第十話
「今日はどうかされました?」
医者に行けば、必ず交わされる常套句。
そこから、病状を説明して、診察してもらって結果を得る。それこそが病院がすべきことだ。
でも、困ったことに春森の病状(?)は医者には理解しがたい。
おかげで説明に戸惑っちまった。
「実は、身体が透けて消えてしまう症状に見舞われまして」
「は? えっと、どんな感じにですか?」
「身体が透明になるんです。透明人間になるって言ったらいいんでしょうか……とにかく、そんな症状になって困ってるんです」
「ちょ、ちょっと待ってください。冗談ですよね?」
「冗談なんかじゃないですっ、ホントなんです――信じてください!!」
この説明、春森はいったい何回話しただろう?
実際のところ、医者がこんなことを聞いて取り合うはずがない。
中には熱心に話を聞いてCTスキャンまで書けてくれた先生もいたけど、「問題なし」の一言で追い返された。
結局、オレたちは六件の病院をハシゴ。しかし、どれもいい結果が得られず、透明人間になってしまう現象の解明には至らなかった。
駅に向かって歩く中、春森の姿は「徒労に終わった」とハッキリとわかるぐらいに落ち込んじゃってるし。
透明人間になる……か。
いったいどうしたら、こんな現象が起こるんだろう?
「やっぱり、病気じゃないのかもしれません」
「大丈夫だよ、春森。きっと治る手立ては見つかるって」
と励ましても、春森は下をうつむいてばかり。
本人だって、意図して透明人間になりたくてなったわけじゃない。それなのに、こんな診断結果ばかりなんてあんまりだ。
どうにかして、陰鬱な気持ちを気を晴らしてあげないとダメな気がする。
オレは勇気を振り絞って、歩く春森の手をそっと握った。
「……あっ」
「オ、オレがついてるから」
「ありがとうございます、三田村君……」
デートでも握れなかった手をようやく握れたと思ったら、これかよ。
ホントはもっとムードのあるときに握りたかったんだけどなあ~。でも、いまは少しでも春森を元気づけることが大切。
――そう思った直後だった。
突然、1つの看板が視界に飛び込んでくる。
「……心療……内科……?」
それは、なにげなく目にした病院の看板だった。
『友垣心療内科クリニック』――確かにそこにはそう書かれていた。普段なら気にも留めない看板だけど、こういうときだけ目が行ってしまう。
なぜか?
そりゃあ、もちろん『心療内科』という馴染みの薄い病院だったからさ。詳しく言うと、ここなら真剣に話を聞いてくれるかもしれないと予感があったから。
だから、とっさに足を止めちまった。
「三田村君? どうかしました?」
当然、並んで歩く春森の足も止まった。
まあ繋がれたロープみたいな状態で足を止められたら、誰だって気付くよね。とはいえ、その意味で春森にはこの病院に関心を持って欲しいかもしれない。
「ねえ、春森。ここ入ってみない?」
「……心療内科ですか?」
「うん、そう。身体に異常がないってことは、もしかしたら心に異常があるのかもしれないし」
「…………」
「あっ! もちろん、春森がオカシイって言ってるわけじゃないよ。ただ、もしかしたら何らかの関連性があるのかもしれないし」
冷静になってよく考えてみると……。
なに言ってるんだろ、オレ。これじゃあ、春森をヘンな人みたいな扱いしちゃってるじゃないか。
医者にあまりにも相手にされなさすぎて、自暴自棄に陥っちまったかなぁ~? 自分で言うのもなんだが、この発言はヤバすぎる。
でも、ワラにでもすがりたい思いがあるのは事実。
ダメ元で言って聞いてみるしか……。
「……どう……かな……?」
「…………」
「無理にとは言わない。けど、オレはどうにかして春森が透明になるのを阻止したいと思ってる」
「………………」
「……ハハッ、やっぱなに言ってんだろ。これじゃあ、オレがダメみた――」
「わかりました」
「えっ!? いいの?」
ちょっと意外だった。
春森は否定的かもしれないと思ってただけに、アッサリ受け入れて正直ビックリ。わらにでもすがりたい気持ちなのかもな。
「三田村君が私のことをスゴく心配してくれているのは、わかってますから」
「ゴ、ゴメン! オレちょっと不謹慎なこと考えてた!」
「いいえ、いいんです。普通なら、誰がどう見たって透明人間なんかになれっこないんですし」
「……ホントにゴメン」
「大丈夫ですよ。私、三田村君のこと信じてますし」
「春森……」
嗚呼、なんていい子なんだろ。
やっぱり、オレにはもったいない彼女かもしれない……って、のろけてる場合じゃねえよ!
とにかく、診てもらわないと。
「じゃ、じゃあ……。さっそく行ってみようか」
オレは春森の同意を得ると、病院の扉を開いた。
室内は、八畳ほどの間取りで真新しい。周囲を見回すと、うっすらとしたピンク色の内壁が目についた。
病院らしい清潔感のある空間。
「こんにちは」
オレたちが靴を脱いで入ると、受付のお姉さんに挨拶された。
ぶっちゃけて、こういうところに来るのは初めて。他の病院と変わらないのな……まあ、医者だからどこもかしこも一緒なのかもしれないけど。
「すいません、初めてなんですけど……」
「今日はどういった症状でご来院なさいました?」
「えっと、オレじゃなくて……。受けたいのは、彼女の方なんですけど」
「あっ、彼女さんの方なんですね」
「……い、いえ違――って、違わないですけど。とにかく、ちょっとヘンな病気というか体質というかそういうモノにかかって直せないかなと思ってきてみたんです」
「わかりました。では、こちらの問診票に必要事項をお書きください」
「はい」
言われるがまま問診票を受け取る。
春森はオレと受付のお姉さんの様子を黙ってみていたけど、応接間の椅子に座るなり、不安な表情を浮かべてた。
「ホントに治るんでしょうか」
「心配しなくても大丈夫だよ。きっと治るって」
とはいえ、本日6件目の受診。
そりゃ不安にもなるよね……透明人間になる現象なんて、どんな名医でも治すことができないもん。
春森が問診票を書き終え、受付のお姉さんに手渡すと順番はすぐにやってきた。
「春森いちずさん、中へどうぞ」
と呼ばれ、俺たちは診察室へと赴く。
室内は6畳ほどの真白な壁とカーテンで仕切られた小さな部屋だった。その部屋の中にポツンと綺麗な女性が机に向かって腰掛けていた。
波打つ黒髪。
顔は舟形で、おっとりとした雰囲気の垂れ目が化粧と相まって大人の女性って感じを醸し出してる。
清潔感のある白いワイシャツは、身だしなみに気をつけていることと真面目な性格を現しているように見えた。
――なんかエロい……。
まさに女医って感じの人だ。
「こんにちは。今日はどうされました?」
ネームプレートに『
どうやら、この人が病院の院長先生みたい――表の看板と名前が一緒だし。
見た目からすると、35歳ぐらい? とにかく、若くて美人の女医さんが春森の症
状を見てくれる。
「……えっと……あの……」
でも、肝心の春森は戸惑ってる。
……無理もない。
ここまで6件の病院を訪れ、そのたびに「問題なし」とか「なにを言ってるの」的なことを言われたのだから。
春森がここで口を噤んでしまうのは仕方がないことだと思う。
だったら、オレが代わりに言うしかなくね?
オレは勢いに任せ、遠回りするような言い方で先生に尋ねてみた。
「先生は、人の身体がガラスみたいに透けたりすることができると思いますか?」
途端に先生が怪訝そうな顔をする。
言っとくが、これでもオレは真剣だからな?
それもこれも、すべては春森の為だ――だから、オレはここまで頑張ってきたのだし、春森にも頑張って欲しいと思ってる。
「……み……三田村君……」
「いいんだ、春森。ここまでガンバってきたことは、一番側にいたオレがよくわかってるから。だから、今回はオレに言わせてくれ」
「……で……でも……それは私が言わなきゃ……いけないことで……」
「わかってる。けど、春森はここに来るまでの間に6人のお医者さんに話して相手にしてもらえなかっただろ? それにオレも見てるだけってのはツラいから」
そうだ、本当にツラかった。
最初こそ医者も信じてくれると思ってた。
しかし、話しているうちに段々と相手にされなくなるにつれ、春森の気持ちは押しつぶされ掛けてたんないかと思う。
それを考えると、スゴくやるせない気もするじゃん。
だから、オレは再度先生の方を向き直って答えを求めた。
「……透ける? それは、つまり透明人間のことかしら?」
とっさに先生から帰す刀で質問で返ってきた。
言わずもがな、オレは「はい」と強い意志を示した。
「そうです。声はあるのに実態が見えない……まさしく先生の仰ってる透明人間です」
「面白いこと言うわね。もちろん、ココが病院だってことはご存じ?」
「知ってます」
「なら、冗談半分で来診されても困るっていうのもわかるわよね?」
「冗談なんかじゃありませんっ――ホントのことなんです!!」
お願いだ、信じてくれ。
もうオレには願うことしか出来ない。この先生が信じてくれなかったら、俺たちは何を信じて明日を迎えればいいんだろう。
――たぶん、ずっとツラい思いを背負ってくんだろうな。
「半井さん、この後の患者さんは?」
「そんなっ!?」
だが、無情にも俺たちの希望の灯火はかき消された。
もうダメだ。
信じてもらえてない……。
「いえ、この後の予約はありませんが……」
「今日は早めに締めちゃって。私、ちょっと用事ができたから」
嗚呼、やっぱりオレたちは相手にされてないんだな。
そう思うと、ちょっぴり春森の顔が見づらい。でも、ここで春森の顔を見ないと、ずっと見ることが出来なくなっちまう気がする。
すぐさま春森の顔をチラリとうかがってみた――すると、案の定春森は泣きそうな顔で顔をうつむけていた。
くそっ! なんでだよ!
なんで誰も信じてくれないんだよ……。
「春森、帰ろうか」
「……三田村君……」
「いいよ、明日また別の病院を探そう」
オレは説得することを諦め、春森と共に帰宅の途につくことにした。
その間、先生がオレたちのことを気に留める様子はなく、問診票になにかを書き連ねていた。
そして、荷物を持って診察室の扉に向かって歩き出す。
「ちょっと待って」
ところが、意外なことが起きた。
ドアノブに手を掛けた途端に背後から先生に呼び止められたのだ。
「もう診察はお終い」
――そう判断したと思ったのに。
先生は、いったいオレたちになんの用があるってんだ?
「いったい誰が帰っていいって言ったのかしら?」
「えっ……。でも、オレたちの話してること、信じてくれないんじゃないじゃ?」
「誰も信じないなんて言ってないわよ」
「じゃ、じゃあ……?」
「いいから。2人とも座って、座って」
ウ、ウソだろ?
まさか、こんな展開が起こるなんて……。もうとっくにあきらめたと思っていたのに、雲の隙間から一筋の光が差し込んだみたいだ。
「み、三田村君……」
「春森っ! よかった、春森!」
とっさにオレたちは顔を見合わせながらも、互いの名前を呼んで喜びを分かち合った。
それから、再び椅子に座って、診察してくれる先生の言葉を待ち続けた。
「さて、改めて診察を始めるわね」
こうして、オレたちは友垣先生のもとで治療を受けることとなった。
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