また底に落ちた記憶

 少しの沈黙の後、ブレンダさんは続けた。


「……あの時は悪い仕事、関税を誤魔化すための国境越え、密輸するのは蜂蜜だったっけね。岩山ばかりの冷たく、厳しい道のり、馬でもなかなか通れなくて、難儀したもんさ」


 ランプの灯りが少し揺れて、ブレンダさんの影が動いた。


「もうその頃はもうこいつも大分と鍛えられててね。仕事のミスで殴られることはなくなってけど、格闘技の修行だってんで相変わらず殴られてたっけね。それも、いつものになっちゃって、ある程度認められるようになった矢先、やつらと出くわしたのさ」


 ブレンダさんの声に、緊張が聞こえる。それに、若干の恐怖も、ある気がした。


「国境越えは悪いこと、だから裏道で出会うのは全員が悪人、だけどそこには仁義みたいなものがあってね。例え他のグループと出くわしてもお互い手出ししないってのがお決まりだった。下手に揉めて大事になって、挙句に国境警備の連中に見つかったら互いに一網打尽だからね。だから手出ししない、覗かないし口外しない、それが不文律、それを無視してやつらは攻撃してきた」


「それが、モルタルネズミ」


 ブレンダさんが頷く。


「あいつらがそうだと知ったのは後の話しさ。やつらは雇われのテロリスト集団、大陸ではそこそこ有名でね。お金さえもらえればどの国へも攻撃する。それも国王とか貴族とか、聖地とか重要拠点とかじゃなくて、一般市民を無差別に、それで金をもらってる。クズにクズを重ねたようなクズどもさ」


 ブレンダさん、らしくなく吐き捨てる。


「下っ端はちょくちょく死んだり捕らえられたりしてるらしいけど、肝心の幹部が当時から手つかずでね。そんな幹部が、運悪く、うちらとかち合ったのさ」


 ゴクリ、俺は無意識に唾を飲んでた。


「……やつらとうちのキャラバンが何でそうなったかは知らない。そもそもあたしは、いきなりの一撃でこの目と意識を奪われてたからね。次に目を覚ましたら、あいつを含めた半分が殺されてて、残りも多かれ少なかれ負傷させられてた。クベスも、ただじゃすまなかったよ」


 言われて、あの傷だらけの体を思い出す。


「やつらはいなくなっていた。それを幸いと逃げるように、いや本当に逃げだして、怪我人だけ拾って、死体はその場に残して、国境を超えてた。持ち帰れた蜂蜜を売るだけ売って、それでお終い、解散して、ばらばらになったんだよ」


 話すのも辛そうな感じ、これ以上は止めるべきだと思って、だけど、それでも続きが知りたかった。


「クベス含めた何人かは他のキャラバンに、残りはバラバラな仕事について、あたしは解散の時の資金を元手に、長年の夢だったレストランを開こうと思ってね。キャラバンでの生活で珍しい料理も知ってたし、だから本格的に大きなところに弟子入りたんだ。あの日を忘れようとし行を頑張って、仲間とも疎遠になって、そろそろ独り立ちなんて話が来た時に、またクベスが来たんだよ。あの男の形見のジャベリン付けてて、その時にはもう、賞金稼ぎになってたよ」


 もう何度目かのため息を吐いて、それでもブレンダさんは続ける。


「こいつ、自慢げに言うんだよ。今アニキの仇を追ってるんだって、金もいっぱいだし手柄も沢山、有名にもなったって、だけどそう言ってる傍から寂しそうでね。だけどそれだけ、ただ報告だけ済ますと、またどこかに消えてったよ。それからずっと、あいつは一人、独学で賞金稼ぎをやって来たのさ。それからも大物を捕まえたりと活躍してるとは聞こえてきたけど、それ以上に嫌われてるって、噂でね。あの調子だからね。だけど心配なのは、そんなことじゃないんだよ」


 そう言って、ブレンダさんは、両手で顔を覆った。


「あの時、あの男が殺された時、あたしは気絶してた。他のやつらも方々で戦ってたり、気絶したりしていて、だからクベスが言う、仇の灰色の毛を持つ狼の獣人を誰も見てないんだよ」


「……それって」


 思い出すのは情報屋との会話、空想とよんでいたのは、このことで、だけど実際にモルタルネズミは島にいて、だけど灰色の獣人はどこにもいなかった。


 なら、その獣人はどこに?


 いや、その前に、本当に、そんな獣人は実在したんだろうか?


 浮かび上がる恐ろしい空想を、ブレンダさんは察したように首を振って否定する。


「みんな言うさ、クベスしか見てないのは、クベスにしか見えないからだって、見たとしたら、自分の影だって。そうなってもおかしくないような扱いだったし、それにそれからの変わりぶり、蛮行、あれは真実から目を反らしてるんだって、汚らしい格好してるのも、自分の汚れた血を見たくないからだって、ね。だけど、そうじゃないんだよ」


 ブレンダさん、顔から手を放す。その顔はもう、ほとんど泣いていた。


「……こいつがね。こうなったのは、こうしてるのは、過去の自分との決別なんだよ。小奇麗で、華奢で、自分一人じゃ何にもできなくて、ただ命じられた芸をして、ご主人様のご機嫌をとるだけだった、ペットの弱い自分を切り離すのに必死なんだよ。だから逆のことをし続けてる。それがアニキに教わったことだから、悪れないように、必死でね」


 ブレンダさんは泣きそうな顔のまま、小さく微笑んだ。


「だからクベスは、あんたを助けたんだと思うよ。仲間を見つけたってね」


「仲間、ですか?」


「そう仲間、あんたの話も、聞かせてもらったよ。昔の自分と同じような子が、同じように大切な人を奪われた。そして昔の自分のように都合のいい話ばかり聞かされて騙されて、挙句に放り出されようとしてた。だから自分も『アニキ』にされたみたいに、『アニキ』みたいになろうとしてた」


 言われて、最初にアニキと呼ばせたがってたクベスを思い出す。


 そんな俺の顔を見て、ブレンダさんは寝ているクベスに視線を落とす。


「こいつはね。いいやつなんだよ。酷い環境で育って、そこから這い上がって、腐ってもおかしくないのに、踏ん張って、あがいてる。賞金稼ぎなんて仕事も、闇に落ちる手前のあいつには他になかったんだろうさ。こいつは、あがいてるんだ。だから」


 ブレンダさんが、悲し気な笑みを浮かべる。


「だからお願いだよ。あいつみたいになってくれとは言わない。好きになってくれとも。ただ、こいつを……」


 絞り出すような声で、ブレンダさんが続けた。


「こいつを、あんまり馬鹿にしないでやってくれ」


 それは、もう、懇願だった。


 ◇


 ……服には、色々とルールがある。


 例えばスカート、一部の民族衣装を除けば、女性が着るものだというルールがある。


 だけど昔は男女ともにスカートだったと母さんに教わった。


 それが文明が進んで、人が馬に乗るようになって、その時内またが擦れて痛くならないように布を当てたのが始まり、ズボンが産まれたんだそうだ。その内に馬に乗って戦うようになって、つまりはズボンは男の戦う衣装になって、そうでない服、昔ながらのスカートを男が着るのは恥だとなった。そうしてスカートは男が着ない、女が切るもの、となった歴史があるらしい。


 だけどそれは昔話、今の時代には強い女性もいるし、スカートだから戦えないわけでもない。にもかかわらず、ルールだけが残って、肝心の実用性が置いて行かれた。


 そう考えれば、いわゆるちゃんとした服装というのも、誰かに、観ている人に媚びたことになるのだろう。


 なら、あえてダサイ格好をするのは一つの反逆とも考えられる。


 他人がどう見ようとも、自分の自由な格好で闊歩する。それは奴隷にはできない、自由でなければできないことだ。


 ……そう思ったら、クベスの格好を笑えなくなってしまった。


 クベス、過去、知らないけれど、これまでを考えれば、下品であっても悪人ではないだろう。


 だから、俺のクベスへの評価は変わらない、変わるはずがなかった。


 そう、結論付けたのは夢の中、いつの間にか俺は眠っていた。



 …………そして、目覚めた時、まだ残ってたのは寝ているブレンダさんだけで、クベスの姿は、もうどこにもなかった。

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