敵の嵐

 お店に入ってきた彼らの姿、一目見ただけで一切の思考が飛んで、本能が警戒を叫ぶ。


 全員が筋肉質で、それぞれ見えている肌に細かい傷があって、髪は短く、耳は潰れて寝ていて、歯は黄色く黄ばんで、そんな口元はいやらしく笑っているのにも関わらず目つきは鋭い。


 格好だけなら普通の人ばかりなのに、その雰囲気は危険で、どことなくクベスにも似ていた。だけど一番危険と思わせるのは、その服装だった。


 淡いベージュのズボンに赤とか青とかのシャツ、右手の中指には赤い宝石の指輪が光る。それだけならただの観光客、だけど、腰の後ろに何か長いものを隠し持っていて、懐にも何か、多分ナイフを隠してる。そして極めつけが靴、全員がお揃いの黒光りしたがっしりしたもので、脛まで包むブーツ、だけど足音からどうやら金属製らしく、鎧の一端に思えた。


 男らは武装していた。なら観光客なわけがなかった。


 そんな男らが四人、ぞろりと入って来る。


 当然、お客様には見えなかった。


 それを察してか、マーシャさんが俺の背後へ隠れる。


「あの、何か御用でしょうか?」


 勇気を振り絞って訊ねる。けど男らは応えず、代わりに店内をぐるりと見回すだけだった。


 いくら待っても返事は無く、代わりに煙草の嫌な臭いが振り撒かれる。


「あの」


「こいつらか?」


 俺にではない。四人のどれかが他の誰かに訪ねる。


「他にいるかよ」


「いや、執事の男がいたはずだが」


 不吉な会話、何やら揉めていた。


「……ワサビなら」


 男らの会話に、止める間もなくマーシャさんが応えてしまった。


「ワサビなら、今買いものです。あの、クベスも」


 余計なことを、と怒るのは後だ。今は何とか、ここは逃げた方が絶対いい。


 その隙を伺うも、四人は話しながらも必ず一人が俺らを見ていて、隙がなかった。


「クベス?」


「あの犬だ。忘れたか? だからアレ持ってきたんだろ」


「あ、あぁそうか」


 そう言って一番前の男が前に出て、懐から緑色のガラスの小瓶を引っ張り出すと、躊躇なくお店の中に投げやがった。


 止める間もなくビンは床へ、砕けて四方に飛び散った中身は液体、漂う臭いは強烈な酒のものだった。


 何のためか、想像して、したらもう飛び掛かるしかなかった。


「逃げて!」


 一声叫び、目の前の男、ビンを投げたやつに俺は跳びかかる。


 一瞬遅れて足音、走り出す音、マーシャさんが逃げ出したと思うとほぼ同時に、俺の喉に爪が食い込んだ。


 強まる煙草の匂い、ビンを投げた男は一動作で俺を捕らえていた。


「キャ!」


 短い悲鳴、喉の痛みをこらえながら見ればマーシャさん、綺麗な髪を掴まれて後ろに引き戻されていた。


 一瞬の動作、子供とはいえあっという間に捕まえる手腕、この男らは、ただものじゃないと、俺は思い知らされた。


「大人しくしてろ。まだ終わりじゃないんだ」


 言ってビンの男、俺をうつ伏せに押し倒し、覆いかぶさって首に腕を押し付け動きを封じてきやがった。


 その隣にはマーシャさん、別の男によって俺と同じように床に押し付けられていた。


 床に顎を押し付けられた俺ら、それでもと首をひねって見上げれば、残っていた男の一人が指をポキポキ鳴らして前に出るところだった。


「さてさて、お試しと行こう」


 言いながらその右の拳を突き出した。


 そして拳に力を籠めると、すぐさま中指の宝石が赤く煌いた。


 次の瞬間、現れ飛び出したのは炎の玉だった。


 大きさは、それこそ俺の拳ぐらい、赤く光った塊からは熱さがあった。


 アーティファクト、呪文を唱えずただ魔力を流すだけで魔法が使える便利道具、家にもある火を点ける道具、だけど産み出す炎の大きさから、全く別物だとわかった。


 これは、ただの便利道具とかそんなものじゃなくて、明確に誰かを傷つけるために作られた、武器だった。


 それを裏付けるかのように、炎の玉は射出された。


 クベスの槍よりは遅く、だけど俺が投げる石よりは速い速度で、炎はビンから漏れた酒に沈み、爆ぜた。


 そして、室内で、お店の中で、炎が、盛大に、燃え猛っていた。


 床が焦げてく。天井が燻されてく。火の粉が見本の布地に飛び乗って煙を登らせ始める。


 こいつらは、母さんの店に、火を点けやがった。


 怒り、興奮、ありったけの力で手足をばたつかせるも、抑える男は重すぎて、俺は顎を床から剥がすことすらできない。


 それが余計に怒りを煽って、暴れさせた。


「いい威力だ」


 暴れる俺を無視して、炎を放った男はご満悦だった。


 その笑顔、俺は絶対に忘れないと、そして絶対に泣き顔に変えてやると、煙に燻されながら目を見開いて、心の奥底に何度も誓い、刻み込んだ。


 こいつらを潰すためなら、俺はなんだってやってやる。


「それで終わりじゃないぞ」


 別の男が前に出て、懐から別の何か、皮袋を取り出すと、それを炎の中へとくべた。


 途端に赤い炎が黒い煙に覆われる。


 同時に吐き出されるのは熱い悪臭だった。煙草の匂いなどねじ伏せるような強力な臭い。喉、鼻、目、燻されて咳も鼻水も涙も溢れて止まらなくなる。


「ひでぇな、オイ」


 俺たちを押さえてる男は愚痴りながら手馴れた動きで俺とダーシャさんを担ぎ上げる。


 それに別の男が応えた。


「我慢しろ。これが、あの犬の鼻を鈍ぶらせるんだ」


 その言葉、クベスを知っての鼓動、最悪な予感しか浮かばない。


 そんな俺とマーシャさんの上から男らが退いて、引き立たせる。


「んじゃあ移動だ」


 ぼんやり言呟いた、燃やした男に俺は足を振り上げ蹴りを見舞う、が届かない。


 ならば二発目と上げた足は逆に掴まれて、そのまま持ち上げられて俺は今度は背中から床に落ちた。


 受け身も取れず腰から落ちた俺は痛みに怯む間に、俺の腹が思い切り蹴り飛ばされた。


 硬く、重く、冷たい感触、それらを忘れさせるほどの衝撃と痛み、そして吐き気に、俺から呼吸が奪い去られる。


「おい傷つけるな」


「わかってるよ。だが一つ、泣く子も黙るってやつを試したい」


 応えて男は息のできない俺の髪をつかんで釣り上げる。


 近寄る顔、にやけた口から吐き出される息はより煙草に燻っていた。


「悪い子でも噂位は聞いたことあるだろ? 俺たちは悪名高き『モルタルネズミ』、子供を痛めつけるのがだーいすきな犯罪者さ」


 その一言、思いっきり目を見開く。


 ……最悪な、そして探し求めた答えだった。


 敵、母さんを殺した、敵が、今、目の前にいる。


 衝撃、高まる感情に、吐き気も呼吸も忘れ、溢れるのは、怒り、いやもっと冷たいもの、きっとこれが、殺意というものなんだろう。


 こいつらは、殺す。


 全身の筋肉が引き締まって、力が溢れ出た。


 髪が千切れようが手足がもげようが、やってやる。


「ダーシャだめ!」


 絶叫、マーシャさん、意識が戻って見回して、だけどダーシャさんの姿はなかった。


「ダーシャ、だめ、ここは、大人しくしましょう」


 なだめるような説得は、俺へ向けたものだった。


 その意味を考えてる間に、殺すチャンスは失われた。


 頬蹴る俺の口に布が詰め込まれ、吐き出す前にうつ伏せに転がされて、両手をとられ後ろ手に、きつく縛られた。


 そこから見える店内は、もう半分が燃えて、奥へと続くドアに炎がたどり着いていた。


「おし、行くぞ」


 男が同じように縛ったマーシャさんを担ぐと号令をかけて外へ、ちらほらと集まってた野次馬を突っ切ると風下へ、煙の流れる方へと向かい、走り出した。


 無様に、何もできず、殺すチャンスも失って、運ばれるだけのみっともない格好、それでも、俺は精いっぱいのことをした。


 ◇


 溢れ出る感情、怒り、なのに吐き出すことも暴れることもできず、ただ垂れ流すことしかできない俺はマーシャさんと一緒に運ばれた。


 男の集団、それも子供を担いで歩く姿は目立つはずなのに、すれ違う人はみな火に夢中か、あるいは煙で目を燻されてか、こちらを見てなかった。


 加えて煙の悪臭、風に流された煙は広範囲に広がっているようで、まるで島自体が灰色の水に沈んだかのように、その風景が隠されていた。


 そんな中を足早に進み、俺たちが運び込まれたのは、島民からは『空き家』と呼ばれる、町外れの一帯だった。


 ここらは、新品のゴーストタウンだ。


 町が大きく発展する、と見越しての先行投資、大金かけて沢山建てたが、村に近いことと港から遠いことが重なり、なのに強気に家賃を値下げしないから島民も移住者も誰も住まず、建物だけがあった。


 だから、ここらにはいつも誰もいない、隠れ家にはうってつけの場所だった。


 そんな空き家の並ぶ中、運び込まれたのはレンガ作りの倉庫だった。見るからに古く、壁には蔦が張っていて、利用されてる気配はないように見えた。


 だけどその両開きの扉を、運んでない二人がカギを開け開くや否や、中から煙草の匂いが溢れ出た。灰色の煙は見えないのに、まるでに詰めた液を頭から被されられたかのような悪臭、その中に俺たちは運び込まれた。


 見上げれば天井には大きな明り取りの窓、差し込む太陽の光で明るい中に、俺らを運んだ男らと似たような服装の男たちが、合わせて二十人ほどが、くつろいでいた。


 だというのに、中は驚くほど静かだった。


 ……黙って大人しく、お行儀よくしている、なんてことはもっと小さなときに教えられることで、できないのはクベスぐらいだろう。俺の場合は、母さんはそんな強く言う人じゃないけど、それでもそうした方が良いと、幼いことに理解してた。


 だけど、ここの男たちはそのレベルが違った。


 目の前にいる。動いている。だというのに、一切の音を立てなかった。


 酒を飲むもの、カードで遊ぶもの、寝ているもの、本を読むもの、みな何かしらしているのに、まるで俺の聴覚が奪われたみたいに、会話、衣擦れ、呼吸、何一つとして音がなかった。


 ただ静かにしている、という簡単な行為、それを俺の知る限り誰よりも上手に、完璧にこなしていた。


 ただものじゃない、と俺はようやく『モルタルネズミ』の脅威を知った。


 そんな中、俺たちは運ばれる。


 彼らは全員静かで、そして武装していた。


 椅子に掛けた鞘に刀剣、床に転がる金槌、壁に立てかけた槍に手斧、それ以外にも腰にはナイフ、それと全員の手の指には赤い石の指輪が見えた。


 そんな中を通り過ぎ、倉庫の奥へ。そこで待っていたのは、静かに並ぶ沢山の人形だった。


 着ているのはぱっと見は豪勢なドレスと立派なスーツ、だけど酷い布地、雑な裁縫、光り物は全部ガラスで、デザインは盗作、それに頭にはわかりやすいカツラで、顔は木目のまま、目鼻の輪郭すらなかった。それでも最低限は考えてるらしく、サイズはどれもぴったりで、丈も直してあるようで、質はまだしも着方は正しく見えた。


 そんな人形たちの正体に俺は思い当たる。これらは、お祭りに使われる、石を投げつけるための的だった。


 島の独立記念日、にっくき相手に恨みをこめての投石、最後には火あぶりになる使い捨て、だからあまり手間暇かけてないんだろう。


 そんな人形たちがずらりと、二列三列、奥の壁際にビッチりと並べられていた。


 ……明日はお祭り、この人形たちが使われる日だ。だから色々と準備があって、だったらこんな辺鄙な所じゃなくて、もっと人の多い普通の場所に置かれてるはずだ。じゃあ何で?


 人形を前に浮き上がる疑問は、だけど次に目にした『赤』で吹き飛んだ。


 並ぶ人形の中の一体、目に刺さる真っ赤なドレス、明らかに手間が段違いで、サイズもフィットした上質の仕立て、その服に、俺は見覚えがあった。


 あれは、間違いなく、母さんが最後に仕上げて、届けに出て行ったものだった。


 ……これで、母さんとモルタルネズミが繋がってしまった。


 わかっていたはずのこと、だけど、目にしてしまうと衝撃波思ったよりも大きかった。


「戻りました。ボス」


 静かだった倉庫に響く唯一の声、同時に俺とマーシャさんが人形の前にどさりと置かれた。


 下敷きになっていたい腕から体をどかしてるうち、人形と人形の間からのそりと現れたのは、初老の男だった。


 紺色のシャツに茶色のチョッキとズボン、足はブーツと普通ながら、頭にはツバの広い麦わら帽子、その顔は白い髭と髪とメガネ、お腹はぱっつりと出ていて、とても運動が得意そうには見えず、普通の観光客に見えた。仕事は学者か先生か、とてもじゃないけど犯罪組織のボスには見えなかった。


「首尾は?」


 見た目通り知的で、だけどボスっぽく冷たい感じの声に、俺たちを運んできた男が応える。


「ほぼ手はず通りに、二人はこの通り、犬よけに放火と臭い消しもばっちりでさ。ただあの執事が行方不明でさ」


「問題ない。使用人は契約外だ」


「なら、これで終いで?」


「そうだ。二人は私が相手する。君たちは明日に備えて休んでくれ」


「了解でさ」

 

 あっさりと応えて男らはあの静かな男らの中へと去っていた。


 その背を見送ってから、ボスは身を屈め、その顔をマーシャさんに近づけた。


「怖がらないでいい。我々は君たちに、これ以上の危害を加えるつもりはない」


 煙草臭く、優し気な声だった。

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