第二十八話

 数日後、オレと春森は病院を訪れた。



「……うん。これなら、しばらく透明人間になることはないわ」



 そう断言したのは、言うまでもなく咲子先生だ。

 このひと月近く、先生にはいろんな方法で春森の透明化が収まるのかどうかを試してもらった。

 そして、ようやくの出たお墨付き。

 もちろん、並んで座るオレたちは互いに向かって素直に喜んだ。



「よかったね、春森」

「ありがとうございます。それもこれも三田村君が一緒にいてくれたおかげです」

「俺はなにもしてないよ。春森がガンバった結果だって」



 と言いながら、はしゃいで、笑って、両手でハイタッチして……。なんか小っ恥ずかしかったけど、とにかくうれしかった。

 でも、先生はそうでもなかったみたい。

 直後に咳払いがなされて、オレたちの軽率な行動を制されちゃった。向かいの椅子に座る表情からは真剣さが読み取れる。

 オレたちはハッとなって、自分たちの行いを恥じた。



「はしゃぐのはまだ早いわよ。きちんと治ったとは言いがたいのだから」

「そ、そうですよね……」

「……で、改めて整理すると。まず、いちずちゃんの病状は、『本当に誰かと一緒にいていいのか』という自問自答の中から生み出されたもの」

「はい。そこは間違ってないと思います」

「たぶん、そこが解消されたから落ち着いたんでしょうね」

「な、なるほど……」

「ただ、私がやっていることは、ほぼ問診による診断。催眠療法とかいろいろ試してみたけど、実際にどうやって透明人間になるかまではわかっていないの」

「人が透明化するなんて、普通はありえないですからね」

「そこよ。だから、他の医師が診たとしても『問題なし』で突き返されて当たり前。いちずちゃんの病状について、医師から見ても明確な答えが出せないの」

「じゃあ、先生はどうやって春森が当面透明人間にはならないと判断されたんですか?」

「ひと言でいえば、いちずちゃんの精神状態の落ち着きかしら。おそらくここが一番関係しているのだと思う」

「えっと、つまり坂下さんやオレとの関係の中で不安に思っていたことが解消されたからそうなった……と?」

「断定はできないわ。すべて私見で診ているに過ぎないもの」

「で、ですよね……」

「医学的な解明が為されていない以上、いちずちゃんの病状については私個人の研究成果の中から分析していくしかないわけ」

「……研究……ですか……」

「ええ。実は、アナタたちが来るよりずっと以前から『こういう患者さんが受診したら』を想定して研究していたの」

「それは、日御碕さんみたいな人を生まないためですか?」

「明確に言えば……そうね。私は、あの一件で後悔したもの。だから、いつ透明人間になれる人が現れて言いように対策を考えてたの」



 そんなときに現れたのがオレたちだった……。

 その事実を聞き、オレはそんなことを考えてしまった。

 じゃあ、もし先生は俺たちが現れなかったら、いったいいつまで透明人間の研究を続けてたんだろう?

 少し気になる。



「先生。もし、オレたちが現れなかったら、いつまで透明人間の研究を続けてました?」

「いつまでもよ。私は、そういう人を助けるために医者になったのだから」

「じゃあ、オレたちがこの病院にやってきたこと自体、ある意味で奇跡みたいなものだったんですね」

「……奇跡というかどうかは知らないわ。ただ、正直私はうれしかったの」

「うれしかった……んですか?」

「ゴメンね。これは自己満足なんだけど」

「?」

「園花が消えて、私は大切な人を無くすことに恐怖を覚えたの。だから、その穴を埋めるように研究を始めたんだと思ってる」

「後悔ではなく、恐怖……ですか?」

「ええそう。そして、私はアナタたちをその実験台に選んでしまった」

「実験台?」



 まさかそんな言葉が出てくるとは思いもよらなかったよ。

 熱心に診察してくださっていると思っていたけど、そういう気構えで診察していたなんて考えもつかない。

 じゃあ『うれしかった』というのは、そういうこと?

 いや、違うと思う――。

 だって、咲子先生は『失うことの怖さ』を身をもって体験したのだから、それだけじゃないと思う。



「もうわかったでしょ……? 私は、自分の過去に固執してばかりのそんなに良い先生じゃないって」

「そんなことないですよ、咲子先生」

「誠一君?」

「先生がそう思われていたとしても、オレたちには唯一の救いだったんです」

「で、でも……」



 先生は否定したがってるみたいだけど、これはオレの素直な本心だ。

 たとえ、実験台だと言われても、そのことが愚かな行為だと思っても、別にいいと思うんだ。

 だって、透明人間になる身体を得てしまった春森を一生懸命診てくれたことは間違いないんだよ?

 そんな人を悪く言うなんて、オレにはできないよ。

 オレは賛同を得ようと、とっさに春森の方に顔を差し向けた。



「だよね……? 春森」

「はい、私もそう思います。ここへ来る前までは、自分が透明人間になってしまう身体を元に戻す方法なんて考えられませんでした」

「いちずちゃんまで……」

「だから、先生が実験台だとハッキリおっしゃったとしても、私は先生の言うことに従っていたと思います」

「ですから、オレたちは少なくとも先生に感謝しているんです。透明人間になる身体を元に戻す方法なんて、到底思いつきませんから」



 途端に咲子先生がせきを切ったように泣き出す。

 まるで隠していた本音を心の奥底から溢れさせたみたいだ。

 うつむいて、両手で顔を覆って、なにもしゃべらないまま。その時間がとても長く感じられたけど、そんなことはどうでもよかった。



「……ありがとう……ふたりとも……ホントに……ありがとう……」

「先生、泣かないでください」

「そうですよ。オレたちまで悲しくなっちゃうじゃないですか」

「いいじゃない。大人だって、泣きたいときぐらいあるのよ?」



 そこからは、三人で和気藹々と励まし合った。

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