第八話
向かった先のトイレには、幸いにして誰もいなかった。
すんなりと個室に潜り込んたおかげで、春森の透明化は他人に見られずセーフ。
「ふぅ……。これで透明になってしまっても大丈夫だ」
ホントに焦ったよ。
あのまま気付かずにあの場所にいたら、大変な騒ぎになっていたと思う……とはいえ、現在の春森の状態も確認しておかないと。
オレは後ろを振り返って、春森の姿を確かめた。
すでに身体は、頭と膝下を除いて透明化してしまっている。足下には、身につけていたワンピースが落ちてるし、下着も落ちている状態で……。
って、下着――っ!?
「……あの……三田村君……」
そのことに気付いた途端、春森から恥ずかしいそうな声が上がった。
「ゴ、ゴメン!!」
「いえ、助けていただいたのですから仕方がないことです。それよりも、ここって男子トイレですよね?」
「あっ、そうだ。ゴメン、無我夢中で駆け込んじゃったから、ココが男子トイレかどうかも考えずに入っちゃった」
「どうしましょう? 私、男性のトイレなんか入ったことないですし」
「いやまあ、普通は入らないけどね」
「男性がトイレを済ませる便器とかあんな風になってるんですね」
「見たのっ!?」
「はい、ちょっとだけ」
「春森も意外に度胸あるよね」
ま、まあ……。
誰も見ていなかったわけだし、オッケーだよね。
それよりも、ここからどうやって出るべきかを考えなくちゃ。透明のままなら声を出さずに出て行くこともできるかもしれないけど、いつ誰に見つかるとも言い切れない。
それに実際は裸だ。
春森だって恥ずかしいだろうし、脱げちゃった衣服はどうするんだって話だよな。
そんなことを考えていると、誰かに話し声が聞こえてきた。
「それがさぁ~あったんだよ」
足音と共に聞こえた声は、明に男の人のものである。
とっさのことに驚き、オレはつい春森の背後に回って口を塞いじゃった。だって、さすがにここに男女二人が入っているだなんて思われたくないじゃん。
きっと見つかったら、気まずくなる……。
「だよねぇ~だよねぇ~。そういう考え方じゃないとマズいよね」
男性は誰かとしゃべっているようだった。
ただし、話し相手の声は聞こえない。
スマホ越しの会話らしく、扉の向こうから聞こえてくるのは男性の声のみ。一緒に春森がいるってバレたら、状況は最悪だ。
ドギマギするこの状況――頼むから、早くどっか行ってくれ。
その願いが通じたのか、男性の声は足音共にトイレの外に向かって、段々と遠くなっていった。
「……ふぅ。どうにか行ってくれたみたい」
ホントに焦った。
もし万が一、この個室に男女が二人――。
しかも、片方が透明人間の状態で入ってるなんてバレたら、いったいどうなっていたことやら……。
後ろを振り返ると、春森は完全な無色透明になっていた。
足下には、春森の衣服が散乱している……って、下着まで落ちてるし。ま、まあ目を閉じて拾って、鞄に詰め込めば大丈夫だよね。
オレは足下の衣服のぬくもりを噛みしめながらも、春森の服を拾ってバックに詰め込んだ。
「春森いる?」
「はい。目の前にいますよ」
「……はぁ~よかった」
「でも、このままじゃラチがあきませんね」
「いっそのこと、このまま外まで出てみるとか」
「えっ!? それは私に裸のまま外に出ろってことですか?」
「いや、いや、そういう意味じゃなくて……」
うわ、ヤバい! 勘違いさせちゃった。
ってか、ホントにどうすればいいの? いい案が思い浮かばず、時間が過ぎていくばかりだし。
トイレに隠れてるっていう方法は名案だと思ったけど、やっぱ安直だった?
どうにもならず、春森に相談を持ちかける。
「ねえ、春森。このまま元に戻るまで待ち続けるの?」
「私はそれしかないと思います」
「とはいえ、いつ元に戻るかわからないんだよ?」
「で、でもそんなの恥ずかしすぎて……」
「かといって、このままってワケにもいかないし」
「……それはそうですけど」
「心配しないで。オレがきちんとフォローするから」
「やっぱり、無理です! そんなのできっこなんか……」
「大丈夫、上手くいくって」
どうにか信じてもらわないとこの作戦は成功しない。
かといって、突然元に戻ったりしたら、春森の痴態が晒されてしまう。その点で言えば、オレだってこんなことはしたくないよ。
「だから、オレを信じてくれないか。何があっても、絶対オレが守るから」
真剣な眼差しで春森に訴えかける。
でも、いま春森がどんな反応したとかわかんないんだよね……。
表情すら見えないし、もしかしたらオレのことを疑ってるかもしれない。透明になってしまった以上、発せられるその声からしか様子がうかがい知れないんだ。
だから、オレは待つしかなかった。
「……わかりました。恥ずかしいけど、三田村君を信じます」
数秒後、結果が現れた。
春森はオレを信じると言ってくれたのだ。
そりゃあ、もちろん素直にうれしいに決まってる。大好きな彼女がオレのことを信じてくれるって言ったんだし。
でも、ここから大事。
デパートを脱出して、春森を無事に家に送り届けなきゃいけない。もし、その間に元に戻るようなことがあっても、安全な場所へ移動する。
――これがオレに課せられたミッションだ。
「ありがとう、春森」
「それでどうするつもりなんですか?」
「階段から下りよう」
「……階段……からですか……?」
「幸いにもここは四階。六階とか七階じゃないからそう下りるのはツラくないと思う」
「でも、途中で誰かとすれ違ったりでもしたら……」
「階段を使うのはひとつ上の階へあがりたい人ぐらいしか使わないんじゃないかな。そう考えると、ここから脱出するリスクは最小限じゃない?」
「確かにそうですけど……」
「それとも、春森はオレのことを信じてくれない?」
「わ、私はそんなつもりじゃ……」
「だったら、お願いできるかな。この脱出には、春森がオレを信じてくれるってことが一番大事なんだ」
わかってくれ、春森。
じゃないと、ラチがあかないんだ。
「……ちゃんとそばにいてくれるって、約束してくれますか?」
しばらくして、春森の口からそんな言葉が漏れた。
これは、オッケーってことでいいのかな? 春森なりの回答なのだろうけど、それでもオレとしてはありがたいと思う。
「もちろんだよ、春森」
おもわず声をうわずらせて喜んじまったぜ。
……って、こうしてる場合じゃない。
いまはとにかく、トイレから脱出しなきゃ。
「じゃあ、行くよ」
それから、オレたちはトイレから出た。
まず、最初にやるべきこと――それは、ひと気の確認。
すぐさま左右を見て周囲をうかがってみる――が、いまの問題はなさそう。これなら、通路上に出ても大丈夫そう。
「誰も来る気配ないから、いまのうちにトイレから出よう」
オレは春森と手を繋いだまま通路まで歩いた。
でも、ここからが問題。
ここのトイレは、壁際のテナントとテナントの間にできたデットスポットを利用して設置されている。
つまり、なにが言いたいかというと……。
ここから壁に沿って北側へ直進して、通路の角を曲がって行かなければ、階段にたどり着けないのだ。
もちろん、その間も人とすれ違う可能性はある。
透明化した春森と手を繋いでいるという不自然な行動を極力見られないようにしないといけない。
オレは、その考えから春森に協力を求めた。
「春森、もうちょっとピッタリくっついて歩いて」
「は、はい」
「できるだけ小声で人に聞かれないようにね」
これでも小さな声で話してるけど、いつ何時怪しまれるかわからない。
その辺のことを考えたら、ひっついて歩いてもらうのが一番……って、春森は裸じゃん。
「あっ……」
「あの、三田村君? どうかしましたか?」
「……え、いや……なんでもないよ……」
どうしよう。
裸を想像しただけで、顔が紅潮して熱い。
隠れ巨乳って言われてる春森の大きなおっぱいが目の前にあるって思ったら、すぐにでも鼻血が出ちゃいそうだよ。
……って、違う。
エロいこと考えてる場合じゃねえよ、オレ。とにかく、理性を保ったまま、早くここから脱出しないと。
オレは春森を連れ立って道を歩いた。
「ねえ、お姉ちゃん。これなあに?」
途中、小さな女の子の声には驚かされた。
幸いにも、それは通路の角にあった英語教室から聞こえてきたもので、オレたちに向けて宛て足られた声ではなかった。
でも、もしそれが春森に向けられたものだったら……嗚呼、想像するだけで怖い。
しかし、階段はすぐそこだ。
あとはそこを下りれば……。
「お客様、申し訳ございません」
ところがどっこい、そうはいかなかった。
なにせ、安心しきっていたところを急に誰かにに呼び止められたからだ。そのせいで、オレは声のした方に顔を向けざるえなかった。
そこに立っていた人物――。
言うまでもなく、デパートの店員だ。
ニッコリとした笑顔がまぶしい三十代の女性で、恭しくも恐れ多いといった態度でオレたちを見ていた。
「な、なんですか……?」
「失礼ですが、バックの中を拝見させていただいてもよろしいでしょうか」
「え? バックの中?」
あれ? 透明になった春森のことじゃないの?
オレは予想外の展開に呆然としちまった。でも、店員さんはなにやら別のことを怪しんでいるように見える。
「どうぞ」
理由のよくわからず、言われるがまま店員さんにバックを差し出す。
すると、店員さんは目の前でバックを漁り始めた。
いったい何事?
……オレ、なんかやっちゃいました?
「……大変失礼しました。先ほどお客様が売り場で商品を持ち去ったように見えましたので、バックの中身を改めさせて頂きました」
「あ、そういうことか」
「どうやら、私どもの勘違いでございました。改めてお詫び申し上げます」
「いえ、誤解が解けたようでなによりです」
ふぅ……。
どうやら、万引きと見間違われてたみたい。
バックはすぐに店員さんに返してもらえたし、結果オーライ。だけど、一瞬透明化した春森の存在に気付かれたのかと思ってヒヤヒヤしたぜ。
これでバレてたら、春森は裸だし、相当マズかったよ。
「ところでお客様」
――が、なぜかそれだけじゃ済まなかった。
どういうわけか、店員さんは決まるそうな顔をしている。
しかも、どことなく言いづらそうにオレの様子を窺ってるみたいだ。
「え? オレ、他にもやらかしました?」
「いえ、そうではなく。大変申し上げにくいのですが、お鞄に入れてらっしゃる女性ものの衣服と下着はどういった経緯で……」
「……あ」
しまったー!!
男子トイレで春森の衣服をバックの中に入れたの忘れてた。どうにか弁解しないと、オレが怪しい人みたいになっちゃうよ。
「そ、そ、それはですね。オ、オレの趣味というか……」
「趣味!?」
「あ、いや違うんです!!」
「じゃあ、なんなんですか?」
「……それはですね……その……」
「ハッキリとお答えになった方がよろしいかと思いますよ。もし、売り場から持ち出したのであれば……」
「違います!! オレが女装して楽しむためにバックの中に入れておいたんです!」
なに言ってんだぁ~オレは。
とっさに言うべきいいわけもできず、妙な誤解を招いちまったじゃねえか。自業自得とはいえ、この言い訳はあんまりだ。
さすがの店員さんも、俺の発言にドン引き。
「……あ……そ……そうなのですね……失礼しました……」
と、一礼してそそくさと去って行っちゃうし。
終わった――。
オレの人生、終わった。
嗚呼、もうダメだ。この場から立ち上がる気力すらないよ。
「み、三田村君……」
そんな事を考えていたら、隣で透明化した春森が話しかけてきた。
「春森、ゴメン。オレみたいな変態が彼氏なんて洒落にならないよね」
「そんな事ないです。三田村君は、私を庇うために仕方なく嘘をついたんですから」
「……春森ぃ……」
ヤバい。
春森の優しさが心に突き刺さって泣いちゃうそう。落ち着いたら、どこかで春森にいっぱい甘えて、胸にうずくまって泣かせてもらわないと。
「それに三田村君の趣味が女装でも、私は全力で受け止めますから」
「誤解を招くような言い方やめて……」
前言撤回。
泣かずに強く生きなきゃダメっぽい――よぉ~し、明日から頑張ぞいっ!
オレは、春森を連れて階段を下りてデパートの外へ脱出した。
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