付けるのを見守ってから、2人で司令室に向かう。


「せっかくいい気分だったのに。残念です」


 調は名残惜しそうに花畑を見つつ、ジョウロを握っていた手を手持ち無沙汰そうに振り回している。


「本当に花が好きなんだな」


 問いかけると、調は優しげで静謐な笑みを作る。それは花のことを考えて、自然に浮かび上がってきたのだろう。


「ええ。とっても」

「育てるのって楽しいか?」

「んー」


 調は口元に人差し指を当てる仕草をして、考える。

 挙動のひとつひとつが、様になっていた。無意識での行動なのだろうけど。


「毎日すくすくと育って、花をつけるのも楽しいですし、花の成長を見ているのも楽しいですよ? 大地さんは?」


 なんというか、子供が育っていくのを見守る母親のような雰囲気すらある。

 ……俺に母親と呼べるべき人がいたのかは、わからないけど、調を見てそう思った。

 なんなんだろうなぁ、この感情。俺がおかしいのか。今度、空に調のことをどう思っているか、聞いてみるほうがいいのかもしれない。同じ回答が得られるとは思えないけども。


「俺はそういうのしたことがないから、よくわからない」

「では今度一緒にやりましょうか」

「それもいいかもなぁ」


 たぶん調は懇切丁寧に花の名前の由来やら、花に水をあげるタイミングなどをいつものように胸を張りながら教えてくれるのだろう。その光景は、とても自然に思い浮かんだ。

 樹里さんや空も交えて。いや、この小地球にいる全員でやるのもいいか。

 俺は旅の途中でも、人と集ってなにかを成すってことをしたことがなかった。夕刻頃に小地球にたどり着いて、また朝方に出て行くのだから当たり前のことではあるのだが。

 爽やかな横風が頬を撫でていく。

 それは心にも吹き込むようで。彩られる未来が楽しみになった。


 ……

 …


 司令室に到着すると、すでに俺と調以外の面々は集合していた。

 空は胸の前で控え目に手を振り、樹里さんはこちらを一瞥するなり、そわそわと視線を彷徨わせる。樹里さんがなんとも異様だ。

 服に変なところはないはずだが。社会の窓が開いているわけでもないし、なんだろう。ところで社会の窓というのは、昔あったテレビ番組が由来の元って話を恩人からされたことがある。一見どうでもいいような知識を語りたがる人だったなぁ。

 先行してその知識を知っていたりすると、しばらく口を聞いてくれなかったり……いま思い返せば、調とは違った意味で子供っぽい。


「お待たせしました。呼び出しが掛かったということは緊急案件でも?」


 一同を見渡した調が口火を切ると、大波さんが正面モニターに視線を向ける。


「まずはこちらを見てください」


 モニターでは、各地に点在している小地球のパラメーターを表すような2本の縦線が表示されていた。

 これだけ出されても、素人の俺にはさっぱりである。

 線の詳細を知ろうと、空に近づく


「どういう意味なんだ? あれ」


 空は人差し指と中指の2本立てながら、それぞれ説明してくれる。


「2本の縦線のうち、左から小地球内部で発生してるスカイギャラクシーエネルギー、小地球が内部で抑え込めるスカイギャラクシーエネルギーをそれぞれ可視化したものだね」


 空が言い終えると樹里さんが俺の隣に並ぶ。もうキョロキョロしていないようで安心した。

 なんだったんだ、さっきまでの挙動不審な樹里さんは。


「旧地名では、茨城にある小地球004が今回招集された理由だ」


 目が自然と動く。茨木と言われても俺にはピンとこなかったが、004と書かれた小地球をほどなくして見つけた。


「004……片側が異様に高くなってますね。1本目の縦線ってことは、小地球で発生しているスカイギャラクシーエネルギーが問題に?」

「そういうことだ。結論だけ言えば、この数値のスカイギャラクシーエネルギー放出量は、壁の向こう側にいる空食が感知する可能性がある」


 空食はスカイギャラクシーエネルギーを餌としている生物で、それが主食だ。人が無意識に体の内から生じさせてエネルギーを感知されるということは。


「小地球に居ても、空食に襲われる危険性があるってことですか」


 そんなことになったら、空食に対して対抗する力を持たない人間は意図もたやすく蹂躙されてしまう。


「ああ。しかし主たる理由は不明だ」

「不明?」


 聞き返す。

 しばらくモニター凝視していた調が、俺と樹里さんの会話を耳に入れていたのか、真剣な眼差しでこちらに向き直った。


「おおよそ起きた出来事を理解しました。原因そのものは現地にでもいかないとわからないでしょうけど」


 と言いつつ、調はモニターにポインターを出現させて2本目の縦線──小地球が内部で抑え込めるスカイギャラクシーエネルギーの数値を指した。

 他の小地球と比べて、そこだけ頭ひとつ分ほど下がっているのがぱっと見てもわかる。


「見て分かる通り、この小地球は異常が発生しています。この小地球の内部で人々が発するスカイギャラクシーエネルギーを封じ込め、小地球の燃料として循環する機能が低下していることに起因するものでしょう」


 調は、ただし、と前置きして口元を覆うように手を添える。疑問を従えた仕草だ。


「小地球の機能が低下するのは小地球の耐久年数を考えれば織り込み済みですけど……にしても低下の幅が想定よりも大きい」

「それは俺も気になってたんだ。小地球004は初期に作られたものだが、ここまでパワーが下がる理由はない。俺と調さんが当初に計画していた数値より10%も稼働効率が落ちてる」


 軍蔵──おやっさんが、顎鬚を撫でながら調に同意する。剃ってる最中だったのか、右顎だけ髭の濃淡が強い。

 004ってナンバーからして、最初期に作られた小地球なのは想像に難くないが、スカイナイトの開発、整備を担当する2人が疑問を感じる程度には、イレギュラーなことであるようだ。

 稼働効率が下がっているのなら、それを阻害している物があるだろうか。


「単純な疑問なんだが、稼働効率に影響が出るような建物とかってあるのか?」


 調は人差し指を立てて、俺に教えるための姿勢を取った。その動き好きだな、調。


「大規模な電力を使うような施設は、稼働効率が下がる原因となり得るかもしれません。例えば病院とかがそれに該当します。もし長年、過剰に電力を使用していたのなら、効率に影響がでても不思議ではないですね。小地球自体は精密にできた機械なのであまりに負荷をかけると劣化するのも早くなります」


 そう言って、調は備え付けられた小型のコンソールに向かい、ピポパと口に出しながら正面モニターに小地球004の情報を表示した。

 大波さんが、古い……と小声で口にしていたのがなんとも印象的だ。


「小地球の大雑把な状況はここからでも確認できますが、内部の建物までは住民が登録してくれないと把握できませんし……確かなことはなにも」


 目を凝らしても登録された住民が、古い小地球だけあって多い。一度でも住んだ安全な小地球を捨ててまで移動する人は珍しいので、古い小地球ならよくあること。

 最新……と言ってもそれほどの数ではないけれど、比較的新しく作られた小地球なら4世帯も住んでいれば多く思ってしまうほどだ。

 名前を見ていくと、家族だろう同姓の人たちが数多く存在していた。

 俺と同じくモニターを注視していた空が頷きながら。


「見てわかるのは、家族が多いってことぐらいだね」

「これだけだと、住んでる人間が多いから電力を使用してるようにしか思えないな」

「そんな程度で劣化が早まったりしませんよ。やはり、なにかがある小地球なのでしょうね。ただ問題ではありますが、本来なら早急に対処するべき問題とはならないでしょう。もっともな深刻な問題は──」


 本題をつげようとする調は、1本目の縦線に画面上でポインターを合わせた。

 他の小地球から比較すると、一線を画すほど縦線が長い。スカイギャラクシーエネルギーの発生量が目に見えて高く、それは歪にも見える。

 調は眉間に皺寄せて険しい顔をしながら、コンソールのキーを叩き始めた。


「このスカイギャラクシーエネルギーの量は、本当に異常なレベルです。先ほど確認した人数からして、ここまで発生するはずのないエネルギー量ですから。まず対処しなければならないのは、この原因を突き止めることでしょうね」

「調さん、仮定できる状況などはないですか」


 調が操作しているコンソールを後ろから覗きながら、樹里さんが尋ねる。

 2人の身長差からして、その姿は親が子の操作を見守っているような光景だった。口にしたらおそらく両方から怒られることは必至だ。


「そうですね……空さん、大地さんのような、スカイナイトに搭乗できるほどのスカイギャラクシーエネルギーを持っている人がこの小地球に居る可能性はあります。2人と比べても規格外すぎて、もし居るのだとしたら恐ろしくも感じるのですが」

「ふむ……どちらにせよ、言ってみなければわかりませんか」

「ですね。情報から読み取るのにも限界がありますし、直接行ってもらいましょうか」

「ではすぐに決めましょう」


 言いつつ、樹里さんが振り返って、まずおやっさんを見た。


「小地球の効率が低下している調査もしなければなりませんし、まず軍蔵さんお願いします」

「おうっ、任せろ。ちゃんと原因を突きとめてくるぜ」


 軍蔵さんは話が出た時から予想していたのか、迷いなく右腕でガッツポーズを取りつつ、ガハハと笑う。

 次いで樹里さんは俺に向く。最低でも小地球を調査する人とスカイギャラクシーエネルギーが過剰発生している原因を探る2人はいるだろうし、俺に回ってくるのも当然か。


「大地にも小地球に向かってもらいたいが、構わないか?」

「いいですけど、素人ですよ?」

「それは考慮するさ。空もついていってくれ」


 空は私も?と自身を指さしつつ、生じた疑問を口にした。


「いいんですか? 空食が侵攻してきたときにすぐ出撃できなくなりますけど」

「いまは地球の壁の様子も安定しているから、大丈夫だろう。もし壁に変化があったら、すぐにスカイナイトを君たちに送り届ける。調さんもそれで構いませんか」

「観測している限り、しばらくは大丈夫だと思いますよ。経験も積んでいただきたいので、私に異論はありません」


 樹里さんは、膝下まである白衣を腕でばっと躍らすと、力強く告げる。それを見ていると、こちらも気合いが入り、自然と背が真っすぐに伸びる。


「では軍蔵さん、大地、空。3名に小地球004に向かってもらう。第1に、スカイギャラクシーエネルギーの発生源をつき止める。これが最優先事項だ。第2に、小地球の効率低下の原因を探す。こちらはできる限りで構わないが……見つかるにこしたことはない。移動手段は軍蔵さんに車を運転してもらう。半日はかかるだろうし、明日の早朝、0700時から作戦開始だ。なにか疑問はあるか?」


 それぞれが頷いて、疑問がないことを確認した樹里さんが手を広げて前に突きだした。まるで再生された映像のワンシーンを見ているかと思うぐらいに、決まっている。


 「それでは解散っ! 明日に向けて自由に行動してくれ」


 こうして俺たちは、異常の発生した小地球ナンバー004に向かうことになった。

 にしても司令官という立場なのもあって勤め上げているだけなのかもしれないけど、樹里さんの命令は驚くほど板についていた。

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