第三十話
「おーい、三田村くぅ~ん! 早く来なさいよ!」
「ま、ま、待ってよ――優実ちゃん」
なにこれ? 罰ゲーム?
唐突に『優実ちゃん』などと呼び始めたのは、ゲーセンのバスケットボールでの勝負に負けたせいだ。
「ねえ、三田村君。ここはいっちょ勝負しない?」
「勝負?」
「そう。負けた方が買った方の言うことを聞く。三田村君さ、私に散々振り回されて、イヤだって思ってたでしょ?」
「……うっ……なんでわかったの……」
「顔に出るのよ、顔に」
「アハハハ……。オレ、そんなに顔に出るんだ」
「まあ、大概のことはね。いっちゃんにもモロバレだったんじゃないの?」
「うわぁ~今度から絶対気をつけないと……」
「それで勝負するの? しないの?」
「するする! 勝って、坂下さんに『お兄ちゃん』って言わせたいし」
「……は?」
「え? いや、『お兄ちゃん』って言わせたいんですけど」
「キモッ!!」
「え、え、え!? ちょっと引かないでよ、坂下さん」
「三田村君……。そんなんだからいっちゃんとの仲も進展しないのよ」
「うぐっ!!」
「だいたいね、私に『お兄ちゃん』なんて呼ばせてどうする気?」
「い、いや……。妹なら兄の言うこと聞いてくれるかなぁ~と」
「どこのアニメよ!! そんな偏った知識の罰ゲームは許可できません!!」
「じゃあ、坂下さんは自分が負けて悔しいと思うことはなんなのさ?」
「私? う~ん、そうねぇ……目の前でおごらされたアイスクリームを美味しそうに食べてるところを見せつけられるとか」
「なんじゃそりゃ……?」
「あっ、いま馬鹿にしたわね? 私の大好きなスイーツを目の前で食われることがどれだけ屈辱的行為だかわかってないわね?」
「そんなにっ!?」
「そうよ。私は自分の好きなものに正直なの……いい? スイーツというのはね――」
このあと、メチャクチャ説明された……のは言うまでもない。
結果だけ言えば、オレの負け。
そして、与えられた罰ゲームは三時間のシャッフルタイムの間、坂下さんを『優実ちゃん』と呼ぶことだった。
「あの……。これ、メチャクチャ恥ずかしいんですけど辞めていいですか?」
「ダメです。というか、三田村君たちもおかしいのよ」
「え? なにが?」
「『春森さん』と『三田村君』って敬称のこと」
「いやいや、普通でしょ?」
「普通ってなによ。そもそも付き合って、もう何ヶ月経つの?」
「えっと、五月に告白したんだから……二ヶ月ちょい?」
「充分じゃない。にもかかわらず、未だに苗字呼びとかぶっちゃけないわ~」
「そんなにおかしいかなあ?」
「おかしいわよ。だって、お互い気心知れてくる頃だし、名前で呼び合っても全然不思議じゃないもの」
「そ、そうなのか……」
「ちなみに私と陽人君がお互いの名前を呼び始めたのもその頃よ」
「参考になります」
「……なので。今日はその予行演習だと思って、私のことを『優実ちゃん』と呼ぶように」
「うーん、納得したようなしてないような……」
若干無理くり感があるが、勝者の言うことじゃあ仕方がない。
オレは優実ちゃんに従って、名前呼びすることにした。
「えっと……。それじゃあ、優実ちゃん」
「なんザマス?」
「次はどこに行きたい?」
「うーん、そうね。お化け屋敷は、あとで陽人君と行くとして……」
「結構念入りに計画立ててるんだね」
「当たり前よ。陽人君には、いっぱい甘えたいもの」
「……うわぁ~。さすがにオレでもそれは引くよ」
「なによ? なにか文句もある?」
「いいえ、別に……」
「とにかく、次に行くのはジェットコースターよ!」
「えっ、ジェットコースター?」
なんでまた……って思ったけど、最初に言ったことを根に持ってるのね。
優実ちゃんはそんな感じでオレのことなんかどうでもいいみたいに自由奔放にはしゃぎ回っていた。
「ほら、三田村君。ここから一気に落ちるわよ?」
「ちょっと! 待ったっ、待った……」
「もう遅いぃぃぃぃ~」
「うわぁぁああああああ~!!」
「楽っしいぃ~♪」
ジェットコースターに乗車中、こんな会話が繰り広げられたのは言うまでもない。
その後は、二度目のフリーフォール、お姫様気分でメリーゴーランドに乗って、外野からオレが撮影するというシチュエーション遊び。
とにかく、優実ちゃんに振り回された。
予定の時間である三時間を過ぎた頃。
オレは、どっと疲れて顔がまともに上げられない状態になってた。
そのせいか、集合場所である遊園地の真ん中に設けられたふれあい広場でベンチに座るのが関の山。
横っちょで幸せそうにソフトクリームをほおばる坂下さんが羨ましいよ。
「あ~面白かった」
「……うぅ、もう無理」
「三田村君もだらしないわね」
「坂下さんがテンション高すぎるんだよ」
「そんな調子じゃあ、いつかいっちゃんに愛想尽かされるんじゃない?」
「春森はペースを合わせてくれるからいいの!!」
「……まったく、アナタたちふたりはいったいどうなってるのよ」
むしろ、その言葉はオレが聞きたいよ。
小さな身体のどこにこんな元気が秘められているのか……。陽人だって、ホントはきっと辟易してるんじゃないかって思う。
ふと気付くと、坂下さんのソフトクリームをなめる手が止まっていた。
「あれ? どうかした?」
「あのさ、ずっと聞きたかったんだけど……」
ん? なんだろう?
坂下さんの様子がおかしい……。
さっきとは打って変わって、深刻な顔つき……楽しげだった表情はどこへやら。坂下さんは
寸刻して、その口が開かれる。
「いっちゃんが透明人間になっちゃった原因って……私なんだよね?」
「坂下さんだけが原因じゃないよ。オレもその一因っぽいし」
「でもでも! それでも、いっちゃんがああなっちゃった原因のひとつが私なら、ちょっと引っぱたいちゃったこと、悪かったなって思うの」
「坂下さん……」
「情けないよね。友達の気持ちひとつ考えられないのに親友だなんて思ってて」
「そんなことない! 坂下さんがいなかったら、オレも春森と付き合ってなかったし、春森自身だって、きっとぼっちだったと思う」
「三田村君、彼女に対して清々と『ぼっち』だなんてよく言えるね」
「あっ! い、いや! いまのは言葉の綾であって――」
「わかってるわよ。三田村君がいっちゃんのこと大事に思ってることぐらい」
「だったら、言わせないでよぉ~」
「フフッ、ゴメンゴメン……でも、うらやましいなあ」
「羨ましい?」
「私が透明人間になったら、陽人君だってそうしてくれると思うけど。だけど、そこまで献身的に見てくれるとは思えないもん」
「聖人君子みたいな陽人が?」
「意外とアレでドライなところもあるのよ」
「信じられないよ。だって、アイツは誰にだって親切で優しくて、そのうえにお金持ちのイケメンでって三拍子以上揃った人間じゃないか」
「そんな人間でも付き合ってみると、案外欠点ぐらいあるのよ」
「……そういうもん?」
「そういうもの。だから、いっちゃんが大事にされてるのがうらやましい」
と言いながら、坂下さんは手元にアイスクリームのコーンを口にする。
残り少ないクリームをコーンと一緒にまるでリスみたいにパクパクと食べ尽くそうとしていた。
オレはそんな彼女を見ながら、ある疑問を投げかけた。
「あのさ。坂下さんから見て、透明化の原因がオレたちだけだと思う?」
「どういう意味?」
「先週ぐらいかな? 春森が様子がちょっとおかしいことがあったんだ」
それは千夏ちゃんとの幽霊騒動のときのことだ。
帰りがけに春森はボーッとした様子をみせた。実は、オレもそのことが気がかりで、あのあと何度か春森に問いかけてみた。
「大丈夫ですよ。特に何もありません」
春森から返ってきた言葉は、間違いなく定型句のような言葉。
逆にそれが気になっちゃって、ずっと誰かに相談したかったんだ。
「それはどんな感じだった?」
「なんかひとりでボーッとしてる感じ。我ここにあらず……みたいな?」
「三田村君がなんかしたんじゃないの~?」
「してないよ……って、あれ? したかも」
「なんだ、したんじゃん」
「いい雰囲気になってさ、それでキスしようとした」
「……で、いっちゃんは?」
「拒否された」
「はあっ!? なによそれ!!」
「だから、ヘンでしょ?」
「言われると確かにヘンではあるけど、単純に本人の気持ちが固まってなかっただけじゃないの?」
「でも、女の子でもいい雰囲気になったらキスしたくなるでしょ?」
「ならないわよ!」
「えぇぇ~!?」
「あのね、三田村君。男子がそうだとしても、女子だって好きな相手になにをされてもいいってわけじゃないの」
「そ、そうなの……?」
「何事もタイミングが大事。自分がいい雰囲気だって感じてても、相手は必ずしもそうだとは思ってないことだってあるでしょ?」
「確かに」
「だから、いっちゃんはキスしてあげられなかったことを気にしてるんじゃないの」
そう考えると納得がいく。
なら、春森がボーッとしてた理由はそれなのか。わずかばかりのしこりが残った気がしたが、坂下さんの言うことは強い説得力を持ってオレをうなずかせた。
「おーい、誠一! 優実!」
そんなところへ遠くから誰かの声が聞こえてきた。
顔を左手に向けると、陽人が手を振ってこっちに向かって歩いてくるのが見えた。その背後の一メートル離れたところには春森がいる。
……って、あれ? 春森の様子がおかしくない?
そのことに気付いた途端、オレは自然と陽人に駆け寄っていた。
「おいっ、陽人! オマエ、春森になにもしないって誓ったばっかりだろ!!」
「誤解だって。ちょっと話を聞いたら、あんな感じになっちゃって」
「あんな感じって……。明らかにしおれてるだろ!?」
「きちんと話を聞け! オレは、春森さんと透明人間の件を話し合っただけなんだ」
「透明人間の話を?」
「ああ……。少なくともオレたちに関係することが原因だと思ったから、春森さんに頭を下げてたんだ」
「謝った? 陽人が?」
なんで? どうしたら、そうなる?
ワケのわからなさに頭がどうにかなりそうだ。
当の春森は以前うつむいたままでこっちを見ようともしないし。それどころか、明後日の方を向いて、オレたちとは会話しないみたいな雰囲気を保ってるじゃないか。
ええいっ、それでも話を聞かなきゃ!
オレは、春森に事情を尋ねるべく近付いていった。
「春森、いったいなにがあったの?」
「……三田村君……」
弱り切った顔を見せる春森。
こりゃあ相当なことがあったに違いない。もし、これが陽人のせいだったら、一発ぶん殴るだけじゃ済まさないからな?
「教えて! 陽人となにがあったの?」
「えっと、あの……」
「もし陽人がなにかしたって言うのなら、オレはアイツをぶん殴らなきゃいけない」
「…………」
「だから、教えてよ――春森」
「ち、違いますっ。そうじゃないんです!!」
「じゃあなんなの?」
と言葉を紡いだ途端、春森は再び塞ぎ込んでしまった。黙って、答えようとしなくて、ワケのわかんない状況が延々と続く。
オレはそんな状況に苛立ちを覚えた。
「それじゃあ、わかんないよ! 春森!!」
気付けば、本来言うべきではない言葉を紡いでいた。
「三田村君、落ち着いて!!」
ようやく悟ったのは、坂下さんに抱きつくように制されたときのこと。自分がなにをしたのかを知った途端、後悔と絶望の感情が心の奥底から沸き上がってくるのを感じた。
「……ゴ……ゴメン……春森……」
オレ、なんてこと言っちゃったんだ。
ここまで春森を支えるって決めてガンバってきたのに。なのに、陽人や坂下さんに事情が知れた途端に苛立って、ストレス感じて、なにやってんだよ!
――クソッ!!
やり場のない怒りが心の内側からあふれ出る。
その間も春森は黙ったままで、ついには俺の顔すら見なくなった。結局、そのあとは帰宅の途につくほかなかった。
時刻は、午後四時。
入場ゲートまで戻ってきたとき、オレたちの間にはお通夜ムードが漂っていた。
「……そろそろ帰りましょうか。風が強くなってきたし、台風が近付いてるみたいだしね」
「台風……?」
「三田村君、天気予報見てないの? 今晩、台風が通過するんだよ?」
そうだったんだ。
遊びに夢中で全然気付かなかったよ。あ、でも確かに午後からお客さんが少なくなった気がする。
まさかそんな理由だったなんて……。
「誠一」
ふと陽人に呼びかけられる。
オレは坂下さんと話すのをやめて、陽人の方を向いた。
「今日はホントに悪かった。オレがヘンに気をつかって、謝っちまったばっかりに空気を悪くしちまったみたいで」
「別にいいよ。陽人だって、悪気があったワケじゃないんだろ?」
「ホントに済まない」
「ひとつだけ聞かせてくれ――ホントに謝っただけなんだよな?」
「それについては間違いない。それ以外のことは言ってないし、言おうとは思わなかった」
「天に誓って?」
「ああ、天に誓って」
と言うことは、やっぱり春森の中でなにかあったとしか考えられない。
全員と距離を置くようにたたずむ春森は相変わらず元気がないまま。坂下さんが近寄っていって元気づけてくれてるみたいだけど、その効果もまったくないように思える。
オレは向き直って、陽人との会話を続けることにした。
「少し時間を置いてから、春森と話してみるよ」
「そうしてくれ。オレも全力でオマエのサポートをすると約束する」
「助かるよ」
「ただこれだけは勘違いしないでくれ。春森さんの一件は、誠一ひとりの問題じゃなくなったってことを」
「オレひとりの問題じゃない……?」
「だって、そうだろ? オレたちは友人同士だし、もう春森さんの透明人間の知っちまったんだ。友人を助けないわけにはいかない」
「その気持ちはありがたいけど……。ただ、春森の負担にならないかな?」
「それはオレも危惧してる。だから、負担にならない程度に助けを求めて欲しい」
「……わかったよ、陽人。なにかあったら、陽人と坂下さんに連絡する」
「ああ、是非そうしてくれ」
「とにかく、今日は帰ろう……色々あって疲れた」
楽しいはずの遊園地デート。
どうしてこんなことになったんだろう……?
帰りの電車の車中、オレの隣に座った春森はずっとなにも話さないまま、顔をうつむけていた。
そりゃあ、確かに心配しなかったわけじゃない。
「春も……」
と、ノドから大切な彼女の名前も出かかったりもした。
それでも、遊園地で春森に苛立ちをぶつけちまったことを考えると、どうやって声を掛けたらいいのかわからなくて……。
結局、オレはなにも言えず最寄り駅まで無言だった。
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