第十九話
――パチンッ。
突然、目元を黒い影がかすめる。
そいつは、オレにわずかな風を感じさせたかと思えば、立てられた乾いた音をハッキリと認識させた。
目元をかすめた影の行方を目で追う。
すると、痛々しく腫れ上がった頬を押さえる春森の姿があった。しかも、その瞳は坂下さんをまっすぐ見たこともない形相でニラんでいる。
オレはそれで理解した――春森が引っ叩かれたのだと。
「……痛い? 痛いよね、いっちゃん。でも、いっちゃんが間違ってるって思ったから、私は引っぱたいたんだよ?」
と、坂下さんが言う。
この間、春森はただじっと睥睨した付けたまま――なにも言わず、なにも反撃せず、ただただ目で訴える。
でも、オレには引っ叩かれる理由を春森自身が理解しているのように思えた。だって、あれだけ透明人間になってしまうのを隠そうとしてたんだよ?
心配させたくないとか、迷惑掛けられないとか……そんな感情が春森の中にあってもおかしくないと思う。
春森を叱る坂下さんの言葉が淀みなく続く。
「もし、いっちゃんが誰かに三田村君を傷つけられて平気?」
「…………」
「私は平気じゃないよ。だから、こうやって引っ叩いたの」
「そうですか」
「――そうですか……って、それが答えなの?」
「だって、それ以外なにを答えろって言うんです?」
「私は大好きないっちゃんを引っ叩くのがこんなにツラいと思ってるのに、どうしてそんなに平然としてられるの」
「私は……」
「答えてよ、いっちゃん!」
途端に春森が言葉を詰まらせた。
やっぱり、坂下さんのこと大事に思ってるのかな? その証拠に春森の表情は、見ていられないぐらいにとても苦しそう。
ホントは仲良くありたいと思う気持ちに反比例して、春森は自分の意思を貫こうとしているようにも思える。
「……私は優実ちゃんとは違いますから」
ほどなくして、発せられたひと言――それは、普段の春森からは想像もできない冷たい言葉だった。
しかも、相手は入学以来ずっと仲良くしてきた坂下さんだ。
オレが知る限り、春森は誰かに声を掛けて友達になれるタイプじゃない。坂下さんから声を掛けて、過ごした時間と共に友達となったことは間違いないのだ。
にもかかわらず、この発言……。
いったいどうしちゃったんだよ、春森。
「……誠一? おいっ、誠一っ!?」
ようやく気付いたときには、陽人に呼び掛けられていた。
ハッとなって我に返ると、いつのまにか春森がいなくなっている。代わりに陽人と坂下さんが心配そうな顔つきでオレを見ていた。
「ス、スマン……」
「大丈夫か?」
「……ま、まあ……って、あれ? 春森は?」
「オマエがボーッとしている間に出てっちまったよ」
「ウ、ウソッ!?」
「しっかりしろよ。オマエが頼りなんだぞ」
「ホントにゴメン」
「まあいい。とにかく、春森さんを追え」
「春森を?」
「いまの彼女をフォローできるのはオマエしかいないんだ。行って、春森さんの本心を聞き出してくるんだよ」
「そ、そうは言っても……」
追って、どうにかなるものなのか?
ぶっちゃけて、いまのオレの言葉が通用するとは思えない。でも、守って決めた以上は、なにかしたいとは思っている。
陽人から視線を逸らし、胸に手を当てた状態でうつむく。
……嗚呼、そうかオレ迷ってるんだな。
ハッキリとわかったところでどうにかなるとは思えなかったが、顔を上げてみた坂下さんの瞳がオレに訴えかけているのが目についた。
「三田村君、お願い……。いっちゃんを追いかけて」
「坂下さんはそれでいいの? 陽人のこと、散々馬鹿にされたんだよ?」
「そりゃあ、私だってまだ怒ってるよ。でも、それ以上に私は大好きな友達を叩いちゃった……」
「……坂下さん……」
「そんなの私じゃない――むしろ、一番大っ嫌いな私だ」
「…………」
「だから、お願い! いっちゃんを助けてあげられるのは三田村君しかいないの」
あれだけのことがあって、これだけのことが言える……。
ある意味スゴいと思う。だから、オレは坂下さんに背中を押してもらったような気がしてならなかった。
オレはふたりの顔を見合わせ、
「わかった……。ちょっと行ってくる」
と言って、走って教室を後にした。
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