第十四話

「カワイイ……」



 と、水槽越しに春森がつぶやく。

 円柱状の水槽を泳いでいるのは、ゴマフアザラシだ。中二階となっているフロアの上下を行ったり来たりしながら、オレたちを見ている。

 週末、オレたちは水族館で楽しい時間を過ごした。

 咲子先生のところの看護師さんに割引券をもらったってことも大きく寄与している。

 だけど、それ以上に春森の不安を少しでも取り除いてあげることがいいんだろうと思って連れてきたのが一番の理由。

 アザラシを見て、子供のようにはしゃぐ春森がなんだかそういう風になっているようには思えないよ。



「――春森、アザラシ好きなの?」

「はい。子供の頃に見てたアニメでゴマフアザラシが出てくるアニメがあって、そのアニメが大好きでよく見ていたのを覚えています」

「それなら、俺も見たことあるかも。少年が抱えて連れ歩いてるんだよね」

「そうなんです。その愛らしい顔立ちがたまらなくて、いままで漫画なんて一冊も買ったことなかったのにお小遣いを一生懸命貯めて買いました」

「そんなに好きなんだ」

「はいっ! ギュッてしたいぐらいに!」

「へ、へぇ……」

「フフッ、やっぱり実物も可愛いです。ヌイグルミとかでもいいとは思うのですが、実物は実物なりに味わいがあるんですよ」

「そうなんだ」



 とはいうものの、オレにはよくわからない。

 なんかこうアニメは見たって記憶はあるんだよ? だけど、オレは当時バトルもののアニメや漫画にハマってて、そっちの方がハッキリと覚えてる。

 まあ、この辺は嗜好の違いってヤツなんだろうけど……。



「でも、来てよかったよ」

「なにがですか?」

「春森がそんな風に喜んでくれるところなんて初めてだからさ」

「そ、そうですか?」

「うん。だって、春森の誕生日って十一月でしょ? 付き合ってまだ二ヶ月ぐらいだけど、そういう風に喜んでくれることなかったなって思って」

「そんなことないですよ。私は、三田村君がいろんなところに連れ出してくれるだけでうれしいです」

「……それなら、オレとしてもうれしいんだけどね」



 と、春森を前に言い淀む。

 なぜ言葉を途切れさせたか――?

 それは、オレにその実感がなかったからだ。だって、今日ここに来るまで、また春森が透明人間になっちゃうんじゃないかって心配だったんだよ? 

 少なくとも、素直に喜べないのも事実。

 春森に対して後ろめたいけど、こればっかりはどうしようもない。うれしいって気持ちは受け取っておくけど、実際最後まで油断できない状況だ。



「そろそろ他の展示物も見て回ろうか」



 オレたちはゴマフアザラシに別れを告げ、館内の展示物をじっくりと見回った。

 イルカショー、ペンギンの大行進、アシカの独唱会……などなど、水族館の中にはいろんな催し物がある。

 そんな中で立ち寄った売店。

 オレは、そこで春森の好きそうなものを見つけてしまった。



「これ見てよ、春森」



 手にしたのは、小さなアザラシのヌイグルミが付いたキーホルダー。言うまでもなく、さっきまで春森が夢中になって見ていたアイツをモデルにしたものだ。



「うわぁ~カワイイです!」

「これさ、学校の鞄に付けて持ち歩いたら良さそうなサイズじゃない?」

「ですね。ちょっと欲しいかも……」

「よかったら、プレゼントするよ」

「え? で、でもそんなの悪いですよ」

「遠慮することないって。まあ誕生日までは早いけど、付き合って二ヶ月の記念にプレゼントさせてよ」

「じゃ、じゃあ私も三田村君になにかプレゼントを……」

「いやいや、オレの方は別にいいよ」

「ですが……」

「春森が喜んでくれたら、オレはそれで充分。少なくとも、いまのオレにとって、この時間が奇跡みたいなもんだしさ」

「……ホントにいいんですか?」

「いいって、いいって! 気にしちゃダメ。とにかく コイツはプレゼントさせてよ」

「で、では、お言葉に甘えて」



 オレは陳列棚からアザラシのキーホルダーを手にすると、すぐさまレジへと持って行った。



「あれ? 三田村先輩?」



 ところがである。

 レジのそばで聞き慣れた声を耳にして、オレは立ち往生せざるえなかった。誰だろうと思い、後ろを振り返るとメガネを掛けた女の子が立っていた。



「千夏ちゃん? なんでこんなところに……」

「先輩こそ、どうしているんですか――って、聞くまでもないか」

「アハハハ……。おおよそ千夏ちゃんの予想通りだよ」

「じゃあ、春森先輩もいらっしゃるんですね」

「ほら、あそこ」



 と言って、キーホルダー売り場で物色している春森を指差す。

 すると、千夏ちゃんはすぐに春森の方を見た。そして、その姿を見つけると納得した様子でこっちを振り向いた。



「相変わらず、仲がよろしいようで」

「茶化さないでよ。それより、千夏ちゃんはどうしてここに?」

「今日は、勉強の息抜きのつもりで来てみたんです」

「勉強? 千夏ちゃん、一年生だよね」

「そうですよ。でも、私は司書になりたいので、いまのうちから勉強して推薦で希望の大学へ行くつもりなんです」

「へえ~偉いなあ」

「そういう三田村先輩は大丈夫なんですか?」

「え、なにが?」

「『なにが』じゃなくて、来年受験ですよね」

「いや、そうなんだけどさ……。ぶっちゃけて言うと、あんまり実感沸かなくて」

「そんなちゃらんぽらんで大丈夫なんですか?」

「うん、わかってはいるんだけどね……」



 正直、なにをやったらいいのかわからない。

 まず社会に出て働くってこともイメージできていないのだ。千夏ちゃんのように司書という夢があって、それを叶えるために大学へ行くという設計図もオレにはない。



「三田村君、キーホルダーは買えましたか?」



 そんなところへ春森がやってきた。

 同時に千夏ちゃんがいることに気付いて驚いた様子を見せていた。



「え……? 千夏ちゃん?」

「こんにちは、春森先輩」

「どうして、千夏ちゃんがここにいるんですか?」

「う~ん、それはさっきも三田村先輩に説明したんですけどね……」

「?」

「まあいいや。せっかくおふたりに会えたのですし、よかったらお茶を飲みながら経緯をお話させていただけませんか」

「それはかまいませんけど……」

「では、決まりですね。あっちにレストランがあったので、そこでお茶にしましょう」



 と言うと、千夏ちゃんが我先にとばかりに先導して歩き出す。

 その動きは、なんだかオレたちに会えたことがうれしかったみたい。キビキビとした手足の動きからハッキリと見て取れたよ。

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