第三十二話

 二度も訪れた学校近くの高台の公園。

 正式名称は『星見ヶ丘公園』っていうんだけど、規模は名前負けしてると言っていい。

 唯一、夜になると夜景や星がキレイに見えることかな。

 だからなのか、ここはカップルにも密かな人気があるらしい――が、今日はそんな光景は見られない。



「春森ぃー!!」



 公園にたどり着くなり、オレは春森の名前を叫んだ。

 風はますます強くなって、立っていられないほどになってきている。

 公園の遊具や建ち並ぶ樹木を順当に探し回る――が、見つからない。そもそも返事もしない透明人間をこの台風の中で探すなんて無理がある。

 わかってはいるけど、探さなきゃ始まらない。



「春森! どこにいるんだ、春森!!」



 返事をしてくれ……。

 切なる願いがオレの中で強い強い祈りとなって現れる。



「三田村君、危ない!」



 そんな願いが届いたのか、突然どこからともなくそんな声が聞こえてくる。

 オレはその声にハッとなって振り返る――が、見たモノは人影などではなく、一本の木の枝がいまにも割れそうになっている様。

 それが間髪を入れず、折れてオレの方に飛んでくるのが見えた。


 ……あ、オレ死んだ。


 一瞬、そう思った。

 だけど、どうしてか木の枝が身体にぶつかることはなかった。なぜなら、急に誰かがオレの身体を押し倒してのし掛かってきたからだ。

 しかも、その感触はしっかりと残ったまま。

 『見えないなにか』に助けられたことで、その正体を理解しちまった。



「もしかして、春森……なのか?」



 触れることのできないはずの透明人間がオレを助けた? だとしたら、いまそこにいるのは間違いなく春森だ。



「……春森なんだろ?」



 と、問いかけてみる。

 しかし、応答はない。

 代わりに起きたことといえば、のし掛かってきた感触がなくなっていることだけ。

 あとは、この暴風雨で痕跡すら残らないためにわからずじまい。でも、春森が目前にいることは明白な事実だ。

 オレは半身を起こして、見えないなにかを掴もうと手を伸ばした。



「待って、春森!」



 同時に呼び止めようと必死な声で叫ぶ。

 けれども、見えないものを掴むことなんかできっこない。それは、幽霊を素手で捕まえろと言っているようなものだ。

 それでも、オレは春森に聞こえるようにと訴え続けた。



「どうして? どうして、なにも言ってくれないんだっ?」

「…………」

「オレが遊園地で言ったことを気にしてるなら謝るよ。それと、気持ちにずっと気付いてあげられなくてゴメン」

「………………」

「春森がそんな風に思ってたなんて気づきもしなかった――オレ、彼氏失格だ。だから、せめてもう一度だけチャンスが欲しいんだ」

「………………………………」

「都合がいいのはわかってる。だけど、このまま春森が消えて終わりだなんてイヤだよ」

「…………………………………………」

「頼むから、返事をしてくれよっ――春森!」



 風に飛ばされそうになる身体をわずかに縮こませて答えを求める。



「……ごめんなさい」



 すると、寸刻して返事があった。

 怯むことなく、春森に向かって大きな声で言葉を紡ぐ。



「もっとわがまま言ってくれたっていいんだ。オレだって、しょっちゅう陽人や明姉にわがまま言ってるし、イヤなことはイヤってハッキリ言ってる」

「……そういうことじゃなくて」

「春森が自分を嫌いなのはよくわかったよ。でも、オレからすれば春森は魅力的なところがたくさんある女の子だと思う」

「でも、私は……」

「いまは『わかんないだけ』だよ! きっといつか自分で自分の魅力を知れば、周囲がどんな風に春森を思っているか理解できるんじゃないかな」

「それでもっ、それでもこんな自分はイヤなんです!!」

「……春森」

「………………」

「……オレは……どうすれば…………」

「………ごめん……なさい………」

「……わかったよ。春森の自分が嫌いだって言う気持ちは伝わった」

「だったら、いいですよね? 私ことなんかいなかったと思って、キレイさっぱり忘れちゃってください」

「それは無理な相談だ」

「どうしてですかっ!? いまわかったって言ったじゃないですか!」

「だって、オレは春森のことをもっと知りたい。たくさん知って、もっと好きになって、そんな気持ちがあるからわかってあげたいんだ」

「そんなのズルいですよ……。私は消えていい人間なのに」

「消えていい人間なんていないっ――春森は、オレにとって大切な彼女なんだよ?」

「……わからない……私は三田村君がなにを言ってるのかわからない……」

「ずっと一緒にいてよ、春森! オレが一生ついてるからさっ!!」



 その呼び掛けに春森はどう思っただろう?

 語られることのない幕間に激しい雨風がオレたちの関係を繋ぐようにして轟く。



「私は……私は……み……ら……んと……しょ……い……」



 あれ? なんか様子がおかしい。

 春森の言葉は段々と途切れ途切れになって小さくなっていく。例えるなら、テレビの音量をリモコンを使って小さくしていくみたいだ。



「春森っ!?」



 オレは突然のことに狼狽して、春森の姿を目で追って探し始めた。

 消える直前、



「三田村君? 三田村君!!」



 という声がわずかに聞こえた。

 それが叫び声だったのか、はたまた普通の話し声だったのか……いまとなってはよくわからない。

 伝わってきたのは、春森がオレにまだ離したいことがあるという気持ちだけ。



「春森……? どこだ、春森?」



 だから、オレは必死に探した。

 風雨が激しく降りしきる中、身体が吹き飛ばされそうになっても、ただひたすら必死に春森の姿を探し続けた。



「どこにいるんだっ、春森!」



 悔しい。

 哀しい。

 淋しい。

 大切な彼女をこんな形で失うなんてイヤだ。

 なんで春森が透明人間なんかにならなきゃいけなかったんだ? そもそも自己嫌悪に陥るなら、もっと別の方法だってあっただろ?


 ……こんな辛酸をなめる結果になるなら、オレは――。


 自分自身が許せない……。

 そう思った途端、オレはありったけの声で叫んでいた。



「お願いだから、消えるなんて言うなよっ――春森!!」



 春森には届いただろうか……?

 いや、きっとこの台風の轟音に立ち消えてになってしまったかもしれない。オレもまた大切な人を失ってしまう結果になったのかもしれないと考えちまった。


 ――日御碕さんみたいに。



「ざっけんなよ……どうして……どうして……春森だけが……こんな目に……」



 歯を食いしばり、悔しさを押し殺そうとする。

 その一方で、「もういいんじゃないか」を思いが脳裏をよぎっちまった。

 強い脱力感が全身の力を抜き、両手を泥だらけの地面につけさせる。半身を起こした身体もいまや泥まみれ。

 こんなにもアッサリと心が折れかかるなんて……春森の存在は、オレにとってそんなに薄っぺらいものだったのか?

 そんな自問自答なんてツラいだけだろ?

 なんで、なんで……。



「……えたくない」



 刹那、微かな声を耳にする。それは、春森が消えたと思った方向から聞こえた希望の声だった。

 矢庭に顔を上げ、声のした方角を確かめる。



「えっ!?」

「――消えたくない」

「春森……? そこいるのかっ!?」

「消えたくないなんかない! お願いですっ、助けてください――誠一君!」



 唐突に聞こえた声。

 オレはその声を目印にとっさに駆け寄っていった。



「誠一君……。私、消えたくない! アナタと一緒にいて楽しかった」

「いちず! オレに捕まって!」



 今度は捕まえてみせる!

 見えないからなんだ! 消えてしまったいるからなんだ!

 オレは、いま大好きな彼女を抱きしめたいんだ――と思った瞬間、伸ばした右手になにかが触れる実感を得る。

 それは確かに人の腕で、細くて、柔らかくて、温かい感じのする感触だった。



「春森! 捕まえた!」



 間違いなく春森だ。

 オレはロープをたぐり寄せるようにその腕を引っ張って、自分の胸元にたぐり寄せた。



「三田村君!」

「……やっと……捕まえた……」

「私、消えたくないです。ずっと……ずっとこのまま捕まえててくれますか?」

「当たり前じゃないか! 誰がなにを言おうと、春森はオレの彼女――大切な大切な彼女なんだから!!」

「……ありがとう、三田村君」



 嗚呼、なんか透明人間でも温かい感触はするんだな。

 そう思ったら、意地でも離さないようにしなきゃならない。

 だからかな? 春森のことがスゴくいとおしくなって、思わずどこにあるかわからない顔に向かって唇を近づけたくなった。



「大好きだ、いちず」



 オレは改めて告白した。

 5月のまだまだ春の余波なごりが残る日差しの中で告白して以来の言葉。それをもう一度、こんな嵐の中で告げるなんて思ってもみなかったよ。


 そして、オレたちは嵐の中でキスした――。


 まさかこんなかたちでしてしまうなんて思ってもみなかった。でも、それがお姫様の目を覚ます合図だったのだろう。

 ゆっくりと唇から離れて、目を開く……すると、春森は肌色の色彩を保った状態で、全身を雨水に大いに濡らしていた。



「は、春森。身体が……身体が元に戻ってる!!」

「えっ……? う、うそ!?」



 パーッと雨が上がって晴れたみたいに春森の顔が鮮明になっていく。

 それを見て、大喜びしないはずがない。



「やった! やった! やったよ、春森!!」

「信じられない……。私、ホントに消えると思ったのに」

「きっと春森が最後にオレを信じて『消えたくない』って言ってくれたからだよ」

「……そ、それは……まだ言いたいことがあったからで……」

「でも、これはスゴい奇跡だよっ。春森は自分のことが嫌いでも、オレのことはきちんと忘れずにいてくれるんでしょ?」

「……確かに……そうだったのかもしれません……」

「だったら、教えてよ!」

「えっ!?」

「春森の気持ち――オレ、いまさっき『大好き』だって言ったんだよ?」

「あっ……」



 ビックリしたような表情を見せる春森。

 いままで泣きはらした顔も、雨に濡れてびっしょりになった髪も、なにもかもがそこにある……。

 それだけでオレはうれしかった。

 ふと、周囲の様子がおかしいことに気付く。

 空を見上げると、雲の切れ目からわずかな月明かりが差し込んでいるのが見えた。



「……って、あれ? 雨止んでる?」

「え? あ、ホントですね」

「なんだかんだやってたら、台風過ぎちゃったのかぁ~」

「フフッ、本当に嵐のような出来事でしたね」

「まあね」



 まったく……。

 透明人間ってヤツは、どれだけオレたちに迷惑掛ければ気が済むんだよ。オレが物凄く苦労したって知ってるのか。



「三田村君」



 と思った直後、目の前の春森に人差し指で頬を突っつかれた。

 何事かと思って、顔を差し向けるとなぜか春森は微笑んで俺を見てた。



「私も大好きですよ♪」

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