第二十話
「晴れた日にはレジャーシートを敷いて、お昼を食べながら読書をするんです」
と、話していた春森のお気に入りの場所――。
それは、裏庭に植えられた楓の木の根元だ。話を聞いたとき、オレは「とても大事にしているんだな」と感心させられた。
だから、春森が行くとしたら、真っ先にそこへ行くんじゃないかと思う。
脇目も振らず、懸命に走ってたどり着いた裏庭……。
すると、必死の思いが神様に届いたのだろう。春森は両手を胸元に当てたまま、上を向いてじっと楓の木を見つめていた。
「春森!」
オレがそう叫ぶと、春森はハッとなってこっちを振り返った。
「三田村君……」
その表情は、完全に曇りきっている。
とても悲しくて、ツラくて、いまにも涙を流しそうな顔。
そりゃあ、そうだよな? だって、いつも優しい女の子が大切な友達に辛らつな言葉を投げかけたんだもん。
平気でいられるはずがない。
オレは木の根元まで行って、春森の対面に立った。でも、春森は苦しそうな表情を見せたくないのか、途端にうつむいてしまった。
「……私、優実ちゃんを傷つけちゃいました」
「うん、オレもビックリした。どうして、あんなこと言ったの? 春森、咲子先生の話を聞いてからずっと変だよ」
「……怖い……んです……」
「怖い?」
「日御碕さんがいなくなった話を聞いて、私も誰にも気付かれることなく消えちゃうんじゃないかって、そればかりが頭をよぎってしまって」
「それでずっと無理してたのか」
「私、どうしたらいいんですか?」
深い闇を心の奥を吐露した春森。
やっぱり、途方もない苦しみを抱えていたのかもしれない……じゃなかったら、あんな風に坂下さんに向かって、八つ当たりしたりなんかしないよ。
そんなことを考えていたら、急に春森が胸元に飛び込んできた。
「は、春森?」
えっ、なにこれ? どういうこと?
苦しいのはわかるけど、でもいまはそんな状況じゃ……と思ったのも束の間、春森は突然嗚咽を漏らして泣き始めた。
いままで心に溜め込んでいたものが堰を切ったようにあふれ出たんだろう。
しばらくの間、春森はずっと泣き続けていた。
「こんなはずじゃなかったのに……」
「気持ちはわかるよ。だけど、それはきちんと坂下さんと仲直りしてからにしよう」
「無理ですよ。きっと優実ちゃんも、私をキライに違いありません」
「そんなことないって。坂下さんだって、わかってくれる。それにあんなことで、春森を嫌うになるような薄情な人じゃないでしょ?」
「いいえ。きっと、嫌いになったに決まってます」
「どうして、そう決めつけるのさ? 諦めちゃダメだよ」
「……だって……だって……私は……ずっとひとりだったから……」
どういう意味だろう?
オレは、春森の「ずっとひとり」という言葉が引っかかった。だが、それよりも嘆き苦しむ春森を抱きしめて慰めてあげる方が先決だと思った。
オレは、春森の肩を寄せて抱きしめた――が、なぜかその手は春森のぬくもりを感じることなく、むしろ宙で浮いたような状態になった。
「あ、あれ?」
それで気付いた。
……春森が透明化し始めているのだと。
それは、何度試みても首筋や頭が触れることができない。どこを触れようが、なにをやろうが身体は透けて触れられなくなっていた。
焦ったオレは声を上げて、春森に訴えかけた。
「春森っ、身体! 身体が透けてる!!」
「えっ!?」
さすがの春森もその一声に気付いたのだろう。オレの胸元から離れ、自分の手で身体のあちこちに触れていた。
その間も、体中のあちこちがみるみるうちに透けていく。
ワイシャツが脱げ、ブラがほどけ落ち、スカートが地面に落下する――ありとあらゆる春森の衣服が上から順に落ちていった。
気付けば、春森は完全に透明人間と化していた。
「……ウソ? どうして? どうしてこんなときに……」
「春森、落ち着いて。とにかく、どこか隠れられる場所に移動しないと」
完全に狼狽してる。
こういうとき、オレがしっかりしないとダメだ。じゃないと、春森はまたネガティブな思いを抱いてしまうかもしれない。
その危惧から、オレはあたりを見回して誰もいないことを確認した。
「よし。今なら移動できそう」
「とりあえず、トイレに隠れた方がいいかもしれませんね」
「……だね。春森の服を持ってうろついてたら、また誰かに怪しまれちゃうよ」
もしも、そうなったら、今度こそ一巻の終わり。
それだけは、絶対に避けなければならない。オレは、落ちている衣服をできるだけ見ないようにして拾うと、近くの女子トイレに急ごうとした。
「あれぇ~? 誠ちゃんだ」
ところが、その矢先。
不意に聞こえてきた声を耳におもわず足を止める。オレのことを「誠ちゃん」なんて呼ぶヤツはこの世にひとりしかいない。
オレは振り返って、その答えを確かめた。
「こんなところで、何やってるの?」
やっぱり、明姉だった。
相変わらずののほほんとした性格に甲高く甘ったるい声。
丸顔にぽっちゃりボディはいつも通りで、5メートル先の渡り廊下のところから声を掛けてきただけだったようだ。
その証拠に春森が透明化する瞬間を見て驚いたという様子がない。明姉は、オレたちに緊急事態が発生しているなんて微塵にも思っていないようだった。
……ってか、マズい。春森の衣服を手に持ったままだ。
矢庭に手にしていた衣服を背中越しに隠す。
「ん? なにか隠した?」
ところが、この姉は肝心なときに気が付きやがった。
こんなときだけ察しがいいよな、明姉は。おかげでこっちが誤魔化すのが大変になっちゃったじゃないか。
ともかく、誤魔化すことに専念しよう。
「いや、何も隠してないよ? ホントに」
「ウソだぁ。誠ちゃん、いま絶対なんか隠したもん」
「……あ、明姉こそ、こんなところでなにやってるのさ?」
「むぅ~誤魔化しても無駄だもん」
「だから、誤魔化してないって」
もう煩わしいから、とっととどっか行ってくれ。
でも、この姉は完全に「なにかある」と疑って掛かっている。ジーッとオレを見つめ、その後ろに隠した代物について追及しようとする構え。
すかさず後退って距離を置いてみる。
――が、完全に怪しんでいる明姉も近付いてきて、背後に隠した代物の正体を探ろうとしていた。
右に移動すれば、明姉も前進しながら右へ。
左に行けば、さらに前進しながら左へ。
明姉とオレとの距離は徐々に詰まりつつある。このままじゃ、背後に隠した春森の衣服の存在がばれちまう。
「やっぱり、なにか隠してる」
「だから、隠してないって」
ヤバい、こんなところで一悶着起こしてる場合じゃないのに。早くどうにかして振り切らないと……。
「ひゃんっ!」
刹那、明姉が奇妙な声を上げてジャンプする。
何事かと思って見ていると、どうやらそれは誰かになにかをされて、飛び上がったといった感じだった。
もちろん、すぐさま後ろを振り返って背後を確かめていた。
でも、誰もいない。
「な、なに……?」
さすがの明姉もなにが起こったのか、理解できずに混乱している様子。
だがしかし、オレには「それがいったいなんなのか」ハッキリとわかっちゃった。
春森だ――。
誰もいないのに誰かが何かをしているなんて状況ありえないだろ? だから、透明人間と化した春森ならちょっとしたイタズラなんてワケがない。
でも、いったいなにをやったんだ? その間、明姉は未だなにが起きたのかをよく理解してないみたいだし。
「ふぇぇぇ……。な、な、なにが起きたの~?」
とかなんとか言って、困惑した顔を見せる明姉。
……あっ、でもこの状況を使えるんじゃね? なんとかウソをついて誤魔化せば、帰ってもらうかも。
ならば、思い立ったが吉日――さっそく実行に移すっきゃない。
「――そ、そういえば! このあたりって、不可解なことが起きるらしいよ」
「変なこと?」
「つまり、幽霊とかポルターガイストとか」
「ゆ、幽霊!?」
「明姉がいま飛び跳ねたじゃん? それって誰もいなかったのに、突然背筋がザワってしたのは、それが原因なんじゃないの?」
「お、お、脅かさないでよぉ~。お姉ちゃん、怖いのダメって知ってるくせに」
「だって、うしろを振り返って誰もいなかったんでしょ?」
「そ、それはそうだけど……。きっと触れられたのも気のせいだったの!」
「はいはい。じゃあ、なんで飛び上がったりしたんでしょうね」
よしっ、もう一押しだ。
明姉もすでに涙目になり始めてるし、こりゃイケるかもしれない。それに明姉はオレと同じで昔から幽霊とか苦手。
あと少し怖がらせれば、しっぽを巻いて逃げてくれるかも。
「明姉っ、うしろ!」
と急に叫んでみる。
当然、明姉は「ギャー」と飛び上がった。
そんでもって、瞬く間に逃げていく。そんな後ろ姿を見て、オレはちょっぴり悪いことをしたなと思った。
直後、春森から「三田村君」と声を掛けられた。
「お姉さん、大丈夫ですか?」
「大丈夫とは言いがたいけど、あとでフォローしておくよ」
「三田村君のこと、とっても慕ってるんですね」
「慕ってるっていうより甘えてる……かな? もう高校生だっていうのに、いつまで弟にべったりなんだよって感じ」
「いいじゃないですか。冷たくされるより甘えてもらっていた方が素敵だと思います」
「オレはイヤなんだけどねえ。もし、春森が気になるっていうんだったら、今度ウチに遊びにおいでよ」
「いいんですか?」
「どのみち明姉にも紹介しなきゃと思ってたしね」
今からどんな顔をするか、だいたい想像がつく。
きっと明姉のことだから、「お姉ちゃんのことはいらなくなったの?」なんてことを言い出すかもしれないし。
なんだか億劫だなあ……。
「……って、早くトイレに急がないと」
「そうですね。私もこのままっていうワケにもいきませんし」
「ここで女子の服一式持ってるなんてバレたら、学校生活即終了だよ」
などと言いながら、春森をせかす。
まったく明姉のせいで、肝心なことを忘れるところだった。とにかく、近くの女子トイレに急がないと。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます