お呼ばれ
……クベスの行方不明は、大騒ぎとなった。
治療もまだ終わってないのに、誰にも行方を告げず、服も武器も残して、姿を消した。トイレの窓が内側から壊されていて、外に獣人の足跡が一つだけ続いていたから己の意志で出て行ったんだろう、と小耳に挟んだ。
明らかな脱走、外部から誘拐された痕跡はない、とは腰みの警官は言っていたけど、大騒ぎは収まらなくて、お医者さんは顔を青くして歩き回り、看護師さんがかわるがわる俺に話を聞きにきて、他の患者さんが野次馬に押し掛けた。
一方で、ブレンダさんはそんなに心配している風じゃなかった。
自力で脱走できるほど回復できたんだと、素直に喜んで、そして何も言わずに消えたんなら、きっと考えがあるんだろうと、心配はしてない様子だった。
ただ、寂しそうではあった。
それで、お店があるからと、行くところ無いなら俺もお店にと誘われて、だけどもう少しここにいますと何となく断って、一人、病室に残った。
そうして病室に一人残った俺は騒ぎを見守っていた。
何故だか賞金をかけようなんて話が聞こえだしたころ、満面の笑みで看護師さんの一人が現れた。
何でも、服と武器と一緒にクベスのあのたっぷり入ってた財布も残していったらしい。
ならこれで、治療費は確保できたとみんな安心して、クベスの捜索は打ち切られた。
そう言えばこの病院も島の人がやってたんだなと思い知らされた。
それで、気が付いたらもう昼飯時を過ぎていた。
当然と言っては何だけど、肝心のクベスがいない以上、病院食も何もないわけで、だけど周囲からは配膳の男が聞こえてきて、俺は空腹よりも不安に襲われた。
……ここはクベスの病室で、もとより俺がいていい場所ではない。だからすぐにでも出ていくべきなんだろうけど、他に行くべき場所も思いつかなかったし、わかれたばかりのブレンダさんの迷惑になるのも違う。だった、となるけど、家には、お店には、戻りたくなかった。
炎、火事、燃えたお店、思い返したくなくて、あえて考えないようにした。
と、ノックされ、思わず身構える。
「失礼します」
入って来たのは、ワサビさんだった。
忘れてた、わけではないけれど、ダーシャさんとマーシャさんは、手術室の前で別れてそれっきりだった。
特にマーシャさん、転んだ足が痛むらしく、ダーシャさんに支えられていったのをはっきりと覚えてる。
だから執事のワサビさんも、二人の元にいるものと思ってたので、この登場には少なからず驚いた。
「今、よろしいでしょうか?」
「あ、はい、どうぞ」
「失礼したします」
きっちり礼をしてから、ワサビさんは入って来る。
「お加減はいかがですか?」
「あ、はい。大丈夫です。でもクベスが」
「伺ってます。行方不明だそうで、私共の船にも来ていないかと連絡がきてましたので」
「それじゃあ、やはり?」
「申し訳ありません。私もどちらに行かれたのか、皆目見当がつきません」
また頭を下げるワサビさん、子供の俺にも礼儀正しかった。
「それはそうとスター様、よろしかったらこちらをお使いください。詳しいお話は、お嬢様方よりお話は伺っておりますので」
そう言って俺に差したのは、緑色のワンピース、サイズからマーシャさんのもの、それを差し出される意味を考えて、それで思い出した。
倉庫までのマーキング、二人にバッチリ見られてた。見られて、勘違いされてた。
あれから忙しくて、気持ち悪いと思える時間もなくて、気が付いたら乾いてたから、言われるまで忘れてた。
……流石に汚い格好のままでいるのは、色々とよろしくないだろう。
「本当はご自身のがよろしかったかと思いますが、火事があったばかりで私では近寄ることもできませんでした。申し訳ありません」
「いえそんな」
言い淀んで、一瞬迷って、それで思わず訊いてしまった。
「あの、火事はどうなりましたか?」
訊ねると、ワサビさんは少しだけ表情を曇らせた。
「……火事は、お店だけで済みました。ですがお店は、建物は石造りだったため、全焼は免れました。ですが、一階のお店は残念なことになってしまいました。二階も、煙でいぶされて無事とは言い難い状態です。私も可能な限り消化を手伝ったり、物を持ち出したりしたのですが、申し訳ありません。力不足でした」
「そう、ですか。いや、あの、その、ありがとうございます」
思った通り、だけども現状を改めて聞いて、ショックだった。
これで一つ、大きな、母さんとの思い出の品が、なくなってしまった。
沈む心のまま、どれくらいか、ぼんやりしてた俺をワサビさんは待っていてくれた。
それに気が付いて慌てて応える。
「その、服、お借りします」
少し笑ったワサビさんから差し出された服を受け取ると柔らかな肌触り、やはりいい生地を使ってる。縫い方も丁寧で、内側に余計ない部分が触れないよう、気を使ってある。これは、良い服だった。
と、ワサビさんは俺に背を向ける。
それが着替えに対する気遣いと気が付いて、慌てて着替え始める。
着てた服を脱いで、シャツに湿ったズボンとパンツを包んで丸めて、それから改めて、悪いと思ってもワンピースを広げると、間から何か白いものが落ちた。
拾い上げたら……ショーツだった。
真っ白で柔らかな肌触り、淵はレースで飾られていて、前よりも後ろの布が小さく、お知りに食い込むような紐で、腰の横のところで紐で結ぶようになっている。
母さん以外でこんなショーツを、下着を、持ってる人を、俺は知らない。
サイズは小さいけど、けどこれは、子供が穿くようなものなのだろうか?
ダーシャさん? マーシャさん? だとしても何でここに?
……俺が、履くのか?
「スター様」
「ひゃい!」
動揺が声に出てしまった。
「今後、お泊りできる心当たりはおありですか?」
「あ、あぁ、いえ、ないです」
一瞬ブレンダさんを思い浮かべるけど、別れ際に断ってた手前ないなと思い、無難で正直な返事を返してた。
……幸い、ショーツへの動揺は勘づかれてないようだった。
「よろしければ、私どもが停泊している船にご一緒しませんか?」
ワサビさんの提案に、驚く。
「我々がこの島に滞在するのは後二週間ほどですが、その後の生活についてもご相談させていただきます。その後の生活も、細々とした手続きはお任せください。衣食住、可能な限りご面倒見させていただきます」
「そんな、そこまで甘えるわけにはいきませんよ」
思わず断ってた。
「……これは、マーシャ様のご意思でもあるのです」
「マーシャ、さんの?」
「……本来なら、これは、マーシャ様ご本人の口から申し上げるのが筋ではありますが、スター様へ、あの倉庫のことを謝罪したいと」
「謝罪、ですか?」
言われて、思い当たるのは、後の時の一言、あんな汚いあいつらと一緒に掃除されるのは嫌です、心無い言葉だった。
「……僭越ながら、お嬢様方は男爵家の令嬢、高貴な血筋にございます。なので敵も多く、狙われる恐れも日常的と言えます。ですので、攫われた際の対応も熟知しております。可能な限り相手を刺激せず、敵対せずに気に入られ、賛同し、仲良くなること、形の上でも心の距離が縮まれば、その分危害を加えられる可能性から遠ざかる、そう、私どもは教えてまいりました」
「だから、あんなことを」
「そうです」
そう断言されて、少し納得がいった。
「それともう一点、あの時スター様をダーシャ様として扱ったのは、真実が知られれば人質から目撃者になってしまわれるからです。目撃者は、消すしかありませんので。それに、ダーシャ様が自由なら助けを呼ぶ可能性が高まると踏んでのこと、決して悪意を持ってのことではありません」
「それは、わかってます」
わかってたことだ。
あの場面、マーシャさんに落ち度はない。それどころか、暴走しかけた俺を止めて守ってくれたんだ。マーシャさんは、紛れもない恩人だった。だったら、お礼を言わないといけないな。
「それに、これはお二人のためでもあるのです。今回の件、スター様は巻き込まれただけ、なのにお店を燃やされてしまって、これで何も恩返しができないとなると、お優しいお嬢様方には、そちらの方が苦なのですよ。ですからどうか、お二人をもう一度助けると思って、お願いしたします」
そうまで言ってくれるワサビさん、ここまでされてしまっては俺には断れなかった。
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