第十二話

 翌週の水曜日。

 病院に受診して早々、咲子先生に問われた。



「調子はどう?」



 もちろん、その問いに答えるのはオレじゃない――春森だ。

 今日は前回の話を受けての受診日。

 なにをどう解決するかはまだ決まっておらず、そもそも透明になるってこと自体が医学的な意味で治せるのかどうか……。

 それでも、咲子先生が診察してくれるのは、オレたちにとって光明が差す思いだ。



「……順調とは言いがたいです。ただ、ここ最近は落ち着いてるときもあって、その落差に戸惑ってる感じです」



 そう言いながら、春森が不自然に透明化した左手を差し出す。

 小指の付け根から中指の半分ほどまでがごっそり消えており、まるで最初からそこに存在していないかのような感じになっていた。



「改めてみると不思議ね。透明化して存在していないかのような感じなのに本人の感覚では手先までしっかり存在しているということになっているし」

「……でも、私はそのうちなくなってしまうんじゃないかって心配で」

「落ち着いて、春森さん。そういう精神的な落ち込みが透明化になんらかの影響を与えているんじゃないかと私は思うの」

「……精神的な……落ち込み……」

「あの、本当にそんなことありえるんでしょうか?」



 春森に変わって、オレが先生に質問する。

 その点はどうしても気がかりだった。

 だって、あれだけ他の医者へ行っても相手にされなかったんだよ? だというのに、どうしてこの先生はこんなにも真面目に診察してくれるんだって思いわけがない。



「春森さ……じゃなくて、いちずちゃんって呼んでもいいかしら?」

「はい、構いませんが」

「ありがとう――じゃあ、改めて。私は、いちずちゃんが不安になればなるほど透明化の兆しが現れるんじゃないかと考えています」

「どうして、そう思うんですか」

「まず、さっき話してくれたデパートの一件。あれも、唐突に透明化しだしたのよね?」

「……はい」

「そのとき、なにか別なことを考えなかった?」

「いえ、なにも」

「本当に……なにもなかった?」

「はい、ありませんでした」

「と言うことは、無意識になにかを考えた結果として、透明化が現れたんじゃないかしら」



 そう根拠付ける理由はなんだろう?

 割って入るようにオレは咲子先生に尋ねた。



「なにか証拠はあるんですか?」

「証拠って言う証拠はないわ――ただ、あくまでも推論だけど、いちずちゃんが透明化しだしたときの状況を聞いて、なにかに不安に思っていることがあるからそうなんったんじゃないかって考えたの」

「不安に思っていること?」

「少なくともね。透明化しだしたのが、キミと付き合いだした前後からってことでいいのよね?」

「……言われて見れば、確かに春森の様子がおかしくなったのはその頃からかも」

「ということは、精神的になんらかの変化があったことは事実ね」

「う~ん、変化かあ……」



 オレと付き合ってうれしかったとか?

 いや、そんなチンケなオチじゃないだろ。

 恐らくは真逆――不安に思うようなことがあるからこそ、春森は透明化しだしたんじゃなかろうか。

 チラリと春森の方に顔を差し向ける。

 顔の表情からも落ち込んだ様子が窺い知れた。



「ところで、ふたりは心療内科がなにか知ってる?」



 不意に咲子先生が思わぬ事を聞いてくる。

 

 ……そういや、とっさに掛かり付けたから気にもしてなかったな。


 心療内科――。

 この手の病院ってどのぐらいの人が認知してるんだろう? だいたい心の病気にかかるって相当なことなんじゃないのか。

 オレはそれが知りたくて、先生に聞き返した。



「……えっと、心の病を治すところですよね」

「それだったら、精神科でもいいじゃない」

「え? だったら、いったい何が違うんです?」

「心療内科っていうのはね、心の病気が表層……つまり、手や足、身体などに異常を来してしまった状態を治す医者なの」

「じゃあ、精神科は?」

「そっちは心そのものね。ただし、心療内科でもうつ病などの精神疾患を見ることもあるけど、基本的には心身症から由来の病気を診ることね」

「へぇ~……。聞かないとわかんないけど、実際違うんですね」

「そうね。普通に暮らしていると、なかなか掛かり付ける機会なんて滅多にないわ」

「だとしたら、春森の透明人間になるという事象も心の問題なんですか?」

「私はそうだとニラんでる。でも、実際そういった事例があるわけじゃないから、詳しい診察をしてみないとなんとも言えないわね」

「心と体の病か……」



 言われて見ると、透明人間になるってなんとなくそういうことなのかも。

 世間一般的には都市伝説の類い――神話や民謡なら天狗の隠れ蓑のような魔法のアイテムやおとぎ話の生き物を介してありうる話だ。

 だけど、春森はごく普通の人間……。

 当たり前だけど、こういった人の身に起こるってことが不思議なぐらいなんだよな。

 オレはそのことを鑑みて、改めて先生に聞いてみた。



「結局のところ、どうやって直すかもわからないんですよね?」

「ええそうね。お薬も『鎮静薬』などの心に効くお薬を処方するのが試してる段階ね」

「あの、失礼な話。ぶっちゃけて、春森に出してもらってる薬って効いてるんですか?」

「……言ってもいいの?」

「はい、包み隠さずお願いします」

「実際のところ、お薬が効いているとは考えてないわ」

「アハハハッ……。ホントに包み隠さないんですね」

「アナタが言ってって言ったんじゃない? それに透明人間になるなんて発症例は事例がないんですもの」

「ですよね……」

「だから、いまのところ治療自体が手探りなの。悔いを残した『あのときのこと』を含めて……ね」

「……あのときのこと?」

「ううん、なんでもないわ――さて、今日は帰ってもいいわよ」

「え? もうお終いなんですか!?」

「だって、お薬出して問診するしかできないもの。今の時点で、できることはここまでよ」

「いや、でも……」

「誠一君が焦ることじゃないわ。私も最大限いちずちゃんと話してみるから、安心してそばで見守っててあげなさい」

「――わかりました」

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