痕跡と残り香

「静かにしてくれると約束するなら、その口の布を外してあげよう。できるね?」


 これに、マーシャさんは勢いよく頷いた。


「よろしい」


 ボスは、優しく微笑む。


 まるで孫に会ったおじいさんみたいに、人を殺したことがない善人みたいに笑う顔、ボスはかがむと、ゆっくりとマーシャさんの口から布を引っ張り出した。


 涎と唾で糸を引く布が取り払われて、マーシャさんは小さく息づく。


「さて、えっと、どちらがダーシャちゃんでどちらがマーシャちゃんかな?」


「……あたしがマーシャです。それに、あちらがダーシャ、双子なんですけどあんまり似てないんです」


 マーシャさん、あっさりと嘘をつく。


 内容は俺を庇う物、使用人はいらないとか言ってた彼らなら、部外者の俺を殺すぐらいするだろう。そうさせないための一芝居だと、俺はすぐにわかった。


「それで、その、ここは、なんなんですか?」


「いい質問だ。なんだと思う?」


 ボスは嬉しそうに訪ね返す。


「……お祭りに、備えているのですか?」


「ほう、どうしてそう思う?」


「その、さっき明日にそなえてって、おっしゃってたので、それで明日はお祭りなので、多分、そうかなと」


「ご明察、素晴らしい推理だ」


 褒められても嬉しいわけない。


「実は我々は、掃除を依頼されている」


「掃除、ですか?」


「そう掃除だ。君は、この島の特産品をご存知かな?」


「えっと、バナナ、ですか?」


「そうバナナだ。栄養豊富で生食でき、ここらの土壌とも相性がいい。だからここに限らずあちこちの島で栽培され、主食となっている。ただ、それ故に価値がないともいえる。少なくとも金額はものすごく安い。売っても儲からないんだ」


 この言い分、聞き覚えがある。町派の言うことだ。


「この島の人間は、そのうちの大部分が、それでいいと考えている。自分たちで作り、自分たちが食べる。外のことも考えず、儲けも合理性もない。それではただの動物だ。上を目指さないものに価値は無い。ただ邪魔だ。だからね。お祭りを利用して集まったところで一気に掃除するんだ」


 自然と、本当にごく自然と、当たり前のこととして、こいつは最低なことを口にしていた。


 掃除が何を意味してるか、モルタルネズミの説明から想像できた。


「今回の掃除は大規模になる。それに巻き込まれないように君たちを迎えに来たわけなのだ。つまり私たちは敵ではない。わかってくれるね?」


 この質問に、マーシャさんは、頷いた。


「私も、あんな汚いあいつらと一緒に掃除されるのは嫌です」


 ……耳を疑う一言だった。


 嫌悪を隠さない声、侮蔑を含めた声、あれだけ遊んで、あれだけ笑って、なのにこの一言、マーシャさんは、俺らのことを、そういう風に思ってたのかと、衝撃に、俺はあれほどまでに煮えていた怒りを見失う。


「そうだろうとも。だから大人しくして欲しいんだ。一通り終わったら、ちゃんと安全な船まで送り届けてあげるからね」


「はい」


 可愛い声の返事、だけども今の俺には違って聞こえてしまった。


「さ、それじゃ解くから大人しくしてくれ」


 そう言って手早く、ボスはマーシャさんの縄を解く。


 そして解かれるやマーシャさんは、立ち上がり、そそくさと立ち上がって、俺から離れた。


 そして振り返った顔は、被ったボスの顔に遮られて見えなかった。


「さぁ、君も」


 ボスが言いなが、俺の口の布を抜き取ろうとしゃがんで、床に手を突いて、びくりと驚き跳ねて床から手を離した。


 そしてまじまじと、今突いた手の掌を見つめる。


 そこには液体で湿っていた。それが何か、確かめるようにゆっくりとその指をこすり合わせて、それから臭いを嗅いだ。


 途端、カッと目を見開き俺を、俺の足元を、そこから登って股へ目線を飛ばした。


 見なくてもわかる。そこは、べっとりと湿っていた。


 俺の尿、しょんべんだった。


 ……こいつらを潰すためなら、俺はなんだってやってやる。


 誓いはすぐに実行された。


 男らに運ばれながら、隙を見て少しずつ、垂れ流して、男らに悟られないよう足を伝わらせて、連れ去られた道々に撒いてやった。


 それだけならただの嫌がらせ、だけどあのクベスなら、煙の中でも雫を頼りに、きっと追跡できるだろう。


 少し前の俺だったら思いつきもしなかった汚い手、まるでクベスみたいな手段、きっと俺は冷静なまま狂ってしまったんだろう。


 そう思ったら、自然とクベスみたいに笑ってる俺がいた。


「緊急事態だ」


 言い放ち、ボスがすくりと立ち上がる。


「全員注目!」


 声が響くとすぐさま男らはしてたことを止め、一斉に視線をボスへと向ける。


「居場所がバレた。やつが来るぞ。警戒。それから移動の準備だ」


 響く声に男らはきびきびと動いた。してたことをすぐさま止め、代わりに武器に手を伸ばすや立ち上がりあちらこちらへ素早く動いた。


 そんな彼らの真ん中に、影がかかった。


 思わず見上げた先には天窓、そこにかかる一つの影、瞬間砕け散った。


 まるで雨のように、舞い落ちるガラスは煌き、まるで霧のように、紛れて白い粉塵が舞い広がる。


 それを引き裂き、突き抜けて先に落ちてきたのは、黒いコートに灰色の毛、似合わないサングラス、一言では言い表せない格好のコボルト、クベスだった。


「いよぉ、待たせたなぁ」


 希望、安堵、報われた思い、これまでの評価をひっくり返すほど、クベスの登場は、まるで物語の中のように、完璧だった。


 ……これで、着地を失敗して、尻から落ちなければ、本当に完璧だった。


 強打したらしく牙をむいてぐっとこらえてるクベスの登場、かなり驚いてるらしいモルタルネズミたちだったが、それでも隙なく武器を構えて取り囲んだ。


 一瞬の後、白い粉塵の中、ガラスの上に、クベスはゆっくりと立ち上がり、長い鼻を周囲に巡らして見せた。


「あーーー煙草、酒、しょんべん、男の匂い。若干の埃、それとあの女の、殺された服屋の残り香、だが血の匂いはなし。ってぇことは殺されたのはここじゃねぇな。火も無し。で、何だこのクセェのは?」


「マーシャ!」


 臭いを分析してるクベスを遮る声はダーシャさん、張り付いてたクベスの背中から飛び降りてガラスを踏み駆けだした。


「ダーシャ!」


 返事したマーシャさん、駆け寄るダーシャさん、二人の間に男が二人、それぞれ捕まえようと素早く立ち塞がった。


 思わず立ち止まるマーシャさん、その顔のすぐ横を、銀の軌跡が二本、掠め飛んだ。


「うご!」


「ひぎ!」


 短い悲鳴を上げる男二人、その足にはクベスの槍がそれぞれ深々と突き刺さり、転がり倒れて双子に道を開けた。


「おいおい始めるのは前口上終わってからってもんだろ?」


 ぶっぱなして笑うクベスの声を背に、できた道を駆け抜けるダーシャさん、縛られたままのマーシャさんに飛びつくと力いっぱい抱きしめた。


「そっちの頼み事は済んだ。後は飯をおごってもらうだけ、だがその前に、決めセリフ、言っておかなきゃなぁ」


 コートをはためかせ、牙を剥き、クベスは大きく息を吸い込み、声にして吐き出した。


「覚えておけ! 俺はクベス! 俺は! お前らの! 敵だ!」


 絶叫、クベスは、これだけの人数を前にしても、クベスのままであり続けていた。


 そんなクベスへ、囲う男らはあくまで静かで冷静で、そろった動きで拳を、赤い宝石のはまった指輪を、向けて構えていた。


 「良いなぁ『チープレッド』だろそれ? 安い鉄くずに赤色のガラスでできた炎アーティファクト、激安、簡単、高威力、射程がそこそこ、俺も規制される前に一個欲しかったんだがなぁ」


 クベスは平然と話す。


「……知っていて、この数を前に、恐れないか」


 ぼそりと呟いたのはボス、こちらにも怯んだ様子はない。


「派手な登場、ふてぶてしい態度、そして狂気、噂通りの男らしい」


 どっしりとした落ち着きと余裕のある声、自分が上だと暗に言っているようだった。


「君は」


 そのボスの言葉を、クベスは左手人差し指を突き立て、見せつけて止める。


 意味ありげな動作、続く言葉を待つ皆の前で……続くのは沈黙だった。


「……何が」


 耐えきれず口を開いたボスへ、再び立てた人差し指を見せつけ黙らせる。


 …………ここまで来ておきながら待たされる、じれったい時間、経った後、クベスの尾が跳ねた。


 マジかよ。


 もう見慣れてしまった行為、なのに呟くこともできない俺の目の前で、クベスはブルリと震えた。


 ぶぶぶぶぶうぶぶうぶぶぶぶうぶぶぶぶうぶぶうぶううううううぶうぶぶ。


 尻の両肉が震えて奏でる、長く震える屁の音色、この閉鎖空間にばら撒かれたのは悪臭だった。それも、今までで最も強烈な、悲惨な臭いだった。


 苦痛に悶えるのは鼻だけじゃ済まない。臭に色がついてないのが信じられないほど、あらゆる五感が塗りつぶされ、目が痛み、耳が鳴って、肌が痺れ、舌までも苦みを感じるほどの、地獄の業火のような悪臭だった。


 抱き合ったまませき込み苦しむダーシャさんとマーシャさん、それを見つめる俺の目も涙でかすんでよく見えない。


 あれだけ緊張感もってきっちりしてたモルタルネズミたちもこの屁には耐えきれず、構えがぶれてせき込み、苦しんでいた。


 ただ一人、平気なのはクベスだけだった。


「んだよバナナしか食ってねぇのに、こっちの方がパンチあんじゃねぇかよぉ」


 馬鹿にし尽くした態度、怒りに駆られて男らが拳を改めてクベスへ向ける。


「あーーーー止めといた方が良い」


 これに、もう一度クベスは人差し指を立てて見せる。


「冗談みたいだがな、これだけ濃い屁だと火を点けたら燃えるんだよ。それもんな密室だと、大爆発だ」


 嬉しそうに指を開いて爆発を表現しながら話すクベス、それを『そうかも』と思わせてしまう説得力が、屁の臭いにはあった。


 これに男らは怒りが薄れ、躊躇い、指輪の狙いがぶれた。


 瞬間、クベスが動いた。


 ぱぁん!


 右手掌、左手掌、力強く打ち合って響き木霊する音、同時に袋が挟まれ爆ぜて、中より白い煙が弾けて広がり霧を作り出した。


 「ついでに粉塵爆発、知ってるよなぁ? 燃えやすい粉塵の中に火種を入れたぼぉおおん! 試したきゃ試していいぜ」


 モウモウと広がる白のが俺の鼻に届くと、カビと小麦の匂い。連想するは捨てずにとっておいた小麦粉の袋、そいつをぶちまけ舞い上がる粉塵の中へ、クベスが姿をくらました。


 「じゃあ、始めるか」


 宣言、戦いが始まった。

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