糞と呼ばれ続ける男のランウェイ
「話が違うぞ」
「あいつ、しくじったか?」
「まさか裏切られた?」
「糞犬め、この期に及んでどこまで邪魔なんだ」
騒めく囚人たち、わかりやすく動揺していた。
彼らが糞犬と呼ぶ存在を、俺は一人しか知らない。
クベス、行方不明の賞金稼ぎ、糞と呼ばれてもしょうがないと思えてしまう男、そう想像したのは俺だけじゃないらしい。
目の前のゲーリーが青白く脂汗を噴きだしている。
それは他の囚人にも連鎖して、同じどころを歩き回るもの、体を硬ばらせるもの、武器を何度も握り直すもの、誰からも落ち着きが亡くなっていた。
それだけクベスの到来は大きかった。
「………………クベスは、君らを脱獄させた主犯じゃないのかね?」
ジグルベル船長の静かに染み渡るような一言、それにはっとしたような囚人たちだったけれども、落ち着きを取り戻すことはなかった。
そして、爆音が響いた。
響く音に一斉に静かになる室内、敵も味方も息を潜ませ、見たのは出入り口、蹴破られて外れかかった扉を押しのけ、のそりと、クベスが入ってくるところだった。
その登場、その姿に、俺は、なんて思ったらいいのか一瞬わからなかった。
見る限り、元気そう、ではある。
体に目立った傷も無く、足取りもしっかり、鼻を上げて辺りへ巡らす動作もいつも見せてたものだ。
だけどもその服装、一言では言い表せない格好だった。
足は裸足、靴下もなく灰の毛がびっしりの脛に足の指、鋭い爪が見えている。腰回りを隠しているのは半ズボン、かなり小さいのを無理やり履いて、それもまた前後ろ逆にして長い尾を後ろから出しているようだ。その布地は紫色、趣味が悪く、そして見覚えのある色だった。
上に羽織っているジャケットも同色で、サイズが小さすぎるのも同じで、それでも無理やり腕を通したらしく、袖が破けて無くなっていて、もはやベストのような、あるいは袖なしのシャツみたいになっていた。
つまりは、裸足で紫色の半袖半ズボン、雑に言えばワンパクスタイルで、しかも左手には銀色のナイフ、多分ゼグシィさんが初めて会った時に振り回してたものをチラつかせ、右の腋には薄汚れた樽を抱えていた。
そして当然のように、その手足と口周り、そしてナイフの先は、赤い血で湿っていた。
この異様な姿のクベスに、敵も味方も奇異の眼差しを向けられながらも、クベスは臆することなくズカズカと大股で部屋に入るや、あの凶悪な笑みを浮かべた。
「どうやら二軒目にも間に合えたようだな」
牙を剥き、嬉しそうに笑いながら部屋の中を視線で舐めてくクベス、そして俺に目が入ると、一瞬止まって、だけど変わらず笑い続けた。
「で、だ。このバカ騒ぎは俺がやったってことらしいが、なのに感謝の言葉とかねーとか、お前らやる気あんのかよ。ここは泣いて跪いて順番に足の裏なめてくとこだぜ?」
馬鹿にした話し方に、囚人たちは遅れて取り囲んだ。
その構え、味方に対するものには見えなかった。
「おいおいおいおい。俺は、お前らを自由にした恩人様って設定じゃぁねぇのか? いもしないモルタルネズミのボス探して狂乱してよぉ?」
囲う面々を見回しながらナイフを揺らし、クベスは続ける。
「悪くない企みだ。看護師からの招待状、行ってみればマフィア御一同、相手してる間に赤船の強襲、囚人の脱走、犯人はいかれたコボルト、動機はあれだ、いもしないモルタルネズミのボスを探してってことで、オチをどうするかは知らねぇが、どこかで俺の死体をトッピングすりゃ、全部の罪をなすりつけられるわけだぁなぁ。だが、一つミスを犯してる」
嬉しそうに自慢げに話すクベスに向かい、飛び出すものがいた。ゲーリーだった。
白粉の上からでもわかる真っ青な顔色、その眼差しは、追い詰められた感じがヒシヒシと伝わってきた。手の果物ナイフは腰の高さ、柄の部分を両手で握り、柄頭をお腹に押し当ててしっかり固定、そのままの突進はほとんど体当たり、相手を刺し殺すという殺意がその動作に濃縮されていた。
これに、クベスはゆったりと身構えると、ガバリと上半身を前に倒して顔を横に、そして腰の高さまで落ちた口を左右に大きく開いた。
ガジン! ビビビビビ。
初めに響いたのは、クベスの牙が果物ナイフに噛みつき捕らえた音、次に響いたのは、それでも止まらなかった体当たりの勢いで動いたクベスが、その足の爪で踏ん張り、その過程で絨毯を引き裂いた音だった。
どちらも一瞬で成り終わり、ガーリーの攻撃は完全に止められて、そしてクベスが頭を戻して上げるのと当時にその手から果物ナイフを奪い去った。
バギリ。
かみ砕かれ、ただの金属片となったナイフを、クベスは絨毯の上に吐き散らかす。
「不味いナイフだ。こんな安物、雑魚のコボルト相手なら十分ってか、ア!」
急な大声、武器を失ったゲーリーはポテリと腰を抜かし、それでも這いずって後ろへ逃げた。
その代わりに、他の囚人たちがにじり出てくる。みな武装して、戦う気はあるようだけど、どう見ても及び腰だった。
共に武装は貧弱、だけど数は圧倒的に不利、しかも囲まれている。だというのに、場を支配してるのは、間違いなくクベスだった。
「はてさて、つっても俺は病み上がりだし、マフィア相手に一戦終わったばかりだ。それでこの数はちーとやる気しねぇ。かと言って見逃すってわけにもいかねぇ。で、これだ」
そう言って顎で指示したのは、右腋に抱えた樽だった。
「あーーーちょっとばかし静かにしてもらえねぇかな?」
言って見回すクベス、それを見回す他の人々、静寂が訪れて、そしてやっと、聞こえた。
ブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブ。
小さく、微かで、だけどはっきりと聞こえる、連続した音、それがクベスから、その手の樽から、漏れ聞こえてきた。
聞き覚えのある、不吉な羽音だった。
「おいまさか」
呟いた囚人の一人にクベスは笑って返事する。
「聞こえたか? あの火事で全部吹き飛んじまったかと思ったけどよ。これだけ残っててよぉ。回収にはちと手間取ったが、まぁパーティーにはサプライズも必要だろ?」
笑うクベスと対照的に囚人の顔は引きつった。
「まて、こんなところで蜂を放したら、お前も無事じゃすまないんだぞ?」
正論に、だけどクベスは一瞬きょとんとした後、肩を竦めた。
「そん時ゃそん時だ」
言って誰かが何かを言うよりも先に、左手のナイフの柄で、樽の叩き開きやがった。
ブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブ。
途端、解き放たれて舞い上がる黒い粒に、室内は阿鼻叫喚となった。
◇
叫び、転び、逃げ惑う囚人たち、その中を突っ切り走り抜ける黒い影があった。
「待って!」
「まだスターが!」
ダーシャさんとマーシャさん、決して小さくはない二人の体を両脇に抱え、二人の母親はクベスが入ってきた扉より飛び出していった。
目にも止まらない圧倒的加速、足は日ヒールで、その手足に腰は細いのに、どこからどうやってそんな力を出したのか、ただ黒い残像と羽根とを残して、三人は部屋より退場した。
そしてその残像が実体化したかのように黒い粒が部屋中に広がる。
不快な羽音、目障りな動き、そして漂う悪臭、だけどそれは、あの倉庫で嗅いだものではなく、もっと身近な、違った悪臭だった。
「お前たち落ち着け!」
ジグルベル船長の声、だけど羽音と、混乱の喧騒に全てはかき消された。
黒い粒が舞い飛ぶ仲、あの母親に続いて部屋から飛び出していくドレスにスーツたち、その逃走を止められない囚人たちもまた、遅れてその後に続いた。
チ!
俺にしか聞こえないような小さな舌打ちはジグルベル船長、そしてチラリと俺を見る。
「この状況、この場は危険だ。脱出せねば、来なさい」
言うや俺の手を引いて出口に向かう船長、気が付けば俺たちが最後で、残るのは後一人だけだった。
その後一人、やらかした標本人のクベスが、ふらりと俺と船長の前に立ちふさがった。
何を考えてるのか、そのサングラスのない顔から、俺は考えを読むことができなかった。
……ただ、狂ってるようにしか見えなかった。
「無茶が過ぎるぞ。だが話はここを出た後でだ。この子のことは私に任せたまえ」
その横を抜けようとする船長、同時にクベスが動いた。
ガッ!
刹那に響く金属音、俺は振り回され、気が付けば船長に腋に抱えられていた。
そしてそこから見たのは、クベスが振るったナイフとそれを防ぐべく引き抜かれたジグルベル船長のサーベルが、刃を弾き合った瞬間だった。
「何を」
「見つけた」
ジグルベル船長の言葉を次に遮ったのは、クベスの嬉しそうな声だった。
「やーーーっと見つけた」
浮かべる笑顔は凶悪すぎて、唇が左右に引き伸ばされすぎて、端からだらりと。涎が滴った。
「お前が、俺の、仇だ」
クベスが壊れた。
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