第四章「ケンカする彼女」

第十八話

 あの日から1週間が過ぎようとしていた。

 駆けつけた救急隊員や搬送先の先生たちの処置もあって、春森は大事に至らなかった。いろいろと検査させられて、おばさんにも心配掛けたけど、万事問題なしってことで翌日には退院できた。

 でも、その後が大変。

  話を聞きつけた坂下さんと陽人たちがやってきて、生きてるだの、死んでるだので大騒ぎ。

 自宅で療養することとなった春森も寝てられなかったんじゃないかな?

 しかし、そんなお祭りムードもすぐに終わって、先週の木曜日から登校するようになった。



「ゴメンナサイ。あのタイミングであんな話をするんじゃなかったわ」



 その後すぐに咲子先生からは謝られた。

 でも、きちんと取り合って見てくれるのは咲子先生だけだ。だから、春森はあの後も背病院へ足繁く通っている。

 オレはなにかあってはマズいと思い、できるだけ春森のそばにいるようにした。



「春森、平気? なにかツラいことがあったら、オレに遠慮なく言ってよ」

「ありがとうございます。でも、ここ一週間は透明人間になることもなく、とても調子がいいんです」



 と向かいに座る春森が言う。

 その笑顔は、どことなく影のある笑い方――平気だけど、平気じゃない。そんなウソをついているのが、すぐに理解できてしまう笑い方だ。


  ……それぐらいオレにだってわかるんだよ、春森。


 と言いたかったけど、とても本人には言える状況じゃなかった。

 それだけに、いまは穏やかに過ごして良くなるんじゃないかと願わずにはいられなかった。



「お・ふ・た・り・さん!」



 そんな中、坂下さんが春森の席へやってきた。

 語調は、相変わらずオレたちをからかおうとするお節介さんの雰囲気。オレたちの肩を叩き、その小さな身体を両手で持って春森の机にもたれかけさせている。

 だけど、坂下さんにはまったく悪気がないから悪質なんだよなあ。



「なになに? なんかあった?」

「あ、いえ……。具合はどうかと聞かれたので」

「ああ、先週体調不良で休んだもんね」

「それで三田村君に大丈夫ですとお伝えしてたんです」

「ふぅ~ん、三田村君も心配性だねぇ」



 いちいち茶化してくるのは、坂下さんらしい。

 だけど、重い空気が和らいだのは事実。その事実を伏せて、オレは話に混じろうとする坂下さんに応じてみせた。



「いいじゃん? 春森は、オレの彼女なんだし」

「つまり、それってオレが守ってやる~とかそうこうこと?」

「いや、そうとも言うけどさ」



 答えてみてなんだけど……これ、結構ハズいな。

 そうなると気になるのが春森の反応……って、なんか顔がメッチャ真っ赤になってるんですけど!?



「あ、あれ? オレ変なこと言った?」

「い、いえ、大丈夫ですから……」

「三田村君が守ってやるって言うからでしょ?」

「ち、違っ! それは坂下さんが……」



 どう考えても、坂下さんが悪いのになんで!?

 そう思っていたら、唐突に「こらこら」という陽人の声が聞こえてきた。



「優実。ふたりを茶化すのはそれぐらいにしてやれよ」



 と言いながら、教壇の方から歩いてきた現れた陽人。

 日直だったのか、黒板に書いてあった文字を全部消していたらしい。オレが顔を差し向けると、当人は「やれやれ」といった表情をしていた。



「だって、このふたりの近況知りたいと思うじゃない? だから、ついついからかいたくなるんだもん」

「いや、こっちはいい迷惑なんですけど……」

「とか言いつつ、三田村君はすぐにバカップルっぷりを発揮するクセに」

「それは優実がからかうからだろ」

「私はただ単にいっちゃんと三田村君の近況知りたいだけなんですぅ~」

「それをからかうって言うんだ」

「むぅ~納得できない」



 いや、納得されても困るんですけど。

 んまあ、本人は悪気があってやってるのはわかってるからいいけどさ。でも、たまには加減はして欲しいなと思う今日この頃。

 坂下さんに関しては、これ以上なにも言えないな。



「それになんか今日はいっちゃんが浮かない顔してるし」



 ……って、そこでこの一言!? 勘弁してよ、坂下さん。


 でも、坂下さんのお節介は留まることを知らない。陽人の方を見ていたかと思えば、突然振り返って背後に座る春森の顔をのぞき込んでいた。



「やっぱり、いっちゃんなんかあったよね?」



 坂下さんが核心を突くような言葉を言う。

 それだけで、ふたりの間に緊張が走った。

 なにをどう言いつくろって間に割って入ればいいのか? 困惑するオレを余所に事態は刻々と進んでいった。



「いえ、なにもありませんよ」

「ウソね」

「……もう。優実ちゃんも相変わらずも心配性ですね」

「笑って誤魔化しても無駄だよ。だって、今日のいっちゃんって笑ってても、泣いてるみたい顔してるもん」

「そんなことないですよ」

「あるわよ。私が知ってるいっちゃんは、もっと明るく笑って振る舞ってるもの」



 あっ、これヤバい。

 ちょっと火が付いちゃったみたいだ。この勢いだと、どこまでも燃え広がって大火事になってしまいそう。

 とにかく、止めに入らなきゃ……。



「さ、坂下さんっ!? 春森も困ってるみたいだし、その辺で止めにしない?」

「三田村君は黙ってて!!」

「いや、そういうワケには……」

「それともなに? 三田村君、なんか知ってるの?」

「えーっと、それは……」



 どうしよう。

 おもわず口籠もっちゃった。しかも、ヘタに介入したせいで矛先がこっちに向いちゃったじゃん。

 このまま追求されると言い逃れできなくなる。

 ……などと逡巡していたら、矛先がふたたび春森へ向けられた。



「ねえ、やっぱりさ――いっちゃん、私になにか隠し事してるでしょ?」

「そんな事ありませんよ」

「何回ウソだって言わせる気? それにこの前だって、秘密の買い物するとか言ってたけどアレだってどうなったの?」

「アレはアレで三田村君と決めて買いました」

「そ、そうそう! アレはどうしても秘密にしておきたい買い物だったんだ」

「ホントにそうなの?」

「ホントにホントだって! ねえ、春森」

「ええ、そうです。今日の優実ちゃん、なんだか変ですよ?」

「変なんのは、いっちゃんの方だよ」

「……私……ですか……?」

「ねえ、いい加減白状してよ。私はいっちゃんの友達じゃないの?」

「…………」

「楽しいことも、ツラいことも一緒に乗り越えてきたじゃない。だからこそ、大切な親友の隠し事なんて我慢ならないの」

「……坂下さん、話はそれぐらいに……」

「三田村君はいちいち割って入ってこないで」

「…………」

「ねえ、いっちゃん。黙ってたって、話はわからないわよ」

「………………」

「正直に教えてよ。私、いっちゃんのことが心配だから助けてあげたいの」

「……んで……するん……ですか」

「えっ、なに? よく聞き取れない」

「なんでっ!? どうしてっ!? そんなことするんですか!!」

「い、いっちゃん……?」



 唐突な春森の怒鳴り声。

 これにはオレも驚かされた。

 いつもおとなしくて、日だまりのような静かな笑顔を浮かべてるだけの彼女が必死な形相で怒ってみせるなんて思いもよらなかったからだ。

 おかげでクラス中が騒がしくなっちゃった。

 誰がなにしただの、春森が怒っただの、珍しいモノを見る目でこっちを見てる。こんなんじゃ解決どころの話じゃないよ。



「それ、ホントに私のためなんですか? 優実ちゃんが自己満足で解決したいだけじゃないんですか?」

「ちょ、ちょっといっちゃん! 落ち着いて!!」

「優実ちゃんはいいですよね。なんの不自由も、なんの悩みもなくて、鵜来君と幸せそうで羨ましいです」

「なによ、それ……? 私がいっちゃんたちと比べてるって言いたいの?」

「では、お聞きしますが――なぜ私たちの近況をいちいち聞きたがるのですか?」

「それはふたりが上手くやってるかどうかの確認であって――」

「それこそウソですよっ!!」



 どうしよう、収集が付かなくなってる。

 春森は完全に感情的になってるし、冷静なはずの坂下さんも完全に黙り込んじゃったよ。

 ってか、このままじゃ双方とも感情的になって、仕舞いには暴力による抗争になっちゃうんじゃ……?

 などと懸念していたら、先に坂下さんがうつむいて沈んじゃった。

 すぐに陽人が「落ち着いて」と割って入って、ふたりの仲を取り持とうとしてたけど。

 オ、オレはどうすりゃいいんだっ!?



「春森さん、優実も悪気があって言ってるわけじゃないんだ」

「ウソですよ。だって、優実ちゃんはいっつも人の心配ばっかりで、自分のことはないがしろにして。それこそエゴイズムの塊みたいなものじゃないですか」

「そんなことはないよ。優実も君が心配だから――」

「心配だからって、なにを言っても許されるんですか?」

「そうは言ってないけど……」



 ああもうっ、これどうなるんだよ。

 オレはなにもできないし、話す言葉すらない。これじゃあ、陽人と春森の間でただ手をこまねいてるだけじゃないか。

 それでも、状況は進む。



「そうやって、鵜来君が優実ちゃんのことを甘やかすから増長したんじゃないですか」



 とっさに述べられた春森のとんでもない一言。

 もちろん、それに対してオレも焦ったさ。なんせ、ありもしない疑惑を向けるなんて、春森らしくないに決まってるだろ?

 だから、すぐに止めに入った。



「春森、それは言い過ぎだって!」

「三田村君は黙っててください」

「どうしたんだよ、春森。いつもらしくないじゃないないか」

「いつもらしくない? こんな状態で、どうやっていつもらしくいろって言うんですか」

「だからって、いまの一言は――」

 と言いかけた直後だった。

「……取り消して……」



 オレの横で沈んでいた小さな身体の女の子がボソリとつぶやいた。

 そりゃあ恐ろしいぐらいの気迫があって、わずかにオレもビビっちまったよ。でも、そんな子が必死に彼氏を傷つけられたことを怒ってる。

 それを見て、現状坂下さんには逆らわない方がいいと思っちまった。



「いっちゃん、いまの言葉取り消してよ!」



 うつむいた顔を上げて叫んだ坂下さん。

 春森の机をドンッと叩いて、激高している様子を見せた。でも、その顔にはわずかばかり涙が浮かんでいて、親友と争いたくないという気持ちも窺い知れる。

 とはいえ、対する春森も譲る気がないらしい。

 面と向かって、坂下さんと対峙する気だ。



「お断りします。優実ちゃんこそ、私に干渉しないでください」

「そっちの方が悪いじゃん! 陽人君はなにもしてないのに、それを傷つけるなんてヒドいよっ!!」

「優実ちゃんがそうさせたんじゃないですか」

「――いっちゃん、本気? 本気でそんなこと言ってるの……?」

「ええ、本気ですよ。優実ちゃんがやめてくれるまで、何度でも言い続けます」



 ヤバいよ、ヤバいよ! どうしよう!

 一触即発の状況じゃないか。

 春森の挑発に対して、坂下さんも完全に怒ってるみたいだし、このままじゃ本当に殴り合いに……と考えていた最中だった。

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