第二十一話

「あれからどう? いちずちゃんの様子は」



 と、咲子先生に問われたのは、ふたりが喧嘩した週の土曜日だった。

 今日は春森が一緒じゃない。

 急に咲子先生からケータイに連絡があって、なぜかオレだけが呼び出されたんだ。きっと春森本人から直接聞くのが難しいと判断したんだと思う。

 だから、彼氏である俺を呼び出したみたい。



「先生の話を聞いて不安に思ったのか、学校でカンシャクを起こして、彼女の……春森の友人と喧嘩しました」

「……そう。いちずちゃん、思ったより重症ね」

「あの、先生」

「なにかしら?」

「率直に聞かせてください。春森の透明化する病気は治るんですか?」



 オレは真っ向から質問した。

 こればかりはどうしても聞きたかった。でも、先生は黙ったままで、一向に話そうとはしてくれなかった。



「……そうね。完全に治るとは言えないわね」



 ようやく口を開いたのは寸刻してからのこと。

 咲子先生は観念したようにオレの問いに答えてくれた。



「そもそも直し方がわからないモノを治ると言ってしまうのは、医者として無責任だわ」

「じゃあ、治らないんですか?」

「治らないとは言ってないわよ。ただ、治療は続けていくしかないだけ」

「それって、一生掛かっても治らない可能性があるってことですか?」

「それはやってみないとわからないわ。何度も言うようだけれど、いちずちゃんの透明化の原因は心因性のもの。心に抱えた不安や悩みが自分を消去したいという願望に成り代わって発現させいてるんだと思う」

「願望……ですか?」

「ええ、たぶんね」



 春森の願望――そんなものが身体をと透明化させているっていうのか?

 オレはその疑問に思い悩んだ。

 だって、春森がそんな風に悩んでいるようには見えないんだもの。確かにいろいろと考えすぎなところはあるかもしれない。

 それでも、自分を消したいだなんて思い悩みなんてあるはずがない。



「ねえ、誠一君。人間の好き嫌いという感情についてどう思う?」

「……好き嫌い……ですか?」

「そう。抽象的すぎるかもしれないけど、思春期の男の子と女の子にとっては重要な問題よね。食べ物だったり、友人関係だったり、はたまた自分のことだったり」

「確かにオレもそういったことで思い悩むことはあります」

「好き嫌いというのは、メンタルの善し悪しにかなりの影響力を及ぼすもの。特に誰かが嫌いとか自分が嫌いとかいうのはね」

「じゃあ、春森もそれで悩んでるって言うんですか?」

「ありえなくない話じゃないわ。そこから発展して、自分を消したい、自分はいなくなった方がいい……なんて願望は、リストカットなんかに繋がっちゃう女の子は少なくないですもの。それが情緒不安定であればあるほど、ネガティブな方向に向かっていく」

「イヤな話ですね」

「春森さんの場合、自傷行為に及べなかったものが透明化という特異的な現象として現れたんじゃないかしら?」



 理屈としては、かなり筋が通っている。

 先生の言う原因は、春森のメンタルが自分自身を殺すために生み出した現象だとしたら、前に聞いた日御碕さんの話と同じ結末になるんじゃないか?

 そう考えると、透明人間になるというのはスゴく恐ろしいことなのかもしれない……。



「投薬とかでは治らないんですか?」

「薬はあくまでもそうした感情を抑えるためのもの。だから、根本的な問題を探り当てていかないとどうにも解決できないわね」

「なるほど」

「そして、透明人間になる真の原因……。これがわかればいいんだけど、そのあたりはどうも思春期特有の多感な感情が原因を散漫にさせてるのよねえ」

「――ってことは、それがわかれば解決策も見いだせるんですか?」

「少なくともそうね。だから、今日はこうしてアナタと話がしたいと思って呼んだのよ」



 なるほど、だからオレが呼ばれたのか。

 ……とはいえ、解決策は見いだせるのか? オレなんかでホントに役に立つんだろうか。

 疑問が疑問を呼ぶ。



「それで、オレは結局なにをすればいいんでしょうか」

「私の結論は変わらないわ。今まで通り見守っていてあげてちょうだい」

「はい……?」

「……そうするしかないのよ。悩んでたら相談に乗ってあげるとか、そんなことでいいの。本人がどうしても話したくないってことを無理矢理話させようとすれば、かえって心を開かなくなるわ」

「つまり、春森が一番心を開いているオレが特効薬なんですか?」

「結局のところ、それしかない。人といることでなんらかの影響を受けるみたいだし、特に彼氏のアナタなら薬となりうると思う」

「あの、この話を友人にしてみてもいいですか?」

「かまわないけど……どうして?」

「実は、春森が喧嘩したという相手は一年の初めの頃、クラスで浮いた存在だった春森を友人として迎えてくれた優しい子なんです」

「あら、いいじゃない。でも、どうしていままで相談しなかったの?」

「春森の希望だったんです――たぶん、心配させたくなかったんじゃないかと」

「なるほど、それでね……」

「だから、きっと彼女なら春森の気持ちを理解してくれると思うんです!」



 それを言った途端、オレは思い出した。

 入学してすぐに行われたオリエンテーションの日の出来事を……。

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