バカ騒ぎのような混乱からの逃亡

 会場は酷い有様となった。


 破けて脱ぎ捨てられる服、脱げて転がる靴、こぼれて落ちたカツラ、それらを踏みつける足と足、ひっきりなしに叫ぶ口、見てくれどころではなくなった大人たちは一斉に出口へ殺到した。


 押し合い、ののしり合い、カツラじゃない髪を掴んで引っ張り合って、我先にと外へ競い合う。そうして醜くもぶ厚い肉の壁を築いた。


 そこは小さな戦場、これを突破できるのはクベスぐらいだろう。少なくとも、子供の俺達には無理そうだった。


 ……そしてこの騒動はクベスが引き起こしたらしい。


『どうして?』とか『なんで?』とかは思えても、だけどクベスだから『まさか』とは思えなかった。


「こちらです」


 小さな声、引っ張り立たせてくれたのはワサビさんだった。


「海へ飛び下りるには、島側は浅すぎて危険です。海側は今しがたの船で塞がってます。ですが船尾に行ければ、降りる階段も梯子も、脱出用ボートもあるはずです。他の方々が集まる前に、お早く」


「待って!」


「お母様は!」


 引っ張るワサビさんい逆らうダーシャさんとマーシャさん、その顔は泣きそうで、それでも必死に見回し母親を探していた。


 やはり家族だった。


「今はご自身の身を一番にお考え下さい」


「「でも!」」


「それが、奥様から命じられた差優先事項です。それに……」


 続く言葉の代わりに、俺が見られた。


 釣られて見る双子、その眼差しは察していた。


 ここで残ると言えば俺も残ると、言わないといけない空気となる。それで、他人な俺を巻き込んではいけない、だから我慢して、俺のために、脱出するのだと、そういう風だった。


 ……はっきり言って、それに甘えるのは嫌だけど、二人を連れだすためならば、俺は黙って厄介者になることにした。


 …………二人は、涙を拭って頷いた。


 ◇


 パーティ会場から脱出して出た廊下は、一転して静かだった。


 あの混乱が遠く感じる。けど揺れは現実で、だから逃げる足も止まらなかった。


「お待ちを」


 先行くワサビさんに止められたのは曲がり角の前、そっと覗くのをマネして覗く双子の二人、俺も好奇心に負けてすぐに続いた。


 ……そこにいたのは見知らぬ男たちが三人、禿なデブと禿じゃないデブとデブじゃない禿、中年と呼べそうなのがお揃いの服装で並んでいた。


 白と黒との横縞模様、絵本に描かれてるような、一目でわかる囚人服、それと突っ込んできた赤船とを合わせれば、彼らが友好的な大人じゃないとは想像できる。ましてやそれぞれが、蝋燭立て、割れたガラス、分厚い本と、ガラクタながら武装してればなおさらだ。


 危ない大人には近寄っちゃダメ、とは習っていた。


「ここは、やり過ごしましょう。こちらへ」


 ワサビさん、音もなく離れるとすぐそこのドアを開け、音もなく入る。


 続く二人に続いて中に入ると、中は白くて広くて、並ぶ長椅子に奥には一段高い台、さらに一番奥の壁には、女神さまを象ったステンドグラスが、あの衝撃にも関わらずひびもなくカラフルに煌いていた。


 ここは初めて来た場所なのに、この感じは、見覚えがあった。


「ここってもしかして?」


「結婚式場?」


「かと、思われます」


 ワサビさんの回答に、双子の二人はこんな状況でも、興味ありげに中を見回していた。


 やはり、女の子は結婚式に興味津々らしい。


 けど、俺には、嫌な思い出を蘇らせる場所でしかなった。


「とりあえず奥へ向かいましょう。危なくなったら、そうですね長椅子の間は見つかるかもしれませんので下にでも」


 そう言って奥へ一歩、踏み込んだワサビさん、その手に、べたりと、半透明な粘液が、垂れた。


 嫌な予感、最悪な予感、見上げずには、いられなかった。


「ううううぅえぇえええええでぇええええぃいいんんんぐぅうううぅうう」


 異形が、天井に張り付いていた。


 ゼグシィさん、その服は変わっても、その存在は、他にいない。


 白黒の横縞の服の上にカーテンの布を巻き付けて、まるでドレスのように着飾っている。同じくカーテンでくるんだ顔は、クベスみたいに前へと出た口とぎょろついた目をより際立たせ、異形をより異形としていた。クベスに刺された右腕には包帯、未だに滲む血の赤が、皮肉にもアクセントとなっていた。


 その存在に、ひしり、と双子が無言で俺の背後に隠れる。


 ……上から見下ろす彼女とは、初めてではない。


 出会いこそ敵対的だったけど、別れは友好的だったと、思う。思いたい。


 それでも、この状況、話し合いで見逃してもらえるか、難しいと直感してしまう。


「……なんてことだ」


 声を上げ、そのゼグシィさんの注意を引いたのは、ワサビさんだった。


 当然な反応、だけども今は不味い。


 言いたいことはわかるけど、この場での余計な一言は場を壊す。


 止める、には何をすべきか、思いつく前に、ワサビさんが続けた。


「…………なんて、あぁ、美しい」


 ………………まさかこの状況で、ゼグシィさんから目を反らすことができるとは思わなかった。


 そうまでしても、ワサビさんを見ずにはいられなかった。


 そのワサビさん、呆然と見上げ、口を半開きに、間抜けな顔で、見上げてる。俺は見てはいけないものを見てしまったと思った。


「……失礼、私めはワサビと申します。失礼ながらマダム、お名前を、伺ってもよろしいでしょうか?」


 本気らしい口ぶりに、かけられたゼグシィさんの方が戸惑っているように見える。言っては何だけど、きっとこんな風に声をかけ垂れたのは初めてなんだろう。目に見えて溶媒氏、引いていく彼女に、逃がすまいとぐいぐいと迫るワサビさん、二人のやり取りに、見てるこちら三人は何とも言えない雰囲気となった。


「……私、ワサビに綺麗ですって、言われたわ」


「私も、可愛いですって、今朝も言われたの」


 マーシャさんとダーシャさん、顔を見なくてもどんな顔はわかった。


「……あ、ああ、あああああああああ!!!」


 唐突な絶叫、そしてゼグシィさんは、まるで虫のように天井を駆けると、ステンドグラスへ、勢い乗せた拳は一撃で嫌いなガラス絵をガラス片へと砕き、できた穴へと、まさに逃げ込むように飛び込んだ。


 先は外、残された尾の残像から察するに、上へと昇っていったようだった。


「お待ちくださいマダム! せめてお名前を」


 言うやワサビさん、後を追う。


 割れたガラスに器用に手と足を乗せながら、こちらは猿のように上ると外へと出て追いかけて行った。


 ……そうして三人が残された。


「一目惚れ、かしら?」


「一目惚れ、でしてよ」


「一目惚れ、なんですかね」


 思わず三人、そろって呟いてしまう。


「だーーから! トイレは外でっつってんだろ!」


 怒声、響く。


「んなぁ、あにきぃ、お外は恐いだ」


「てんめぇ! 貴様それでも万引き師のはしくれかぼーけぇ!」


「静かにしろ。毛が抜ける」


 間抜けな掛け合い、同時に背後のドアが開いた。


「「「「「「あ」」」」」」


 入って来たのは角の向こうだった囚人たち三人、振り返った俺たち三人と目が合った。


 一目散に俺たちは逃げだした。


 …………追いかけっこは、頑張った方だけど、デブが思ったより早くて、結局三人、捕まった。


 ◇


 捕まった俺たち三人は、襟首を掴まれ、先を歩かされ、元の会場まで連れ戻された。


 中は出た時と違って静かで、つまりは制圧されていた。


 会場中央に集められ床に座らされてるのは煌びやかだった大人たち、数は十人ぐらいを、倍ぐらいの人数いる白黒の囚人服たちが雑多な武装を手に囲っている。その中に島の人間が見えないのは単純に脚力の差だろう。


 その中へ三人、押し入れられる。


 転びそうになった双子へ前へ出て受け止めたのは、あの母親だった。


 だけど冷たい雰囲気は消えていて、二人を受け止めると抱き寄せ、ぎゅっとする。その感じは、うちの母さんを思い出させた。


 それに抵抗なくぎゅっとされてる二人、あんな感じだったのに、やっぱり家族は華族だった。


 ……何となく近寄りがたい感じ、邪魔しちゃいけない感じに、距離を置いてしまう。


 そして座ろうとした俺の帽子が飛ばされた。


 急に開ける視界、消えた帽子を探して振り向いたら、男みたいなやつがいた。


 モップをカツラみたいに頭に乗せてている。耳は尖ってるからエルフだろう。白粉じゃない白で顔を白くし、マッチョな体に、ガニ股で、更に大きすぎる白黒のシャツワンピースみたいに着て、手には果物ナイフを持っていた。


 その顔は忿怒に歪んでいた。


「お前は、お前が、あの時の」


 苦々しく唸る男、その声は子供みたいで、聞き覚えがあって、それで思い出した。


「ゲーリー?」


 俺の一言に、正解だと言わんばかりにその血走った眼を見開いた。


「覚えていたか賞金稼ぎ助手。俺もお前らのことを片時も忘れてなかったぜぇ」


 ゴキリと、ゲーリーがどこかの関節を鳴らす。


「ガキは習ってないだろうがよぉ。牢獄の中ってぇのは硬派なんだ。特にエロ系統で捕まったやつが、どんな目に合うのか、知りたくないか?」


 問いに、俺は無意識に首を横に振っていた。


 これに、ゲーリーは邪悪に笑う。


「遠慮するな。その体にたっぷりと教えてやる。みんなの前でな」


 やばい、と思う。


 どうするか必死に考える中で、兎に角双子は巻き込むなと思いついた。だからそちらへは引かない。目線も送らない。


 それで?


 考えがまとまらず固まる俺に、伸びるゲーリーの手、それを遮ったのはジグルベル船長だった。


 無言で前に出て、その身で俺を庇ってくれている。頼もしい背中、表情は見えてないけれど、見えているゲーリーの表情からその表情も想像できる。


 頼りになる大人、やはり船長ともなると、こういう度胸もあるようだった。


「大変だぁ!」


 場の空気を壊したのは外から飛び込んできた囚人の男の慌てた声だった。


「やつが! やつが!」


 唾を飲み、一息落ち着いて男は続けた。


「あの糞犬が来やがった!」

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