お嬢様方と船の上
別に今更、女の子の格好をするのに抵抗はなかった。
だからマーシャさんのワンピース、サイズも何とか合ってて入ったから、お借りした。
だけどそれとショーツは別だ。
ショーツは、ショーツだ、そればかりは貸し借りするようなものじゃない。
だから俺は、ショーツだけは履けなかった。
つまり、今の俺はスカートの下がノーパンのスッポンポンだった。
……凄い、スースーする。
これで、風の一つでも吹いて、スッポンポン見られて、俺が男だとばれたらと考えると、全身から汗が噴き出てくる。
思い返してみれば、俺から自分の性別について口にしたことはなかったけれど、だからと言って訂正できたのにしなかったのは事実だ。
それは、あの水着の仕事を受けたかったからで、ダーシャさんマーシャさんとお近づきになりたかったからで、結局はその時のあれこれで俺は自分の首を絞めていた。
…………いつかは話さなきゃいけないことだけど、それは今ではないと思うことにした。
そう自分で納得しながらワサビさんと病院を出て、案内された客船は、並ぶ船の中でもかなり目立つ、豪華な客船だった。
真っ白な帆船、見上げる大きさは建物で言うなら三階分以上、果ての見えない長さは島のどのみちよりも長く、島のどの船よりも、どの建物よりも大きくて、港に入るのもギリギリのようだった。
当然のように島と繋がる桟橋には厳重な警備、見張るのはあの赤船にいた海平さんたちと同じ格好だった。
だからこの船もまた外国扱いになってると思うのだけど、島の俺もワサビさんの一言で簡単に乗船で来た。
それで上がった甲板はやっぱり広い。学校の校庭が入るか入らないかぐらいの広さには、ベンチに机にパラソルに、何よりも目立つのは広々とした水槽、これがプールというものなのだろう。入って泳ぐための施設だとは聞いてるけど、実物を見るのは初めてだった。
ただ、甲板には人の姿はなかった。
「いつもでしたら誰かしらが泳いでおられるのですが、蜂の一件以来、用心のため、皆さんお部屋にこもっておられるようで、お嬢様方もお部屋から出さないよう、仰せつかっております」
ワサビさんに説明されながらプールの横を通り抜け、船内への階段を降りる。
中も豪勢、廊下には床に敷くのももったいないような毛足の長い赤の絨毯に、細かく蔦の絵を描き込まれた壁紙、その壁には一定距離ごとに誰か知らない人を描いた絵画や何が書かれてるかわからない表彰状、あるいはどこかの海図が飾ってあった。
それらを横目に見ながらたどり着いた大きな両開きの扉、ノックしてワサビさんが開くと中もまた豪勢な部屋だった。だけど見回すより先、目に入ったのは、双子の二人だった。
ダーシャさんとマーシャさん、二人になんて言おうか決めてなかったけど、二人に飛びつかれて、抱きしめられて、泣き止むまでの間、考える時間は沢山あった。
◇
確かに、船の部屋は豪勢だった。
広い空間、大きなソファー、どれほどの意味があるかは知らないけれど明かりのランプも純銀製らしかった。
部屋は確かに広いけど、走り回れるほど広くもないし、触れて倒して落としたら怒られるようなものが沢山だ。棚や壁に色々飾ってあって、それらが価値あるものだとはわかるけど、そんなのばかりで、おもちゃの類は一切ない。
豪勢、だけど楽しくない、それが二人の部屋の、俺が思った印象だった。
それは船全体にも言えることらしく、他の部屋に行けばカードゲームの類はあるらしいけど、ギャンブルに繋がるからと子供は禁止で、チェス盤は大人と大人が長い一局のために独占し続けていて、唯一、俺ら子供でも室内で楽しめそうなものとして本がたくさんあるけれど、どれも小さな字でビッチりと書かれていて、難しい以前に読むと船酔いするのだそうだ。
そんな、子供には楽しくない船内で何週間もかかる退屈な船旅、島へ冒険にも出たくなるはずだ。
だけど今はそれも禁じられ、その代わりに俺が加わって、結果が、この出張仕立て屋教室だった。
「ここ、こう?」
「そうです。そのまま巻いて、もう少し強く引いて、通して、後は玉止めです」
ダーシャさんに教えながら、マーシャさんの様子も見る。
転んだ時に痛めた足は未だに痛んで歩けないと話してたけど、針と糸に集中してしまえば気にならないようだった。
それで俺を挟んで三人、横に並んで、針と糸を動かし続けていた。
……きっかけは、二人からだった。
「「お裁縫、教えて」」
泣き止んで、船内を案内されて、それでこの部屋に来て、お昼に食べそこなってたサンドイッチを頂いてる時に、二人揃ってお願いされた。
友情の証に、学校の友達を驚かせたくて、自分磨きに、色々と上げてたけど、要は退屈だからに違いなかった。
それは俺も同じで、前の約束とお世話になるのだからと、それを建前に、双子ともっと仲良くできると本心を隠して、快諾した。
だけども練習になるものはとなって、ちゃんとしてるのを破くわけには、なんて話してたらダーシャさんが思いついた。
「海兵さん!」
同じ船に乗って身辺警護してる海兵さんの制服、この船で唯一働いている彼らの服はその働きぶりを表すかのように擦り切れていた。
洗濯こそちゃんとしてたけど、取れかかったボタンとか、外れかかったポケットとか、細かな部分にまで手が届いてないようだった。
それを直してあげる。
提案に、俺たちは良い考えだと思えた。
この考えを話したワサビさんには渋い顔をされたけど、そこに二人が『花嫁修業』と付け加えたら、渋々ながら協力してくれた。
海兵さんたちも、この蜂騒動で色々と忙しい中で雑用をやってくれるなら喜んでと、あちこちからこの制服の山を集めてきてくれた。
そうして俺が教える出張仕立て屋教室が開かれた。
海兵さんの制服は、丈夫でおおざっぱ、全部が同じデザイン、白いズボンに首周り襟が大きく紺色な白のシャツ、どちらも白色い大きなボタンでシンプルなデザイン、布地も、その一枚一枚が大きく作られていて、縫う線が最小にしてあって、言っては何だけど簡単だった。
ボタンも、胸、袖、ズボン前、ポケットと全部同じ大きさの白い木製の四つ穴で、縫い方も交差して四回ずつ通すと、共通させてあった。当然のように縫い糸も全部同じ、だから用いるボタンも木箱から適当に、同じ糸で続けて縫えた。
作るのも直すのも簡単な服、量産しやすさと丈夫さを両立させたこの服は、初心者でも扱えるようにデザインされているようで、見てくれや技術を捨て実用性を追求してる感じが軍服っぽかった。
まさに初心者用の、二人にはお誂え向きの服だった。
ただ、問題はとんでもなく汗臭く、垢臭いことだった。
クベスよりましとはいえ、かなり臭う。
「海兵の皆さんは海の上ではずっとこの臭いよ。もう慣れちゃったわ」
「それだけ頑張ってもらってるってことなんだから、文句言えないでしょ?」
そう言って二人は女の子でありながら躊躇なく制服へと手を伸ばした。
この豪胆さは、正直意外で、同時に魅力的でもあった
だけどもそんな二人でも、馴れない裁縫は難しいらしく、危なっかしい手つきで一縫い一縫い、慎重に針と糸とを動かしていた。
なのに口はとめどもなく動き続けるのは、やっぱり女の子だからだろう。その中に入れるのはかなり嬉しかった。
「今ふと思ったんだけど、釣り糸って何でできてるのかしら?」
「この糸と同じ綿ではなくて? そうでなければ何か別の草かしら?」
「テグスですよ。虫の繭を茹でて作るんですよ」
「あら、そうだったの?」
「でも繭を茹でちゃうなんてかわいそうね」
「まぁ確かに、いっそ羽化して蛾になった後でも」
「「蛾は嫌」」
二人はそろって言って、それに三人で笑う。
当たり障りもない会話、だけども時折途切れる度に、俺はクベスのことを思い返していた。
……行方不明、病院からの脱走、武器も服もお金も置きっぱなしで、いったいどこで何をしてるのだろうか?
思い当たる節は一つだけあった。
それは昨日の夜、ブレンダさんとの会話、クベスの過去、寝てたと思ってたけど起きていて、聞いてたのを聞かれたんだろう。それで、気まずくなって出て行った。
らしくない、とは思う。
けれど、そんなこと、と簡単に言い切れるような過去じゃなかった。
それだけの過去、敵討ちの動機、覚悟があのクベスを作った。
そしてブレンダさんの言ってた心配事、クベスしか見てない仇の姿は、灰色の獣人、果たして見つけられるものなんだろうか?
そもそも、という考えはブレンダさんには否定されたけど、だけど、やっぱりと考えてしまう。
考えてるうち、気が付いたら針を持つ俺の手は止まっていた。
表情も硬くなってたのか、俺の顔を心配そうに覗き込んでくるダーシャさんマーシャさん、心配させないよう笑顔で返して、裁縫を再開する。
俺が縫うのはズボンの方だ。こちらは難しいからこちらでやりますと、全部引き受けていた。
実際損耗が激しいのはズボンの方で、裾や膝なんかがこすれて破けてたりする。だけど二人に任せないのは、やはり下半身を包むものだし、何よりもボタンの位置が危ないからだ。
お尻のポケットを閉じるために左右に一個ずつ、ベルトの下で腰を止めるのに一つ、そして、トイレの時に前を開ける部分を閉じるために二つ、ボタンがあった。
このトイレのボタンが、下手の仕事で何気に多かった。
お尻のボタンも座ったり擦れたりで外れやすいけど、外れても気が付きにくくて、それになくても案外平気だからほっとかれた。
けど、トイレのボタンは目立った。開くときは催したとき、緊急性があって慌てて開いて、思わず引きちぎって、そして落ちる先は目の前のトイレ、取れた瞬間はわかりやすいし、無いと常時前がひらっきっぱなしでみっともない。
だから前を隠しながら、早々に直してほしいと、まだ湿ってるボタンを手渡してくる客が多かった。
そんな場所をお嬢様方にさせるわけにはいかない。だからこうしてせっせと俺が直していた。
途中、左右の縫い方を合わせるために針を持つ手を変えるのをすっかり忘れてたことに気が付いて、そのままやってしまったのが山と積まれてるのを見て、諦めた。
こういう細かなところが荒いから、やっぱり俺はまだまだだと反省にながら玉止め、余った糸を鋏で切り取り、また一つを仕上げた。
と、ドアがノックされる。
「「どうぞお入りください」」
「失礼するよ」
二人の声に返事したのは聞き覚えのある声、入って来たのは見覚えのある人、ジグルベル船長だった。
「「船長、ごきげんよう」」
「ごきげんよう、お二人方、それにスターさんも」
「こんにちは船長、えっと、何故こちらに? 事件ですか?」
遅れた返事、それを取り繕うろうより先に疑問が勝った。
「あぁそうか、スターさんにも説明しておこう。私が任されている『赤船』船団とこの船とは同じ国籍でね、だから小舟経由になるが行き来に問題はないのだよ。それに、この船の警備をしている海兵たちも私の部下だからね」
そう説明しながらこちらに歩み寄ると、俺が仕上げたばかりの服へ手を伸ばす。
……その瞬間、煙草の臭いがした。
ほんの少し、だけど鼻に確かに届く臭い、他の海兵さんとは違って汗も垢も臭わないから、余計に目立った。
ただ、悪臭というほどじゃなくて、むしろ良い香りで、これならば喫煙するのも納得できた。
そんな船長が伸ばした手で制服一着を取り、広げて袖を確かめる。
「うむ、良い仕事だ」
ニコリ、というのがぴったりな笑顔を船長は俺に向ける。
褒められてはいる。けど、それは社交辞令だろう。でなければ袖を直したとわかるわけがなかった。
俺も、まだまだだと言うことだった。
「本当に、助かってるよ。この島に来てからというもの、クベス君が捕らえた賞金首たちに、あの蜂騒動、通常業務も重なって、お恥ずかしながら部下たちは疲弊していてね。こういう雑務でもしていただけるのはありがたいのだよ」
「そう言ってくれて嬉しいですわ」
「頑張った甲斐がありましたわ」
素直に嬉しそうな二人、初めてお仕事なら嬉しいだろう。
「しかしもう今日はその辺にしておきなさい。あんまり熱中しすぎると今夜のパーティーまで持たないよ?」
「「パーティー!」」
二人はガバリと反応する。
「やるんですの?」
「中止でなくて?」
元気な質問にジグルベル船長は笑う。
「島の重鎮たちとの貴重な交流会だからね、ちゃんと開かれるよ。もちろんお二人も招待してる。そして今夜は特別ゲストもお呼びする予定だよ」
そう言って眼差しが向けられたのは、俺、つられて双子が見たのも俺だった。
「招待状はこれから書かないといけないんだがね。ちゃんと間に合うように届けるよ」
船長の言葉も耳に届いてない双子、ひしりと俺の両腕を捕まえて、言いたいことは目だけでわかった。
ただ、それには問題が一つ残ってる。
「ありがたいお話です。ですが、着ていくお洋服が燃えてしまって」
「あぁそれなら」
ポン、とやや大げさな動作で手を叩いて見せる。
「その点なら、君らの執事君が何やらプレゼントがあるようだが?」
そう言って船長が退いた向こう、入ってきたドアのところにワサビさんが立っていた。
深々と御時期するその手にあるのは、見覚えのある黒だった。
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