第五章「消えた彼女」

第二十六話

 放課後の一年生の教室。

 背伸びをする影があかね色の部屋に映り込む。けれども、沈み行く日の光は弱々しく、部屋の隅々までを照らし出すことができなかった。

 明暗が分かたれた夕暮れの教室。

 そんな教室の最後尾でお互いに向き合うオレと千夏ちゃん。

 当人の弁を借りれば、図書委員の仕事は「遅刻する」と言ってある。だから、千夏ちゃんがこの場に留まってまでなにかを言おうとしていることは、オレとしても不安でしょうがなかった。



「なにかな……。千夏ちゃん?」

「正直に答えてください。三田村先輩、なにか隠し事してませんか?」

「えっ!? い、いやなにもしてないよ」

「本当に本当ですか?」

「いきなりどうしたの? というか、春森じゃなくて、なんでオレ?」

「……見たんです」

「な、な、なにを?」

「誤魔化さないでくださいっ。私、中庭の木のそばで、春森先輩が一瞬にして消えていくところを見たんです」

「えっ! じゃ、じゃあ、あの場にいたの!?」



 マズい、見られてはいけない人物に見られた。

 千夏ちゃんのことだから、いろいろと春森に対して親身になってくれるだろうけど、オレとしてはこれ以上おおごとにしたくない。



「いったいどういうことなんですか。三田村先輩は、春森先輩が消えていくところを間近で見ていたんですよね?」

「……あ……いや……そ、それはね……その……」

「この前の透明人間の存在がどうたらという話といい、水族館のときの春森先輩の挙動といいスッキリしません」

「それには事情があって……」

「だから、なんだって言うんですか――ハッキリ答えてくださいっ!!」

「ひゃ、ひゃい!」



 どうしよう。

 坂下さんといい、千夏ちゃんといい、どうにも強気に出られると苦手だ。返す言葉も見つからなくなるし。



「えっと、あのね」

「透明人間という話。実は、春森先輩のことなんですか?」

「ち、違うよ! 春森は全然透明人間なんかじゃないよ。千夏ちゃんの方こそ、非科学的な話は信じてないじゃないの」

「確かに私は透明人間がいるとは思ってません。だからといって、目の前で起きた不可解な現象に目を背けるわけにはいきませんから」

「じゃあ、なんで?」

「私はただ単に真実を知りたいんですよ。いったいアレがなんなのか、三田村先輩は知ってるんですよね?」

「え~っと、あの……」

「いい加減答えてくださいよ」

「あれは、その……そう! 手品だよ!」

「……手品?」

「というか、イリュージョン? オレ、その手のことに少しだけ造詣が深くてさ。それで消える仕掛けを試すのに春森に協力してもらったわけ」

「その割には、手にガッツリと先輩の下着拾って持ってましたよね」

「そこまで見てたのっ!?」



 ううっ、これはなかなか侮れない。

 こんな苦しまぎれの言い訳じゃ、さすがに勘ぐられても仕方がない。現に千夏ちゃんは、オレのことをニラみつけてるし。



「そ、それはアレだよ。け、消したときの証拠のために、実際の下着と制服をあらかじめ用意してたのさ」

「誰のですか?」

「へ?」

「あんなもの、個人で用意できませんよね」

「……い……いや……それは……だから……」

「まさか春森先輩の――」

「うわぁぁぁあ~っ! 違う! 違うって、アレはオレが用意したものであって」

「……三田村先輩が……用意……した……」

「そうそう。だから、春森のなんかじゃないよ」

「…………」

「………………」

「あれ? 千夏ちゃん?」

「……………………………………………………」

「も、もしもし……?」

「三田村先輩……」

「は、はい!」

「私の勘違いだといいのですが」

「な、なんでございましょう……?」

「――もしかして、先輩は変態なんですか?」

「だから、誤解だって! 小道具なんだってば!」



 もう、どうやったら信じてもらえるんだよっ!? 

 誤解を解いたつもりが、余計に収拾つかなくなっちゃったし。このままじゃラチがあかない。

 どうにかして、千夏ちゃんを説き伏せないと……と思った直後。


 ――フワリ。


 そう擬音を付けて表すべきか。

 急に生徒用ロッカーの上にあったアクリル製の空の水槽が誰の手も借りず宙に浮かび上がったのだ。

 これには、オレも驚かされたよ。

 しかも、それは千夏ちゃんの背後で起こっていて、本人もまったく気付いていない。

 それがどうやって動いているのかわかって、おもわず原因となった人の名前を口にせざるえなかった。



「……春森?」

「はい? 春森先輩がどうかしたんですか?」

「あ……い、いやなんでもないよ、こっちの話」



 笑うしかない……。

 だって、千夏ちゃんの背後では幽霊のイタズラみたいに水槽が宙を舞って踊ってるんだもの。

 つまり、これはどう考えたって春森の仕業。

 言い訳に苦慮してるオレへのアシストなのかもしれない。だとしたら、オレはこの難局を必死で乗り越えなきゃいけないよな。



「それで結局どうなんですか?」

「どうって……。だから、アレは手品だよ」

「私には、そうは思えません。だって、あのときふたりとも慌てたじゃないですか」

「やり方に戸惑ってただけだって。それにもし手品じゃないとしたら、千夏ちゃんは春森が消えたことに対してどうしたいの?」

「もちろん、先生に話します」

「ちょっと待って。先生に話すって、騒動が大きくなるだけだよ?」

「知らないんですか? この前、幽霊が出るって話をしましたけど、いま物が浮かび上がったり、机や棚がひとりでにカタカタ揺れ動くって目撃が相次いでちょっとした騒動になってるんですよ」

「えっ、そうなの!?」

「それが三田村先輩が春森先輩を使ってイタズラしてるっていうのなら、報告する以外にないじゃないですか」

「いやいや、オレたちはそんなこと1つだってやったことないって」

「こんな騒動を起こして、先輩たちは楽しいですか?」

「だから、千夏ちゃん! 話を聞いてってば」

「正直、失望しました」



 なんか話があらぬ方向に行ってるよ。

 しかも、このタイミングで背後でのあの動き。

 晩餐会のダンスを踊るが如く、水槽がひらひらと宙を舞っている。春森が浮かせてるんだろうけど、そろそろ一旦元に戻して欲しいな。


 ……と思っていても、春森は一向にやめる気配無し。以心伝心で言葉が伝わらないせいもあって、相変わらず水槽は教室内を優雅に舞っている。


 うーん、これはもう一芝居打つしかないかな。

 オレはわざとらしく、千夏ちゃんの前で驚いてみせた。



「うわああああっ~!」

「え? え? え?」

「ち、千夏ちゃんっ、千夏ちゃん! うしろ、うしろ!」

「なんですか? 突然どうしたんですか」

「いいから、うしろを向いて」



 と誘導してみせる。

 案の定、千夏ちゃんはオレの言葉に背後を確かめた。

 ところが、反応は「ハァ~」と漏れ出した深い溜息のみ。むしろ、オレのわざとらしい演技がつまらないとばかりの表情をしている。



「さっそくですか」

「え? さっそくって――驚かないの?」

「驚くもなにも……。三田村先輩、こんなことして楽しいですか?」

「えっ、だって水槽が宙に浮いているんだよ?」

「春森先輩にやらせているのなら、いい加減にして下さい」



 と言って、うしろを振りかえる千夏ちゃん。

 何をするのかと思えば、浮いている水槽に向かって語りかけていた。



「春森先輩も無理に付き合わなくていいんですよ。というか、三田村先輩にこんなことさせられて、学校で噂になったら私が悲しいです」



 かなり辛辣だなぁ~。

 千夏ちゃんはよほど春森が噂になるのがイヤみたい。けど、春森はあいかわらず黙ったままで一向にしゃべらない。


 ……あれ? これ、なんか変だ。



「どうしてしゃべらないんですか? 私、三田村先輩はまだしも、春森先輩にこんなことして欲しくないから言ってるのに」



 オレはいいんだ……と思ったのも束の間、千夏ちゃんは宙を浮いている水槽を手に持って元の位置に戻した。

 それで春森が話を聞いてくれるんだろうと思っているっぽい。



「お願いですから、私の話を聞いてください」

「…………」

「聞いてます? 春森先輩」

「え? 私がどうかしました?」



 と、聞こえてきた春森らしき声。

 でも、それは千夏ちゃんが一生懸命話しかけている『春森らしきもの』が発した言葉じゃなかった。

 じゃあ、いったどこから聞こえてきたのか?

 オレはその答えを得ようと、声がした方へと顔を向ける。すると、そこには透明人間になってはいない春森がキョトンとした顔で立っていた。



「え!? 春森?」

「はい?」

「……ホントに春森だよね?」

「そうですけど、どうかしました?」

「い、いや、だって……」

「委員会が終わっても、ふたりが図書館に来る様子がなかったから見に来たんですけど、まだお話の最中でした?」

「そんな……。じゃあ、いまのはいったい……」



 ――ワケがわからない。


 千夏ちゃんも同様に混乱しているらしく、さっきまで水槽が浮かんでいた不思議に頭を抱えているみたい。でも、途端にこの前の幽霊の話を思い出したみたいで、顔がスーッと真っ青になっていった。

 それはオレも同じ。



「じゃ、じゃあ、さっき水槽が浮かんでいたのは、春森のせいなんかじゃなくて……」

「……じょ、冗談……ですよね……?」

「「ホントに幽霊っ!?」」



 と言った途端、オレたちの目の前でガタガタという物音が立った。

 それはひとつなんかじゃなく、ふたつ、みっつと複数の物音。こんなこと、春森が透明人間になってひとりで動かそうなんてできっこない!

 当然、オレと千夏ちゃんは悲鳴を上げた。



「に、逃げるよ、春森!」

「え? いったいどうしたんですか?」

「いいから早く!」



 なにが起きたのかわからない――。

 そんな風なキョトンとした表情を見せる春森。でも、完全に狼狽しきったオレには春森を連れて一目散に逃げ出すしかなかった。


 こうして、千夏ちゃんの疑惑の目は本物に出くわすことで逸らされた。

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