第37話「手のひらのぬくもりから伝わったもの」
白のワンボックスカーが、ビルが崩れ折れてできた瓦礫の山や、倒壊した家屋の残骸を避けながら、乾いて荒れ果てた大地を進んでいく。
そこに人の営みのような暖かさはなく、街の墓場とも言うべき寒々しい雰囲気がある。
墓場、か。
刻まれた傷跡のように残る咲の最後が、脳裏にフラッシュバックする。
握った手の中で、魂が抜けるように冷える手。
腕の中で重さを増していく体。
思い出したくないのに、感触が鮮明に蘇る。
助けられなかった。なにが俺より先に死ぬことは許さないだ。
俺の手を取ってくれた暖かな彼女は、もうこの世界のどこにもいない。
ああ、ダメだ。考えるな。いまは、考えちゃいけない。
でないと、思考は沈むばかりだ。
気持ちを切り替えた途端、小さな瓦礫に乗り上げて、車体が揺れた。
柔らかいシートに何度も打ち付けられたお尻が痛い。本来こんなに尻が痛くなるものなんだろうか。
おやっさんの時は、大丈夫だったのになぁ。
「ん、どうした。お尻でも痛むか?」
操縦している樹里さんが、不思議そうに言った。
樹里さんは平気なのだろうか。運転してるからか……?
もしくは俺と同じように耐えているのか。前を見つめ続ける表情からは、読み取れない。
「ええ、まあ」
「あと数時間の我慢だ。耐えてくれ」
「はい……」
あと数時間かぁ。お尻がごりごりと削れるかもしれない。
樹里さんと話すのは、心苦しい。
俺は樹里さんに託されたのに、咲を守るどころか死なせてしまった。
ふたりでいても話題がまったく頭に浮かばず、心の傷口がじくじくと痛むような気がしてくる。
この生き地獄は、俺が咲を守れなかった罰なのだろうか。
「すまないな。急に出発することになって」
「いえ」
俯いていた目線を前に向けながら、返事をする。
俺が車に乗せられて揺られるようになったのは、数十分前のことだ。
空食を撃破して、レーヴァテインで帰還するなり、あれよあれよと車に乗せられた。
目的地を未だに聞かされてすらいない。
「どこに向かっているのか、聞かないのか」
「着けばわかると思って」
「……そうか」
嘘だ。
樹里さんと話すのが苦しいから、適当な言葉を並べる。
彼女は聡い人だ。俺の様子に気づいているはずだが、それでも言及しないのは優しさか。
優しさに甘えて、不義理なことをしていると感じつつも、止めることはできなかった。
フロントガラスの奥は、続く限り戦闘の残骸と荒野で埋め尽くされている。
ここには、なにもない。
咲と共に居たあの空間は、花畑は、生と死が曖昧で凍て付くような雰囲気はあったが、ある種、暖かいものだったのだろうと思う。
なにせ、植物が仮にも外で生きていられたのだから。
外の世界では、なにも生きていられない。空食に支配されたままでは、命が刈り取られる。
誰もが死を座するように。
首にかけられた縄が締め付けられるのを、ただ待っているだけだ。
なあ、咲はこんな最悪な状態、きっと望んでないよな。
゙みんなを守ってあげて゛
咲の言葉が、ずっと頭の中を叩く。
君すら守れなかった。救えなかった俺に、何ができるのだろう?
……
…
何度か緩やかな丘を超えて、車に揺られていた。
その間にも打ち続けられた尻の体力は、ノックダウン寸前だ。
延々と続く荒野の中では一際目立つ、異質な石造りの大門が正面に現れた。
昔、恩人の家の本で見た古代遺跡のように思える。あれが目的地だろうか。
大門の奥には入口があり、薄暗く来訪者を拒んでいるようだった。
白のワンボックスカーが速度を緩めて、やがて大門前で停止する。
「ついたぞ」
「……はい」
何かの目的があって、ここに来ているんだ。思考を切り替えなければ。
車外に出ると、ひと際肌寒い風が吹いた。身体が反射的に震えて、縮こまる。
大地が発光しているように明るいが、そろそろ夕刻時なのだろう。
空食が空を支配する前は、太陽が黄金の輝きを放つ時間帯のようだったが、俺の記憶にある限りでは鮮やかさと哀愁ある茜色に染め上げられた空なんて、小地球の中でしか見たことはない。
「さて、大地もこれを担いでくれ」
車から降りた樹里さんが、車後部の荷台を開けていた。
駆け寄ってみると、中身が詰まったバックパックが2つ用意されていた。
これで遺跡の中に行くのだろうか。
「着いた時からわかっているとは思うが、あの遺跡に入るぞ」
「ですよね。なにかあるんですか」
「それは道すがら話すとしよう。夜になるまで時間がない」
「はい」
ずしっと身体が下に引っ張られそうになる重さのバックパックを2人で背負い、石造りの大門を抜けて薄暗い入り口に入り込む。
物を背負うのは、久しぶりだ。
旅をしていた頃は毎日背負っていたというのに、いまはどこか遠いところに来てしまったような気がした。
……
…
遺跡の中に入ると、樹里さんが持つ懐中電灯を頼りに石階段を下ることになった。
壁は平らに整備されて、人の手が介在しているものであることがわかる。
遺跡に流れる空気は暖かく、じわりと纏わりつくような湿り気を帯びていた。
3分ほど階段を下ると、石を張り巡らせた長方形の通路が現れた。
階段は明かりがないと足元がおぼつかないほどに薄暗かったが、通路は蛍光灯でも壁に埋め込まれているように明るい。
それはまるで、現在の地上そのもの。太陽が昇らない地上を照らすように、不思議なものだった。
平らな壁が四方を埋めていて、発生源があるような雰囲気はまるでしない。
なんだ、ここ。本当にただの遺跡なのか?
「懐中電灯がほとんどいらないとは、こういうことか」
隣で樹里さんが辺りを見回したあと、納得したように頷き、懐中電灯を降ろしたバックパックに片付けた。
この不思議な光に、心当たりでもあるのか。
「こんな風に光ってる理由、知ってるんですか?」
「原理は地上の光と変わらないそうだ。空気中に漂うスカイギャラクシーエネルギーを変換して、光にしているのだと」
樹里さんが背負い直したバックパックの重さをものともせず歩き始める。
話しながらついてこいってことか。
進むごとに石階段では湿っていた空気が清々しい空気に変わっていて、背負ったパックパックが心なしか軽かった。
「そんな技術が、この古めかしい遺跡で使われている……?」
「らしい。調さん曰く、先史文明の遺跡らしいな……わざわざ私たちが車に乗ってまで探索しにきた理由を話しておこうか」
そうして、樹里さんがぽつりぽつりと話し始めた。
……
…
「
何度目かの通路を曲がった頃、俺は樹里さんから今回の目的を聞き終えた。
神話兵装とは、スカイナイトの動力機関の中枢部にあたり。俺と樹里さんは、先史文明の遺跡に存在する神話兵装を確保するために派遣されたらしい。
調はこの遺跡を知らなかったようだが、現存している神話兵装を把握していたことについては、疑問がある。
神話と付いているからには御大層なものだろうに、どこで存在を知ったのだろう。
やはり調には、通常の知識では持ち得ないような謎が多いと感じる。
そう伝えると、樹里さんは思考するように一泊置いて、口を開いた。
樹里さんにも思うところがあるのかもしれない。
「調さんは昔から秘密主義だからな。私たちが手を焼く必要がないこと、伝えなくても問題ないものは口にしない。無意味に不安を煽るのは、嫌いな人なんだ」
いつの間にか手に持っていたトランシーバーに増設された小型画面を見つめながら、樹里さんが進むべき方向を確かめる。
それには歩行した場所を記す自動記録地図と、神話兵装の反応を検知する装置が入っていた。
拡張性もあって万能だな、調作のトランシーバー……お気に入りなんだろうな。
「でも伝えてもらえないって、寂しくないですか? 自分ですべて背負ってるってことでしょう」
「……寂しいさ。話せないってことは、まだ私たちは力不足ってことだ。調さんの抱える問題を背負うには」
「いつか背負えるでしょうか」
「いつかはきっと──と言いたいところだが、まずは私たちの背負いものをなんとかするほうが先だろうな」
そう言ってから、樹里さんは通路から開けた空間に足を踏み込ませて、静かに振り返った。
哀愁や諦念が混ざった曖昧な表情が、俺の心をざわめかせる。
俺と樹里さん、2人で来させられたってのは、そういうことなんだろう。
あの日から──咲が死んでから向き合うことを拒んでいたものが、壁のように立ち塞がっていた。
「もう日も落ちた時間だ。今日はこの辺にして、野宿としようか」
……
…
通路から抜けた空間は、端から端まで100メートルはあろう半球状の広場だった。
この場所で何が行われていたか、推測できるような物は一切ない。
月あかりの光のように、ぼんやりとした光が天井から降りそそぐ、広い整然とした空間だ。
夜になると薄暗くなる光源の調整まで、現在の地球と同様。先史文明の人間は、スカイギャラクシーエネルギーの技術に関しては秀でていたんだろうな。
樹里さんのバックパックから取り出した簡易椅子を組み立てて、樹里さんと向かい合うように2脚並べる。
一息つくと樹里さんは、さらに小型コンロと小型鍋、真空パックされたお米入りのカレーを2つ取り出した。
小型コンロを点火。セットした小型鍋にカレーの封を切って放り込んでいく。
「すみません、準備してもらって」
「そちらのバックパックには、他のものが入っているからな。私が準備するのが筋だろう」
「そうなんですか?」
「ああ」
樹里さんが時折かき混ぜる小型鍋を凝視する。
具材がごろっと入って、食をそそる匂いが漂うカレーに、まったく興味が湧かない。
ひたすらに、気まずさがあった。
話しても、おそらく上部だけの会話になってしまう居心地の悪さ。
どうするべきなのかと、バックパックを視界に入れる。
中身は樹里さんのものと異なっているようだが、漁る気にはなれない。
「ほら、できたぞ」
俺が目を彷徨わしている間に完成したカレーをアルミトレーに盛って、スプーンと一緒に渡してくれる。
俺いま、何もしてなかったな……。
自己嫌悪は連鎖し、後悔を生み増やす魔物みたいなものだ。
本当によくないことは、自分が一番わかっていた。
「ありがとうございます」
「ゆっくり食べるといい」
「はい。いただきます」
「いただきます」
カレーをスプーンで掬って口に運ぶ。
ただ義務的に、空腹だからこなす。
喉を通るカレーの味が、よくわからなかった。本来は美味しいはずなのに、楽しむことができない。
どうしても、樹里さんを気にしてしまう──咲のことを考えてしまう。
「……美味しくないか」
ぽつりと漏らした樹里さんの言葉はあまりにも的を射たもので、心臓を貫かれたようだった。
決して美味しくないわけじゃない。心が別のものに囚われているからだ。
樹里さんは食べる手を止めて、いまにも泣き出しそうな潤んだ瞳が俺を見つめていた。
あの樹里さんを、いつも俺と空の背中を押してくれている人を悲しませてしまっていることが一層、心を締め付ける。
「いえ」
「嘘を言うな。君の顔には書いてあるぞ」
「……っ」
自分では、気づかれないように努めていた。
挫けないように、折れないように。
気づいてはいけないから。
とっくに気づいているくせに、目を逸らそうと必死だった。
「取り繕うとしていたようだがな 、私もそうだったからよくわかる。いや、みんな気づいていた」
「……」
「人の死とは多かれ少なかれ、影響を与えるものだ。特に親しい間柄だった人間の死は、身を裂かれてしまうほどに痛いものだ」
聞いたことはないけれど、樹里さんは俺よりずっと前からスカイナイトのパイロットだった人のはずだ。
人類が空食に襲われ始めた頃から続く地獄を生き抜いた人なのだから、俺よりずっと多くの人の死を見ている。
実感の伴った、重く哀しげな言葉だと理解できた。
何もかも事実の正論だ。
正論だけど、俺は。
「でも、だからって、俺はどうすればよかったって言うんですか」
感情を堰き止めていた理性が、いまにも崩壊しかかっていた。
脳裏にこびり着いた咲の最期が、何度も再生される。
無意識に。
目の前が潤む。
歯に力が入る。
頬に湿ったものが伝う。
「咲は生きたがってた。あの咲が生きたがってくれた。なのに俺はっ、救えなかったっ!」
「咲がそうなったのは、君のおかげだ」
「俺のおかげってなんですか! あの空間で空食が目覚めたのは、俺が咲に近づきすぎたせいだってわかってるっ! なのにおかげっておかしいでしょう!」
咲が発生させていたアンチスカイギャラクシーエネルギーを解決しようとしたのは、俺だ。
自惚れと咲は述べていたが、少なくとも咲の閉ざした心を開いたと俺は自覚している。
スカイギャラクシーエネルギーは前を向く力で、咲がそういった前向きな感情を持ったからアンチスカイギャラクシーエネルギーが薄れて、休眠中の空食が目覚め──最悪の結果に繋がってしまった。
それを俺の仕業でなかったら、なんと言えるのか。
「確かに、君は咲が襲われる原因を作っただろう。それは紛れもない事実だ。だが私は、よかったと思っている」
「なにを……言ってるんですか」
それじゃあ、咲が死んでよかったと、そう言っているみたいじゃないか。
樹里さんの強固な意思の灯った瞳が、俺を射抜いていた。
伝えたいことは、そんなことでない。瞳はそう訴えかけている。
樹里さんは、荒波の中にある俺の感情を沈めるように静かに口を開く。
「人の心の傷は、いつか時間が解決すると言った人がいる。人は忘れる生き物だから、慣れる生き物だからと。だが、私はそうは思わない。拒絶、絶望、嘆き、苦しみ、解決するまでに、どれほどの膿を傷から吐き出し続けることになる。もし死ぬまでに時間が足りなければ、その人はただ暗闇に取り残されて、死んでいくだけになる」
「……咲のこと、ですか」
絞り出せたのは、中身のない言葉だけだった。
「彼女は、生きていた。だが毎日を無気力に過ごして、ただ息を吸って、過去の傷に心を囚われて、それで生きていると言えるのか。君が──大地が死人の咲を生き返らせてくれた。私は、そう思っているよ」
樹里さんの放つ感情の奔流に、ただ飲み込まれる。
正直に言えば、俺は失望されているのだと思っていた。
樹里さんから忠告は受けていたのだ。俺はお節介だから、踏み込みすぎるなと。
想像もしなかったから。咲が死ぬ結果になってしまったから、俺は樹里さんの顔をまともに見ようともせずに。
辛くて、自己完結していた。
「でも俺は咲を、守れなくてっ」
「咲の最期の言葉を、思い出してみろ」
対面していたはずの樹里さんが、接近していた。ふわっと俺を胸に抱き寄せて、柔らかな手が壊れ物にでも触れるように髪を撫でる。
「それは真実の言葉だ。咲の想いを、君が受け止めてほしい。君にしか受け取れないものだ」
纏まらない思考の中、樹里さんの言葉が反響していく。
闇の中に、一筋だけ朧げな光が射していく。
……咲の、最期の言葉。
数秒前の出来事のように、鮮明に浮かぶ。
消えていくぬくもりを抱きしめるように、強く手を握りしめたあの時を。
『大地、私──あな──たと──会え──よか──た』
心に穿たれた穴に、暖かな空気が流れる。
ああ。
そうだ。
咲は、掠れる声で、俺に会えてよかったと。
そう言っていた。
死の間際でも、俺に言葉を残してくれている。
決して、彼女は素直な人間ではなかった。
最初は俺を認識せずに、どうでもいいと。そう言わんばかりだった。
虚なのに澄んだ瞳。感情の伺えない表情も、覚えてる。
なんて恐ろしくも、哀しい姿だろうと。
そんな繋がりのない関係性の中で起こった川辺での本音は、俺と咲の関係性を一変させた。
咲はあの時、初めて俺を認識してくれた。
一方的に恩を返そうとする俺に、事実呆れていたんだろうな。
咲と過ごした時間は何気のない、ただの日常で、大切な一時。
俺を認識してからは、露骨に面倒そうだったり、料理を手伝ってくれたり、不器用で優しい本来の姿を見せてくれた。
だから、真実の言葉なのだとわかる。
本心から俺に会えてよかったと。
そう思ってくれていた。
俺が訪れたから。
咲の闇が晴れて。
襲われてしまったけれど。
それでも咲は、最期にぬくもりを伝えてくれた。
悲しいことだけが、広がっているわけではない。
絶望に埋め尽くされた心に差した一筋の光が、広がっていくような気がした。
「……っ」
「いまは泣けばいい。私でも支えるぐらいはできるさ」
ぎゅっと抱きしめられる。
樹里さんのぬくもりは、咲のぬくもりに似ていて。
「ぁっぁっ…ぁぁっ」
涙腺が決壊したように、涙は途切れる事なく溢れる。
体に伝わる確かなぬくもりは失われることなく、俺に存在を証明し続けてくれていた。
咲は、こんな涙を出し続ける俺をみっともないと思うだろうか。
それとも、しょうがないと思ってくれるだろうか。
想像の中で、咲は嬉しくも困ったような曖昧な笑顔を浮かべている気がした。
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