第三十一話
自宅にたどり着く頃には、もうびしょ濡れ。
上着は完全に濡れるわ、パンツの中まで水浸しになるわで散々だ。
どうにか家に辿り着いたときには、風雨がスゴすぎて、もう一度外に出るなんて絶対考えられないよ。
オレは下着姿で浴室から出ると、リビングでテレビを見ているであろう明姉に向かって声を掛けた。
「姉ちゃん、風呂沸かしといてくれてありがとうね」
すぐに「どういたしまして」と答えがかえってくる。
お笑い番組でも見てるのかな? テレビのボリュームを大きくしてるせいか、明姉の大笑いする声と共に廊下の方まで聞こえてくる。
夢中になっているところを見てるところ、「構ってちょうだい」とか言ってくる気配はなさそう。
オレは、そのまま二階の自分の部屋まで上がった。
頭に被ったタオルで髪を拭き、扉を閉めて机に向かう。机上に目を移すと、置きっ放しのスマホが着信が遭ったことを知らせていた。
「陽人と坂下さんからだ」
どうやら、ふたりとも無事に家に辿り着いたみたい。「そっちは大丈夫か」とか「今日はお疲れ様」というSNSのメッセージが入っていた。
すぐにスマホを手に取って、ふたりに返事をかえす。
《ふたりともお疲れさん。今日はありがとね》
《こちらこそありがとう――雨、大丈夫だった?》
《もうずぶ濡れだったよ。傘なんてなかったし、家帰って速攻で風呂行った》
《激しく同意。私、明日は風邪引いて学校休んじゃいそう》
《陽人は大丈夫だった?》
《オレも無事じゃ済まなかったぞ。それより、今日はホントわるかったな》
《気にしなくていいよ》
《春森さんの様子がヘンだったけど、あのあとフォローしたか?》
《いや、まだだけど……》
《早くフォローしておいた方がいいぞ。あそこでオマエがキレたのは、少しマズかったんじゃないか》
《私もそう思う。いっちゃん、少し驚いた表情してたもん》
《だよね……》
やっぱり、あそこでキレるべきじゃなかった。
春森は、オレたちの会話をきちんと見てくれてるだろうか。SNSに応答がないとなると、個人チャットしてみるきゃない。
《とにかく、はやめに連絡して謝っとけよ》
と陽人が言う。
その言葉を胸に刻み、オレはすぐさま春森にメッセージを送ってみた。
《春森いる?》
《…………》
だが、しかし返事はない。
まだお風呂に入っているのかと思い、本を読みながらしばし待つ。すると、待ちかねた返事が春森から返ってきた。
《こんばんは、三田村君》
《あのさ。今日はゴメンね》
《別に気にしてませんよ。それに私もちょうど三田村君とお話がしたいなと思ってたところですし》
《そうだったんだ。よかったぁ~春森に嫌われたかと思ったよ》
《……あの、いま電話してもいいですか?》
《別にいいよ。っていうか、なんで?》
《三田村君に直接お話ししたいことがあるんです》
なんだろう?
とても大切な話みたいだけど……などと思っていたら、すぐに春森から電話が掛かってきた。
「もしもし、春森? ってか、なんか電話越しに物凄い風の音が聞こえるんだけど」
「だって、まだ外にいますし」
「えっ!? 外に出てて大丈夫なの?」
「平気です。それにここは眺めがいいし、消えるには絶好のポイントかもしれません」
「………………え?」
春森は、いったいなにを言ってるの?
外は大雨だよ? 台風だよ?
にもかかわらず、外に出ているなんておかしいじゃないか。オレはそのことに違和感を覚え、春森に事の真相を訊ねた。
「じょ、冗談だよね? 窓から外の様子を窺ってるだけだよね?」
「――私、自分が一番嫌いでした」
「え? な、なに……?」
「三田村君や優実ちゃん、それに鵜木君に囲まれて幸せだったことも自覚してます」
「どうしちゃったの、春森?」
「こんなに幸せでいいのかな? 私が求めてたのはこれだったのかな……なんて考えたこともあるんですよ?」
「いったいなにが言いたいの!?」
「ですから、三田村君。私はあなたたちと一緒にいてもいいのかなという他人との関係に自分を求めたんじゃなくて、私はあなたたちに嫉妬していただけだったんです」
「嫉妬……?」
唐突すぎて、なにがなんだかワケがわからない。
春森は、どうして外に出てて、どうして消えるなんて言ってるの? どうして、嫉妬なんかしてるっていうんだ?
それがわからなくて、オレは唯々春森の言葉に耳を澄ませるしかなかった。
「だって、そうじゃないですか。みんなはすぐに仲良くなれるのに、私は引っ込み思案でなかなか前に進めなくて、三田村君に引っ張ってもらわないとなにもできない」
「違う。春森は、スゴく優しくていい子だ」
「三田村君から見たらそうかもしれません。でも、私は……私は自分を着飾るために、自分を良く見せようとするために三田村君と付き合って、優実ちゃんたちと仲良くなった最低な人間なんですよ!」
「どうして、そんな考え方ができるの? もっと単純でいいんだって」
「単純になんか考えられませんよっ!! みんなを利用してただけの私なんて」
「春森……」
「……結局、こういう自分が嫌いだから消えてしまいたいんです」
「消える――って、ちょっと待って! 春森っ!!」
「――さよなら、三田村君」
次の言葉を紡ごうとした瞬間、電話は途切れた。
もう一度話がしたくて、電話をかけ直してみた。
でも、何度やっても着信拒否……しまいには電源まで切られて、春森は完全に出る気がないということを意味していた。
引き留める言葉も、
別れを告げる言葉も、
何も言わせてもらえない。
なんだよ、これ……。
どうして、こんなことになっちまったんだよ!
一方的にサヨナラって、そんなのアリかよ!
やりきれない気持ちが怒りとなって露わになる。
オレは耳に当てたままのスマホを壊れるかってぐらい握りしめ、一方的にサヨナラを告げた春森に腹を立てた。
でも、それだけじゃない……。
春森が自分のことを嫌いだって言うのなら、それを救ってあげたいって気持ちも沸き上がってきたのも事実だ。
それを考えた途端、オレは部屋を飛び出してた。
「明姉っ! ちょっと出かけてくる」
気付けば、階段を降りて玄関で靴を履いて出て行こうとしていた。
こんなにも行動的になれるのは、いつ以来だろう――いや、春森が透明人間になってからは、ずっとこんな感じだったっけ?
「ちょ、ちょっと誠ちゃん!? 外は台風で危険だよ?」
不意に明姉の引き留める声が聞こえてくる。
オレは応じことなく、無言で玄関の扉を開けた。
途端に荒れ狂う風が行く手を阻む。
思わず両手で顔を覆っちまったけど、こんなことで立ち止まってる場合じゃないんだ。 オレはその気持ちを前面に押し出して、暴風雨の中を駈け出した。途中、何度もすっころびそうになった。
もちろん、一回ぐらいは派手に転んださ。
いや、数回かな?
でも、すぐに起き上がった。一刻も早く、春森の元へ行かなきゃって思いがオレにそうさせたんだと思う。
最中、オレは咲子先生に助けてもらおうと走りながら電話を掛けた。
「もしもし!! 咲子先生ですか!?」
「こんばんは、誠一君。どうしたの、風の音がすごいわよ?」
「……春森がいなくなりました!!」
「なんですって!?」
「オレは、これから探しに行こうと思います」
「ちょっと待って。アナタの家に車を回すから」
「いえ、もう外に出てます。それにこの先は雨もヒドくなるだろうし――くっ」
「大丈夫? 外にいるんだったら、あまり無茶しないでね」
「イヤです!!」
「……誠一君……」
「オレは、春森の気持ちなんかこれっぽっちも考えちゃいなかった。ただ助けて、もっと恋人らしいことをしたいとか自分の気持ちばっかで、なんにも考えてなかった」
「…………」
「ダメなんですよ、こんなんじゃ……」
「気持ちはわかるわ。でも、いまはいちずちゃんを探すことが先決なんでしょ?」
「……はい」
「とりあえず、駅のロータリーのあたりで待ち合わせ。キミは、いちずちゃんを探し回ってもいいけれど、三十分後には必ずロータリーに来ること……いいわね?」
「わかりました」
と言うと電話は切れた。
そのあと、すぐきびすを返すように春森に電話を掛けた――が、相変わらず電源を切ったまま。
《お客様のおかけになった電話番号は、電波の届かない場所にあるか、電源が入っておりません》
無情な音声通知が春森との永遠の別れを告げてるみたいだ。かといって、春森のことを諦められるかと言ったらそうはいかないよ。
オレは風雨の中をただひたすらに探し続けた。
アミューズメント施設、デパート、水族館……行ける範囲のところで探してみたけれど、どこにも見つからない。
あとは学校ぐらいしか――。
「春森ぃぃぃいい~!!」
どこにいるんだ、春森。
いまはただ会いたい。
会って、話し合って、それでまた一緒に学校に行くんだ。そしたら、日曜日にはまたデートして、お互いに笑って、確かめ合って……いずれはキスをする。
そういう未来設計を一緒にしたかったのに。
どうして、どうしてこんな……。
気付けば、オレは駅前の通りにたどり着いていた。
――ピッピッ!!
刹那、後方から甲高い音が聞こえてくる。明らかに車が鳴らしたクラクション音で、俺を呼んでいるかのようだった。
振り返って確かめてみると、そこには真っ赤なスポーツカーに乗った咲子先生がこっちを見ながらハンドサインを送っていた。
乗れと言うことなのか?
オレは左のドアを開けると、急いで扉を閉めて助手席に座った。
「スゴい濡れようね。これ、タオルたくさん持ってきたから使って」
「ありがとうございます」
「ホントもう! とんでもなく無茶するんだから」
コツンッ。
と、軽く握られた左拳が濡れた前髪に当たる。ちょっとだけ痛かったけど、先生はそれだけ心配している様子だった。
「……すみません、勝手に先走って」
「いいから、身体拭いちゃいなさい。風邪なんか引いたら大変でしょ?」
「もう遅いですよ。ここまで来たら、最後まで必ず春森を見つけて帰ります」
「それは私も同じよ――車、出すわね」
「お願いします」
車が大通りを走り出す。
でも、行くべき場所はどこだろう? 髪を拭きながら、オレは春森が行きそうな残りの場所を考え続けた。
「どのぐらい探し回った?」
「行けるところは行きました。あとは市の図書館か学校ぐらいしか……」
「ねえ、もう一度よく聞かせて。キミがいちずちゃんから聞いたっていう話の内容を」
そう言われ、オレは電話の内容を事細かに聞かせて見せた。
春森自身が気付いたという思い違い。
心の中にずっと引っかかっていたという気持ち。
――それらを話すと、先生は黙ってその意味を思案してるみたいだった。
交差点の信号に差し掛かった直後。
いままで黙っていた先生が急にしゃべり出した。
「いちずちゃんの話が本当なら、透明人間になるという事象は本人の心象風景を現象化した代物だったのかも知れないわね」
「心象風景? 絵画なんかに出てくる言葉ですよね?」
「そう。心象風景というのは、描いた筆者の心情を現したもの。つまり、透明人間というのはいちずちゃんの『消えてしまいたい』という願望の現れだったんじゃないかしら?」
「……春森の……心の現れ……」
だとしたら、春森はずいぶん前から自分を消したいと考えていたってことなのか?
それともオレたちと出逢ってから、自分との差違に気付いてしまったから?
そして、なにもないと感じて、自己嫌悪して、オレたちのもとを離れたいと思ってしまったってことなのだろうか。
……わからない。
だったら、オレは春森をどうやって救ったらいいんだよ!
「春森いちず」
不意に先生が春森のフルネームを口にする。
「え?」
「いい名前よね」
「は、はい……。とてもいい名前だと思います」
「いちずっていうのは、おそらくご両親が『誰かを一途に好きになって欲しい』という願いから名付けたのね――本当に素敵な名前だわ」
「あの、咲子先生はさっきからなにが仰りたいんですか?」
「誠一君から電話が掛かってくるまで、アナタたちふたりから聞いた透明人間になってから今日までの経緯を整理してたのよ」
「……それがどうかしたんですか?」
「誠一君。キミ、透明人間になったいちずちゃんに触れられたのよね?」
「えっ!? あ、はい……」
「それって、とてもおかしな事だって気付いてる?」
「どういう意味ですか?」
「いちずちゃんから聞いた話だと、透明人間になったら衣服も脱げてしまうし、なにかに触ることができないの。ところがアナタから聞いた話によると、何度かいちずちゃんに触れているのよ」
「そ、そういえば確かに!!」
「つまり、いちずちゃんがキミに触れられるのは、それだけ拠り所にしてたってことじゃないのかしら?」
「あ!」
……そうか。
拠り所であるオレが遊園地であんな風にしてキレちまったから、春森は居場所を失ったんだ……。
そのことを知った途端、オレは自分が許せなくなった。
「クソっ!! オレは、なんてことを言っちまったんだ!?」
おもわずガツンッと車の扉に拳をぶつけてしまう。
それぐらい怒りが収まらなかった。春森はずっと頼りにしてくれていたのに、それすら気付かないなんて彼氏失格じゃないか。
「誠一君、落ち着きなさい」
「ですけど!? オレはどうしようもないヤツで、春森が透明人間になってからも結局なにもできなかった最低野郎ってことじゃないですか」
「そんなことないわ。それに私は言ったわよね? アナタが見守っていることが彼女にとっての最良の薬だって」
「でも、オレは春森にもっといろんな事を教えてあげたかった。いろんな場所に行って、いろんな風景を見せて……ってあれ? 風景?」
ふとあることに気が付く。
それは以前春森と見た風景のことだ。
しかも、その場所は春森と初めて話した大切な思い出の場所。高台から町並みがよく見えて、夜には星が綺麗に映る小さな公園『星見ヶ丘公園』のことだ。
……まだ行ってない。
オレは唐突に思い当たった春森の居場所にハッとなって気付かされた。
「誠一君? どうしたの?」
「わかった……」
「なにが?」
「春森の居場所です! たぶん、学校近くの星見ヶ丘公園です!!」
一筋の光明が差した気がする。
間違いなく春森はあの公園にいるはずだ!
オレたちが最初に出逢った思い出の地に。
それを思い立った途端、オレは急いで向かいたいという気持ちが高ぶった。
「急いで下さい!! 春森は絶対あの公園にいるはずです」
「わかったわ。飛ばすから、しっかり捕まってて!」
咲子先生がそう言うと、車はアクセル全開で学校の方へと向かいだした。
……春森、無事でいてくれ!
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